或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

14区 ドランブル通り

2010-02-27 08:38:43 | 830 パリ紀行
佐伯祐三の足跡を辿るついでに立ち寄ったのが藤田嗣治の住んでいた上の写真のアパート。モンパルナスと言えば知名度は佐伯より藤田が上。場所はエコール・ド・パリの芸術家達の溜まり場となっていたカフェが集まっているモンパルナスのヴァヴァン交差点のすぐ近く。エドガー・キネ広場につながるドランブル通り(Rue Delambre)の5番地。ちょうど夕暮れ時だった。

このアパートにはカフェで知り合った女流画家のフェルナンド・バレーがもともと住んでいて、結婚を機に藤田がころがりこみ、1917年から1924年までの7年間を過ごしている。彼の画業でみれば、第1次世界大戦終結の翌年である1919年に再開されたサロン・ドートンヌに出品して評価され、1921年には裸婦を描き始め、翌1922年にパリ市立近代美術館の記事で紹介した出世作「寝室の裸婦キキ」で決定的な成功を収めた。その裏には、フェルナンドの精力的な画商巡り等の支えがあったらしい。

当時は”乳白色の肌”で名声を得て引く手あまたで、絵の値段も高騰してプチ成金状態。とにかく毎晩どんちゃん騒ぎをやっていたらしい。だけどフェルナンドが藤田の弟子でイケメンの若い男を同居させたことをきっかけにヒビが入り始めて。

悩んでいた藤田の前に現れたのが、カフェで知り合ったリュシー・バドゥという若いパリジェンヌ。藤田は彼女に夢中になり、名前を”ユキ”に改名させ、結局妻と別れアパートを出て高級住宅街パッシーのアパートで暮らし始めた。うーん、とにかく派手、私生活が。モデル、妻、愛人と女漬けの毎日。思うに彼の救いは酒が飲めなかったこと。だから周囲がベロンベロンになっている間に宴会を途中で抜け出して、翌朝には絵を描き始めることができた。あの画風は几帳面じゃないと生まれない。

灯りが燈り始めた通りを歩いてみたけど、雰囲気は極めて庶民的で、レストランや飲み屋もあればコインランドリーもあるといった雑多な感じ。やはり藤田が住んでいた場所らしく、そのにぎやかさと開放感が裏通りの暗さをあまり感じさせなかった。


14区 レイモン・ロスラン通り

2010-02-23 05:53:44 | 830 パリ紀行
画家、佐伯祐三のパリでの足跡を辿るシリーズの第7弾そして最終回は、14区にあるレイモン・ロスラン通り(Rue Raymond Losserand)。前回紹介した「扉」を描いたのが1928年の2月。そして有名な「郵便配達夫」、「ロシアの少女」を描いた後、3月に結核で病床へ。この通りにある上の写真のアパートに移ったのが4月で死の4ヶ月前。つまりここがパリでの最後の住居。

この頃には経済的にも困窮しており、モンパルナス大通りのアトリエに居続けることは難しく、より安い家賃のアパートへの転居を余儀なくされていたらしい。当時の通りの名前はレイモン・ロスランではなくヴァンプ(Rue de Vanves)。モンパルナス墓地のすぐ裏手にあり、最初の渡欧時に住んだシャトー通りからは交差点を曲がってすぐ。裏通りという言葉がぴったりの通り。

このアパートに移った頃には体が衰弱し、精神的にも錯乱し始めていて。6月には精神病院へ、そして8月にそこで死去。享年30歳。この日の朝からずっと彼のパリでの足跡を追い続けていたのだけど、このアパートにたどり着いた時にはそれまでの昂ぶった気持ちが不思議にすーっと治まって。小雨に濡れながら彼のパリでの生活と短い人生にしみじみと思いを馳せたかなあ。

それにしても、今思えばいくら近所とはいえ午前中だけで7ヶ所も周ったとは。余程気合いが入っていたんだなと。でも現地では半日しか時間を割かなかったことを逆に後悔していて。というのもモンパルナスと共に彼の多くの作品の画題となったセーヌ川右岸のカルチェ・ラタンへ足を伸ばせなかったから。事前に何処にいくか詳細に調べておいたのに。まあそれはこの次のお楽しみということで。なんていつになるか、行けるかどうかも分からないけど。

帰国して1年近く経つけど、記事を書いていると各々の場所の情景がはっきりと脳裏に浮かんでくる。それくらい自分の中では特別なんだろうなあ、佐伯という存在が。また何処かでゆっくり彼の絵を眺めたい、おそらくこれまでとはまた違った気持ちで。


14区 カンパーニュ・プルミエール通り

2010-02-20 07:50:57 | 830 パリ紀行
画家、佐伯祐三のパリでの足跡を辿るシリーズの第6弾は、14区にあるカンパーニュ・プルミエール通り(Rue Campagne Premiere)。この通りは既にヌーヴェル・ヴァーグの代表作である映画「勝手にしやがれ」の舞台として紹介したけど、佐伯が絵を描いた場所でもある。モンパルナス大通りに面している通りの中では、佐伯が住んでいたアパートから最も近かったはず。

当時は様々な種類の商店が立ち並んでいて、彼や妻の米子が普段買い物とかをするのによく利用していたらしい。今は商店街としては寂れていて、よくある都会の裏通りといった感じ。それでも昔の面影を残す店がいくつか残っていて、上の写真は靴屋。彼の作品の中にこの通りで描いたかどうかは分からないけど、「靴屋」(1927年)というのがあって、そこに描かれた禿げたオッサンのイメージが強かったのだけど、店の中で働いていたのは数人の若いイケメンだった。なんて、どうでもいいけど。

それでどうしても見ておきたかったのが、だいぶ前に佐伯祐三シリーズの最終回で紹介した三重県立美術館にある「扉」(1928年)。佐伯自身が最も気に入っていた作品のひとつ。実はこの通りの27番地にあるアパートの入口の扉を描いたもの。実際に行ってみると80年も経っているので表面は幾度も塗りかえられ、色も当時の黒系から今はカーキ系に変わっていた。でも扉そのものは当時のまま。あまりのリアリティに何度も何度もデジカメのシャッターを切ったかな。後でかなり興奮していた自分に気づいたけど。

この通りはモンパルナス大通りからラスパイユ大通りに抜ける小路で地味だし、短くて狭い。当時はもう少し活気があっただろうけど、人通りがまばらで何かしら寂しいその雰囲気は、佐伯が描く絵のモチーフとしてはピッタリだったような気がする。

扉 1928扉 2009

山崎

2010-02-16 06:15:31 | 600 グルメ
この日曜日はバレンタインデー。だけど情けない話が、最近は娘が買ってきてくれるだけになっている。まあそれがあるだけでも喜ばなきゃとは思うけど。それでいつだったか「チョコのブランドで何か欲しいのある?」と事前に聞いてくれたので、「いや、別にないよ、もうあれこれほとんど食べたしね」と強がりを言いながら、「ロイズがあればそれでいいよ」と付け足してしまった。

これまた世相を反映したショボイ話になるけど、1個500円もする高級ブランドはもういいって感じ。美味しいとは思っても、値段に見合うかと言えばノーだから。まあそんな場面はないにしても、ひと通りウンチクも語れるようになったし。その点で個人的にコストパフォーマンスの素晴らしさを高く評価しているのがロイズ。なにせ20個入りで千円しないのがほとんど。なのに味は海外の有名ブランドに勝るとも劣らない。チョコの本当の味が分かっていないのかもしれないけど、ロイズで十分って感じ。

それで今年娘が選んでくれたのが日本のシングルモルトウィスキーとして有名なサントリーの山崎とのコラボ商品。食べてみると、やや控えめなウィスキーの香りと甘さを抑えたチョコのブレンドがオトナを感じさせて美味しい。さすがにウィスキーの銘柄まで分かるのかと言われるとちょっと難しいけど。というのも山崎自体がそんなに個性的なウィスキーじゃないから。

今から15、6年くらい前だったかな。仕事相手にシングルモルトが好きな米人がいて、彼が日本に出張で来た時に飲み屋で山崎を飲ませてみた。すると想像以上にウケが悪くて。確かにおとなしくて、酔っ払った後なんかに飲んだらインパクトがないだろうなとは思ったけど。その意味では同じ日本製でもニッカだとメリハリがあるから分かり易かったかもしれない。

そうそう、メリハリがあるといえば1ヶ月ぐらい前に”山崎つながり”で娘が買ってきたのがロッテの「シングルモルトウィスキーチョコレート(山崎12年)」。ロイズのコラボは知っていたけどこっちは知らなかった。調べると2008年の暮れに発売されていて。価格が400円でやや高めだけど、こちらはロイズと違ってメリハリがある。というのも食べたらクルマの運転は遠慮願いますと注意書きがあるくらいだから。自分としては「バッカス」以来かなあ、ウィスキーものは。こちらはこちらで美味しかったけど。

サントリー「山崎12年」&ロッテ「シングルモルトウイスキーチョコ」セット

14区 オプセルヴァトワール大通り

2010-02-14 04:57:19 | 830 パリ紀行
画家、佐伯祐三のパリでの足跡を辿るシリーズの第5弾は、14区にあるオプセルヴァトワール大通り(Avenue de l'Observatoire)。オプセルヴァトワールというのは日本語で天文台。行きはしなかったけど、実際にこの通りの先にはパリの天文台があるらしい。

「オプセルヴァトワール附近(Around the Observatoire)」という画題の絵を佐伯は3枚残しているけど、お気に入りがモンパルナス大通りとポート・ロワイヤル大通りとこの通りがぶつかる交差点を1927年に描いた上の画像の作品。和歌山県立近代美術館にある30号という大きな絵で、前に立つとその迫力に圧倒されたのをよく憶えている。実は絵の中で通り向こうの左から7番目の背の低い白壁の建物が、前回の記事で紹介した佐伯が住んでいたアパート。

この絵は彼の友人でヴァイオリニストの林龍作が住んでいたホテル「ボーヴォワール(Beauvoir)」の中の6階の部屋にイーゼルを立てて描いたもの。このホテルが現存することを知って行ってみたい気持ちが強まって。しかしそれからが苦難の道だった。最初はこの部屋に泊まろうかとも考えたけど、交通の便が良くないしネットが使える環境になさそうだったので断念。

お目当てのホテルはすぐに見つかった。それが左下の写真。問題はどうやって佐伯が絵を描いた部屋に入れてもらうか。中に入るとえらく若い女の子が受付に。英語が通じたので早速持参した本を出し、「日本の有名な画家がこのホテルの5階(日本の6階)の52号室から絵を描いている。それがこれだけど、是非その部屋の窓から写真を撮りたい...」と頼んでみると、いとも簡単にノーとの返事。若いからとイージーに考えていたのが大間違い。さんざん粘ってはみたけれど頑固としてダメ。「今日は満室だから」なんてHPの予約状況からはありえない嘘までつかれ、あえなく退散。

結局撮れたのはホテルの近くの歩道から撮った右下の写真だけ。場所的にはほぼ合っているのだけど、なにせ高さが足りない。写っているのは通り向こうの建て替えられた3番目と4番目の建物だけ。これじゃ意味がないような。うーん、残念だった。


14区 モンパルナス大通り

2010-02-11 06:19:06 | 830 パリ紀行
画家、佐伯祐三のパリでの足跡を辿るシリーズの第4弾は、14区にあるモンパルナス大通り(boulevard du Montparnasse)。目抜き通りで、モンパルナスタワーからヴァヴァン交差点辺りまでがその中心。上の写真のル・セレクト(Le Select)やル・ドーム(Le Dome)、ラ・ロトンド(La Rotonde)といった今では観光名所となっているエコール・ド・パリの中心となった華麗なカフェが集まっている。

2度目のパリ滞在で佐伯が住んだのは、この通りの東端近くに位置する右下の写真のアパートの奥。別棟として新築されたばかりの貸しアトリエ。繁華街からは離れている。実際に現地で行ってみると、大通りに面していながらやや寂れた印象。日本で事前にホテルを探した時も、この辺りはかなり割安になっていた。地下鉄の便が良くないので泊まらなかったけど。

それで改めて不思議に感じたのが、彼がきらびやかな繁華街を描かなかったこと。日本人で同じ時期に近所に住み、エコール・ド・パリの寵児と言われた藤田嗣治が夜毎に豪遊していた周辺をあえて外している。地理的に言えばアパートから西側。すぐ近くなのに。画題となったのは東側、北側、そして南側。カフェを画題にした絵も多数あるけど、客がほとんどいないのばかり。よく彼は”パリの下町を描いた”と評されるけど、厳密に言えば”パリの裏通りを描いた”というべきだろうなあ。

思うに佐伯ってアウトローだったんだなと。記録をみる限り藤田との交流はなかったらしい。佐伯と親交があった荻須高徳は藤田と交流があったらしく、これがフツー。異国に住む日本人同志だもの。佐伯は頑固者で、人付き合いにもそれが表れていたような。ただし同じ建物のアトリエを利用していた薩摩千代子、彼女は当時の社交界のドンであった薩摩治郎八の奥さんなのだけど、彼女には想いを寄せてしていたらしい。うーん、頑固者で女好き。なんか自分とよく似ているなあと。

惜しまれるのはアトリエがあった別棟を見られなかったこと。門の鍵がないから仕方ないけど。


パリ市立近代美術館

2010-02-07 07:07:42 | 830 パリ紀行
パリの美術館紹介シリーズの第8弾は16区にある市立近代美術館。いよいよこれが最終回。これまで紹介した所と比べると知名度は低い。16区といっても東の端にあって、雰囲気的には8区にあったほうがふさわしいような。場所はパレ・ド・トーキョー東翼にあり、大きなビルの並びの一角。美術館巡りが5日続いたこともあって、さすがにお疲れモードだったけど、最後という安堵感も湧いたかな。

一昨年にひろしま美術館で”日仏交流150周年記念 芸術都市パリの100年展”が開催された時、この美術館から多数出品されていた。特に画家でありユトリロの母親でもあるシュザンヌ・ヴァラドンの作品が多く、今回の訪問でも期待したのだけど、貸出中だったのか展示は1枚だけだった。ちょっとガッカリ。まあこればっかりは、その時の運まかせだから仕方がないけど。

それでもピカソ、マティス、ボナール等のフランスを代表する画家の作品が展示されていて楽しませてくれた。感慨深かったのが上の写真の藤田嗣治「寝室の裸婦キキ(Nu a la toile de jouy)」(1922年)が展示されていたこと。日本人は浮世絵を除いてこの旅行で初めて。

この作品は彼にとってエコール・ド・パリにおける出世作となった記念碑的作品。その年のサロン・ドートンヌに出品され、”乳白色の肌”でセンセーションを巻き起こしたことでつとに有名。モデルはマン・レイの当時の愛人キキ。かのヘミングウェイから”The queen of Montparnasse”と称賛された美女。他の画家の作品と比べると、漆黒との対比、モノクロに近い色調、繊細な筆使い等その存在感は圧倒的。傷んだその絵肌に年月の流れが感じられた。

最後に地下にある展示室へ。そこはマティスの部屋(salle Matisse)。そのスケールの大きさに圧倒されて。展示されていたのは「ダンス」(1930-32年)。高さが4、5mもある壁画のような作品。モノトーンとカラーで2部屋。全部見終わって中庭に出てみるとサプライズが。目の前はセーヌ川で対岸にはエッフェル塔が。メトロの路線図だけを頼りに来たので分からなかった。川縁を歩いていると、なんかプチ観光をしたような気分になって。絵画好きには外せないお得な美術館かもしれない。


ディア・ドクター

2010-02-03 06:15:19 | 350 映画
食わず嫌いだった映画「ゆれる」(2006年)が想定外の面白さだったので期待していたのが、売出し中の監督兼脚本家である西川美和の「ディア・ドクター」(2009年)[YouTube]。キャッチコピーは”その嘘は、罪ですか”。テーマは時節にピッタリの過疎地医療。主人公のニセ医者を演じるのが落語家兼タレントの笑福亭鶴瓶。俳優としの彼を見るのはこれが初めて。

結論を先に言えば、イマイチだったかな。派手さはないものの脚本は悪くないし映像的にもまずまず。問題は役者の演技。まずは失踪した主人公の行方を追う警部補役の岩松了。自分としては少なくとも表面的にはシリアスな雰囲気を期待したけど、なんか深夜のTVドラマの「時効警察」の演技そのまま。チャラけた分、場面場面で浮いていた。同僚役の松重豊が良かっただけに惜しまれる。

次が主人公の笑福亭鶴瓶。やはり俳優としての経験不足を暴露したって感じ。セリフが早いし流れる。相手役が百戦錬磨の八千草薫や余貴美子だけによけいに目立ってしまって。時たま渋い表情を見せたりするのだけど、とにかく節々にシロウトさが出てしまう。オマケにないほうが良かった逃亡後のシーンで出てくるからどうしようもない。前作とはえらい違いだったなあ、ラス前ぐらいからの出来は。

加えて劇伴の音楽。ハーモニカを使ったカントリー調の部分はまだ許せるとして、どうにもこうにも稚拙さが目立ったのがピアノによるソロの部分。音数を少なくして場面を浮き立たせようという狙いは分かるのだけど、あまりに音の使い方に芸がない。プロなんだから。もう少し場面によって変化をつけるとか。まあ、このあたりは好みの領域と言われればそれまでだけど。

文句が多い中で救われたのが八千草薫の娘の女医役で登場した井川遥。上手くなったなあと。表情の作り方といい、セリフの喋り方といい、肩の力が抜けて自然体で演技をしている。結婚して役者としてひとまわり大きくなった感じ。まあいろいろ好き勝手に言わせてもらったけどそれはそれとして、前作もだけどこの監督ってカワイイ顔して人間の内面の影を描くのが上手いなあと。

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PenField

2010-02-01 06:35:32 | 500 ファッション
今年の冬のバーゲンが終了。いろいろ見て周ったけど、どうもピーンとくるものがなかった。というか、おそらく世の中のデフレ進行が潜在的に自分の購買意欲を抑制しているのが大きいと思うけど。結局店頭での現物買いはなし。これって過去に記憶がない、何かしら買っていたから。その代わりに利用しているのが通販とヤフオク。この冬は特に後者にお世話になった。

狙っていたのが厳寒期のカジュアルなアウター。ずっと愛用している皮製はお気に入りなんだけど、唯一重いのが難点。軽いのが欲しいなと。本命は長年手に入れたいと思っていたムーンストーン(Moonstrone)製のダウン。これをまずヤフオクで約6千円でゲット。これが想定以上に程度が良くて、しかも軽くて大満足。しかしダウンの難点は羽が少しずつ縫目から出てくること。

それで次ぎにターゲットにしたのがダウンじゃなくて中綿タイプ。いろいろ探したけど、なかなかサイズ的に合うのがなくて。最近の若者の流行なのか、やけに身幅が狭いのが多い。自分のようなオジさんの好みに合う”ゆったりラクラク系”の出物が極端に少なくて。そんな中でようやく見つけたのが上の写真のペンフィールド(PenField)製。これがなんとたったの千円。

正直なところ、ほとんど期待していなかった。だって値段が値段だから。まあダメもとって感じでの落札。だけどいざ届いてみると、ほぼ新品で生地もまずまずだし造りもしっかりしている。おまけにサイズが自分にピッタリ。肩幅といい袖丈といい特別にあつらえたと思えるくらいフィットしていて。商品紹介欄に掲載されている寸法の見方のコツが分かってきたのも大きいけど。

状況を分析してみると、若者がトレンドを追い”ピチピチきゅうくつ系”に走る。そのため昔買ってそんなに着ていない”ゆったりラクラク系”を見切って手放す。それをオジさんが安く手に入れる。言わば逆ジェネレーションリサイクル。なんか申し訳ないような。しかし人間って変われば変わるもんだなあと。バブル時代にブランド物を追っかけていたのが嘘のよう。当時は安物には目もくれず十万かかってもなんとも思わなかった。それがいまじゃ千円で大満足。なんか情けないような嬉しいような。