或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

ニューイヤーコンサート

2014-01-12 07:16:00 | 210 クラシック
昨日は友人と2人でクラシックのコンサートへ。地元のもみじ銀行と中国新聞がスポンサーとなっている広島交響楽団が毎年ニューイヤーとして開催しているもの。食指が動いたのは、ゲストのピアニストが小山実稚恵で、しかも演奏する曲がラフマニノフのピアノ協奏曲第3番だったから。彼女のオハコだし、昨年末からこの曲が密かなマイブームにもなっていた。

チケットを購入した日のことはよく憶えている。昼の12時前だったと思うけど、愛車で広島駅前のロータリーへ入ると乗降場は満車でスペースなし。2度トライしたけど状況は変わらず。仕方がないので、ちょっとならと車を道路に止めて急いで駅前のデパートにあるプレイガイドへ。応対してくれた店員が座席表を見せてくれたのだけど、2ヶ月近く後だというのにS席がかなり埋まっていて。それでも2階最前列のまずまずの席を確保。10分後に車に戻ったら、なんと駐禁のステッカーが貼られていて。

やっちまったなとガックリきたけど、まあ何年かに一度はあることと意外にすんなり諦めがついた。後で調べると乗降場も駐停車禁止で、運転手が乗っていれば捕まえるまではしないけど違反らしい。それとすぐ隣にある駅が管理している駐車場は、20分までは無料ということも分かって。これからは時間がかかっても車から離れる時は、この駐車場に入れなくてはと。

話がそれたけど、当日の会場はほぼ満席。日本でフルオケを聴くのは久しぶりだったけど、客の9割ぐらいが50歳を超えていたのではと思えるぐらい老人ばかりで、高齢化社会を目の当たりにした。それで肝心の演奏だけど、小山は最高で、さすがに得意な曲だけのことはあると納得させられるぐらいの素晴らしい出来だった。オケとの息もまずまず合っていたし。

逆においおいと思ったのがベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。ドイツの古典らしさが全くなく、安物のポップスオーケストラを聴いている感じ。弦に厚みと切れがないオケにも問題があるけど、それを野放しにしていた指揮者にも責任があるなと感じた。途中からは興味喪失で目を閉じて半分寝ていたかな。その意味では目頭が何度も熱くなった協奏曲と好対照だったような。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

小山実稚恵

2008-12-26 06:17:40 | 210 クラシック
先週の日曜日にカミさんと地元で開催されたコンサートへ。日本を代表するピアニスト、小山実稚恵のピアノリサイタル。公演を知ったのは地元のローカル紙。会場が300人程度の小ホールだったので、逃すまいとすぐに事務局へチケットを買いに。でも残念ながら時すでに遅く後ろから4、5列目ぐらいの席しか残っていなかった。

ウン十年前ぐらいかなあ、TVで彼女が確かN響をバックにショパンのピアノ協奏曲第1番を弾いているのを見たことがあって。その音楽に没頭しきったような表情が妙になまめかしくて、それ以来”女”としてのイメージが脳裏にしっかり焼きついていた。

そして当日濃いエメラルドグリーンのドレスに身を包み登場した彼女は、イメージそのまま。演奏が始まって感じたのが、プロに対して失礼な言い方だけど、ピアノが上手いということ。肘から手首にかけてのポジションと動きが完璧。繰り出されるスタインウェイD-274の音色が素晴らしい。自分の好きなバラード第1番を含めて、ショパンを中心としたプログラムも良かった。

演奏を通して聴いて感じたのは、彼女の音楽って意外にサバサバしているということ。しとやかで女っぽい外見から、もっとテンポや強弱、ペダリングに凝って感情を入れ込む”濃い”タイプかと思っていたけど。後でネットを調べると、スポーツ観戦好きの天然系の性格らしくて、なるほどねと。とにかくピアノを気持ちよく鳴らして弾くのが幸せってタイプのような気がした。

演奏終了後にサイン会があったので、もちろん参加。よくあるCD購入とパックだったけど、この日のためにターゲットとして選んでおいたのがラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。順番が来てジャケを出したら隣にいた女性が、「3番は今日初めてですね」と彼女に話しかけると、「一番好きな曲なんです」と彼女は自分に微笑みかけてくれて。ちょっとしたサプライズ。いやあ、嬉しかった。この曲にして良かったと。ついでに握手してもらったりして、なんかとても幸せな気分で帰路についたけど。

帰宅して、その余韻に浸るようにCDを聴いたら、これが想像以上の出来だった。心配だった日本ソニーの録音も、オンマイクでピアノの音がこのうえなくクリアで鮮烈なのにバックのオケと馴染んでいる。愛聴しているジルベルシュテイン盤とは演奏も録音も対極的だけど、これはこれで宣伝したいなと、特にオーディオマニアには。こっちはかなりのサプライズだったかも。

ショパン:バラードショパン:バラード(全曲)  ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

Georg Solti

2008-09-13 06:40:33 | 210 クラシック
このところ暇にまかせて執りつかれたように聴いているのが、ゲオルグ・ショルティが指揮した交響曲全集。マーラー、ブルックナー、ベートーヴェンと並ぶとけっこうなボリューム。実は全て今年ヤフオクで手に入れたもの。というのも最初のマーラー以外は全て廃盤になっているから。バラでは売っているけど全集の方がね、割安だし場所もとらないし、CDラックも満杯だし。

集めるきっかけはブルックナーの交響曲第9番。綿密な解釈と細部にわたり統制されたシカゴ交響楽団の演奏が、とかくマクロ的流れとスケール感を基準に評価してしまうこの曲に対して、ミクロ的というか、別の楽しみ方を教えてくれた気がする。

ざっと彼について説明しておくと、ハンガリーのブタペスト生まれで元々はピアニスト。1942年にはジュネーブ国際コンクールで優勝したほどの腕前。指揮者として有名になったのは1969年にシカゴ交響楽団の音楽監督になってから。1991年にバレンボイムに座を譲るまでの約20年間在籍。ここ以外にもウィーンフィルとのワーグナーの楽劇等、録音の数は圧倒的に多い。

でも昔は食わず嫌い。一番の理由はルックス。なんか根性が曲がったネチネチしたスケベなオッサンのイメージが強かったから。やはり指揮者というのは芸能人と同じでルックスは重要かなと。そうそう、最近で言えば女性指揮者として頭角を表している西本智美。どうみてもタカラヅカの男役系。指揮がどうのこうの言う前に、彼女ならジャケ買いする奴も多いだろうなと。

なんて言いながら誤解されては困るけど、最終的には指揮者のルックスは評価の対象外。もっと言えば演奏会での立ち振る舞いも。つまり本番までにどうオケにどう注文をつけ訓練したかが重要だと考えている。その意味ではオケの実力を引き出すというより、どれだけ自分のやり方を押しつけたか、その徹底度合い。その点ショルティは嫌われるぐらいしつこかったらしい。

それで全集の評価だけど、マーラーとブルックナーはオススメ。前者は決定版のひとつ。録音も秀逸でミクロ的アンサンブルとしての交響曲が堪能できる。逆に冴えないのがベートーヴェン。この全集は2回目の録音なのだけど、とにかく統制が取れていない。それ以前にベートーヴェンにドライで現代的な米国のオケの音色が馴染まないというのが大きいのかも。

Mahler: The SymphoniesMahler: The Symphonies Bruckner: The SymphoniesBruckner: The Symphonies

蝶々夫人

2008-05-19 06:15:18 | 210 クラシック
今日は長崎観光つながりの話。グラバー園を散策していたら白くて大きな銅像が。名前を見るとイタリアの作曲家プッチーニ。そうか、オペラ「蝶々夫人」ゆかりの地かなんか?と思いながら少し歩くと、今度は日本髪の女性の銅像が。三浦環(みうら たまき)?知らないなあ。後で調べると、日本で最初に国際的な名声を得たオペラ歌手だった。

オペラってモーツァルトとワーグナー以外はほとんど聴かないし、だからよく知らない。それにプッチーニは初めて。でもここで出会ったのも何かの縁。食わず嫌いを返上する良いチャンスと前向きに考えて図書館で全曲版を借りてみた。なんとCD3枚組。少なからず気合が入ったのは確か。

解説であらすじを辿ると、確かに明治中期の長崎が舞台。米人の海軍士官ピンカートンが滞在中に、没落藩士の令嬢で芸者をやっていた少女の蝶々さんと仲良くなり妻?にするのだけど、結局は帰国して本国の女性と結婚してしまうという、よくある”悲しき現地妻”パターン。初演は散々だったらしいけど、その後手が加えられて今じゃプッチーニの代表作のひとつだとか。

肝心の音楽なんだけど、どうもね。プッチーニは後期ロマン派で、マーラーとほぼ同時代。全体としては悪くない。けっこうフツーに聴けて。劇場に行けば楽しめるかもと思ったりもして。ただね、キワモノというかなんというか、日本のメロディーのオンパレード。第1幕では”星条旗よ永遠なれ、第2幕では”お江戸日本橋”や”かっぽれ”、さらには”豊年節”まで出てきて。

外国人にとっては、まさにフジヤマとかゲイシャのイメージだろうなあ。まあ吉本新喜劇のミラノ公演ぐらいと割り切れば良いのだろうけど。参考までにとDVDのユーザー評価を見るとコメントが冴えない。日本髪や白粉の塗り方等々にダメ出しが多いこと。海外でまずい寿司を食べている感覚なんだろうな。どうも劇場はやめといて、とりあえず音楽だけが無難みたい。


プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」全曲プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」全曲

ワーグナー

2008-04-04 06:13:57 | 210 クラシック
村上春樹の短編集紹介シリーズの第4弾は「パン屋再襲撃」(1985年)。この短編集では彼の様々な引き出しを見ることができて読み手を飽きさせない。どれもなかなか面白かったけど一番印象に残ったのは表題作。これは短編集としては出版されていない「パン屋襲撃」(1981年)の続編。登場人物が脱日常的で飛んでるキャラという点で伊坂幸太郎と通じるものがあった。

特にウケたのが主人公と一緒にマグドナルドを襲撃するカミさん。巷の道徳的観念を見事に超越したピュアな発想が、主人公以上に弾けていて素晴らしい。彼らの会話の中に出てくるのが、前に襲撃したパン店の主人が出した交換条件の話。ワーグナーを一緒に聴いて好きになってくれたらというもの。わざとだと思うけど、実際には「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を聴いて主人から詳細な説明を受けたはずなのに、「タンホイザ-」と「さまよえるオランダ人」の2つの序曲と思いっきり間違っている。

「ワーグナーねえ、最近聴いていないなあ」、とCDを引っ張り出して聴いてみました。といってもあの信じられないぐらい長い楽劇全部じゃないですよ。あくまで序曲や前奏曲とかハイライトだけ。実は一番のお気に入りが「トリスタンとイゾルデ」。有名な”トリスタン和音”がジャズ好きにはしっくりくる。当時は前衛的な和声とかなり批判されたらしいけど、ドビュシーとか後の作曲家に与えた影響は計り知れない。とは言っても早い話がジャズコードでいうハーフディミニッシュを取り入れただけなんだけど。

ワーグナーで思い出すのが彼を崇拝していた最後のバイエルン国王ルートヴィヒ2世。幼少期を過ごしたホーエンシュヴァンガウ城の黄色い建物が目に浮かぶ。音楽室にワーグナーが弾いたピアノが置いてあったなあ。ルートヴィヒ2世といえばルキノ・ヴィスコンティが撮った豪華絢爛の極みとも言える映画「ルードウィヒ 神々の黄昏」(1973年)が有名。うーん、爽やかな村上の小説がヘンな方向に。まあ彼を師と仰いだブルックナーもこのあいだ記事にしたし、この映画もいつかついでに・・・。

それにしてもこのシリーズは小説よりもそこから派生した話が多い。


管弦楽曲集管弦楽曲集 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲

続・ブルックナー

2008-03-14 06:22:11 | 210 クラシック
今日は前回の記事の続編。村上春樹の短編小説集「回転木馬のデッド・ヒート」(1985年)の中のお気に入りである”プールサイド”に絡んだ話。この作品はいろんな意味で示唆に富んでいる。前回の歯みがきに続くネタは、オーストリア生まれの後期ロマン派の作曲家、アントン・ブルックナー。一般的には知名度はイマイチ低いけど熱心なファンが多い。

主人公が35歳の誕生日に青山のレストランで妻と食事をし、その後バーで酒を飲む。帰宅してセックスをしてシャワーを浴びると妻はもう先に寝ていた。一人でビールを飲んだ後ヘッドホンで聴いた音楽がブルックナー。引用すると、”夜中に一人でブルックナーの長大なシンフォニーを聴くたびに、彼はいつもある種の皮肉な喜びを感じた。それは音楽の中でしか感じることのできない奇妙な喜びだった。時間とエネルギーと才能の壮大な消耗・・・・・・”。なるほど壮大な消耗か、そういう見方もあるんだ。

読んでいてバタイユの”蕩尽”を思い浮かべたけど、それは置いておいて本題に戻ると、この小説の設定は3月末。自分の場合は冬場、特に1月と2月の一番寒い時期にこの種の音楽、つまりブルックナーやマーラーといった長時間退屈系交響曲を聴くことが多い。夏だと暑苦しくてダメだろうな、多分。寒くて外に出る気にもならず時間を持て余している時にピッタリなような。

この冬よく聴いたのがブルックナー。特にセンチメンタリズム溢れる3/4/7/9番。オケは東欧系が多いけど指揮者はシノーポリ、マタチッチ、ショルティ、ヨッフム、ヴァント、ベーム、ジュリーニ、カラヤン、ブロムシュテットと多彩。だから印象も千差万別。自分的には以前記事にしたマタチッチとチェコフィルに加えて解釈とオケが洗練されているショルティとシカゴ響が意外と好きかな。

それでいつも気になるのがウィーンフィルとベルリンフィルの弦の音色。生を聴いたことがないから大きなことは言えないけど、どうもマントヴァーニーやパーシーフェイスに聴こえてしまう。上手すぎて鳴り過ぎるため逆に綺麗すぎて安っぽいということ。同じウィーンフィルでもグラモフォンよりデッカの方がエコーを抑えた分だけ芯があるから、一概にオケのせいだとは思わないけど。

まあ”壮大な消耗”をお手軽に聴けているのだから文句を言っちゃいけないか。

ベーム指揮 第3番ベーム指揮 第3番 カラヤン指揮 第4番カラヤン指揮 第4番

ジュリーニ指揮 第7番ジュリーニ指揮 第7番 ショルティ指揮 第9番ショルティ指揮 第9番

シューマン クライスレリアーナ

2008-02-01 06:25:30 | 210 クラシック
このところよく聴いているのがシューマンのクライスレリアーナ。彼のピアノ曲の定番のひとつ。タイトルは傾倒していたホフマンの小説から取ったもので、描かれたかなわぬ恋に自分とクララを重ねていたとか。曲が書かれたのが彼女との結婚に反対され苦しんでいた時期。趣向の異なる緩急8曲で構成されていて、その支離滅裂ぶりはシューマンらしさ満開といったところ。

特に最初の曲の出だしがお気に入り。自分の中では全てのピアノ曲の中でトップランクに位置している。速いテンポの激しいフレーズの中に恋焦がれる甘いやるせなさが溢れている。いつ聴いても何かしら胸がときめいてくるなあ。まさに胸キュン。

この曲もホント多くのアーチストが録音していて、ホロヴィッツを筆頭に、アルゲリッチ、アシュケナージ、ブレンデル、ポリーニ、など多彩。名演と呼ばれるものも多数あって、とりわけホロヴィッツは激情とロマンに溢れていて素晴らしい。それで記事を書くにあたり是非とも聴いておかねばとCDを購入したのが、気になっていた内田光子の演奏。世評はあまり芳しくなかったけど。

改めて感じたのが彼女の凄さ。どうしてこんなに美しいピアノの音色が出せるのか。加えて抑えたペダリングを含めたテクニック、メリハリの効いた楽曲の解釈が洗練されていて、まさに現代のシューマン。恐ろしいのは彼女の描いたイメージがおそらく完璧にピアノの音として表現されていること。ここまでピアノを自分の分身としてコントロールできるとは。鳥肌が立ったから。

と言いながら、その一方で彼女を嫌う人がいることも理解はできる。あまりに緻密に計算され尽くされているから。それとやや過剰な感情移入も同じ日本人なので欧米人以上にその意図が分かるだけに鼻につくのだろうなと。だから常に緊張を強いられる。リラックスして聴けない。おエラさんと一緒に料亭で一流の懐石料理を食べるのを思い浮かべると分かりやすいかな。

でもね、確かに友人とワイワイ話をしながらイタ飯を食べるのは楽しいけど、例え固苦しくて気疲れしたとしても、これだけ美味しいと病みつきになって自腹で通いたくなるって感じ。それにしても、ますます彼女の”追っかけ”に拍車がかかりそう。

ホロヴィッツホロヴィッツ    内田光子内田光子

Michel Leqrand

2007-08-31 06:36:59 | 210 クラシック
これまでミシェル・ルグランについては好きな作曲家としていろんな記事で紹介しているけど、今日はちょっと毛色の変わったアルバムの紹介。その元ネタとなるのが小澤征爾のマーラーの交響曲全集。彼が常任指揮者だったボストン交響楽団と1980年から1993年の間に録音されたもの。その流麗で洗練された現代的な演奏は、小澤の代表作として間違いのないところ。

中でも交響曲第3番と第4番は兄弟関係にあり、共に小澤らしさが出た秀演。噂だけど、第3番は最後に書いた第1楽章が長くなりすぎて、第3番の終楽章として書いたのを第4番へまわしたとか。まあ第3楽章のアダージョが超有名な5番を含めて、このあたりの曲には緊密なつながりを感じますね。個人的には、まとまりがあって聴き易い第4番が一番好きだしオススメかな。

その中でソリストとして唄っているのが、第3番4、5楽章でのジェシー・ノーマンと、その第4番4楽章でのキリ・テ・カナワ。タイプはまるで違うけど、共に一世を風靡したソプラノ歌手。ジェシーは黒人でキレのある声と歌い方に女の強さを、対してキリはニュージーランド生まれの白人で欧州人とのハーフ。そのクリーミーで柔らかい歌い方は女の優しさを感じさせる。まさに対照的。

そんな二人がミシェル・ルグラン本人とコラボを。「I wad born in love with you」(1997年)と「Magic」(1992年)。前者が自身のピアノとベース・ドラムというトリオのバックに対し、後者は自身の編曲によるフルオーケストラがバック。勿論どちらもルグラン曲集で、有名な"風のささやき”を初めとして”You must believe in spring"、”I will say goodbye”等を聴き比べられる。

この2枚は悪く言えばゲテモノの部類に入るから、純クラシックや純ジャズを求める人にはつらいけど、自分のような節操のない人間にはピッタリ。本家をバックに、こんな素敵な曲をこんなに素晴らしい声で聴けるなんて、ホント贅沢だと思います。

マーラー:交響曲第3番マーラー:交響曲第3番 マーラー:交響曲第4番マーラー:交響曲第4番

I Was Born in Love with YouI Was Born in Love with You          MagicMagic:

ドビュッシー

2007-08-24 06:07:59 | 210 クラシック
夏になるとどうしても聴く回数が増えるのがドビュッシー。特にピアノ曲。真剣に対峙するというより、あくまでバックグラウンドとして。まあピアノ曲に限らずドビュッシーの音楽って多分にそういうところがある。とらえどころがないというか何というか。だから聴き方として、音の流れに沿ってついていくというより、その時その時の音の表情を楽しむという感じ。まさに感性の世界。

それじゃどの曲をということになると、やはり中心になるのは中期のもの。具体的には「喜びの島」(1904年)、「映像第1集」(1905年)、「映像第2集」(1907年)、「前奏曲第1巻」(1910年)、「前奏曲第2巻」(1913年)といったところ。中でも「映像」は好きですね。これってクラシックとジャズの中間地帯。思うに最近は、クラシック寄りのプチ前衛的?なジャズが廃れてきている。

それでお気に入りの演奏家がミケランジェリ。理由はいろいろあるけど、まずはピアノの音。彼の弾くスタインウェイの響きは美しい。変化に富んだタッチに加えて微妙なペダリングがうまいから音色が多彩で奥行きがある。その点ではヴァイオリンのクレーメルに似ている。それからフレージング。これがねえ、このうえなく耽美的。強弱のつけ方やタイミングのとり方は他のクラシック畑の人ではちょっと真似ができない。その意味では、彼を尊敬していたビル・エヴァンスに通じるニュアンスがある。

ドビュッシーを聴いていると思い出すのが高校時代の音楽の実技テスト。洒落がきく先生で、歌でも楽器でも好きなことをやっていいと言われたので、自分はピアノの即興を披露。ドビュッシーライクな4度を軸にした和音や、平行5度や8度のモーションをふんだんに使ってミステリアスな雰囲気を醸し出そうとしたのをぼんやりと憶えている。もちろんまるで受けなかったけど。

目を閉じてその時のことを想い出してみる、さながら”真夏の夜の夢”ってやつかも。

映像第1集・第2集/子供の領分映像第1集・第2集/子供の領分
前奏曲集第1巻前奏曲集第1巻   前奏曲集第2巻前奏曲集第2巻

バッハ シャコンヌ

2007-06-01 06:20:23 | 210 クラシック
最近少し集めているアルバムが、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ。気軽に聴ける雰囲気じゃないけど、逃れられないというか、とりつかれてしまったというか、どうもハマっている。単音楽器?でもないけどガチンコの真剣勝負。まあ包丁1本さらしに巻いてとは言わないまでも、ヴァイオリン1本で勝負するので、全てさらけ出されるところが面白いのかも。

有名なのは第2番ニ短調。とりわけその最後を飾るシャコンヌ。15分前後も演奏時間があるから、これだけでも小品と言えるほど。巷ではバッハの最高傑作とみている識者も多い。確かにそう言われるだけのインパクトがありますね、この曲には。聴き比べは楽しいけど、おそらく100人以上が録音をしている。だから全部聴き比べるなんて経済的にとうてい無理。良かった。

それで代表的な3枚を紹介しておきます。シェリング(1967年)、グリュミオー(1960年)、クレーメル(1980年)の演奏。あえてジャズピアニストに例えて言うならば、バド・パウエル、エロル・ガーナー、チック・コリアといったところかな。強引すぎるか。

それじゃハービー・ハンコックは?と聞かれそうだけど、しいて挙げるならパールマン(1986年)。だいぶ違うような。とりあえず買うとすればシェリングがオススメ。ヴァイオリンの音色も甘すぎず辛すぎず、解釈も厳しさと暖かさが程よいバランス。グリュミオーは、ただただひたすら美しい。クレーメルはマニア向けだけど、その解釈から取り組みへの真摯さが伝わります。

つくづく思うのはヴァイオリンって楽器による差がモロに出るってこと。ギターやサックスだと、ちょっと無理をすればアマチュアがプロと同じものを持てる。だけどヴァイオリンはそうはいかない。高価なものほど良く鳴り、軽いボーイングで楽々と豊かな音がでる。安価なものだと鳴らないから無理に強く弾く、すると悪い癖がつく、という悪循環。だからどうしても金持ちが有利。

なんて言いつつ、まだまだいろいろ聴きたいので、ながーいお楽しみにしようと思っています。

シェリングシェリング グリュミオーグリュミオー クレーメルクレーメル