MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

モーツアルトの死因

2010-09-06 21:35:46 | 音楽

天才音楽家モーツアルトが死んだのは
1791年…
日本では江戸時代、徳川11代将軍家斉の治世。
寛政の改革が1787年~1793年だから
ちょうどそのころ。
そんな時代に誰が何で死んだかなど、
日本ではまず解明不能だろう。
モーツアルトの死因については
以前から色々と取りざたされてきたようだが、
このたびある学者が明解に諸説を整理したそうである。

8月24日付 New York Times 電子版

After Mozart’s Death, an Endless Coda モーツアルトの死後、終わりのない楽曲
By DANIEL J. WAKIN

直接的な医学的証拠は?…ない。剖検は?…行われていない。カルテは?…どこにも見つかっていない。遺体は?…消滅した。

Mozart

Tomas W Shields による1882年の作品「モーツアルト (1756-91) レクイエムを歌う」では作品の演奏に参加するこの作曲家が描かれている

 しかし、学術誌の最近の論文によると Wolfgang Amadeus Mozart (モーツアルト)については少なくとも 118の死因が研究者たちによって推定されている。
 この話題をめぐって、医学的考察の穏やかな情熱が高まっており、このことは歴史上の偉大な創造的芸術家たちを死に至らしめたものへの私たちの強い興味を表している。モーツアルトの場合、公表された推測は、1791年の彼の死から1ヶ月以内に始まっており、それ以後ずっと、音楽学者、医師、そして医学研究者たちがこの論争に断続的に加わってきた。
 引退した整形外科医で Performing Arts Medical Association の書誌学者を務める William J Dawson 氏はこれまでの説を整理することにした。彼はモーツアルトの死について寄せられた同協会のデーターベースにある136の登録分のほとんどを調べたがその一覧は決して包括的なものではなかった。
 「この問題についての刊行物を調べるとそれらの多くは、複雑でわかりにくく、あくまで憶測上のものであったり問題の多いものであったりすることがわかります」と、Northwestern University’s medical school の Dawson 名誉教授は同協会の学術誌 Medical Problems of Performing Artists の最新号に書いている。彼の結論は予想できるものだった:すなわち、論争は勢いを増し衰えることはないと予測される、と。
 直接的な証拠を欠いているため、研究者たちは主にモーツアルトの未亡人 Constanze Mozart と彼女の妹 Sophie Haibel により数十年後に行われた説明に頼らざるを得ない。証拠はまた、モーツアルトの息子 Karl Thomas の日付不明の文書や、モーツアルトの最後の日々に治療を行った医師と話をした ウィーンの医師による(これまた死後数十年経っていたのだが)記述に基づいている。
 学者たちはまた、モーツアルトの最後の病気に関する手がかりを明らかにする目的で、家族、特に彼の父 Leopold によって書かれた手紙の中のモーツアルトの病気についての記述を調べた。彼の耳の形に異常があったことについての推察は腎不全の可能性があることを示唆している、というのも、尿路系の奇形は時々耳の異常に関係しているからである。
 間接的な証拠はそれ自体、元々の証言の内容から、医学的定義や、時には誤訳された語句が変更されるという流動的な状況に基づいており、疾患の理解が進み身体がどのように機能するかが理解されるにつれ飛躍してしまっている。
 「病気の症状やパターンを同時代の著者によって書かれたものとして人が読む時、医師たちは彼ら自身の心の中で『これが何を意味するのか?』という風に考えをまとめようとするのです」と、Dawson 医師は最近のインタビューで述べた。
 モーツアルトの最後の病気の概略は明らかである。彼は、“The Magic Flute(魔笛)”“La Clemenza di Tigo(皇帝ティートの慈悲)”、クラリネット協奏曲、フリーメイソンのためのカンタータ、さらにはレクイエムの一部を次々に作曲するという多忙な時期を過ごした後、1791年11月20日、ついに病床についた。彼の手足は腫れ、無気力となり、激しい嘔吐に見舞われ、発熱した。
 12月4日、数人の友人がどうやらレクイエムの一部を歌うために彼のベッドサイドに行ったらしい。夜になってモーツアルトの病状が悪化、主治医の Thomas Closset は劇場から呼び出されたが、上演が終わり次第駆けつけると伝えた。彼が到着すると、モーツアルトの頭に冷湿布を置くよう命じたが、目撃者によればそのことによって患者は激しく震え出したという。12月5日の深夜1時過ぎ、モーツアルトは35才で死亡した。
 Closset はモーツアルトの病気を急性粟粒疹熱と診断した。この病名は疾患というより病状に近く、粟粒疹とは粟粒の大きさの小膿疱を表すのに使われる言葉で、簡単に言えば発疹である。ウィーンにある St. Stephen’s Cathedral の記録には正式な死因としてこの病名が記載された。モーツアルトの遺体は何の標識もなく共同墓地に埋葬されたが、これは当時ウィーンの中産階級にとっては通常のしきたりに従ったもので、検査の対象となるような間違いなく彼のものであるという遺体がないことは確かである。
 モーツアルトの死についての説を調査したのは Dawson 医師が最初というわけではない。この分野の一流の学者の一人に L.R.Karhausen がいる。彼はDawson 医師が論文で述べている118の死因を1998年に考え出したフランスの医師である。
 Dawson 医師は独自に順位をつけることはしていない。しかし、彼はこれら死因を5つのグループに分けている:中毒(服毒)、感染、心血管疾患、腎臓病、およびその他である。治療として行われた瀉血もモーツアルトの死を早めた可能性がある。
 服毒説―それがモーツアルトの同僚 Antonio Salieri によるものであれ、梅毒を治療していたモーツアルト自身によってであれ―は一連の19世紀初頭の噂話のあとほとんど即座に否定された。モーツアルト自身は毒を盛られていることを疑っていたという話だが、その後最後の数ヶ月の間に考えが変わっている。
 感染のグループでは、細菌性心内膜炎、連鎖球菌性敗血症、結核、寄生虫感染症などが考えられてきた。リウマチ熱は、スイスの医師 Carl Bär による1966年の画期的な研究以来、有力候補となってきた。心血管疾患のグループでは、死因として脳卒中やうっ血性心不全が含まれている。Dawson 医師によって発見された記述の大部分は腎臓病によってひき起こされた血液中の毒素の増加である尿毒症の範疇に入るものである。
 「もし何かに2セントを賭けなければならないとしたら、それは恐らく腎不全でしょう」と、Dawson 医師は言う。「それは多分最もありふれた診断だったでしょう。私よりこれらのことに精通している人は、それを可能性の高い主原因であると考えています」モーツアルトの腎疾患の原因もまた論争中のままである。
 1980年代に研究者 Peter J Davies によって詳細に発表された別の主要な説は Schönlein-Henoch 症候群によるとしている。これは潜在的な原因となる血管の稀な疾患である。この症候群が腎不全を生じ、脳出血や肺炎がとどめの一撃となった、と Davies 氏は考えている。
 こういったことすべてから疑問が生まれてくる:なぜこの話題はそのような熱烈な関心を呼び起こすのか?例えば、今年初め Mount Sinai School of Medicine の研究者はベートーベンの頭蓋骨の一部と信じられているものを検査し、彼が鉛中毒で死んだという説に疑問を投げかけた。
 理由の一部は、音楽と医学の間の密接な重なりにあるのかもしれない。医師たちの中では高い割合で楽器を演奏する者がいるようである。事実、Dawson 医師は活動的で熟練したバス-ン奏者である。
 人生に多くの美を届けてきた非凡な人々も普通の身体的病気、特に今なら容易に治療できる疾患に倒れたであろうという考えは本能的に興味をそそられる。そういった感覚が天才と言われる人々であっても我々に親近感を与えるのである。
 「彼らは不死身であると同時に死すべき運命にあるのです」と、University of Utah Medical Center の熱傷ユニットの部長で一般外科医の Jeffrey R Saffle 医師は言う。「彼らは創造したものから見れば並外れた人物となっていますが、彼らの生活、生、あるいは死に関しては実に月並みな存在なのです」Saffle 医師と彼の兄弟である Virginia Tech の音楽歴史家の Michael Saffle には著名な作曲家の病歴に関する文献を調査した著作がある。
 「医学関係の人間は自分たちの専門的知識をこの種の調査研究にまで広げたいと思っているのです」と、彼は付け加えた。
 Dawson 医師から見ると、作曲家の死を調べることは彼らに近づきたいという私たちの願望にかなっているという。「これは彼らの人生がどんなであったかの別の一面を知ることになるのです」と、彼は言う。

偉大な人物が何の疾患で死んでいようと
MrK にはあまり関心は持てないのだが、
欧米人には多分に興味津々なことらしい。
当時のウイーンの医学は世界でも最先端であり、
日本とは比べものにならないほど
進歩していたようであるが、
梅毒に水銀を飲ませたり、
心不全に対して瀉血を施したりと
過激な治療も行われていたようだ。
モーツアルトの死因としては
毒殺説が有力とも言われてきたようだが、
果てしなく真相は藪の中、のようである。

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