この市場が形成されたのは

昭和31年5月のことであった

場所は
山陽電鉄
霞ヶ丘駅の東北約300m

霞ヶ丘の丘陵の台地は

西神戸の別荘地であった

当時の戸数は
約80戸

高級住宅街であったことから
戸数は少なくとも
商売が成り立つと目論んだ

しかし

人口過疎地域に
商店街は不要

経営は難航

その後
垂水地区がベッドタウンとなったことで
経営は続けられたが

今ではわずか2店舗の営業のみ
消え行く定めの市場であった

昭和31年5月のことであった

場所は
山陽電鉄
霞ヶ丘駅の東北約300m

霞ヶ丘の丘陵の台地は

西神戸の別荘地であった

当時の戸数は
約80戸

高級住宅街であったことから
戸数は少なくとも
商売が成り立つと目論んだ

しかし

人口過疎地域に
商店街は不要

経営は難航

その後
垂水地区がベッドタウンとなったことで
経営は続けられたが

今ではわずか2店舗の営業のみ
消え行く定めの市場であった

だんだん悲惨な状態になってしまうという
町の中にある廃屋と同じように
迷惑施設になってゆくのでしょうか。
こういう狭い路地に面して
商店を隙間なく張り付ける作り方が
一般的だったのでしょうか。
寂しい光景です。
場所的に、
再開発云々ということもないんでしょうね。
一日では無理だったのでは?
行政がどの程度
この荒廃に関与できたかは不明ですね
去り行く市場は
必然なのか結果なのか
何れにせよ市場が求めていないのは確かかもしれません
商店が密集しそして屋根が形成された
上空写真では建物が密集したように見えても
実際にその場を訪れると
一つの建物のように見える市場
神戸の小売市場の典型例です
場所がら再開発は無いでしょうね
かなりの数があるんですよ
姫路から尼崎にかけて
何十もの小売市場が残されています
実際に巡った日数は一週間以上かかっています
小学校の通学路だったので毎日通ってたけど、空いてたのは道路に面した所と奥の豆腐屋ぐらいで殆どシャッターでした。常に薄暗かった。