抹香くさいかな?

2007-02-27 17:58:27 | 塾あれこれ

姿勢づくりとは日々の心がけ

なんて書くとお寺さんの前のボードなどに
書いてありそうな文になりますね。

宗教ではなく、武士道かなにか和風なイメージに
なる方法はないかなあ。

といいつつ、突然ですが
禅の修業をしている坊さんに訊いて見ましょう。
「修行とは、奈何」
「日々の行住坐臥にあり」

まるで安物の小説ですね。

ただ、イメージで、どうしてもこうなります。

道元禅師の『正法眼蔵』
難しそうで読んだことはありませんが
日々の立ち居振舞いまで細かく書いてあるそうでは
ないですか。

いかに生きるか、が仏教だから当然の帰結でしょう。

(尾道に海の見える三重の塔で有名な曹洞宗の寺があり
 私はそこの檀家なのでついこういう発想になります)


仏道修行と同様に、勉強もこちらの頭の中に
「姿勢作りだ」という意識をつねに浮かべておくこと
が大切です。

姿勢作りには長い時間を必要とし、常に辺りを見まわ
し、個々人の違い、時の流れをしっかりと押さえて
相手に向かうことが基本です。

もちろんこちらが何もしないでも自分で歩ける子も
います。
ただほとんどは一定のサポートがいるわけで、その際
大人がどういう意識を持っているかが重要です。


学校や塾の意識も大切ですが一番基本は家庭です。

よく「背中で育てる」といわれます。
保護者の「コレは当たり前」ということが子供に
伝わるのです。

何が当たり前か、は家庭により案外違っているもの
ではないでしょうか。
常々意識して話しきかせています、というレベルでは
なくて、もっと深いところの、もし何か云われたら
「失礼な、当たり前でしょう」と思うくらいのことです。

例えば、何が美しいか、良いことか
こんなところが勉強につながります。

『国家の品格』の藤原センセイが数学は美的センスと
仰ってますね。学者にならずとも心のありようが
勉強につながります。

~は出来て当たり前、の「~」の部分にどういうことが
入るか、各ご家庭で違いますね。
宿題、計算、動物愛護、家事手伝、ボランティア・・

優劣の問題ではなく文化のありようだと思います。
違って当然です。

塾は人によって違う、「~」をはやく掴んで
そこからスタートすべきなのです。

といっても、掴むこと自体も大変で、さらにそこへ
足し算することも場合によっては引き算も必要で
・・難しいことです。

to be continued        2.27