今日はハンコックのデビュー当時のマイルス・デイビスのアルバムの紹介です。
彼は1961年頃からレコーディングに参加し始めて、1962年に全曲自作の初リーダー・アルバム「Takin' off」を発表します。その後1963年に、ベースのロン・カーターとドラムのトニー・ウィリアムスと一緒に、マイルス・デイビスのバンドのレギュラー・ピアニストに抜擢されました。
これを捉えた最初のアルバムが、「Seven Steps to Heaven 」(1963年)です。この後「Four and More」「My Funny Valentain」「Miles in Belrin」(1964年)等の数々の有名なライブ録音を残しています。テナー・サックス奏者はいろいろと交替しますが、リズム・セクションは1968年の「キリマンジャロの娘」まで固定されていたので、よっぽどマイルスと相性が良かったんだと思います。
マイルスのバンドに参加するまでのハンコックは、正直言ってそんなに好きではありません。勿論その才能は感じられるのですが、どうもフレーズにやや土臭い雰囲気があり、ちょっと鼻につくんです。これがマイルスのバンドに参加してからは、彼の知的な部分と官能的な部分が表に出始めて、私の好きな今のハンコックに進化していきます。
この頃演奏している曲は、いわゆる”歌もの”(スタンダード)が中心なんですが、斬新な解釈がずば抜けてますよね。その音楽性を言葉で言い表すなら、"artistic & sofisticated"でしょうか。
「Seven Steps to Heaven 」の初々しいプレイも捨てがたいのですが、一番のお勧めはやはりニューヨークのフィルハーモニックホールでのライブ盤「My Funny Valentain」です。このアルバムはバラードを中心に構成されていますが、何と言っても”間の取り方”がマイルスバンドならではのもので、ハンコックのソロもアプローチが斬新で、音数が少ない分よけいに印象に残る気がします。
もうすぐバレンタインだし、ちょうど紹介するタイミングが良かったかもしれませんね。(笑)
Seven Steps to Heaven
マイ・ファニー・ヴァレンタイン
フォア&モア
マイルス・イン・ベルリン
彼は1961年頃からレコーディングに参加し始めて、1962年に全曲自作の初リーダー・アルバム「Takin' off」を発表します。その後1963年に、ベースのロン・カーターとドラムのトニー・ウィリアムスと一緒に、マイルス・デイビスのバンドのレギュラー・ピアニストに抜擢されました。
これを捉えた最初のアルバムが、「Seven Steps to Heaven 」(1963年)です。この後「Four and More」「My Funny Valentain」「Miles in Belrin」(1964年)等の数々の有名なライブ録音を残しています。テナー・サックス奏者はいろいろと交替しますが、リズム・セクションは1968年の「キリマンジャロの娘」まで固定されていたので、よっぽどマイルスと相性が良かったんだと思います。
マイルスのバンドに参加するまでのハンコックは、正直言ってそんなに好きではありません。勿論その才能は感じられるのですが、どうもフレーズにやや土臭い雰囲気があり、ちょっと鼻につくんです。これがマイルスのバンドに参加してからは、彼の知的な部分と官能的な部分が表に出始めて、私の好きな今のハンコックに進化していきます。
この頃演奏している曲は、いわゆる”歌もの”(スタンダード)が中心なんですが、斬新な解釈がずば抜けてますよね。その音楽性を言葉で言い表すなら、"artistic & sofisticated"でしょうか。
「Seven Steps to Heaven 」の初々しいプレイも捨てがたいのですが、一番のお勧めはやはりニューヨークのフィルハーモニックホールでのライブ盤「My Funny Valentain」です。このアルバムはバラードを中心に構成されていますが、何と言っても”間の取り方”がマイルスバンドならではのもので、ハンコックのソロもアプローチが斬新で、音数が少ない分よけいに印象に残る気がします。
もうすぐバレンタインだし、ちょうど紹介するタイミングが良かったかもしれませんね。(笑)
Seven Steps to Heaven
マイ・ファニー・ヴァレンタイン
フォア&モア
マイルス・イン・ベルリン