天台宗の僧天海
黒衣の宰相と呼ばれた人物だ
法体にありながら
俗世間に下り
政治に参与したと
揶揄される人物の一人
その天海が
後陽成天皇から
京都法勝寺を下賜され
この地に
元和元年に創建したもので
滋賀院という寺名は
下ること約半世紀後
明暦元年
後水尾天皇から下賜されたものである
今日も
穴太衆の野良積みが残る阪本に
この寺は建っている
黒衣の宰相と呼ばれた人物だ
法体にありながら
俗世間に下り
政治に参与したと
揶揄される人物の一人
その天海が
後陽成天皇から
京都法勝寺を下賜され
この地に
元和元年に創建したもので
滋賀院という寺名は
下ること約半世紀後
明暦元年
後水尾天皇から下賜されたものである
今日も
穴太衆の野良積みが残る阪本に
この寺は建っている
そのときに行きました。
ずいぶん前だったので、
お庭は覚えていましたが、
お寺の雰囲気は、こんなんだったかなあ、
という感じです。
どことなく、雅な感じがしたのは、
かすかに覚えています。
辺境の地ではなかったのでしょうか。
そこに立派なお寺を建てる
時の権力、宗教の力には恐れ入ります。
お庭も素晴らしいようですね。
先祖が阪本の穴太衆だったという友達がいまして、
関心持って阪本の穴太衆について調べてみたことがありました。
立派な寺ですね。でもこんな格式高そうな寺に
可愛いワンコロが描かれてるなんて、
そのギャップが微笑ましいですね。
お寺の内装も見事だし
廊下から見た手家も雅ですね
こちらを知っていますが
たぶんこのままの感じです
持参したレンズの中に広角系が無く
切り取り写真ばかりになってしまいましたが
そのためかもしれませんね
かつては都、大津京もあって
それなりには賑やかだったと思います
また叡山の東側の降り口でもあります
石の野良積みの方法を考案した一族です
今でも
この寺の界隈などは石組みが各地で見られます
絵は襖絵でした
今も昔も描く題材は同じなんですね
一応、こちらは観光寺院なんですよ
それなりの敷地があり
庭園も幾つかあります