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四季のある国 第2回

2024年07月04日 | ブログ
梅雨

 『日本の稲作は紀元前3世紀に始まります。 中国・揚子江の流域で発達した技術が、農具とともに伝えられたのです。 最初、農具は木でつくられたものでしたが、鍬(くわ)をはじめとして、たくさんの種類がすでにそろっていました。 当時の水田はすべてが低湿地の沼田だったので、木製でも十分に役に立ったのです。

 5、6世紀の頃になると、中国の華北地方から朝鮮半島を通って、新しい稲作技術が伝えられました。これは、夏の間に水田をいったん乾かすという方法です。この方法では、鉄でできた農具が必要で、鉄製農具(すなわち土を切る部分に金属をかぶせた農具)も同時に伝えられました。そして、この新しい技術を取り入れ、勢力をつけていった部族が、古代国家を統一するようになっていったのでした。』亀田製菓株式会社「お米の国の物語」byグーグル

 日本列島でも九州から東北地方に懸けて、毎年6月半ばから7月半ばくらいの1か月は、うっとうしい梅雨の季節である。しかし、これは日本人の主食である米の栽培に取って必要不可欠の季節の移ろいであった。

 米作を基礎として、この国には「荘園(しょうえん)」という社会制度が生まれ、古代・中世(8世紀~16世紀)に存続した。その後太閤検地などを経て「荘園制度」は衰退したが、米の取れ高による武家の格付けのようなものは石高で表され、江戸時代を通じて残された。石高制(土地の生産量を基準に年貢を徴収する制度)は1873年に明治政府によって廃止されている。

 中学に入り1年生の時、社会科では「日本歴史」を学んだ。クラス担任でもあった先生は、この「荘園」について学ぶことで、日本歴史が紐解けるというような話をされていたことを懐かしく思い出す。

 この頃の梅雨は、うっとうしいだけでなく、各地に豪雨による浸水、崖崩れなど人命を脅かす大災害まで引き起こすようになった。昔から河川の増水・氾濫による被害は多かったが、近年の温暖化で一層過激化しているのだ。

 梅雨が明けると、本格的な夏の到来である。子供の頃は金銭的には貧しかったけれど、夏休み、夏祭り、海水浴、セミ取り、家族で伝馬船を借りて魚釣り、そして夜は近くの小川で蛍狩りができた。梅雨は、そんな楽しみのお預けの時間でもあった。




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