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プロジェクトZ第11回

2008年05月06日 | Weblog
時代

 チーグラー触媒特許の導入をI社長が決断した昭和29年(1954年)とは、筆者ら団塊世代の先頭集団が小学校に入学した年である。まだズックなどは普及しておらず、下駄をはいて通学していた。百万長者と言えばお金持ちのことで、100万円もあれば豪邸が建てられると聞いていた時代のように記憶する。家庭に水道もなく、ガスも無く、白熱電灯やラジオがある以外は江戸時代とさして違わない生活ではなかったかと思えるほどである。

 最近幻冬舎からNHKプロジェクトX制作班編「プロジェクトX-挑戦者たち」の文庫本1、2巻が刊行されている。その第1話は、富士山頂に気象レーダーを建設する話で、完成が昭和39年(東京オリンピックの年)9月の物語である。この建設予算が2億2,000万円とある。I社長の決断したチーグラー特許の独占契約料4億3,200万円がいかに莫大な金額だったかが伺われる。因みに昭和29年の国家予算は総額1兆円とある。

 昭和29年の出来事を蛇足ながら付け加えれば、米国がビキニ水域で水爆実験を行い、第五福竜丸が被災した年であり、日本各地に放射能の雨が降った年。また陸海空3自衛隊が発足した年であり、当時、世界の海難事故史上タイタニック号沈没(1912年)に次ぐ規模の青函連絡船洞爺丸(3,898t)遭難が発生した年でもある。年末には第5次吉田内閣が総辞職し、鳩山一郎内閣が成立している。

 このような時代、己の感性を信じ日本の高度経済成長の扉を力強くこじ開けた男が、化学業界にもいたのである。



 この稿は、毎日新聞社版「戦後日本経済史」1993年エコノミスト創刊70周年[臨時創刊号]を一部参考にさせていただきました。

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