指示待ち人間を作ってはいけない

2010-05-15 14:32:56 | 教えない
他人に向かって指示待ちはいけないと云いながら
自分だって相当にアヤシイことです。

疑問は晴らすようにと云いつつ
何を尋ねるべきかすら分からない自分もいます。

物理の難しい数式を並べられても、さてどこまで
戻れば質問が可能になるのか・・
永遠に遡らねばならないような気になりますね。

考えても教えられても「よーわからん」という気持は
同感出来るものであります。
自分で考えるより前に「で簡単にいえばどーなの?」
ま、それもよくあります。

とはいえ、自分で考えられそうなことは、たとえ笑わ
れても努力をしたいとは思っています。。。


(考えない自分)を反省してというか、タナにあげて
子供達には、自分で解決する能力の高い人間になって
ほしいと思います。

それには最終的に(教えない)ことが重要なのですが
そのレベルに行くまでには教えつつ育てる長い時間も
必要です。

教えないを目標に教える。
もしくは
教えつつ教えない。


例えば、ナントカ算を解いてもらおうとします。
様々な課題が浮かびますね、ふつう。

* 題意がつかめない。
* 算数における日本語が了解できていない。
* 解こうとする気持ちがすぐなえる。
* 図が描けない。
* 別の手法を試せない。
* 式を書かない。
* 答えの確かめをしない。
(常識とチェックできない)
* 単位に注意が向かない。
* 計算ミスをする。
* 字が汚い。
* なぜこういうことをしたか説明できない。
 「これを2で割ってるね?どうして?
  何をしたかったんだろう?」
 「・・・・」←本当に分からないのです。
        なんとなく2で割ったらしい。
などなど、他にも多くあるはずですが
その羅列は別の機会に譲ります。

問題に当たってもらうと上記の課題が一度に
複数見つかることも多いですね。

たとえ時間に余裕があっても複数見つかった課題に
一気にすべて触れるのは良策ではないと考えます。

それらの多くは長い間解決できないで続いてきたもの
ですから、それをいくつもいくつも指摘され
気分が良かろうはずはありませんし、一気に解決を
みることでもないでしょうから。

よって一つ二つの課題に焦点をしぼることになります。
それもごく短時間で決定しなければ。

その時点でより根本的、あるいは急ぎの課題が優先して
対処されるべきでしょうが、どれを対策すべきか
瞬時には迷ってしまうこともありますね。

そこからがプロの腕・・かなあ?

継続という問題もあります。
いっぺんには直りそうもないことばかりですから。

継続して問題を追っかけながらほかにも多くある
課題にも手をつけないといけません。
塾では一年、二年すぐに経ってしまいます。

でも究極の目標は「自分で考えられる人間」

すぐに教えて分かってもらうことは簡単ですが
その子のためと言うより自分のために教えている
ことが多いのではないか?

必死で教えていた昔の自分を思い出すたび
取り返しがつかない苦いものが浮かんできます。