真夏の京都紀行
行きはヨイヨイ、帰りは...
ただでさえ暑い京都(湿度が高くねっとりとした暑さ)
たまには良いでしょうと出掛けました
今回は嵯峨嵐山界隈
とりあえず定番に行ってみようと言う訳です
9時前に現地到着
いつもの駐車場(天龍寺境内)に駐車
夏の京都は観光客も少なく駐車場はガラガラ
紅葉シーズンなら9時には満車となりますが、夏場は満車になることはないかもしれません
駐車したのは前庭
丁度蓮池の目の前
池の周囲には望遠レンズをセットしたカメラマン達が蓮を撮っていました
今回、望遠レンズは自宅の防湿庫の中
広角と標準ズームで京都を切り取るつもりだったので、蓮池は見たという程度で通過
大方丈へと向いました
拝観開始時間を経過していたものの、大方丈前は人影なし
夏の京都はこんなものでしょうか?
天龍寺の開基は足利尊氏
南北朝の争いの最中後醍醐天皇が崩御
その菩提を弔うべきであると夢窓疎石が足利尊氏に進言
光厳上皇の院宣を受けて開創されます
創建当初は暦応資聖禅寺と号したそうですが、比叡山が暦応の年号を寺号とすることに反対したため、後に天龍資聖禅寺と改めます
これが、天龍寺と今日呼ばれるようになった理由
天龍寺造営費用捻出のため、足利尊氏は備後国、日向国、阿波国、山城国などの土地を寄進
それでも造営の資金が足りなかったとか
それを補うため、元寇以来絶えていた元との貿易で天龍寺造営の資金を調達
いわゆる天龍寺船を派遣したのです
幾度かの紆余曲折の末ようやく完成をみた天龍寺
創建当時は亀山公園も渡月橋も天龍寺の境内という巨大なものでした
天龍寺は度々火災によって創建当時の建物は全て焼失
現在の建物は明治期に再建されたものです
天龍寺を拝観する時は大抵庭園を拝観しています
本日は珍しく方丈と庫裡から拝観することにしました
小方丈から曹源池を眺めます
早朝とはいえ、観光客の少なさにビックリ
秋などはこの時間でもう100名を越す観光客が拝観しているのに
写真を撮るなら夏が一番なのかもしれません
小方丈の縁側から曹源池を眺めました
天龍寺の庭園を独り占めした気分
住職が縁側を歩いてみえたので挨拶
「夏場はこんなものですよ」と仰ってみえました
続く...
行きはヨイヨイ、帰りは...
ただでさえ暑い京都(湿度が高くねっとりとした暑さ)
たまには良いでしょうと出掛けました
今回は嵯峨嵐山界隈
とりあえず定番に行ってみようと言う訳です
9時前に現地到着
いつもの駐車場(天龍寺境内)に駐車
夏の京都は観光客も少なく駐車場はガラガラ
紅葉シーズンなら9時には満車となりますが、夏場は満車になることはないかもしれません
駐車したのは前庭
丁度蓮池の目の前
池の周囲には望遠レンズをセットしたカメラマン達が蓮を撮っていました
今回、望遠レンズは自宅の防湿庫の中
広角と標準ズームで京都を切り取るつもりだったので、蓮池は見たという程度で通過
大方丈へと向いました
拝観開始時間を経過していたものの、大方丈前は人影なし
夏の京都はこんなものでしょうか?
天龍寺の開基は足利尊氏
南北朝の争いの最中後醍醐天皇が崩御
その菩提を弔うべきであると夢窓疎石が足利尊氏に進言
光厳上皇の院宣を受けて開創されます
創建当初は暦応資聖禅寺と号したそうですが、比叡山が暦応の年号を寺号とすることに反対したため、後に天龍資聖禅寺と改めます
これが、天龍寺と今日呼ばれるようになった理由
天龍寺造営費用捻出のため、足利尊氏は備後国、日向国、阿波国、山城国などの土地を寄進
それでも造営の資金が足りなかったとか
それを補うため、元寇以来絶えていた元との貿易で天龍寺造営の資金を調達
いわゆる天龍寺船を派遣したのです
幾度かの紆余曲折の末ようやく完成をみた天龍寺
創建当時は亀山公園も渡月橋も天龍寺の境内という巨大なものでした
天龍寺は度々火災によって創建当時の建物は全て焼失
現在の建物は明治期に再建されたものです
天龍寺を拝観する時は大抵庭園を拝観しています
本日は珍しく方丈と庫裡から拝観することにしました
小方丈から曹源池を眺めます
早朝とはいえ、観光客の少なさにビックリ
秋などはこの時間でもう100名を越す観光客が拝観しているのに
写真を撮るなら夏が一番なのかもしれません
小方丈の縁側から曹源池を眺めました
天龍寺の庭園を独り占めした気分
住職が縁側を歩いてみえたので挨拶
「夏場はこんなものですよ」と仰ってみえました
続く...