或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

Michel Leqrand

2007-08-31 06:36:59 | 210 クラシック
これまでミシェル・ルグランについては好きな作曲家としていろんな記事で紹介しているけど、今日はちょっと毛色の変わったアルバムの紹介。その元ネタとなるのが小澤征爾のマーラーの交響曲全集。彼が常任指揮者だったボストン交響楽団と1980年から1993年の間に録音されたもの。その流麗で洗練された現代的な演奏は、小澤の代表作として間違いのないところ。

中でも交響曲第3番と第4番は兄弟関係にあり、共に小澤らしさが出た秀演。噂だけど、第3番は最後に書いた第1楽章が長くなりすぎて、第3番の終楽章として書いたのを第4番へまわしたとか。まあ第3楽章のアダージョが超有名な5番を含めて、このあたりの曲には緊密なつながりを感じますね。個人的には、まとまりがあって聴き易い第4番が一番好きだしオススメかな。

その中でソリストとして唄っているのが、第3番4、5楽章でのジェシー・ノーマンと、その第4番4楽章でのキリ・テ・カナワ。タイプはまるで違うけど、共に一世を風靡したソプラノ歌手。ジェシーは黒人でキレのある声と歌い方に女の強さを、対してキリはニュージーランド生まれの白人で欧州人とのハーフ。そのクリーミーで柔らかい歌い方は女の優しさを感じさせる。まさに対照的。

そんな二人がミシェル・ルグラン本人とコラボを。「I wad born in love with you」(1997年)と「Magic」(1992年)。前者が自身のピアノとベース・ドラムというトリオのバックに対し、後者は自身の編曲によるフルオーケストラがバック。勿論どちらもルグラン曲集で、有名な"風のささやき”を初めとして”You must believe in spring"、”I will say goodbye”等を聴き比べられる。

この2枚は悪く言えばゲテモノの部類に入るから、純クラシックや純ジャズを求める人にはつらいけど、自分のような節操のない人間にはピッタリ。本家をバックに、こんな素敵な曲をこんなに素晴らしい声で聴けるなんて、ホント贅沢だと思います。

マーラー:交響曲第3番マーラー:交響曲第3番 マーラー:交響曲第4番マーラー:交響曲第4番

I Was Born in Love with YouI Was Born in Love with You          MagicMagic:

帰省

2007-08-29 06:31:15 | 900 その他
息子が東京から帰省しています。GWに東京に遊びに行って以来だから約3ヶ月ぶり。髪が少し短くなってさっぱりしたぐらいでとりたてて変化はなし。ちょうど社労士の試験が終わった日に帰ってきたので、夕食を家族4人で外でしようということに。何を食べたいか希望を聞くと、昼食は友人と広島風お好み焼きをもう食べたそうで、さすがにやることが早いと納得した次第。

あれこれ行きたいところを聞いたけど、自分も疲れているしできれば近場をということで決めたのが、近所の鉄板焼「安芸」。ここは頻繁にではないけど、年に4、5回ぐらいは来ている。郊外にある店にしては珍しく雰囲気が洒落ていて、やや敷居が高いのか客もそんなに多くないのでお気に入り。いつものコースにフォアグラ等の高級モノを合わせて食べたけど美味しかった。

食事の合間の話題の中心は息子の東京での生活。週に2回、近くの三宿にある居酒屋で深夜までバイトをしているそうで、これで生活がようやく成り立っているとか。まあ東京に行ったからにはしようがない。煙草は吸わないし酒もそんなに好きじゃないみたいで、学校の仲間もだいたいそうらしい。最近の学生はマジメなのかなあ。嬉しいような、ちょっぴり哀しいような。

面白かったのが大学の講師の話。息子が心理学を専攻している割には、いろいろその方面のツッコミを入れても熱く返ってくることがないので、最近の生徒ってそんなものかと話していたら、その先生の話が出て。けっこう挑発的な先生らしく、学生に向かってフロイト等について意見を求めても、自分の考えを語れる者がいなくてガッカリして結局辞めた?でも分かるなあ。自分も息子にジャック・ラカンについて勉強したらとだいぶ前に勧めた覚えがあるけど、なんの反応もないし。

どうも昔と今じゃかなり温度差があるのかも。


社労士試験終了

2007-08-27 08:04:41 | 150 社会保険労務士
昨日、社会保険労務士の2度目の試験が終了しました。昨年と同じく場所は広島市の郊外にある広島修道大学。昨年はわざわざカミさんに車で送ってもらったけど、駐車場は広いし車で来ている人が多いことが分かって。それなら自分の車で行こうと。それに申込書を遅く出せば、より駐車場に近い受験会場になるらしいことを友人から聞いていたし。これが全て読み通り。

結局自分の受験場のある建物のすぐ傍に駐車。ドアツードアで約1分。楽だったなあ。昨年のお試し受験がムダではなかった。会場に入って驚いたのは収容人数が多いこと。おそらく500人ぐらいはいたかなあ。若い女の子が多いだろうとの予想に反し、若者と中年、そして男性と女性がほぼ半々。高齢者の方がけっこう多かったのにもビックリ。みんな気合が入っていた。

それで試験が始まると、気持ちが高揚するでもなく萎縮するでもなく平常心で淡々と。時間も余裕こそなかったけど焦るほどでもなく。メルマガの注意にあったように。朝から余分な水分を取らないようにしたし、昼食も前日スーパーの半額セールで買っておいた赤飯のおにぎり2個だけにしたし。試験の当日対策としてはほぼ完璧。想定外はクーラーの効きすぎぐらいだった。

肝心の結果だけど、さっぱり予測がつきません。バッチリできたという感覚じゃないことだけは確か。まあこれはいつの試験でも同じ。昨年と違うのは気持ちの張り具合。なんたって昨年は勉強を始めたばかりで、あくまでお試し、いや冷やかし受験。対して今年は一応1年間気合を入れて勉強してきたから。ただね、模試の結果が芳しくないので期待度は低いです、はい。

とにもかくにも今年の受験はこれでおしまい。その開放感だけはだんだんと湧いてきた。すでに頭の中は遊ぶことでいっぱい。思うに、こういう試験って学生の頃の浪人のようなせっぱ詰まったシチュエーションじゃないのがいい。落ちればまた来年受けるだけ。けっこう淡々としている。診断士、社労士と延々と試験続いているから、どうも感覚がマヒしているのかなあ。


ドビュッシー

2007-08-24 06:07:59 | 210 クラシック
夏になるとどうしても聴く回数が増えるのがドビュッシー。特にピアノ曲。真剣に対峙するというより、あくまでバックグラウンドとして。まあピアノ曲に限らずドビュッシーの音楽って多分にそういうところがある。とらえどころがないというか何というか。だから聴き方として、音の流れに沿ってついていくというより、その時その時の音の表情を楽しむという感じ。まさに感性の世界。

それじゃどの曲をということになると、やはり中心になるのは中期のもの。具体的には「喜びの島」(1904年)、「映像第1集」(1905年)、「映像第2集」(1907年)、「前奏曲第1巻」(1910年)、「前奏曲第2巻」(1913年)といったところ。中でも「映像」は好きですね。これってクラシックとジャズの中間地帯。思うに最近は、クラシック寄りのプチ前衛的?なジャズが廃れてきている。

それでお気に入りの演奏家がミケランジェリ。理由はいろいろあるけど、まずはピアノの音。彼の弾くスタインウェイの響きは美しい。変化に富んだタッチに加えて微妙なペダリングがうまいから音色が多彩で奥行きがある。その点ではヴァイオリンのクレーメルに似ている。それからフレージング。これがねえ、このうえなく耽美的。強弱のつけ方やタイミングのとり方は他のクラシック畑の人ではちょっと真似ができない。その意味では、彼を尊敬していたビル・エヴァンスに通じるニュアンスがある。

ドビュッシーを聴いていると思い出すのが高校時代の音楽の実技テスト。洒落がきく先生で、歌でも楽器でも好きなことをやっていいと言われたので、自分はピアノの即興を披露。ドビュッシーライクな4度を軸にした和音や、平行5度や8度のモーションをふんだんに使ってミステリアスな雰囲気を醸し出そうとしたのをぼんやりと憶えている。もちろんまるで受けなかったけど。

目を閉じてその時のことを想い出してみる、さながら”真夏の夜の夢”ってやつかも。

映像第1集・第2集/子供の領分映像第1集・第2集/子供の領分
前奏曲集第1巻前奏曲集第1巻   前奏曲集第2巻前奏曲集第2巻

ウォークマン

2007-08-22 06:30:14 | 540 モノ
最近娘がメモリウォークマンを購入しました。ついにMDをやめる気になったらしい。どれにしたらいいか相談されたので、ちょっと引っかかりながらも息子や自分と同じソニー製を推薦。同じメーカーで揃えると、誰のPCを使っても曲のダウンロードができるし、ソフトを使い慣れているから作業も楽だし。でもこれって、いわゆる囲い込み戦略にまんまと乗っているってこと。

写真の左側が自分ので右側が娘のもの。自分のはひとつ昔のタイプで娘のが最新式。実はこれには苦い思い出が。自分が購入したのは今年に入って。きっかけはいつも利用している家電ストアのチラシ。在庫品の最終処分の案内が目に入って。ネットで調べるともうラインアップから外れていた。気に入っていたので、これはまずいとすぐに購入したのが運のつき。

それから1週間ぐらい経ってからだったかなあ、メルマガで新製品のアナウンスがあったのは。さすがにガックリしたなあ。あと少し待っときゃ良かった。同じソニー製のモデルを6年間も使ってきてようやく買い替えたのに。まさに後の祭り状態。

なんて冴えない話は置いておいて、使っていてつくづく思うのは技術は進歩しているってこと。メモリ容量は2Gで約10倍。消費電力が減ったので電池の持続時間も約10倍。重さは半分以下。それでいて値段は約1/3。時代は急速に進化している。まあフラッシュメモリというのは、半導体技術の最先端を走っている商品だから特にそう感じるのかもしれないけど。

それで調べてみたのがウォークマンの歴史。思い出してみればこれまでずっとソニーのウォークマンばかり。もう7、8回は買い換えたかも。実は初代も持っていました。1979年に発売されたカセットテープタイプ。ヘッドホンはオープンエアのヘアバンドタイプ。当時流行してひとつのファッションにもなったほどだから。いや懐かしい。とっくの昔に捨てちゃったなあ。

山岡コレクション

2007-08-20 06:03:07 | 300 絵画
9日も盆休みがあるのに、自宅の中で勉強するか、たまに音楽を聴いて過ごす毎日。ある意味で自主的軟禁生活。カミさんと娘がいろいろと遊んでいる姿をみると、さすがにムズムズしてきて。そんな中、髪の毛をカットしてもらいに行った時に雑誌で見かけて思い出したのが、ひろしま美術館で開催されている企画展。期間が7月7日から8月19日。もうすぐ終わりだなと。

全くイベントがない盆休みなんて自分の中でこれまで記憶がなくて、いくらなんでもこりゃまずいだろうということで、先週の土曜日しかも昼間の一番暑い時に車で行ってさっと観てきました。この美術館の良いところは無料駐車場があって、けっこう空いていること。今回は観光バスが多く満車で断られそうになったけど、ちょうど1台出てきたのでセーフ。ついていた。

企画展のテーマは、「ふたつのコレクションでみる日本洋画のあゆみ・・・その黎明から成熟へ」。ふたつというのが山岡コレクションとひろしま美術館。前者はヤンマーディーゼルの創業者、山岡孫吉(1888-1962)によって収集された絵画のことで、ずっと個人で所有していたものを2001年に日動美術財団に寄贈したことで、全国の美術館でも順次公開されている。

日本に洋画が入ってきたのは幕末の頃らしいけど、最初に展示してあったのが東京藝大美術館所蔵の有名な高橋由一の「鮭図」(明治13[1880]年)。彼は近代絵画の先駆者と呼ばれていて精緻な写実描写が特徴。驚いたのが被写体の鮭ではなく、後ろの木の板。薄暗い照明の下で目を近づけて見たけど、木目がやばいくらいクリソツ、いやソックリ。品格も十分だった。

駆け足だったせいもあったのか、それからはピンとくる作品がなくて。構図にしても色合いにしてもどうもピリっとしない。黒田清輝や藤島武二の作品にしても、これまで見た名作と比べるとね。そんな中でぐっときたのが数点。とりわけ上の写真の小出楢重の「帽子を冠れる自像」(1928年)が。初めて見たけど、おいおい、これってひろしま美術館の所蔵品だったのか。

ということで山岡コレクションには、ちょっぴり申し訳なかったかなあ。


みょうが

2007-08-17 06:53:29 | 600 グルメ
毎年恒例の墓参りに行った時の密かな楽しみは、叔父や叔母、従兄弟、甥や姪とか親戚に会えること。そしてついでに田舎のお土産をもらえること。今回もこの地方の田舎寿司をたっぷりもらってきました。特徴は形が四角の角型で、中と上にいろいろなトッピングがしてあること。前に岩国寿司を紹介したけど、基本的にはアレといっしょ。違うのは香辛菜の使い方。

包みをあけるとプーンと独特のいい匂いがしてきて。それは山椒(さんしょう)の葉。山椒と言えば、うなぎを食べる時にふりかけるやつ。でもこの寿司の場合は、葉が数枚そのままご飯の上にのせてある。これが食欲をそそるんです。それで食べ始めると別の匂いもしてきて。みるとごぼう等の具と一緒に、刻んだ冥加(みょうが)が入っている。これも香辛菜のひとつ。

いやになるぐらい暑いこの季節に、夏バテして食欲は減退しっぱなし。そんな時にピッタリ。カッコ良く言うなら故郷、もっと言うなら日本の味覚を堪能できる。いいですね、どうもこういうジジババ臭いのをちまちま食べるのがホント楽しみになっている。

それで嬉しかったのが、寿司をくれた叔母さんが写真の大量のみょうがをくれたこと。近所のスーパーで買うと3個入りで150円ぐらいするから、ある意味でささやかな贅沢品。これを自分でわざわざ買ってくるぐらい、最近ハマっている。そのままスライスして醤油で食べてもいいし、冷奴を食べる時にねぎや大葉と一緒に薬味として使ってもいい。甘辛い匂いがたまらない。

かなりの香辛料好き?と思われるかもしれなくて、基本的にそうかも。ただね、ひとつだけ苦手なのがあります。それはパクチー、別名コリアンダー。同じ科のセリは大好きなんだけど、これはね。昔タイに出張した時に、いい香りに誘われてしこたま食べたまでは良かったけど、翌日どうも胃腸の調子が芳しくなく、ゲップが頻繁に出て、その時にパクチーに匂いがプーン。それ以来どうもダメでトラウマ状態。匂いそのものは嫌いじゃないからいつかリベンジしたいとは思っているけど。

墓参り

2007-08-15 07:19:25 | 900 その他
いや暑いですね。連日の猛暑でぐったり。にもかかわらず朝から晩まで社労士の勉強に明け暮れています。まあこれだけ暑いと外に出る気にもならないし、その意味ではちょうど良いのかも。カミさんと娘が名古屋に帰っているので久しぶりの独り暮らし。これがなかなかのもの。料理や洗濯も良い気分転換になるし。なんて満喫していたら、もう今日には帰ってくるんだ。

勉強ばかりといっても、さすがに外せないものもあるわけで、昨日親父と二人で墓参りへ。車で北へ約1時間、ひらすら山の中に入っていく。かなり前に道路が大々的に整備されたけど、これがドライブにピッタリ。適度なワインディングと勾配が、ドライバーのマインドをくすぐります。すぐ側を小川が流れていて、水遊びをする子供達を横目に走っていると夏を感じますね。

目的地について親戚の家を何軒か回りながら墓へお参り。映画「夕凪の街 桜の国」にも出てくる広島地方独特の盆灯篭を立てた後、ローソクに火をともすと、もう完全にメディテーションモード。線香の芳香な香りがなんとも言えない雰囲気を醸し出す中で、故人の記憶をたどりながら数珠を手に両手を合わせると、すーっと素直な気持ちに。ゆったりとした時間が流れる。

それで家を回っている時に気づいたのが、別荘地が増えていたこと。だいぶ前から“西の軽井沢”なんてキャッチフレーズで宣伝していたのは知っていたけど。親戚の家のすぐ後ろが別荘地になっていたことに今回初めて気がついて。ちょっと入ってみると、なかなか手入れが行き届いている。様々な花が咲いている様は、ここだけ見ればプチ軽井沢と言えないこともないか。

確かに気温が市街地より5~6度は低くて日中でも日陰にいれば過ごしやすい。朝夕は布団がないと寒いぐらいだし。近くに美術館、ゴルフ場、乗馬クラブ、釣り堀、温泉等もあるし、いろいろ揃ってはいる。どうも小中学校の頃のイメージがこびりついていたけど、客観的にみれば避暑地にふさわしい環境なのかも。別荘もいいよな、なんてプチ願望が頭をよぎりました。


懲りない男と反省しない女

2007-08-13 07:27:54 | 010 書籍
だいぶ前に石井希尚(まれひさ)著の「この人と結婚していいの?」を紹介したけど、今日はその続編?で渡辺淳一のエッセイ集「懲りない男と反省しない女」(2005年)。婦人公論に連載された「男の錯覚 女の幻想」を再構成してまとめたもの。前者が分かり易い比喩を中心にして男と女の違いを論じているのに対し、後者はセックスが中心。なにせ渡辺淳一ですから。

読み終わった感想としては、“その通り”の一言。自分の感覚に非常に近かった。特に男については自分が書いてもこうなるだろうと思うぐらい同じ。自分は男の中でも特殊な部類だろうなと思っていたけど、ひょっとしてそうでもないかな、なんて感じて。それでしみじみ思うのは、男と女って顔は似ているけど違う動物なんだってこと。これはもう確信に近い域に到達しています。

「心を重視する女とセックスにこだわる男」、「結婚で愛を育みたい女と不倫でしか燃えない男」、「寝るまでが優しい男と寝てから深まる女」、「女が夢見る夫と男が望む妻」、「慣れて燃える女と慣れて醒める男」、「セックスレスでも愛のある夫とそれでは許せぬ妻」、「夫の浮気を許せない妻と浮気ぐらいと考えている夫」、というのがサブタイトル。うーん、ガチンコですね。

どうですか?大体内容想像できますよね?でも男の立場で物を言っているから、対談相手の女性には彼の言っていることは、ほとんど理解できていません。まあ所詮違う動物?だから、互いに理解できる方が不思議だと考えた方が自然なんだけど。思うに渡辺先生は、こういう男と女の違いを深く理解した上で、次々と素晴らしい恋愛小説を書いているわけで、そこが素晴らしい。まあ自分なりの解釈で言えば、いつまでもときめいていたいという気持ちだけは、男と女も同じってことだと思います。

写真はGWに東京藝大美術館へ行った時に展示してあった黒田清輝の裸婦画三部作「智・感・情」(1899年)。絵を見て女を感じるというのはあまりないことだけど、これは別格。明治時代にしてはモデルの女性のプロポーションが抜群だったなあ。

懲りない男と反省しない女懲りない男と反省しない女

Comecar de Novo

2007-08-10 05:48:20 | 220 POPS
今日はイヴァン・リンスの名曲紹介の第2弾。どれにしようかと迷ったけど、前回の"Love Dance"と並びカバーの多い曲といえば、やはり"Comecar de Novo(コメサール・ヂ・ノーヴォ)”。本来のポルトガル語だと小文字の”c”の下にチョロチョロと蛇がついているんだけど。直訳すると”新しいことを始めよう”、なのに英語題は何故か”island”。なんだかややこしい。

この曲は前にディ・ディ・ブリッジウォーターの記事でも取り上げたけど、オリジナルは「A Noite」(1979年)。すぐにカバーしたのがシモーネの「Pedacos」(1979年)、続いて一世を風靡したパティ・オースチンの「Every home should have one」(1981年)。日本語題の「デイライトの香り」と言ったほうがピンと来るかも。ブームの時はディスコで1日数回必ずかかっていたなあ。当時は気に留めなかったけど、このアルバムの最後がこの曲。日本語題が”白い波”なんて分かりにくいけど。

その後が大御所サラ・ヴォーンの「Crazy and mixed up」(1982年)。彼女のダミ声がどうも好きになれないのだけど、”Love Dance”も入っているし一応敬意を表して。日本の伊藤君子も唄っているし、こうしてみると女性ヴォーカルが多いですね。ささやくようなフレーズが唄い易いのかも。でもそれ以上に多いのがセルフカバー。多すぎてきりがないのでやめておきます。

そんな中でちょっと変わった雰囲気が米国の白人ピアニスト、デビット・ベノワ(David Benoit)の「Letter to Evan」(1992年)。ギターのラリー・カールトンとの競演盤。この時期のラリーにしては珍しく往年の愛器であるギブソンのセミアコ(ES335)を弾いている。他にも良い曲が目白押しでオススメ。この軽さ、爽やかさはウエストコーストフュージョンの代表作と言えるでしょうね。

いつも思うけど転調と複雑なコードが多くてホントこの曲も難しい。聴くのが一番かも。

Every Home Should Have OneEvery Home Should Have One Crazy and Mixed UpCrazy and Mixed Up

Letter to EvanLetter to Evan