南魚沼に向かう途中で立ち寄ったのが小千谷。5年前に仕事で一度訪れたことがあり、その際は時間がなくて何もできなかったけど、いつか機会があればと思っていた。理由は、ここが有名な”へぎそば”発祥の地であり、人気店である「須坂屋」へ行ってみたかったから。なんて言いながら、実は詩人である西脇順三郎の生家があるから。
正直な話が、昔から詩は苦手。日本語を喋ることや書くことについては、仕事で常に向かい合っているし、大事だと考えているけど、それを離れて自分の思いを表現する手段としての日本語は、なんというか、恥ずかしさが先に立つって感じ。音楽や絵画の方が、より直接的に感情を表現できるし、相手にも伝わりやすいような気がして。その意味ではシャイなんでしょうね。
西脇に興味を持ったのは、彼が1894年生まれで、詩の世界において、当時の前衛芸術であるシュルレアリスムの日本における先駆者だったから。彼は欧米の語学に精通し、詩人だけではなく文学者としても名を成し、慶応大学文学部の教授として世の中の表舞台を歩き続けた。1964年には小千谷市の名誉市民に。ノーベル文学賞の候補にも数回ノミネートされたらしい。
まず訪れたのが市内のど真ん中にある西脇家の母屋。父が小千谷銀行の頭主だったらしく、いわゆる金持ちのお坊ちゃま。お城かと思うぐらい広大な敷地に歴史を感じさせる建物が今も残っていた。その次に、彼の詩碑が立っている山本山の山頂へ。眼下に市街を見下ろせる場所で、緑に囲まれ、なんとものどかな雰囲気が漂っていて、とても清々しい気持ちになった。
最後は市内に戻り、「西脇順三郎記念館」へ。市立図書館の中に設置されていて、入ると案内があったので、それを見て3Fへ。するとフロアは真っ暗。しばらくすると2Fから係りの女性が来てくれて照明とエアコンを入れてくれた。記帳する時に分かったけど、およそ月に1組程度だったかな、来訪者の数が。だからなんだ。サプライズは最も広い部屋に展示されていた絵画。彼と元妻であった英国人マージョリ・ビドルの作品がずらりと。マティスの影響を受けた彼女の絵が自分にとってはサプライズ。実に素晴らしかった。彼女とは8年で別れたらしいけど。帰り道で、詩碑の裏面に書かれていた彼の代表作である「旅人かへらず」の最終章を思い出した。「永劫の根に触れ 心の鶉の鳴く ......... 幻影の人は去る 永劫の旅人は帰らず」。
Ambarvalia/旅人かへらず
正直な話が、昔から詩は苦手。日本語を喋ることや書くことについては、仕事で常に向かい合っているし、大事だと考えているけど、それを離れて自分の思いを表現する手段としての日本語は、なんというか、恥ずかしさが先に立つって感じ。音楽や絵画の方が、より直接的に感情を表現できるし、相手にも伝わりやすいような気がして。その意味ではシャイなんでしょうね。
西脇に興味を持ったのは、彼が1894年生まれで、詩の世界において、当時の前衛芸術であるシュルレアリスムの日本における先駆者だったから。彼は欧米の語学に精通し、詩人だけではなく文学者としても名を成し、慶応大学文学部の教授として世の中の表舞台を歩き続けた。1964年には小千谷市の名誉市民に。ノーベル文学賞の候補にも数回ノミネートされたらしい。
まず訪れたのが市内のど真ん中にある西脇家の母屋。父が小千谷銀行の頭主だったらしく、いわゆる金持ちのお坊ちゃま。お城かと思うぐらい広大な敷地に歴史を感じさせる建物が今も残っていた。その次に、彼の詩碑が立っている山本山の山頂へ。眼下に市街を見下ろせる場所で、緑に囲まれ、なんとものどかな雰囲気が漂っていて、とても清々しい気持ちになった。
最後は市内に戻り、「西脇順三郎記念館」へ。市立図書館の中に設置されていて、入ると案内があったので、それを見て3Fへ。するとフロアは真っ暗。しばらくすると2Fから係りの女性が来てくれて照明とエアコンを入れてくれた。記帳する時に分かったけど、およそ月に1組程度だったかな、来訪者の数が。だからなんだ。サプライズは最も広い部屋に展示されていた絵画。彼と元妻であった英国人マージョリ・ビドルの作品がずらりと。マティスの影響を受けた彼女の絵が自分にとってはサプライズ。実に素晴らしかった。彼女とは8年で別れたらしいけど。帰り道で、詩碑の裏面に書かれていた彼の代表作である「旅人かへらず」の最終章を思い出した。「永劫の根に触れ 心の鶉の鳴く ......... 幻影の人は去る 永劫の旅人は帰らず」。
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Ambarvalia/旅人かへらず
