或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

United States

2012-07-30 05:37:23 | 870 米国紀行
今日は、米国旅行の最終回。あれよあれよと月日が過ぎて、昨年の8月9日から8月17日までの7泊9日の旅行から、もう1年が経ってしまった。記憶が薄らぐ前になんとか記事の投稿を終えることができた。旅程表を眺めながら投稿してきた記事を改めて読み直すと、東海岸の主要都市の様々な風景や、そこでの様々な出来事が脳裏をかすめ、なんだかとても懐かしい。

もともとは、なんとなく久しぶりにニューヨークを訪れてみたい、ついでにジャズも聴きたい、だけどどうせ行くなら東海岸の主要な美術館を全て周りたい、それならお気に入りの女性ジャズヴォーカリストのライブも聴きたい、なんてイージーなノリで企画を始めたのだけど、今思えばアムトラック、飛行機、レンタカーをうまく利用した気の利いたスケジュールだったって感じ。

思えば米国というのは、住んだことはないのだけれど、自分にとっては最も身近に感じる国なのは間違いなくて。最初の渡米は今でもよく憶えているけど、今から25年ぐらい前。出張でロサンゼルス、サンフランシスコ、ダラス、フェニックスと西海岸を中心にめまぐるしく周って。その時に、この国は、ゴミ箱ひとつとってもシンプルで洒落ていて自分の趣味に合うなあと感心して。

その後はデトロイトを中心に毎年数回のペースで。クリーブランド、インディアナポリス、シンシナティ、さらにはカンサスシティ、アトランタ、ナッシュビル等々へ仕事の関係で。その合間を利用してニューヨーク、ワシントンD.C.、ラスベガス、マイアミ、シアトル等々へもプチ観光へ。だけど新婚旅行のハワイは別として、自らが企画してプライベートで旅行するというのは今回がようやく初めて。近年は出張が全くなくなっているだけに、米国という国について自分の中の集大成だったような気がする。

それじゃこれで最後かって?うーん、できれば西海岸をもう一度訪れてのんびりできたらなと。例えばモントレーとか、海辺のコテージあたりを少し長めに借りたりして。なんて書いていると、またあらぬ妄想が浮かんできそうなのでやめておくけど。

IPPUDO NY

2012-07-25 05:46:13 | 870 米国紀行
今日は、昨年の米国旅行の番外編。最終日のNYでは、ボストンで昼食にけっこう美味しい和風ランチを食べてから数日経ったということで、シメにラーメン屋にでも行こうかと。渡航前にネットで調べると、NYにも博多ラーメンの一風堂ができて大繁盛しているとか。他に食指が動く店がなかったので、話のネタにとわざわざ5番街から地下鉄に乗ってイーストビレッジへ。

昼の2時半ぐらいだったと思うけど、店の中へ入ると、そこはウェインティグルーム。ざっと見回しただけでも30人ぐらいはいたかな。皆席が空くのを待っていた。日本人が多いかと思いきや、まさに国籍のカオス状態で、東洋人は中国人と韓国人がほとんど。残りは白人。驚いたのはカップルが多かったこと、それも旅行客の。おいおい、観光名所になっているのかよ、ここは。

それから待たされること3、40分。ようやく店内へ案内されて。暗めの照明の中に赤と黒のツートンカラーの内装が施され、竹の造形の大きな飾りが随所に配置されていた。日本で言えばエスニック料理店という雰囲気。受けたのはウェイターのほとんどが白人で、しかも日の丸のハチマキをしていたこと。なんか可愛かったなあ。彼らに紛れて日本人も数名はいたかな。

メニューをチェックすると、ラーメンが約15ドル。おいおい、やたら高いなと愚痴をこぼしながら、これもNY価格なんだろうなと諦めてビールと一緒に注文。それから周囲をキョロキョロ見廻していると、けっこうビジネスマンの一人客も多かったりして。難しそうながら、皆箸を使って食べている。彼らはきっと常連客なんだろうな。そうこうするうちにラーメンが到着。これがねえ、日本の一風堂とほぼ同じ味。違いはチャーシューとかの具がやけに小さかったり少なかったり。日本ならクレームがつくレベル。

とは言え、久しぶりのB級日本食に満足しながら店を出たかな。あえて遅い時間を選んで店に入ったけど、あんなに混んでいたとは。これが昼時だったらと思うと恐ろしい。まあ、海外へ日本の有名店が出店してくれるのは嬉しいことなのだろうけど。


Museum of Modern Art, New York

2012-07-22 09:42:32 | 870 米国紀行
米国旅行の6日目というより、今回の米国旅行で訪問した最後の美術館がニューヨーク近代美術館で通称”MoMA”。グッテンハイム美術館からはタクシーで移動。地下鉄でも良かったけど、疲れていたのでつい。この美術館は、まさにNYの中のNYとも呼べる5番街に建てられていて、有名ブティックまで徒歩で数分のロケーション。その意味では締めくくりに相応しかった。

周囲の高層ビルに圧倒されながら館内へ入り、チケット売場へ。混んでいて長い列ができていた。自分の番になると窓の向こうの東洋人の中年女性の係員が、「あなたは日本人ですか?」と聞いてきて。「イエス」と答えると、「私も日本人です」と返事が。何もしゃべっていないのにどうして日本人と分かったのかなと。それ以上に話しかけられたこと自体が不思議だった。

それから広い館内の散策を開始。最初に訪れた印象派のフロアにはゴッホ、モネ、セザンヌといった画家の作品がずらり。だけど、ウリは何といってもピカソ。中でも有名なのが上の写真の「アヴィニョンの娘たち(Demoiselles d’Avignon)」(1907年)。5人の売春婦を描いたこの作品は、名実共に現代美術史における金字塔。大きななキャンバスから伝わってくる迫力は、それは凄かった。パリのモンマルトル、この絵が描かれたアトリエ、”洗濯船”(Le Bateau Lavoir)の情景が脳裏をかすめた。

その後もピカソを中心に趣味の良い作品を十分に堪能したけど、館内を移動している時に目に飛び込んでくるのが大きな窓越しに見えるマンハッタンの景色。その意図的な造りによって、この美術館がNYのど真ん中にあるということを訪問した客に強く印象づけている。その意味では最高の立地なんだろうなと。まさに展示されている作品と周囲が完全に調和していた。

ということで、東海岸における美術館巡りが終了。数えると9ヶ所だから、1日に1ヶ所以上周った計算。どの美術館にも個性があり、とても楽しめた。残念だったのはフィラデルフィアのバーンズ・コレクションが新館への移転のためにクローズしていたことと、マティスの作品で有名なボルティモア美術館をスケジュールに余裕がないため諦めたこと。まあ仕方がないか。


Guggenheim Museum

2012-07-20 06:13:44 | 870 米国紀行
米国旅行6日目は、現地における最終日。結局今回の旅行で移動しなかったのはニューヨークの初日とこの最終日の2日間のみ。さすがに日替わり移動の疲れが出たのか朝早く起きる気力が失せていて、ホテルを出発したのがほぼ正午。地下鉄に乗ってセントラルパーク近郊で降りて、ぶらぶらとグッゲンハイム美術館へ。その後でニューヨーク近代美術館をハシゴ。

この美術館は、そのUFOのような奇抜な外観にまず目を引かれたけど、月曜日にオープンしているメジャーな美術館がここぐらいしかないせいか、やけに混んでいた。入場して驚いたのは、館内が円形の大きな吹き抜けになっていて、その周囲に螺旋階段が設置されていたこと。これをぐるぐる周りながら、つながっている各展示フロアを鑑賞するというしくみ。

展示はコンテンポラリーアートが中心で、少々戸惑った。なんか来なくても良かったかなと。だけど最後にサプライズが。セザンヌ等の近代作品を展示してあった部屋の最後に、なんと2枚のピカソが。上の画像の「黒いマンティーラを掛けたフェルナンド(Fernande with a Black Mantilla)」(1906年)と「アイロンをかける女(Woman ironing」(1904年)。絵の前に立つとみるみる鳥肌が立つのが自分でもはっきり分かって。

しかし“薔薇色の時代”を代表する作品がここにあったとは。同じ感覚を以前も味わったなと、パリのピカソ美術館で「座せる裸婦(Femme nue assise)」(1905年)を観た時のことを思い出して。彼は長い一生の中で時代によって画風が大きく変化していて、それぞれの時代で異なるテイストが楽しめるのだけど、やはり最も神がかっていたのが若い頃の“青の時代”と、この時代。

そういえば、今回の米国の美術館巡りで、想定以上にお気に入りの作品に数多く出合えたのがピカソ。すぐ脳裏に浮かんだのがワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー。若い頃の作品が目白押し。かつてこのブログでピカソ特集をしていた頃が懐かしく思い出されて。後に訪れたニューヨーク近代美術館がその締めくくりになるとはその時は想像すらできなかったけど。


理論政策更新研修

2012-07-16 05:45:59 | 100 中小企業診断士
先週の土曜日は、毎年恒例で年2回開催される中小企業診断士の理論政策更新研修。社労士と違って診断士には資格更新のための要件がある。その中のひとつがこの座学。年2回開催され、5年間で5回以上受講しておかないとアウト。運悪く当日は、集中豪雨の影響で朝方はJRが全面ストップ。だけど13時から開始された研修に欠席者はいなかったような気がする。

この研修は、資格更新制度が導入された当初は年1回しか開催されなかったため、1回でも欠席すると資格が危うくなるという、それはシビアなものだった。おそらくクレームがついて、途中から年2回に。だけど人間いつどうなるか先のことは分からない。だから昨年更新を終えて今年から新たな年度が始まる自分の場合、とにかく時間が取れるなら早いうちに受講しておこうと。

それで4時間の座学がスタート。最初のテーマは”「新しい中小企業施策」について”。地元の経済産業局の課長様が講師で、分厚い資料の中から抜粋しながらハイライトを説明して下さる。感心したのはペース配分。1時間という与えられた時間のワクに対して実に的確なペース配分がなされていて。最後なんかドンピシャで終了。これはある意味ひとつの才能だなあと感心。

次がメインテーマの”6次産業化支援”。これも地元農政局の専門官様が講師。だけど最初と打って変わって分かりにくくて。まずは”6次産業”の定義の説明がない。後で調べると、「6次産業とは、農畜産物、水産物の生産だけでなく、食品加工(第2次産業)、流通・販売(第3次産業)にも農業者が主体的かつ総合的に関わることによって、加工賃や流通マージンなどの今まで第2次・第3次産業の事業者が得ていた付加価値を、農業者自身が得ることによって農業を活性化させようというもの」らしい。

思うに、今日の講話の対象が誰で、何をどのレベルでどれだけ話せばよいのかを全く想定していない。面白かったのが最後の質問。ある診断士がプランナーの要件や募集についての質問を。なんか的を得ているなと。皆の基本的な疑問や質問が凝縮されていた。これじゃ小説を持ち込んで読んだり、居眠りする奴が出てくるのも無理はないなと。それにしても退屈だった。

優勝

2012-07-09 05:50:40 | 450 スポーツ
先週の土曜日は、定例で開催されている会社のゴルフコンペ。数日前から日本列島を局地的な豪雨が襲い、広島でも相当な雨量が記録されていた。ちなみに金曜日の夜は同じく会社の飲み会だったのだけど、その時もかなりの雨足だったので、「明日のコンペは無理かも」と半ば諦めつつあったのは確か。それにしても今年の梅雨は台風あり、集中豪雨ありとすごい。

ところが翌日眼を覚ますと、雨はすっかり止んで空には薄日もさし始めていて。昼ぐらいからはと思っていたけど、想像以上に前線の移動が早かったということか。心配だったのが高速道路。調べると、中国自動車道の東城ICから東方面が通行止めになっていた。ゴルフ場がある庄原ICはそのひとつ西。なんかラッキーだなと。結局、天気は一日中不安定だった。

それで肝心のゴルフだけど、なんと優勝してしまった。8年間のブランクの後だっただけに嬉しさよりも驚きの方が強かったかな。再開後の2年間はほとんど100を切れておらず、とにかくアイアンが絶不調。打ったボールがどこに飛ぶのか分からないのでスコアメイクができないラウンドが続いていた。今年も今回までが101、105と低空飛行。優勝なんてまるで眼中になかった。

スタートホールが1mの短いパットを外してダボ。こりゃ今日もダメかなと思いきや、その後要所要所でパーオンしたり、長いパットが入ったりで前半が46。それが維持され後半も46でトータル92。ハンデが18なのでネットは2オーバー。まあ4、5位ぐらいには入るかなとは思った。自分の記憶では、このコンペでは過去の優勝者は全てアンダー。まさかオーバーで優勝できるとは。

帰宅して自分の書斎に並べられているトロフィーの日付を確認したけど、最後の優勝が2001年だったので、およそ10年振り。なんかねえ、大昔に購入したゴルフ会員権は、会費を払うのがもったいなくて、だいぶ前に休眠処理をしたっきり。最近は釣りがメインになり、ゴルフはまさに”お付き合い”程度だった。だけどこの優勝で少しはやる気が出てくるかも。

四十九日

2012-07-04 05:56:03 | 900 その他
先週の日曜日は5月14日に死去した母の四十九日。あっという間だったなあ。とにかく土日は貯金や墓の手続きに追われっぱなし。四十九日の法要についても、寺の住職に別件で相談している時に、たまたまその話になって。その場の勢いで法要の時間を決めさせてもらった。ちょうど四十九日目に行うことができたので、結果的にはとてもうまく事が運んだと思う。

当日の朝はあいにくの雨。まあ梅雨だから仕方ないのだけど。早朝からドタバタしながら、なんとか10時の開始に間に合った。出席者は親戚筋のみで16名。施主というのは気遣いが多くて、受け取った”御仏前”と”御布施”の数に過不足がないかを確かめながら、進行に気をつけつつ、終われば住職へのお礼等等、当然と言えども、なんか気が休まらなかった。

法要の後は皆で会食へ。店は寺から程近い、前にブログでも紹介したことがある鄙の料亭「地御前」。法事の後はここにしようとずいぶん前から決めていた。電話でしつこく頼んでいたこともあって、場所は離れの一番奥側。広さもちょうど良くて、南と東の大きな窓から瀬戸内海が一望できる。皆もとても喜んでくれて、ここらあたりからようやくリラックスできたかなって感じ。

献杯が終わると、いよいよその日のメインイベント。ただ飲んでしゃべってだけでは面白くないと、母の写真をスクリーンに映しながら昔話に花を咲かせてもらおうと考えて。残された写真から選んではスキャナで取り込んでプチスライドを作成。会場へコンサル用に使っているPC、プロジェクタ、スクリーンの3点セットを設置して、いよいよスライドショーがスタート。

企画は大成功だった。料理が終盤に差し掛かる頃には、酔いもまわって皆が上機嫌に。最後に全員で庭へ出て記念撮影を。雨もすっかりやんで、薄光が差し込む中、新緑がとても美しかった。人一倍天真爛漫な母だっただけに、こんな形で親戚が集う姿をとても喜んでくれたのじゃないかなと。お互いが冠婚葬祭ぐらいでしか顔を合わさないだけに、とても良いイベントになった。