或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

JBL4429

2011-03-23 06:05:01 | 530 オーディオ
今まで持っていたのが一生モノと惚れ込んでいたのに、どういう訳かオーディオ用の新しいスピーカーが欲しくなり、ついに買い替えてしまった。持っていたのがJBL4312で、買ったのがJBL4429。きっかけはヤフオク。自分が持っているスピーカーがいくらぐらいで取引されているのか興味を持って。調べるとだいたい2本で5~8万円。ブランド品だけに値がつくんだなあと。

買い替えの理由としては、購入して25年も経つのでそろそろスピーカーのコーンのエッジが破れるんじゃないかとの心配が強まったことと、残りの人生もそう長くはないので、憧れのホーンスピーカーを一度は聴いておきたいという欲求が強まったことの2つ。ブランドはJBLしか眼中になく、価格コムで調べると、2009年に4428が4429にモデルチェンジしていた。

価格は最安店で1本20万円。とりあえずどんな音なのか広島の市街地にある大手家電店のオーディオ売場へ。周囲が騒がしく中高域の特徴はよく分からなかったけど、低音の押し出しの強さはハッキリ確認できた。それからだんだん欲しくなっていったのは確か。次の休日には中古品の引き取り業者に電話しまくり状態。結局3万円で家に来て持って帰ってもらった。

そうなれば後は注文するだけ。最初は運送後に設置までしてくれる大手家電店にしようかとも思ったけど高い。結局は銀行振込特価で2本40万円の楽天の通販を利用。問題は1本32kgの代物をどうやって設置するか。2Fの居間までは運べたとしても2m近い高さにあるラックに載せるのが一苦労。それで近所の便利屋から1人来てもらうことに。1時間6千円もかかったけど。

ようやく設置できた後に、いざ試聴。端的に言えば洗練された音。4312の低音の抜けの悪さと中域の紙臭さが大きく改善されていた。ホーン臭さが意外に少なくて全体のバランスが良い。一方で荒さやダイナミックさが薄らぎ、逆に精緻で密度感が増してシャープな印象。とは言いながらも国産品とは一線を画していて、まさに現代のJBLサウンド。今の自分の好みにピッタリって感じ。

ということで、暇を見つけてはジャズに限らすクラシックまで持っているソースを聴き直している毎日。



東京原発

2011-03-21 08:48:12 | 350 映画
この3連休の初日に独りで船釣りへ。独りなんてことはまずないのだけど、このところ予定していた釣行が2回連続で取り止めになったから。理由は、2月が海外出張、そして3月は東北地方太平洋沖地震発生。3月については、実は当日の朝までは行くつもりで準備をしていた。しかし地震の翌日で津波注意報が取り下げられず、船長から中止の連絡が入ってやむなく断念。

だけど結果として良かった。というのも地震が思った以上に大規模だったことがTV報道で分かってきたから。もしそのまま行っていたら、周囲から白い眼で見られていただろうし、自分自身も楽しい訳がなかっただろうから。その意味では被災者の方々にはあまりに気の毒な天災だったなと。あれから1週間。後ろ髪を引かれながらも我欲に勝てず遊魚船の予約をしてしまった。

2ヶ月ぶりの釣行の目的地は愛媛県の伊予灘で、狙いはハマチ。驚いたのは船長からポイントが原発の周辺にあると聞いた時。なんか背筋がやや寒くなったかな。原発と言えば、地震がらみの福島で今や大問題になっている真っ最中。なんかいやなつながりだなと。それに反して釣行の当日はこれ以上ないぐらいの絶好の日和。到着した魚場はまさに原発の真ん前だった。

だけど天罰が当たったのか結果はボウズ。やっぱりねえ、釣りなんかやってる場合じゃなかったんだなあと。それで記事を書きながら調べていると、この原発は四国電力の伊方発電所。写真の右から1号機、2号機、3号機で古い順。そのうち気づいたのが”プルサーマル”という言葉。簡単に言えば、原発で使用済みの核燃料であるウランとプルトニウムの原発での再利用。

現在日本でプルサーマルを実施しているのは、この伊方発電所3号機を含めて全国に4ヶ所あり、なんと福島第1の3号機もそのひとつ。専門家じゃないからよく分からないけど、プルサーマルで使用されるMOX燃料に含まれるプルトニウムの毒性がやけに強く、漏れるとヤバイらしい。なんて話に首を突っ込んでいると、かつてカミさんと一緒に観にいった映画「東京原発」(2004年)を思い出した。

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Follow your heart

2011-03-18 05:49:34 | 200 ジャズ
久しぶりのジャズの話。きっかけがなんだったか全く憶えていないのだけど、いつの間にかYouTubeで検索していて見つけたのが、"Follow your heart"という曲。テナー・サックスプレイヤーであるジョー・ファレル(Joe Farrell)がCTIレーベルで「Quartet」(1970年)というアルバムを録音していて、その最初の曲。数十年ぶりに懐かしい友達に出会えたというか、そんな感じ。

これには伏線があって、いつだったから、この曲をもう一度聴きたいと思ってAmazonでCDを購入したまでは良かったけど、届いてみて最初の曲を聴くと”Follow your heart”じゃなかった。買ったのは「Outback」(1971年)。そこで初めて間違いに気づいて。年寄りによくある勘違い。調べると「Quartet」は廃盤になっていて1万円以上の高値がついていた。

この曲には青春の思い出が詰まっている。高校の最初の1年だけは岡山にいて、学校の帰りによく立ち寄ったのが、その頃オープンしたジャズ喫茶「シャイン(SHINE)」。こんな田舎にこんな洒落た店と思うぐらいモダンだった。そこでよくかかっていたのが”Follow your heat”。JBLのスピーカーから流れていたジョン・マクラフリンの硬質のギターのサウンドが忘れられなくて。

他の曲がイマイチ冴えなくて、それだけにこの曲が強く印象に残っていた。それで嬉しくなってさらにネットで探していて次に見つけたのが、今はなきCTIレーベルの40周年記念ボックスセット「the Cool Revolution: 40th Anniversary Collection」(2010年)。うーん、CTIかあ、懐かしい。なんかねえ、涙が出そう。その中にちゃんと入っているじゃありませんか、この曲が。

CTIというのは、当時コアのジャズファンから商業ベースすぎると評判は良くなかったけど、自分的にはお気に入りだった。ルディ・ヴァン・ゲルダーのクセのある録音が特徴で、確かにイージーリスニング系も多かったけど、新世代メインストリーム系のアルバムもかなりあって。とにかく即買い。さらには廃盤になっていた記念碑的名作「California Concert」(1970年)が再発されていたことも分かって、これも。結局これが長年使い込んだスピーカーの買い替えにもつながったのだけど、それはまた別の記事で。

QuartetQuartet

Cti 40th Anniversary CollectionCti 40th Anniversary Collection     California Concert:California Concert

アユタヤ

2011-03-15 05:54:45 | 800 観光
タイ出張での最後の仕事は、バンコクから車で約1時間半ぐらい北上した町、アユタヤにある取引先との打ち合わせ。事前に現地の駐在員がタクシーを予約しておいてくれたのだけど、料金が片道2000バーツ。前日の早朝に、往復なら少しは安くなるかもとホテルの受付のおばさんに尋ねると3500バーツとのこと。そのシステムを確認している時に、いろんなアイデアが。

「すいません、そのタクシーって現地の打ち合わせの間は待っていてくれるんだよね?」とか、「ということは貸切ってこと?」とか、「打ち合わせの後で空港まで直接行ってもらえるの?」とか、「仕事の後でフライトまでの時間は何処へでも行ってもらえるの?」とか。最後の質問が、「この料金で何時間ぐらい貸切できるの?」。つまり仕事モードから完全な観光モードへ。

結局10時間ぐらい拘束可能なことが分かって。こりゃうまく利用するしかないなと。それから部屋に戻ってネットでアユタヤ近郊に何か観光地はないかなとサーチを開始。するとありました。それは14世紀から18世紀までのアユタヤ王朝時代に長い間タイの首都があった時の遺跡。この王朝が最後はビルマに滅ぼされ、町は徹底的に破壊された。それが遺跡として残っている。

昼頃に打ち合わせが終わって、いざ観光へ。アユタヤ遺跡について全く知識がなかったので、行き先は全て運転手にお任せ。帰国して調べると、ワット・ヤイ・チャイ・モンコン(Wat Yai Chai Mang Khon)、ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット(Wihan Phra Mongkhon Bophit)、ワット・プラ・シー・サンペット(Wat Phra Si Sanphet)、チャオ・サン・プラヤー国立博物館、上の写真の”木に埋もれた仏像”があるワット・マハタート(Wat Mahathat)の5ヶ所と最後に水上マーケットと有名どころは押さえてくれていた。

しかし暑かった。乾季でタイとしては過ごしやすい季節のはずだけど、天気が良かったこともあって日中の陽射しが強い。スーツからTシャツに着替えたけど、それでも汗だく状態。周りの観光客は短パンにサンダル履きが多かったのもうなづける。それにしても様々な国から来ていたなあ。さすが世界遺産。タイの観光地として最も人気が高いということを知って納得したけど。


リベットブレス

2011-03-09 05:43:48 | 520 アンティーク
愛用していた腕時計のブレスの修理がようやく完了。このいきさつについては既に記事にしていて、今日はその続き。このブレスというのが、ロレックスのオイスター・ローヤル(Oyster Royal)[Ref.6444]についていた純正品。10年前に中古で購入したもので、おそらく1950年代製。既に半世紀以上が経過している。しかしブレスの修理がこれほどやっかいだとは思わなかった。

まずはロレックスの広島支店へ問い合わせ。型名を言うと、あっさり断られた。古いブレスはサービスパーツがなく対象外とのこと。それからは広島市内のあらゆる時計修理屋に電話し、可能性がありそうな数店を実際に訪ねてみもした。ところが全く相手にされない。とどのつまりが「部品がないのでロレックスに相談されたらどうですか?」とのそっけない返事ばかり。

しかしねえ、コマとコマをつなぐ直径1mm程度のシャフトを交換するだけなのに、それができないなんて。頭にくるやら情けないやら。それで純正はあきらめて、これが最後と訪ねたのが地元の小さな店。以前からちょこちょこ出入りしていて。相談すると検討してくれるとこのこと。それから数週間。やってみましょうとの返事。これは嬉しかった。

それから待つこ2ヶ月。ブレスが見違えるようになって戻ってきて。さっきネットで調べて分かったのだけど、このブレスの正式名称は”飛び出し王冠バックル リベットブレス 17mm”。中古が約7万円で販売されていた。今回の修理費用は約2万円。市場に出回っていないし、あったとしても高価。その意味では正しい選択だったなと。追加で凹みキズも治してもらったし。

だけど家に帰ってじっくり眺めてみて気になり始めたのが風防のすりキズ。こんなについていたっけと。最近のものはクリスタルグラスだけど当時のものはプラスチック製で傷がつき易い。そんな時に救世主が。ネットで紹介されていたセラミックコンパウンド。早速買って専用クロスで磨くと、傷が嘘のようになくなるではないか。これでブレスに続いて風防もリニューアル。

しかしねえ、たかが時計、されど時計。あんなこんなで、ますます愛着が湧いてきた今日この頃って感じだなあ。


     

武井咲

2011-03-07 05:42:50 | 370 テレビ
半年ぐらい前からTVで話題になっているのが「AKB48」。自分的には、かつての「おにゃんこクラブ」なんだろうなと醒めた目線でみているけど。特徴は、何度見ても彼女達の顔が憶えられないこと。なんというか、その辺にフツーにいる女子高生って感じで芸能人オーラが全く感じられない。それをカミさんや娘に話すと、「それがいいんじゃない」とのダメ出しにも似た返事が。

顔が憶えられないといえば韓国のグループの「少女時代」。彼女達はAKB48と違ってお色気があるので、オジサン的にはAKB48よりは楽しめる。メンバーの中に好みのタイプがたぶん数人はいると思うのだけど、確認できないままにいつも曲が終わってしまう。おそらく編集でメンバーの顔のカット時間を意図的に短くしているからじゃないかな。いつもイライラするけど。

なんて話は置いといて、今日は正統派の美少女である武井咲の話。この数ヶ月チョイチョイ視界に入ってきていて、最初は女優の中越典子と見間違えたりしていたけど、最近資生堂のCMに頻繁に出てきたので、ようやく名前を憶えたという次第。気づけば月9やソフトバンクのCMにも出演していて、今や売れっ子NO.1。うーん、平成の吉永小百合かも。そうとう古いか。

それで冴えないことに気づいたのがつい先日。彼女の名前をずっと”たけい さき”とばかり思っていた。「さきちゃんてキレイだなあ」とか、「さきちゃんてカワイイなあ」とか。だけど親父を診察に連れて行った病院の待合室で女性週刊誌を読んでいて、ふと見つけたプロフィールにビックリ。「おいおい、”たけい えみ”かよ」と。家族以外に彼女の話をしていなくて良かったなと。

その咲ちゃんが3月25日のセ・リーグの開幕戦で始球式を務めるとのニュースが。名古屋ドームでの広島-中日戦。彼女は名古屋出身で根っからのドラゴンズファンなんだとか。なんだ、名古屋か、つながるなと親近感が湧いたりして。こりゃ録画予約しておかないと。久しぶりに画面を見ていてドキドキする程の美少女が登場したって感じ。当分気になりそうかな。

グラスゴー大学

2011-03-03 06:09:06 | 860 英国紀行
グラスゴーにあるケルヴィングローブ美術館&博物館(Kelvingrove Art Gallery and Museum)を出ると、周囲は緑に囲まれたいかにも学園風景。道行く人々にも若者が多くて、「そうか彼らは学生なのか」と納得。そのうち木々の隙間から遠くに歴史を感じさせる建物が見えて。それが上の写真のグラスゴー大学。後で調べると、美術館&博物館も大学の敷地の中にあった。

この大学はスコットランドの観光名所にもなっているとか。1451年に神学の学校として設立されており、オックスフォードやケンブリッジと並ぶ英国の名門校。電力の単位で知られるジェームズ・ワットや国富論のアダム・スミス等を輩出していると言えばそれも分かる。自分的に興味を持っていたのは、ニッカウィスキーの創始者である竹鶴政孝がこの大学の出身だったから。

彼は日本のウィスキーの創始者としてつとに有名。実はこの紀行でも少し前に記事で紹介したけど、今回スコットランドで少しでも彼の足跡を辿りたいという気持ちがあった。下の写真のキャンベルタウンまで足を伸ばしたのはそれゆえ。だからグラスゴー大学を訪問できたというのは、今思えばとてもラッキーだったなと。彼の生涯についてはニッカのHPで詳しく紹介されている。

「いつの日か、この日本で、スコッチに匹敵するウイスキーを造る。大正7年、ひとりの日本人青年が単身英国に渡った。知人もなく、言葉も通じない異国で、ひたすらスコッチ造りの技術と精神を学ぶ暗中模索の3年。やがてめぐりあった生涯の伴侶リタとの愛と結婚。国産ウイスキーの父・竹鶴政孝の、苦闘と栄光の半世紀」。これは川又一英が書いた「ヒゲのウヰスキー誕生す」(1982年)のキャッチコピー。これ以外にも、竹鶴本人が書いた「ヒゲと勲章」(1966年)や「ウイスキーと私」(1967年)を帰国後に買い込んで読み漁った。その竹鶴が単身渡英してすぐに”外国人聴講生”として席を置いたのがグラスゴー大学。

読むと、彼が学生時代に知り合った妻のリタにプロポーズしたのが自分も訪れたローモンド湖、婚前旅行になったのがキャンベルタウンの蒸留所での修行だったとか、やけに身近に感じて。身近といえば彼は広島県竹原市の出身。造り酒屋の息子で、実家は竹鶴酒造という名前で今でも日本酒を製造している。なんかねえ、まさにつながっているなあって感じ。

 ローモンド湖  キャンベルタウン