怪物ガーゴンと、ぼく

「怪物ガーゴンと、ぼく」(ロイド・アリグザンダー/著 宮下嶺夫/訳 評論社 2004)

最初に読んだ、ロイド・アリグザンダーの本は、「木の中の魔法使い」だった。
これは、面白いことは面白いけれど、ちょっとものたりない。
これだけ高名な作家なのだから、もう少し面白くてもいいだろうという感じだった。

で、部屋にあった別の本を読んでみる。
作者晩年の、自伝的作品。
結論からいうと、とても面白かった。

本書は児童書。
フィラデルフィアに住む、主人公デビット、〈ぼく〉の1人称。
デビットの回想形式で書かれている。

冒頭に、まず登場人物の系図があるのが、読むさいに理解を助けてくれる。
また、訳者あとがきの後ろに、時代背景や引用された言葉についての説明があるのもうれしい。

デビットのお父さんは、アランといい、ジャマイカの出身。
興奮すると、ジャマイカ訛りがでてしまう。
東洋の品物を売る店を経営している。

お父さんの兄弟、ユースタフおじさんの仕事は、墓石売り。
お母さんはエドナといって、4人の兄弟姉妹がいる。
エドナのお母さん、つまりおばあちゃんは下宿屋を経営していて、そこには下宿代を踏み倒してでていった下宿人が残した、オウムのノラがいる。

さて。
11歳のデビットは、病気で学校を長く休んでいる。
なんの病気かは、だれも教えてくれないので、よくわからない――このあたりは、1人称の便利なところだ(のちに、気管支炎だとわかる)。

デビット自身は、学校にいかなくてすむので、喜んでいる。
手当たりしだいに本を読み、物語を空想し、その物語についての絵を描くことで一日をすごしている。
本書では、デビットが空想した物語が、しばしば語られる。
読んだ本や、起こった出来事などが、すぐさまデビットの物語に反映され、ちょっとメタフィクション的な味わいがあり、読んでいて楽しい。

病気がちょっとよくなったデビットは、近所の子どもたちと、映画をただ見しようと、裏口から映画館に侵入。
が、運悪く係りのひとにみつかってしまい、こってり油をしぼられる。
――このとき、呼ばれてあらわれたデビットのお母さんが、たいそう立派な振る舞いをみせる。

その後、家族会議が開かれ、学校にいけないデビットに教育をほどこそうということになる。
結果、アニーおばさんが自ら名乗りでて、その任を引き受けることに。

アニーおばさんは、一家の遠い親戚で、おばあちゃんの下宿屋で暮らしている。
この、アニーおばさんこそ、怪物ガーゴン。
ガーゴンというのは、ギリシア神話にでてくる怪物ゴーゴンのこと。
いいまちがえの名人であるロージーおばさんが、まちがえていったのがそもそもの由来。

アニーおばさんは、なんでも見透かすような目をしているので、デビットは苦手だった。
でも、まわりの大人たちが、デビットをまるで透明人間のようにあつかうなか、アニーおばさんだけがデビットを透明人間にしなかった。

という訳で、デビットは月、水、金とガーゴンのもとにいき、勉強を教えてもらうことに。
ガーゴンの教えかたは、ひとつの授業でひとつのことを教えるというのではなく、なにもかもごちゃまぜに教えるというやりかた。
そして、よく脱線をする。

いちばん最初、ガーゴンのところにいったデビットは、ガーゴンから「宝島」についての質問を受ける。
クリスマスに、デビットはガーゴンから「宝島」をもらっていたのだ。
だれが「宝島」を書いたのかと訊かれて、デビットが答えられないでいると、ガーゴンはいう。

《「ロバート・ルイス・スティーブンソン。あんた、本を書いた人たちの名前はちゃんと覚えているべきだよ。それが礼儀ってもんだ。物書きなんてかわいそうな連中でね、世間に名前を覚えてもらうのだけが望みで生きているのさ。――」》

ガーゴンの口のききかたは、なかなか伝法だ。

あるとき、デビットはアニーおばさんの前で、つい「ガーゴン」といってしまう。
察しのいいおばさんは、ガーゴンがゴーゴンのことだと、すぐに気づく。
おばさんを傷つけてしまったかとデビットは思うが、反対におばさんは、その呼び名をいたく気に入る。
2人だけのとき、これからは、わたしのことをそう呼ぶんだよと、ガーゴンはいう。

デビットも、2人だけのときには、ボーイと呼ばれることに。
ザ・ゴーゴンに、ザ・ボーイ。
「TheGawgon and The Boy」というのが、この本の原題だ。

この作品は、脇役が光っている。
デビットの親族は、みな忘れがたい。
回想形式というのは、脇役を印象的に書くことがしやすいのかもしれない。
それに、回想形式は多少構成がゆるくてももつから、本筋と直接関係がないことを書きやすいということもあるだろう。

おばあちゃんの下宿屋には、キャプテン・ジャックというひとが住んでいた。
第一次世界大戦で、ヨーロッパに従軍し、戦争神経症になり、ずっと自分の部屋に閉じこもっている人物。
でも、デビットとは冗談をいう間柄で、あるときキャプテン・ジャックはデビットに大戦のことを話してくれる。

《「すべての戦争を終わらせるための戦争、なんて言いやがって。キャプテン・ジャックは言った。「やかましくて、きたならしくて、臭いものさ。銃弾に当たると、馬も人間もものすごい声で泣きさけぶんだ。しかし、もう終わっちまった。二度とあんな目にあわないことを神に感謝しなくては」》

ある日、キャプテン・ジャックは具合が悪くなり、デビットの生活からは去ってしまう。

ミセス・へバートンという資産家のところでは、フロリーおばさんとウィルおじさんがはたらいている。
フロリーおばさんは、コンパニオン(話し相手・付き添い役)、ウィルおじさんは運転手兼庭師として。
が、大恐慌が起き、2人は職を失ってしまう。

ハンサムなウィルおじさんは、クリスマスのとき、いつもサンタクロース役をやる。
デビットがまだサンタクロースを信じていたころ、みんなでサンタを待っていると、ウィルおじさんはちょっと用事があるんだとでかけていく。
しばらくすると、サンタがあらわれる。
そして、サンタが去ると、ウィルおじさんが帰ってきて、留守のあいだにサンタクロースがきたことを知り、いかにも残念そうにため息をつく。

お姉さんのエリーズは、友だちとのつきあいに夢中。
そのグループは、「チューリップ・ガーデン」と呼ばれている。
エリーズは、デビットのことをよく「ワルガキ」と呼ぶ。
デビットとエリーズは、いかにもよくある姉弟という感じで書かれていて、ここにも作者の腕のたしかさがみてとてる。

お父さんのアランは、突拍子もない商売を思いつく。
あるときなどは、ヨルダン川を買うなどといいだす。
ヨルダン川の水を輸入して、洗礼用として売れば、売れるだろう。
普通の水道水に、数滴、ヨルダン川の水を混ぜればいい。

しかし、どうやってヨルダン川の水を買ったらいいのか。
アランは、ヨルダン川付近の国王や首相たちに、せっせと手紙を書く。

それから、なによりガーゴンのことだ。
ガーゴンは、若いころ、あるお宅の家庭教師をしていた。
そのお家の旅行につきそい、エジプトにもいったことがある。
デビットは、クフ王のピラミッドにのぼったガーゴンの写真をみせてもらう。
また、結婚したこともあったし、子どもがいたこともあった。

ガーゴンに打ち明け話を聞かせてもらい、デビットは感謝をおぼえる。
大人から、こんな話をしてもらったことはない。

こうして読んでいると、だんだん不安になってくる。
児童文学で、お年寄りが登場し、主人公と仲良くなったりすると、そのお年寄りはたいてい亡くなってしまう。
ガーゴンも、からだの調子はそう良くなさそうだし、物語はそんな展開を迎えるのではないか――。

それはそれとして。
大恐慌の余波か、お父さんのアランは店を閉め、一家はフィラデルフィアから20キロはなれた地区に引っ越すことに。
最初のうち、デビットは新しい環境になじめない。
が、じきに同じ年頃の少女グロリアと出会って、恋に落ちる。

少年の、いささか教養的な成長物語は、児童書というジャンルにふさわしいものだろう。
また、登場人物全員にたいする温かいまなざしも、児童書らしいものといっていいだろうか。
本書の最後の2行は、胸に迫る。
「だれもが、若い時代に、自分のアニーおばさんを持てるといいと思う」
という作者の発言を、訳者あとがきはつたえている。

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