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四季のある国 第3回

2024年07月07日 | ブログ
夏の風物詩

 花火・花火大会、すいか割り、海・海水浴、浴衣、風鈴、蚊取り線香などなど。夏と言えば思い出す「夏の風物詩」はいっぱいあるが、今年第106回大会を迎える高校野球の甲子園大会もそのひとつに数えられるのではないか。

 夏の甲子園大会は、1915年(大正4年)当時は中学生の大会として始まったとある。太平洋戦争後、学制変更で旧制の中学は高校となった。戦前昭和15年の中学への進学率は7%とあり、当時の中学生は超エリートだったのだ。戦後の新制高校への進学率は昭和25年で40%に達したとあるから、戦後のわが国の産業構造の変化、経済的な格差是正が進んだことによるものと思われる。

 連日のNHKニュースの最期を飾る、大リーグ大谷選手の活躍もあり、未だ日本人は野球好きである。高校野球が100年の歴史を超えて色褪せないのも、酷暑の炎天下、ひたすらに白球を追う甲子園球児の姿に嘘がないからであろう。

 どこかの都知事選挙の惨状は、現職が嘘で固めた経歴で、都民の税金を餌に支持を求める姿に象徴される。その人物を与党(自民、公明)そして総理・総裁候補に名のあがる人物までもが支持しており、メディアもそれを容認している構図は、民主政治の終焉近かしの感さえするものだ。

 私の母方の祖父は、愛媛県松山市の甲子園の名門松山商業高校の近くに住んでいた。松山は勿論「野球」の名付け親、正岡子規の出身地のこともあり特に熱心なファンも多かったのではないか。夏休みに祖父の家に行くと、いつもラジオからは甲子園実況が流れていた。当時祖父は自宅で木製家庭用品を作る職人をやっていたようで、部屋の奥にあぐらで陣取って、桶などを器用に作っていた。その資質は孫にあたるわが家の長兄に引き継がれ、自分で作った竹ひごから、見事な鳥かごを作っていたものだ。

 7月4日の読売新聞に、松山商業高校のことが載っていた。『大正時代に始まった高校(当時は中学)野球大会で、大正、昭和、平成と各時代を制している(優勝している)のは、松山商業1校だけであり、4元号Vを狙える唯一の高校というのである。春夏の甲子園大会で優勝は7度。しかし、今の選手たちが生まれてからの期間に、甲子園出場はない。

 春夏の甲子園で優勝回数が一番多いのは中京大中京(愛知)の11度(春4、夏7)、続くのは大阪桐蔭の9度(春4、夏5)。春夏連覇も2度。優勝を全く経験しない都道府県は、青森、岩手、秋田、山形、福島、新潟、富山、石川、滋賀、鳥取、島根、宮崎の12県』とある。

 私の母校は、当時野球も柔道も県大会1回戦ボーイだったが、野球だけは別格で、その県大会(甲子園予選)には、松山城堀之内の県営球場まで、生徒全員応援に駆り出されていた。内野席でもむき出しのコンクリートベンチだから熱い。日差しも半端ない。1回戦で負けていたからまだ良かったのかも知れない。