他人に向かって指示待ちはいけないと云いながら
自分だって相当にアヤシイことです。
疑問は晴らすようにと云いつつ
何を尋ねるべきかすら分からない自分もいます。
物理の難しい数式を並べられても、さてどこまで
戻れば質問が可能になるのか・・
永遠に遡らねばならないような気になりますね。
考えても教えられても「よーわからん」という気持は
同感出来るものであります。
自分で考えるより前に「で簡単にいえばどーなの?」
ま、それもよくあります。
とはいえ、自分で考えられそうなことは、たとえ笑わ
れても努力をしたいとは思っています。。。
○
(考えない自分)を反省してというか、タナにあげて
子供達には、自分で解決する能力の高い人間になって
ほしいと思います。
それには最終的に(教えない)ことが重要なのですが
そのレベルに行くまでには教えつつ育てる長い時間も
必要です。
教えないを目標に教える。
もしくは
教えつつ教えない。
○
例えば、ナントカ算を解いてもらおうとします。
様々な課題が浮かびますね、ふつう。
* 題意がつかめない。
* 算数における日本語が了解できていない。
* 解こうとする気持ちがすぐなえる。
* 図が描けない。
* 別の手法を試せない。
* 式を書かない。
* 答えの確かめをしない。
(常識とチェックできない)
* 単位に注意が向かない。
* 計算ミスをする。
* 字が汚い。
* なぜこういうことをしたか説明できない。
「これを2で割ってるね?どうして?
何をしたかったんだろう?」
「・・・・」←本当に分からないのです。
なんとなく2で割ったらしい。
などなど、他にも多くあるはずですが
その羅列は別の機会に譲ります。
問題に当たってもらうと上記の課題が一度に
複数見つかることも多いですね。
たとえ時間に余裕があっても複数見つかった課題に
一気にすべて触れるのは良策ではないと考えます。
それらの多くは長い間解決できないで続いてきたもの
ですから、それをいくつもいくつも指摘され
気分が良かろうはずはありませんし、一気に解決を
みることでもないでしょうから。
よって一つ二つの課題に焦点をしぼることになります。
それもごく短時間で決定しなければ。
その時点でより根本的、あるいは急ぎの課題が優先して
対処されるべきでしょうが、どれを対策すべきか
瞬時には迷ってしまうこともありますね。
そこからがプロの腕・・かなあ?
継続という問題もあります。
いっぺんには直りそうもないことばかりですから。
継続して問題を追っかけながらほかにも多くある
課題にも手をつけないといけません。
塾では一年、二年すぐに経ってしまいます。
でも究極の目標は「自分で考えられる人間」
すぐに教えて分かってもらうことは簡単ですが
その子のためと言うより自分のために教えている
ことが多いのではないか?
必死で教えていた昔の自分を思い出すたび
取り返しがつかない苦いものが浮かんできます。
自分だって相当にアヤシイことです。
疑問は晴らすようにと云いつつ
何を尋ねるべきかすら分からない自分もいます。
物理の難しい数式を並べられても、さてどこまで
戻れば質問が可能になるのか・・
永遠に遡らねばならないような気になりますね。
考えても教えられても「よーわからん」という気持は
同感出来るものであります。
自分で考えるより前に「で簡単にいえばどーなの?」
ま、それもよくあります。
とはいえ、自分で考えられそうなことは、たとえ笑わ
れても努力をしたいとは思っています。。。
○
(考えない自分)を反省してというか、タナにあげて
子供達には、自分で解決する能力の高い人間になって
ほしいと思います。
それには最終的に(教えない)ことが重要なのですが
そのレベルに行くまでには教えつつ育てる長い時間も
必要です。
教えないを目標に教える。
もしくは
教えつつ教えない。
○
例えば、ナントカ算を解いてもらおうとします。
様々な課題が浮かびますね、ふつう。
* 題意がつかめない。
* 算数における日本語が了解できていない。
* 解こうとする気持ちがすぐなえる。
* 図が描けない。
* 別の手法を試せない。
* 式を書かない。
* 答えの確かめをしない。
(常識とチェックできない)
* 単位に注意が向かない。
* 計算ミスをする。
* 字が汚い。
* なぜこういうことをしたか説明できない。
「これを2で割ってるね?どうして?
何をしたかったんだろう?」
「・・・・」←本当に分からないのです。
なんとなく2で割ったらしい。
などなど、他にも多くあるはずですが
その羅列は別の機会に譲ります。
問題に当たってもらうと上記の課題が一度に
複数見つかることも多いですね。
たとえ時間に余裕があっても複数見つかった課題に
一気にすべて触れるのは良策ではないと考えます。
それらの多くは長い間解決できないで続いてきたもの
ですから、それをいくつもいくつも指摘され
気分が良かろうはずはありませんし、一気に解決を
みることでもないでしょうから。
よって一つ二つの課題に焦点をしぼることになります。
それもごく短時間で決定しなければ。
その時点でより根本的、あるいは急ぎの課題が優先して
対処されるべきでしょうが、どれを対策すべきか
瞬時には迷ってしまうこともありますね。
そこからがプロの腕・・かなあ?
継続という問題もあります。
いっぺんには直りそうもないことばかりですから。
継続して問題を追っかけながらほかにも多くある
課題にも手をつけないといけません。
塾では一年、二年すぐに経ってしまいます。
でも究極の目標は「自分で考えられる人間」
すぐに教えて分かってもらうことは簡単ですが
その子のためと言うより自分のために教えている
ことが多いのではないか?
必死で教えていた昔の自分を思い出すたび
取り返しがつかない苦いものが浮かんできます。