或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

秋期情報処理技術者試験申込

2009-07-30 06:02:10 | 180 ITストラテジスト
10月18日に予定されている秋期情報処理技術者試験のネット申込を完了しました。今回のターゲットは本命であるITストラテジスト。4月19日の春期でシステム監査技術者を受験したけど、6月30日に合格発表があり予想どおり不合格だった。だけど午前Ⅰで合格点を取ったので、今後2年間は高度試験の午前Ⅰが免除される。上の画像は”午後Ⅰ通過者番号通知書”。

よくよく調べてみると、やはり午前Ⅰ免除の意義は大きいかなと。下の画像(クリックすると拡大)は試験区分と出題分野の関係を示したものだけど、免除によりテクノロジ系とマネジメント系の勉強が不要となりストラテジ系に集中できる。他の資格以上にITストラテジストではその勉強範囲が大幅に狭まるところがポイント。このアドバンテージを利用してなんとか合格したい。

それで勉強だけど、7月は診断士のポイントかせぎのためにコンサル業に注力したため全く手をつけられなかった。ただし参考書は2冊購入。TACが出している「ITストラテジスト 完全攻略テキスト」とアイテックが出している「合格論文事例集 システムアナリスト」。両方共に中古を安く手に入れたもの。だけど前者は冴えなかった。これなら同友館の「システムアナリスト 合格への道」の方が古いけどまだまし。なんだかんだあるけど、今後はこれらを基にまずは午後Ⅱの論文対策を始めるつもり。

春期の反省としては、実際に情報システムの開発をやったことがないし、システム監査の経験もないだけに、いざ午後Ⅱの論文を試験会場で書く場面になると、リアリティがない分書く内容がボケてしまい筆が遅くなってしまった。だから今度はしっかりイメージを固め書く内容を具体的に決めておき、それを時間内に書き終える訓練を積んでおく必要がある。

ただしテーマをひとつだけという訳にはいかないから、設問に合致しそうなテーマ候補を複数選定し、各々について内容の具体化が必要。そのために過去10年ぐらいの午後Ⅱの設問と合格論文事例集の解答例を参考に、自分が働いている業界を対象にテーマ候補を絞り込んだ後に論文にまとめ、実際に制限字数内で書いてみる。それを8月末までの目標にするつもり。



ITストラテジスト 完全攻略テキストITストラテジスト 完全攻略テキスト システムアナリスト合格への道システムアナリスト合格への道

合格論文事例集 システムアナリスト合格論文事例集 システムアナリスト


真鯛

2009-07-28 06:18:26 | 400 釣り
先週の土曜日に友人達と船釣りへ。それにしても今年はなかなか梅雨が明けない。それどころかこの時期になって集中豪雨が続く始末。道路、河川や家屋の被害が相次ぎ、特に中国・九州地方の被害は大きく死者まで発生している。例年7月下旬と言えば梅雨は明けていて真夏の絶好の天気を予想していたけど、土日共にひどい雨だった。そんな中での今回の釣行。

さすがに中止にならないかなと。不安が脳裏をかすめたのは確か。だけど船長に確認したところ出船できるとのメールが友人から金曜日の夜に送られてきて。翌早朝に車で迎えに来てくれた時も雨は降りっぱなし。「こんな日に釣りに行くなんて頭がヘンなんじゃないの?」と家族からきつーいダメ出しを食らった話で車中は盛り上がった。確かにその通りだと思うけど。

今回は山口県柳井市まで遠征したけど、船が出る大畠港へ着いても雨は弱まる気配なし。まあ港の周辺で釣るということで危険はないと安心はしたけど。しかしすごい雨だった。結局朝6時から納竿した昼12時まで降りっぱなし。幾度となく滝のようにスゴかったし。それでも風がなかったのが幸いして思ったほど釣りの邪魔にはならなかったけど。雨具を新調しておいて良かった。

それで釣果だけど大物は船全体で4匹だけ。残りはカサゴとかメバルといった小物が20匹程度。嬉しかったのは、大物の中の2匹を自分がゲットしたこと。最初は写真の真鯛40cm。釣り始めてすぐだったのでラッキー。最悪これ1匹でもと満足したから。サプライズは10時過ぎ。竿先に強いアタリが。合わせるとかなりの手ごたえ。長時間のやりとりの後に姿を表したのは65cmのハマチ。真鯛だったら80cm級だったはず。大物2匹に大満足。だって友人達は3人で30cmのチヌ1匹だったから。

それじゃどうしてハマチの写真がないのかって?それには理由が。実は帰りの車中で、友人からハマチが半分欲しいとのリクエストが。お土産の購入のために鮮魚店に立ち寄った時に、魚を買う代わりに店で3枚におろして貰った。頭とかアラも欲しいというのでそれも譲り、結局自分には半身が残っただけ。さらに友人は「家族には自分が釣ったことにしてもいいか?」と悪乗りしてきて。呆れたけど「ご自由に」と笑いながら承諾。どうも夕食用に絶対釣ってくると家族に約束していたらしい。


マカロン

2009-07-24 06:28:43 | 600 グルメ
今回のパリ旅行でいくつか心残りだったことがあって。そのひとつがマカロン。出発前に有名なラデュレ(Raduree)で買おうと思いながらすっかり忘れてしまっていた。気がついたのは帰国の当日。ラデュレの店舗はサン・ラザール駅やコンコルド広場、サンジェルマン・デ・プレの近くにあったのにと後悔したけど時既に遅し。諦めきれずにモンパルナスのモノプリでまがい物を購入。

クッキーとかと同じ紙ケース入りの市販品。これをお土産用にと10箱も。ところが帰国して自分で食べてみたら、想像していた味とはまるで違い、単なる濃いチーズ味の固い焼き菓子。あまりのまずさにとても他人には食べさせられないなと。家族にもきつーいダメ出しを食らい、罰としてひとりで食べることに。味をごまかすために、わざわざ蜂蜜を買ってきたりもして。

それからというもの、以前よりも本物のマカロンを食べたくなって。そんな時に娘が東京にいる息子を誘ってパリ旅行へ。実はだいぶ前から娘の方が先に行きたいと言っていたけど、結果として自分の方が先になってしまって。だからこれはチャンスと出発前にお土産として頼んでおいた。帰国するやいなや、「マカロン買ってきた?」と尋ねると、「うん、だけど...」との切れの悪い返事が。

話を聞くと、ラデュレには行けず他の店で買ってきたとのこと。袋の中を開けると入っていたのがダロワイヨ(Dalloyau)サダハル・アオキの2種類。「ええっ、ラデュレじゃないの?」とやや落胆しながらも、わざわざ買ってきてくれた娘にそれ以上は言えなかった。だけど食べてみると、本場のマカロンの美味しさにモヤモヤした気持ちは吹き飛んだ。これだよ、これ。いや美味しかった。

初めて食べたから大きなことは言えないけど、おそらくダロワイヨは濃厚でオーソドックスな味かなと。サダハル・アオキは甘さが押さえられた洗練された味。なんか、いろいろ紆余曲折があっただけに満足感がじわじわと広がってきて。とはいえ、あのマリーアントワネットが愛したらしいラデュレをやはりいつかは食べてみたい。昨年日本にできた銀座店のじゃなくてパリのを。

ダロワイヨ マカロン15個詰

6区 ボザール通り

2009-07-22 06:14:08 | 830 パリ紀行
7区のリール通りにあるラカンのアパートの後に訪ねたのが、6区のボザール通り(Rue des Beaux-Arts)の13番地にあるホテル「ロテル(L'hotel)」。区は違うけど場所的には近くて、マラケ河岸(Quai Malaquais).を東方向に歩いて数分程度。パリで最古の鉄橋であるポン・デ・ザール(Pont des arts)[芸術橋]の手前を右折して通りに入っていく。このホテルは作家オスカー・ワイルド(Oscar Wild)の生前最後の宿として有名。ペール・ラシェーズ墓地の記事で彼を紹介したけど、その続編ってところ。

1854年アイルランド生まれの彼は、英国で「サロメ」等の劇作家として名声を得るが、その絶頂期の1895年に同性愛がきっかけで警察に逮捕され、それがきっかけで没落し破産。その後は追われて逃げるようにパリに移り住むも過去のような作品は残せなかった。安ホテルを転々とし、ついには前に記事にした自分が宿泊したホテル「Hotel Louvre Marsollier Opera」へ。

しかし宿賃の滞納から締め出される。その時に救いの手を差し伸べたのが「オテル・ダルザス(Hotel d'Alsace)」の主人で、このホテルが現在の「ロテル」。しかし1900年11月には大脳髄膜炎により息を引き取ってしまう。なんかねえ、こういうタイプの人って哀れな末路が多すぎ。ホテルの前まで行くと、彼ゆかりの上の写真のプレートを発見。高級なのは意外だった。なんと4つ星。なるほどね、ある時期に大改装をしたらしいけど。オスカーゆかりの部屋が今でも残されているらしい。

彼の作品では「ドリアン・グレイの肖像」(1890年)が好きだなあ。耽美主義の極み。その妖しい美学には読む度に惑わされてしまう。そうそう、ラカンじゃないけど、彼にも名言がたくさんあって。男と女がらみのものでは、「男はつねに女の初恋の人になろうとする、女は男の最後のロマンスになろうとする」、「男は人生を早く知りすぎるし、女はおそく知りすぎる」、「男は退屈から結婚する、女はもの好きから結婚する、そして双方とも失望する」、なんて感じ。究極のニヒリズムを感じる。

死に先立つ前に自分の死を予言して、「私は、この古い壁紙とともに死と闘っている。私たちのうちどちらかが行かねばならない」、という言葉を残したらしいけど、いかにもオスカーらしい。最後の最後まで彼らしさを失わなかったということか。

ロテル 玄関マラケ河岸
ポン・デ・ザールボザール通り

チヌ

2009-07-20 06:30:42 | 400 釣り
この3連休の初日にひとりでチヌ(黒鯛)釣りへ。チヌ狙いは今年初めて。最近とんとご無沙汰している。理由は簡単で、家族にウケが良くないから。そんなにきつくはないのだけど独特の臭みがある。それでも他に同じような魚種がなければ、そんなに気にならないのだけど、同系で魚の王様である真鯛がいるのが災いしていて。どうせ食べるなら真鯛の方が美味しいし。

でも真鯛は魚場が限られているし、そんなには釣れない。「チヌは何処にでもいるから」、なんて思っていたら釣場へ向かう渡船の中で隣人と話をしていて面白い話が。彼は広島県福山市に住んでいるのだけど、近郊では釣れても型が小さいので良形を求めてわざわざこっちまで来ている。例の”高速道路土日千円”を利用できるようになってそれに拍車がかかっているとか。

彼いわく、「こんな良い魚場が近くにあるなんて皆さんは幸せですよ」と。そうかなとチョイ優越感に浸りながら着いたのが、ホームグラウンドである阿多田島のカキ筏。下の写真はその上から撮ったもので、正面に見えるのが日本三景のひとつである安芸の宮島の裏側。筏釣りの良さは周囲に人がおらず景色を独り占めできること。これってかなりの贅沢だと思う。

梅雨がまだ明けていないこの時期にしては天気もよく絶好の釣り日和。最近よく釣れているという情報もあって期待は高まるばかり。しかしそううまくはいかないのが釣りというもの。アタリが全くなくて。朝の6時から正午まではそんな感じ。こりゃダメかもという思いが脳裏をよぎり始めた頃に、ようやく1枚ゲット。それから立て続けに3枚。結局釣果は35cm前後のチヌが4枚。

帰りの船の中で、その福山からの遠征客に釣果を聞くと30cm前後が3枚。だけどとても喜んでいて。その笑顔を見ていると、イマイチとやや落ち込んでいたこっちまで嬉しくなってきて。これで今年のチヌは終わりにしようかと思っていたけど、もう一度くらい来てもいいかと思ったりもして。なにせ車で港まで30分ぐらいの近場に住んでいるのだから、地の利を生かさなきゃと。


ピカソ美術館

2009-07-16 06:14:40 | 830 パリ紀行
パリの美術館紹介シリーズの第2弾は、3区のマレ地区にあるピカソ美術館。かつて17世紀に貴族の館だった建物を改修したもので、開館は1985年と新しい。パリは彼が画家として開花し最も充実した画家生活を送った場所。作品は遺族が相続税として物納したものが中心で、ピカソが最後まで手元に置いておいた作品が多く、その意味では貴重であり出来が良いものが多かった。

正門がある通りは狭く、入ってすぐの前庭も狭いしで、とても貴族の館とは思えない雰囲気だったけど、見学の後に写真を撮ろうと裏口がある通りにまわると、手入れの行き届いた広い庭園の奥にそびえ立つ建物はたいへん立派で、なるほどと思わせた。どうして正門をこっちに作らなかったのかなと、凡人には理解不能。館内に入るまでの気分がだいぶ違うだろうに。

ピカソは以前このブログで特集したこともあり、彼の生涯や画風の変遷、有名作品については情報がそれなりに頭にインプットされていて、それだけにどんな作品に出会えるのか期待しながら、ほぼ時代順にセッティングされた順路に沿って最初の展示室へ。するとすぐ左の壁に掛けてあったのが「自画像」(1901年)、「ラ・セレスティーナ(La Celestine)」(1904年)を含めた”青の時代”の作品が3枚。知ってはいたけど、いざ実物を見るとその迫力に圧倒されっぱなし。かなりのインパクトだった。

だけど真打ちはその後。右の壁に上の画像の「座せる裸婦(Femme nue assise)」(1905年)が。”薔薇色の時代”の作品なのだけど、正直なところ、あまりの衝撃に背筋がジーンとしてきて。画像では分かりにくいけど、間近だとオレンジ色の濃淡に同期してマチエールが微妙に変化している。見えるようで見えない左手の手首。あまりに上手すぎる。天才の技量を肌で感じた。

この後でオルガ、マリー・テレーズ、ドラ・マールといった、その時代の女を描いた著名な作品が続々と出てくるのだけど、最初のインパクトが大きすぎてかすんでしまって。結局退館するまでに最初の展示室をトータル4、5回は観たかかな。やはり自分的には”青の時代”と”薔薇色の時代”が好みだなあ。機会があれば、是非次ぎにはバルセロナを観てみたいと思ったけど。

美術館 玄関美術館 外壁
美術館 全景美術館 裏庭

診断士更新ポイント取得完了

2009-07-14 06:30:55 | 100 中小企業診断士
今日は久しぶりの診断士ネタ。前回の記事が2007年7月だから、ちょうど2年ぶり。振り返れば2006年10月に診断士の資格登録をしてからというもの、自分は診断協会に入会していないので、年に夏と秋の2回開催されている半日レベルの更新研修に出席するのが唯一の資格に関連したイベント。ということで7月4日に広島では1回目が開催されたので参加してきたけど。

会場に入ると登録前に実務補修で一緒に活動した仲間に出会い昔話に花が咲いたのだけど、話題にあがるのは決まって登録更新の話。法改正により2006年から更新要件が厳しくなり、5年間で更新研修を5回受講することに加え、実務従事ポイントを30点以上獲得する必要がある。このポイントの獲得基準がとても厳しく、原則としてクライアントに出向いてコンサルの仕事を1日やらないと1ポイントもらえない。もちろんクライアントによる実施証明が必要。セミナー講師とかは対象外なのもつらい。

これってコンサルで飯を食っている人にとってはなんでもないけど、企業に勤めているサラリーマンにとっては酷な要件。だって開業して活動しないと簡単にクライアントは見つからないから。そのために診断協会がやっているのが診断研修。これを受講すればポイントはもらえる。ただし費用がかかり、30ポイント獲得するためには30万円以上はかかるはず。しかしなあ、クライアントから金を貰うんじゃなくて金を払うのって、なんかヘン。休眠制度を利用するという手もあるけど屈辱的だしなあ。

それで自力で必ずポイントを取得してみせると意気込んで、名刺やHPを作って地元の商工会議所に入会しコンサルの活動を開始したのが2007年の暮れ。だけどセミナー講師の依頼はあっても、チラシを配ったりしたものの肝心のクライアントからの依頼はなかなかなくて。明るい兆しが見え始めたのは昨年後半から。依頼がポツポツと来始めて。平日の夜とか土日を使って活動し30ポイントをようやく達成したのが先週の金曜日。有給休暇を使ってクライアントに出向き業務改善指導を丸1日実施。

いや、嬉しかった。ついにやったぞと。登録から2年半での達成。登録更新要件のクリアが確実になったことも嬉しいけど、それを目標に頑張った結果としてコンサルの活動が軌道に乗ってきたことがもっと嬉しい。なんかようやくプロらしくなってきた気がして。これからは気を緩めずに着実に活動を拡大して、定年前にあわよくば独立したいところだけど、どうなることやら。

7区 リール通り

2009-07-10 06:42:15 | 830 パリ紀行
もう何年になるだろう、精神科医であり心理学者でもあるジャック・ラカンに興味を持ち始めてから。自分にとってとてもショッキングな出来事があって、それを人から伝え聞いた時から彼が自分の頭の片隅に歴然と存在するようになったのは確か。それからというもの、機会がある毎に関連する書籍を読むようにしているのだけど、いまだに彼の思想をほとんど理解できていない。

その書籍というのは巷で分かり易く書かれていると評判のものばかり。代表的なのが斉藤環の「生き延びるためのラカン」(2006年)、それと新宮一成の「ラカンの精神分析」(1995年)や福原泰平の「ラカン-鏡像段階-」(1998年)。どれもよく分からなくて。だけどラカン自身が書いた「エクリ」等はさらに難解で、和訳されたものだけを読むと誤解を招くため、フランス語の原著とつきあわせて読むのが王道とされている。でもね、和製の入門書で戸惑っているようじゃとうてい読めないよなあ。

1901年のパリ生まれ。精神科医として医療に携わりながら、フロイトの精神分析に影響を受け、1964年にはパリ・フロイト派を自ら立ち上げ指導的立場を取る。その彼が1941年から開いていたのがセーヌ川左岸にある診療所。7区のリール通り(Rue de Lille)5番地にあるアパートで、上の画像はその玄関。オルセー美術館の裏手にあり、ルーヴル美術館からだとカルーゼル橋を渡りヴォルテール河岸から通りに入ってすぐのところ。実際に行ってみると、パリ市街の中心部なのにやけにひっそりとしていたのが印象的だった。

ラカンは精神分析に数学を導入するし、現実界・象徴界・想像界、シェーマL、ファルス、ボロメオの輪等々、様々な妖しい概念を発表するしで、その思想は多方面に多大な影響を与えている。日本にもラカ二アンと呼ばれる信者がゴロゴロいるし、ある意味で教祖的存在。だけどこれが超難解なので、世の凡人は断片的、短絡的に彼の言葉をテキトーに引用しているだけ。

自分もそのひとりで、女性との会話のネタとして重宝していて。例えば「性的な関係は存在しない」、「我思わぬ故に我あり」、「欲望とは他者の欲望を欲望することである」等々。そうそう、だいぶ前に放映された綾瀬はるか主演のTVドラマ「ホタルノヒカリ」の冒頭で、相手役の藤木直人のセリフに「この世に女というものは存在しない。...」が出てきた時は笑えたっけ。

リール通りカルーゼル橋
ヴォルテール河岸アパート外観


           斉藤環 「生き延びるためのラカン」斉藤環 「生き延びるためのラカン」

新宮一成 「ラカンの精神分析」新宮一成 「ラカンの精神分析」 福原泰平 「ラカン-鏡像段階-」福原泰平 「ラカン-鏡像段階-」

モダンタイムス

2009-07-08 06:20:14 | 010 書籍
久しぶりに読んだ小説は、伊坂幸太郎の最新作「モダンタイムス」(2008年)。いや待った、今回も。半年前に図書館で予約した時に確か15番目ぐらいだった気がする。このところ活字と言えば著名人がらみの伝記とか、あるいは哲学モノばかり。その意味では良い気分転換になったような。だけどけっこうボリュームがあって読了までに通勤を使って1週間はかかったかな。

いきなりのっけから「実家に忘れてきました。何を?勇気を」、なんて感じで伊坂らしい小ネタから始まりツカミはOK。高飛車で恐いと同時に頭が良くクールなカミさんが雇った暴力団まがいの浮気調査員にさんざん脅かされるといった主人公のキャラも申し分なし。その後もこの手の小ネタが続き、そろそろ本筋に入っていくかなと思わせた頃に、なんと退屈してしまった。

小説の舞台はネット社会で、キーワード検索や圧縮ファイル等、自分にとっては身近な話も多かったのだけど、いかんせん構成の基本となる起承転結が単純過ぎ。中盤に差し掛かる頃には後の展開がほぼ見えたから。まあ、お笑い芸人が出演しているTVのバラエティ番組をビールでも飲みながら気軽に楽しむというスタンスで読めばそれなりだと思うけど、彼の傑作によくある子気味良い場面展開をを期待するとウラにハマるだろうな、まず間違いなく。その意味では出来が悪い、かなり。

それと情報化時代では世の中が巨大なシステムとして動いているというテーゼがこの小説の底辺に流れていて、これって1960年代に流行した”構造主義”の思想そのもの。考え方としては既に古典。小説の題名もチャップリンの「モダン・タイムス」(1936年)のテーマである機械化社会に重ねたのだろうけど、なんかね、この辺りも魅力を感じられなかった理由だったような。

ということで、久しぶりの割に、期待した割りに、読むのに時間がかかった割りに、イマイチ受益が少なかったような気がするけど。次回を期待したい。自分的には伊坂作品によくあるバイオレンス系じゃなくて、隠れた得意分野としてラブストーリー系を希望。

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ルーヴル美術館

2009-07-06 06:30:11 | 830 パリ紀行
”著名人の足跡を辿るシリーズ”と並行して、今日からはパリの”美術館紹介シリーズ”。今回訪問したのは8ヶ所。過密な日程を組むにあたって注意したのが休館日。ほとんどの美術館が月曜日か火曜日。片方に偏らないように調整されている。助かったのが、今日紹介するルーブル美術館の夜間延長。通常は午後6時までだけど、水曜日と金曜日は午後9時30分まで。

これを利用しない手はないなと。到着のすぐ翌日でちょっときついかなと思いながら金曜日の午後6時過ぎに入館。地下の入口から入ったせいもあるけど、さして混んでおらずスイスイと。そうそう、この入口を利用した理由は、映画「ダ・ヴィンチ・コード」のラストで出てくる逆さピラミッドがあるから。そのせいなのか記念写真を撮っている人がやたら多かった。

前回の記憶がほとんど消えているので、結局モナリザやミロのヴィーナス、サモトラケのニケ等、有名どころを中心に見学することに。途中で改めてさすがだなと感じたのは建物そのもの。その造りは12世紀からの長い歴史を沸々と感じさせた。「うーん、さすがルーヴル」と感心しながらかけ足で観て回り、ドゥノン翼のモナリザが展示された部屋に入ったまでは良かったけど。

驚いたのは絵の前に柵が設けられていたこと。前回はガラスの特別容器に入れられてはいたけど、すぐ傍まで近寄ることができた。今回はゆうに5m以上は離れている。それでなくても小さな絵なのに。これじゃ日本の美術館で海外の有名作品を観るのと同じ。おいおい、そりゃないよと思いながらも、柵を囲む客の多さに仕方ないかなとの感はあったけど。さすがモナリザ。

その腹いせではないけど他の絵にはあからさまに近寄ったかな。上の写真はリシュリュー翼にあるフェルメールの「天文学者」(1668年)。50cm四角の小さな絵だから、かぶりつきじゃないとね。もう一枚の「レースを編む女」が見あたらないので説明員に聞いたら、なんと今は日本にあるとのこと。後で調べると国立西洋美術館で開催されていた「ルーヴル美術館展」の目玉作品になっていた。うーん、やや残念。とは言え近くに展示してあったレンブラントを数十枚も堪能したから大満足だったけど。

ピラミッドナポレオン広場
凱旋門逆さピラミッド