或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

フォーライフ(24)

2006-07-09 06:12:28 | 020 小説「フォーライフ」
◆探偵物語
佐藤はその日、まだ夜が明けないうちに目を覚ました。頭がぼーっとしている。昨晩も目が冴えてなかなか寝つけなかった。今日は奈緒美の夫を尾行していく日。たっての頼みということは分かっているが、どうも気乗りがしない。会社には、親戚関係の用事で断れないと、すぐにもバレそうな嘘をついてきた。仕事好きで有給休暇をほとんど取っていないから、こういうことでもないと取れないし、その意味じゃ良かったけどと思いながら、身支度を急いだ。

出張が多く京都には土地勘がある。神戸から自分の車で京都へ。事前に奈緒美に詳細な地図を書いてもらい、彼女のマンション横の指定された場所に停車。着いたことはメールで知らせてある。確かにここからだと、遠目に玄関が見えるし、周りに車が多いから怪しまれない。

しばらく車の中でうとうとしていると、携帯電話が鳴った。佐藤はドキドキしながら受話器を取った。

「今日はありがとう、もうすぐ二人で玄関に出るからね」「分かった、それで?」「夫が駐車場の方へ行ったら、すぐ佐藤さんの所へ行くから、後を追っかけて欲しいの」「了解だよ」

佐藤は俄然力が湧いてきた。面白いもので、奈緒美の声を聞くと途端に元気になる自分が分かる。目が冴えてきたところで、玄関に男女の姿が見えた。

あれが奈緒美さんの亭主か、なんかギョウカイっぽいなあ、画廊経営とかしてると、あんな風になるのかなあ、あれは浮気をするタイプ、間違いない。そう思うのもつかの間、奈緒美がこっちに向かって駆けてきた。助手席のドアを開けてすばやく乗ると、キリっとした表情でこっちを向いた。

「佐藤さん、おはよう」「ああっ、おはよう」「あの角を左に曲がったら、その先が駐車場だから、その手前まで行って待ってましょう」「分かったよ、任せといて・・・」

車が見えた。あせるな。近づき過ぎてはいけない。昔よくTVで見た、松田優作のヒットシリーズ「探偵物語」の主人公の姿が頭をよぎる。佐藤は自分が探偵になったような錯覚に陥っていた。俺は工藤ちゃん、いや佐藤ちゃんだ。ハンドルを握る手に汗がにじんできた。味わったことがない緊張感の中で、なんとも言えない快感が体の奥底から湧いてきた。

◆東寺
広之から、美和子と一緒に山陰へ旅行すると電話があった後、片瀬は真由美にそのことを伝えた。案の定、真由美は二人を尾行したいと言い出した。店なんて、臨時休業にすれば何でもないと。雇われママなんて、気軽なもんだなあと思いながら、JR京都駅で待ち合わせすることに。真由美の変態としか思えない考え方に、知らず知らずのうちに馴染んでいる。

当日の朝早く、神戸から来た真由美をJR京都駅でピックアップ。せっかく京都に来たんだからと、観光気分満々の真由美を連れて東寺へ。広之が京都南ICから名神高速に乗ると聞いていたので、途中で立ち寄るには都合が良かった。この寺の正式な寺名は教王護国寺。平安時代に、羅生門の東に建立されたのでこう呼ばれている。空海が唐より帰朝後、真言宗の道場としたことで有名。南大門から一直線に並ぶ伽藍は荘厳で、中でも五重塔は京都のイメージにまでなっている。

二人は広い境内を足早に散歩した後、車に戻り伏見方面へ急いだ。広之が来る予定の時刻のおよそ30分前、ICの入口近くのコンビニに到着。美和子に顔を見られないよう、裏の駐車場で待つことに。

「ねえ、なんかワクワクするね」「俺は、ワクワクじゃなくて、ドキドキだよ」「あら、片瀬さんにドキドキは似合わないよ、ドキドキはトキドキにしてね」「お前なあ、ダジャレ言ってる場合じゃないだろう」「そう言いながら、けっこう楽しんでるくせして」

複雑な気持ちが交錯する中、隣りの真由美はやけに嬉しそうだ。その横顔は、まさに悪魔に見えた。

「なんかね、ゴシップとドライブの両方がいっぺんに楽しめるなんて、なかなかないよね、こんなの」「・・・」「そう言えば、京都で会うの初めてだよね、片瀬さんの車に乗るのも初めてだし」「これは俺の車じゃないよ、会社のを借りてきたんだ、お前と会うのは、神戸だけで十分だよ、こっちじゃいつ知り合いに見られるか気が気じゃないからな」「へえー、意外に肝っ玉小さいんだ」

そう話している時に、片瀬の携帯電話が鳴った。広之から、駐車場についたとの連絡が。片瀬は車のエンジンをかけ、コンビニの横の通路まで移動。しばらくすると、買物を済ませた広之と美和子が店の中から出てきた。片瀬にとっては見慣れた顔だが、一緒の姿を見るのは初めて。夢でも見ているような錯覚を憶えた。

「なんかキレイな人ね、奥さんて」「・・・」「幸せそうな顔してるね、二人とも」「そうかあ?」「やらせにしちゃ、雰囲気良すぎるんじゃない?」「・・・」「あれはできてるよ、間違いなく」「そうさせたからな」「違うわよ、やらせじゃなくてホンモノってことよ」「お前なあ、俺を怒らせたいのか?」

じきに広之と美和子が乗った車が動き始め、片瀬は後を追う。その時、自分達と同じように後を追う、もう1台の車には気づかなかった。3台の車は名神高速に入り西に向かった。空に垂れ込めていた雲が薄れ、澄んだ晴れ間が拡がりはじめた。


フォーライフ(23)

2006-07-09 06:10:05 | 020 小説「フォーライフ」
◆皆生温泉
広之は朝から気持ちが高ぶっている。片瀬には電話で事前に行くことを伝え、了解をもらっている。。友人の妻とのお忍び旅行。今までに経験したことがない、普通ではあり得ないシチュエーションだが、その新鮮さが彼を熱くしていた。目的地は山陰にある皆生温泉。鳥取県の西部に位置し、日本海に面している。雑誌で見つけて、いつか行ってみたいと思っていた所。

周囲に特別な観光名所があるという訳ではないが、近くに山陰最大の漁港、境港(さかいみなと)があり、新鮮な魚介類が集まることで有名。それとこの周辺は、隠れファンがいるぐらいの酒どころだと、ガイドブックに載っていた。造り酒屋をぶらりと見学して、早めに旅館に入り、貸切露天風呂でゆっくりしようと考えていた。

妻には、神戸の得意先と接待がてら泊りでゴルフに出かけてくると伝えてある。そのために、昨晩わざわざ倉庫からゴルフクラブを引っぱり出し、妻の前で入念な手入れをした。ちょっとやり過ぎた感もある。当日の朝、妻がマンションの玄関まで見送ってくれた。自分も友人と遊びに出かけるからと、化粧も着替えもキチンと済ませて。こんなことは珍しい。

「いってらっしゃい、気をつけてね」「ああ、まあ仕事みたいなもんだからね、何かお土産買ってくるよ」「何か食べ物がいいなあ」「分かったよ、名産品でも探すからね」

いつになく機嫌がいい妻の笑顔に何の疑問も持たず、手を振りながら歩いて駐車場へ。ゴルフバッグをトランクに積み、広之は美和子をピックアップするため、JR京都駅の新幹線口から程近い、新・都ホテルに向かった。平日の午前中にしては道路はそれ程混雑していない。30分程でホテルに到着し、裏手に車を止め、携帯電話で美和子を呼び出した。

「今ロビーにいるの、何処にいるの?」「うん、正面玄関を出たら左の方へ歩いてくれる?信号がある最初の角を左に曲がったところで待ってるから」「えっとえっと、こっちの方ね、・・・、角に着いたけど、左の方ね、あっ見えたわ」「こっちも見えたよ・・・」

それにしても便利な世の中になったものだと、広之は車の中でバックミラーを見ながら苦笑した。昔は人目を忍ぶのに、どんなに苦労したことか。場所、時間、連絡方法等々。それが今は、人目につかないビルの裏手で受話器片手にラクラクと。浮気を隠す革命だな、と思った。ただこの時、浮気をバラす革命でもあったことには気づかなかった。

車のCDからは、広之が今日のために特別に持ってきたCD、ブラジルのシンガーソングライター、イヴァン・リンスへのトリビュートアルバム「Love Affair」が流れてきた。“Love affair”って、確か浮気っていう意味だったよなと、わざとらしく思い出した。

A Love AffairA Love Affair

◆B’z
貴美子はようやく実現した植田との小旅行が嬉しくてたまらない。待ち合わせ場所は、阪急三宮駅の近くで、生田神社の裏手。目立たない路地でピックアップしてもらい、植田のBMWに乗り込むと、ニコニコしながらすぐに話かけた。

「ねえ、今日の予定はどうなってたっけ?」「どうって、お前が決めるって言ってたじゃないか」「あれーっ、そうだっけ?高速に乗るんだよね」「そうだよ、でもダイレクトに湯郷温泉に行くの?近くになんか観光名所でもあるの?宿へ直接行くんじゃ時間的に早すぎるよな」「えーとねえ、温泉に行く前に寄りたい所があるんだ」「何処だよ?」「あはは、津・山・市」「津山市?知らないなあ、温泉の近く?」「そうだよ、たぶんすぐ近く」

植田は、貴美子がもじもじしているのを見て、この女にもこういう所があるんだと可愛く思った。

「それで、そこに何があるんだよ?」「これ言うと馬鹿にされるかなあ」「いいよ、お前のそういうところ、慣れてるから」「そんな言い方しなくていいじゃない、あのね、稲葉浩志の実家があるの」「稲葉浩志?誰だよ、そいつ?稲葉国光と森山浩志なら知ってるけど」「知ってると思うよ、J-POPの人気ロックユニット、B’zのヴォーカル」「あー、アイツかあ、最初からそう言えばいいのに、でも実家を見たいなんて、お前って高校生並みのミーハーだなあ」

植田はそう笑いながら答えた。いかにも貴美子らしい。信号待ちで地図を確認すると、確かに湯郷温泉から近い。このまま中国自動車道に乗り、津山ICで降りて実家見物でもして、のんびり県道を通って湯郷温泉に行けば、夕方のいい時間になる。

「だけど、実家って何かあるのかよ、まさか本人はいないだろうし」「それがね、けっこう・・・」

貴美子は、稲葉の実家が化粧品店で、息子の影響でかなり有名になり、最近じゃ津山市の観光名所にもなっている。 そこでは、両親の親切で、彼の幼い頃のアルバムを見たり、本人着用のジャンパーを着て記念写真を撮ったりできる。さらに市の観光センターに行けば、「稲葉浩志君のメモリアルロードマップ」という地図までもらえることを、得意そうに話した。

植田は、そのついていけない熱っぽさに呆れ果てながら、まあハッキリした目的があるってことはいいことだとヘンに納得した。車は新神戸トンネルに入り、箕谷ICから北神バイパスへ。しばらくすると中国自動車道の神戸三田ICの看板が見えてきた。

THE CIRCLETHE CIRCLE

フォーライフ(22)

2006-06-23 06:43:16 | 020 小説「フォーライフ」
◆嵯峨野
奈緒美は、夫の車に見知らぬ女が乗っているのを目撃してから、そのことが気になってしょうがない。気づかれないように陰から見ていたが、二人の表情や仕草から、はっきり分かる。あれは絶対に男と女の関係。女の勘というやつだ。どうしても気持ちを落ち着かせることができず、佐藤を誘った。これまでは必ず佐藤からだったが、今回は初めて自分の方から。

隣りにいる佐藤のことを忘れてぼんやりしていると、タクシーがゆっくり止まった。着いたのは、嵯峨野にある宝筐院(ほうきょういん)。平安時代に白河天皇の勅願寺として建立され、その後貞治五年(1367)、足利義詮が没した時に菩提寺に。名前は義詮の院号である宝筐院にちなんでいる。晩秋のこの時期でも、ここだけは紅葉が残っていると友人から聞いて、是非見たいと思っていた。

古風な門をくぐると、そこは別世界。自然に感嘆の声が出る。友人の言葉が納得できた。散りかけた紅葉やカエデと、散った落ち葉とのコントラストが見事。心のもやもやが、しばし遠のいて、季節を楽しむ素直な気持ちが溢れてきた。

「どうしたんですか、わざわざ呼び出して」「忙しかったでしょ、悪かったわ」「いや、まあちょっとは無理したけど、出張に合わせることができたんで、気にしなくていいですよ」「良かったわ、実はね、ちょっと相談したいことがあって・・・」、平日の夕方のせいか、見物客も少ない。まさに秋が終わって冬がはじまる、そういう雰囲気が二人を包んだ。

「あのね、こんなこと言いにくいんだけど、なんか夫がね、浮気しているみたいなの」「浮気?、画廊を経営しているっていう旦那さん?」「そう、この間ね、出張するっていって家を出たのに、京都の街中で偶然見かけたのよ。綺麗な女の人と一緒のところを」「でも、それだけで浮気してるって?」「女ってね、特に私はね、そう言う所が鋭いの、すぐに分かるのよ」「へえー、そうなんだ」

そう答えながら境内を歩いていると、向こうから中年の男と女の二人連れが歩いてきた。佐藤は別段何も感じなかったが、すれ違った後に奈緒美は立ち止まり、振り返りながら話しかけた。「あの二人ってカップルよ、間違いないわ」「ええっ、そうなの?」「ほら、今手をつないでいるでしょ?」「ほんどだ、さっきはちょっと離れて歩いていたのに」「ねっ、女の人の目つきが違うんだから、潤んでいて・・・」「なんか、細木数子みたいだなあ」

「それでね、頼みたいのは、二人の関係を確かめたいのよ」「今から後を追いかけるってこと?彼らの?」「違うわよ、あの二人じゃないの、夫とその女性」「ああそうか、そうだよな、何勘違いしてるんだろ」「ううん、いいの、それが佐藤さんだから」「でもどうするわけ?」「今度夫が出張するって言い出したら、佐藤さんに連絡するから、二人で夫の車の後をつけたいの」「ええっ、それって、なんか探偵みたいだね」「そうね、でも私もう、このままじっとしていられないから」

そういう奈緒美の話を聞いて、佐藤は自分の仕事の都合を心配している場合じゃないなと思った。「わかったよ、それじゃ連絡を待ってる」「助かるわ」「いや、奈緒美さんのためなら何でもするよ」「ありがとう・・・」、佐藤はまだ奈緒美と男と女の関係になっていないのに、それ以上の緊密な絆を感じた。

佐藤は教訓を学んだ。自分の大事な都合を犠牲にできなければ、浮気をする資格はない。


◆銀閣寺
ある平日の昼間、広之は美和子に誘われ”哲学の道”を歩いていた。亭主が神戸へ出張したと、美和子から連絡があったのが一昨日。亭主の片瀬には、それを事前に電話で連絡していた。

それにしても不思議なシチュエーション。友人の妻の誘惑を頼まれるなんて。しかもその妻が、魅力的な美人。アプローチが、あまりにも順調すぎて怖い。ホテルで一夜を共にしてからというもの、美和子は自分に対しビックリするぐらいオープンになっている。あくまで友人からの依頼に基づく演技、それをつかの間の遊びとして楽しめばいい、と割り切ってはいるが、片瀬にも美和子にも、なんとなく後ろめたい気持ちは湧いてきていた。

小川のせせらぎの音を聞きながら、小さな土産物屋が連なる細い道を歩いていくと、右手に広い参道が見えてきた。

「広之さん、良かったら最後に銀閣寺を見てから帰りませんか?」「ええ、いいですよ・・・」「なんかね、お天気もいいし、ぽわんとしたい気分になっちゃった」「ぽわんですか・・・」、南禅寺を始点とするならば、銀閣寺は哲学の道の終点。広い境内に入ると、飾り気のない素朴さが、落ち着いた風情を感じさせる。東山文化の、さりげない“わび・さび”の世界が漂っていた。

「私ね、金閣寺よりも銀閣寺の方が好きなの」「へえー、でもどうして?」「なんか、落ち着くでしょ、こっちの方が」「確かにそうかもしれない、女性の美しさが引き立つような気もするなあ」「うまいわね」「いや本当にそう思うから・・・」

そう笑って話しながら、広之が銀閣の由来にもなっている二層楼閣の観音殿を見上げた時に、曇った空がちょうど明るくなり始めていた。太陽の近くの雲が銀色に輝いている。銀閣寺で銀色の雲かあ、なんかつながってるなあと苦笑いしながら、有名なヴォーカルアルバム、「Chet Baker sings」の古いミュージカルナンバー、”Look for the silver lining”を思い出していた。

「ねえ、広之さん、今度良かったら温泉にでも行きませんか?」「へえー、美和子さんから誘ってくれるなんて、なんか嬉しいな」「別に特に行きたい所がある訳じゃないんだけど、1泊ぐらいでゆっくりしたいの」「いいですよ、ちょっと心当たりがあるから」「へえー、何処?」「山陰ですよ、日本海に面した温泉、鳥取県にある・・・」

広之は、数ヶ月前に書店で立ち読みした雑誌の特集記事を思い出していた。こんな所にカップルで来て、二人で貸切露天風呂なんかに入ったら、さぞかし楽しいだろうなあと、ちょっとした妄想をしたのを思い出す。それがどうだ、今まさに実現しようとしている。美和子と旅行、それも京都を離れて山陰へ。ちょっとした妄想というのは、ほとんど現実にちかい。

広之は教訓を学んだ。自分の些細な妄想を現実にできなければ、浮気をする資格はない。



Chet Baker SingsChet Baker Sings

フォーライフ(21)

2006-06-23 06:41:05 | 020 小説「フォーライフ」
◆100万ドルの夜景
六甲オリエンタルホテルは、六甲山の山頂近くにある。神戸から車でくねくねした道路を登っていくと、ホテルまでおよそ40分。大阪湾を見下ろすその眺めは素晴らしい。植田は、このホテルを使うときは必ず大阪側で、しかもなるべく上の階の部屋を予約することにしている。その方が夜景が存分に楽しめるから。こういう細やかな気配りが、自分の強みだと自負もしている。

車を駐車場に止めてロビーで受付を済ませ、二人はちょうど部屋にチェックインしたところだった。日が暮れてからそんなに時間は経っておらず、空は群青色に染まっている。大阪湾をぐるりと囲むように光り輝く、街の灯りがキラキラと美しい。

「ねえ、ここからの眺め、100万ドルの夜景ってよく言うじゃない、どういう意味か知ってる?」「知ってるよ、神戸生まれの神戸育ちだよ、ネイティブにそんな質問するなよ」、戦後間もない頃、六甲山から見える電灯の数が500万個近くなり、それにかかる電気代が1ヶ月で約4億円、当時1ドル360円の為替レートで計算すると、約100万ドルになったという話を、植田は貴美子に得意げに説明した。

「あのね、そうじゃないの」「ええっ、違うのかよ」「宝石箱の中にあるダイヤとかが、沢山の星のようにキラキラ輝いているってことよ、憶えておきなさい」「おかしいなあ、俺の話は信憑性あると思うけど・・・」「また何処か地元のお年寄りに聞いたんでしょ、ダメよ、そんな話にだまされちゃ」「・・・」「まあ、このクロスのペンダントは、その中のひとつってとこかなあ」「はあー?そんなにいっぱい宝石持ってるわけ?」「違うわよ、これから増えていくってこと、あはは」

植田は教訓を学んだ。女の勝手な妄想を受け入れられなければ、浮気をする資格はない。

「ねえ、旅行に行く話どうなった?」「ああ、あれか・・・」「忘れてたんでしょ?」「そんなことないよ、最近いろいろ忙しかっただけ」「それで・・・」「なんとか行けそうだよ、仕事が一区切りついたから、ちょっとはゆっくりできそう」「ゆっくりって、どのくらい?」「1泊2日かなあ」「ええーっ?1泊だけー、ぜんぜんゆっくりじゃないじゃない、なんて私もそのぐらいしかダメだけどね」

貴美子は、ようやく実現しそうな小旅行の話に、自然と顔がほころんだ。

「それじゃ、前に話した岡山の湯郷温泉でいい?」「ああ、いいよ」「それじゃ、来週の木金ぐらいでどう?旦那が出張なんだ」「それなら、ちょうどいいな、得意先へのシステム納入がその前に終わるから」「やったあー、いいな、いいな、嬉しいな」「ご主人の方はいいの?」「任せてよ、まあ出張だし、とにかく疑うことを知らないのよ、あの人」

貴美子はニコニコしながら窓から外を眺めている。上機嫌なのがよく分かる。胸元のペンダントから放たれるダイヤの妖しい光と、窓から見える街の灯りの色合いがよく似ていた。部屋のスピーカーからは、アール・クルーのアコースティック・ギターによるソロ、セルジオ・メンデスが作曲したバラード、”So many stars”がしっとりと流れていた。

Solo GuitarSolo Guitar

◆芦屋市立美術博物館
真由美は、出張してきた片瀬を誘った。芦屋川沿いを散歩し、着いた所は美術博物館。十数年前に市制施行50周年の記念事業として建設された。隣りには谷崎潤一郎記念館もある。最近は市の財政難のため、民間への身売りも噂されていて、平日は訪れる客がめっきり少ない。

「この間の美術館に裸婦の絵があったでしょ、作者の名前憶えてる?」「いや・・・」「あれね、小出楢重っていう画家なのよ」「実はね、この近くに仲のいい友達が住んでいて、うちの近くにも、その画家の作品がたくさんあるよって教えてくれて」「お前気に入ったのか?」「違うわよ、片瀬さんでしょ、気に入ったのは、私のお尻に似てるって、じっと見入ってたじゃない」「・・・」

しばらく館内を歩いていると、小さなガラス絵が目に入った。絵の横には、「ソファーの裸女」(1930年)と書かれたプレートがあった。片瀬は、さっき真由美が話していた絵を思い出した。「前よりちょっと太ってるな」「失礼ね、言っとくけど、これ私じゃないからね」「ああ、ごめん、なんかヘンな錯覚をしたな」「まあ、ここに連れて来た私が悪いんだけど」

確かに似ている、同じ画家だ、同じモデルなんだろうか?真由美はここまで太っていない、ただ尻の形がよく似ている、そう思いながら、片瀬はまた絵にじっと見入った。

「その画家とこの博物館とどういう関係なんだよ」「聞いた話じゃね、もともと大阪出身らしいんだけど、芦屋が好きになって、晩年はこの近くに住んでいたらしいよ、すぐ隣りに再現されたアトリエもあるらしいから」「へえー」

「ところで、あの話どうなったの?奥さんに浮気させる話」「ああ、一応友達に頼んだ」「へえー、スゴイじゃない、ホントにやるとは思わなかったけど」「お前なあ・・・」「そんな、怒らないでよ、ただ感心してるだけ」「どうなるかは、よく分からん」「その友達ってどんな人?」「悪友だよ、昔の麻雀仲間」「へえ、堅物の片瀬さんにそんな友達いたんだ」「まあな・・・」

真由美の話を聞きながら、あせって広之に頼む必要はなかったかなと少し後悔した。真由美と一緒に博物館を出ながら、何が自分をそうさせてるんだろうと、自分に対する疑問がふつふつと湧いていた。いや、いいんだ、これで。

片瀬は教訓を学んだ。女の適当な欲望を受け入れられなければ、浮気をする資格はない。

「なんか興味湧いてきたなあ、今度さあ、その友達と奥さんが会っている所をこっそり見てみたいよ」「お前なあ、頭がおかしいだろ?」「何言ってんのよ、岩井志麻子よりましよ」「誰だよ、そのなんとかシマコって」「女流ホラー作家だよ、なかなか過激でぶっ飛んでんのよ」「知らないなあ、でもこっそり見るってどうやるんだよ」「えーとねえ、例えばさあ、二人が車で遠出した時に、こっちも後ろから尾行するとかね、ドライブと思えば面白いんじゃない?」「お前ヘンだよ、発想がヘン・・・」

片瀬は、真由美にそう言いながら自分もヘンだと思ったが、これまでに経験したことのない罪悪感が何故か妙に楽しくもあった。「それじゃ旅行とか誘わせてみるよ、俺は出張することにして」「すごい、だんだん乗ってきたじゃない」




フォーライフ(20)

2006-06-09 06:23:34 | 020 小説「フォーライフ」
◆ゴッホ美術館
広之が初めて美和子を見たのは、片瀬から依頼があってから1週間後。華道教室の場所と曜日を教えてもらい、終わる時間に合わせて、ビルが見える喫茶店で待っていた。驚いたのは、大学の同級生の藤田がそこから出てきたこと。あやうくコーヒーをこぼしそうになった。しばらくすると美和子が他の女性達と一緒に現れて。藤田とも親しそうに話をしていた。

「そうか、藤田の奴、華道教室に通っていたのか、あいつらしくもないな」、と苦笑いをしながら彼らの後ろ姿を見送った。駐車場に戻りながら、これを使わない手はないと思った。どうやって美和子に近づこうかと思案していた矢先。美和子が藤田と知り合いというのは、神様がくれたプレゼントだと思った。

それからは話が早かった。美和子が、藤田が勤める京都国立近代美術館で開催されているゴッホ展へ行く予定があることを片瀬から聞き、時間を調整して待ち伏せを。藤田に気づかれないように館内に入って、さりげなく様子を伺っていると美和子が玄関に。後は彼女が気に入った絵に見入っている時に、人の名前を使って藤田を呼び出し、おもむろに出ていけばOK。

美和子は、絵を観ながらゆっくり歩いている。20分ぐらい経った時、足が止まった。ゴッホの「アーモンドの花」。広之は、なんて巡り合わせなんだとビックリした。大学の文学部で美術史を専攻し、今は画廊を経営している、言わばこの道のプロ。展示されている作品なら、どれでもそれ相応の解説ができる。ただこの絵には特別な想い出があった。

あれは10年ぐらい前、商品の仕入れのためにヨーロッパへ。仕事が済んで帰国する時、スキポール空港のあるアムステルダムでストップオーバーのため1泊。その時にゆっくり見たのがゴッホ美術館。平日なのに開館前からたくさんの人が行列を作って並ぶぐらいの人気。生涯を年代順に追う形で作品が展示されており、ゴッホの全貌を知るには最高の場所。

その中でとりわけ魅了されたのが、この「アーモンドの花」。ちょうどフロアの端にあり、通路の窓から淡い光が差し込み、そのブルーが一段と鮮やかに見えた。その時のことは、今でも鮮明に記憶に焼きついている。そして帰りに美術館の近くで買ったのが、当時つき合っていた女性へのお土産で、デルフト焼きの小物入れ。同じものをペアで買ったのが懐かしい。

広之は「アーモンドの花」に、どうにもならない因縁のようなものを感じていた。

◆エステサロン
真由美は年を取ったせいか、最近特に目尻の小ジワが気になっている。亭主がハッキリ口に出すからムカつく。浮気をしているお前にそんなことを言う資格はない、とハッキリ言ってやりたいところだが、残念ながら確証を得ていない。くそー。それに、悔しいが確かに当っている。それだけによけい腹が立つ。この手の恨みはヘドロのようにたまるから、後々かなりヤバイ。

ある日の夕方、仕事に行く途中で、ふと見つけたのがエステサロンのリニューアルの看板。名前を聞いたことがあった。大手チェーンのフランチャイズ。そう言えば、店の女性客との間でも、アンチエイジングとか、エステの話がちらほら出る。そんなことにお金を使ってと、若い頃は馬鹿にしていたが、年を取るとそうも言っていられない。

「へえー、近くじゃない、何々、お試しコースがあるの?」「時間もあるし、ちょっと寄ってみるか」と独り言をつぶやきながら、ビルの2Fにある受付へ。ドアを開けると、顔はイマイチだがキレイな白い肌をした、若い従業員が笑顔で出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ、どうぞこちらに」「いえ、あのね、ちょっとどんな感じか寄ってみただけなんだけど」「ありがとうございます、コースをいろいろ取り揃えていますので、お客様のお好みに合わせて・・・」「あら、そーお、どんなのがあるのかしら」、そう答えながら、しっかり椅子に腰掛けて、手渡されたメニューを詳細にチェックするフリをしていた。

実は店に入る前からコースを決めていた。看板に出ていたキャンペーン、“美肌JuJuコース”。通常2万円のところを、95%オフのお試し価格で、なんと千円ポッキリ。これはお得、やってみるしかないじゃんと、目の色が変わっていた。部屋に案内され、エレクトロクレンジング、グローブ、JuJuマスク、海藻パックと、どれも初めての経験。従業員にキレイになってますよとおだてられると、10歳ぐらい若返ったような気持ちに。この手の錯覚は回転寿司の百円皿のようにたまるから、後々かなりヤバイ。

すっかり気持ち良くなってロビーに戻り受付で支払いをしていると、艶っぽい声が聞こえた。

「今日はどうも有り難うございました、いかがでしたでしょうか?」「ええっ?どうって、なんか気持ちは良かったけど」「エステは技術と心が命、誰でもできるという訳ではありません。当店では、熟練したエステシャンが誠心誠意、お客様に満足していただけるよう努力しております、これからもよろしくお願い致します」「あ、そう・・・、検討させてもらうわ」

ややショートカットで、派手な中にも、いかにも店長といった落ち着いた雰囲気。喋り方が女優の米倉涼子にどこか似ている。胸元からダイヤのクロスの妖しくまぶしい光が。ピンクのワンピースの制服の胸には、マネージャー、そして佐藤と書かれた名札が。たぶん自分の亭主の好みのタイプだろうなと思いながら店を出ると、辺りはもう暗くなり始めていた。

いつもより少し遅れて店に着き、カウンターの掃除をしながら最初のCDをかけた。テナー・サックスの鬼才、ウェイン・ショーターの「JuJu」(1964年)。5曲目の“Yes or No”を聴きながら、やっぱりYesかなあと、エステに通うことを決めながら、妙に印象に残った店長の顔を思い出した。


Wayne Shorter JuJuWayne Shoter JuJu

フォーライフ(19)

2006-06-09 06:21:32 | 020 小説「フォーライフ」
◆藤島武二
佐藤は出張で東京に来ていた。芦屋のローカル洋菓子店が、顧客第一という経営理念が浸透し、時代のニーズにマッチした商品を次々に生み出している。生菓子、焼菓子の品揃えも豊富で、老舗でありながら、既存の概念にとらわれず、現場の声を迅速に商品開発にフィードバックしているのが強みのひとつ。店舗展開も、京阪神のみならず、ついに最近東京に進出した。

ずっと京阪神担当の佐藤は、この店に来るのは初めて。新しい受注管理システムの導入についての打合せで、急拠出張することに。銀座メルサの近く、表通りから少し入ると、一見パリのアパルトマンを思わせるクラシックな外観に驚かされた。さすが銀座、同じ店でも雰囲気が全然違う、と感心しながら店内へ。1階は洋菓子売場で、地下は喫茶スペースになっている。お客にゆったりとした時間を過ごしてもらえるよう書庫を配置するなど、「おもてなし」の空間が演出されていた。

神戸から新幹線に乗っている間も、奈緒美のことが頭から離れない。顔が眼前に浮かんでは消える。それに合わせてコンサートで聴いたヴァイオリンの音色も聴こえてくる。夢中になっている自分に分かってはいるが、どうしようもなかった。

「今日はどうも有り難うございました」「いや、詳しい人間が直接説明した方がいいだろうということでね、僕が来たんだけど」「いろいろよく分からないところがあったから助かりました、システムの使い方がよく分かりました」「そう言ってもらえると嬉しいよ」、さすが東京の女性は化粧が上手いなあと思わせる、若くて綺麗な店長の笑顔がさわやかだった。

「今日はトンボ帰りなんですか?」「そうだよ」「まだ時間が早いのに」「まあね、でも東京をよく知らないから、いてもしょうがないし」「それだったら、近くに美術館があるから、ちょっと寄ってみたらどうですか」「美術館?」「ええ、ブリジストン美術館」

佐藤は美術に興味はなかったが、帰り道だし、たまには気分転換もいいかと思って、立ち寄ることに決めた。八重洲方面へ10分ちょっと歩くと美術館のあるビルへ。入口のポスターを見て、藤島武二の回顧展が開催されていることを知った。

ビルの外からは想像できないシックな館内に戸惑いながら歩いていると、一枚の油絵の前で釘付けに。「イタリア婦人像 1909年」と書かれたプレートを見ながら、妻にあまりにも似ていたので背筋がビクっとした。ずっと眺めていると、何か自分と奈緒美のことを見透かされているような、そんな気分になったので、急いでその場を離れた。


◆フィットネスクラブ
奈緒美は最近太りぎみが気になっている。特に肩の後ろやお腹の周りがダブついてきているのが自分でもハッキリ分かる。これまではそんなには気にしたことはなかった。というのも仕事に支障がないから。ショーケースで対面販売をしているから、客からは胸元から上しか見えない。たまに若い店員から冷やかされて気にするぐらい。夫も自分に興味がなくなったのか、全く気にする素振りを見せない。だから太ることについて危機感は全く感じていなかった。

とは言え、自宅には通販で購入した“健康バイク”が一応ある。運動専用据え置き型自転車。使ったのは最初の数ヶ月だけ。体脂肪が燃焼し始めるのが、有酸素運動を開始してから約20分後。だけどそれまで我慢してペダルを漕ぐことがなかなかできなかった。すぐに根気がなくなって。今では放置したままホコリをかぶっている。よくあるパターン。

ところがこの間、佐藤とコンサートの帰りに並んで歩いた時、彼が長身でスリムな体型のせいもあるが、街灯に照らされた影の太さが倍半分違うのを見て、自分でも空恐ろしくなった。いつか彼から言われるんじゃないかと心配でしようがない。

佐藤が洋菓子店の営業マンというのも、ある意味つらい。いつもお土産に洋菓子をたくさん持ってきてくれるのは嬉しいが、見てしまうと食べずにいられない。これって?ひょっとしてお菓子系過食症?と思うくらい食欲が湧いてくる。

「佐藤さんかあ、サトウって甘いから、なんかまずいなあ」「夫への不義に耐えられないから、なんて理由ならいいけど、つき合うと太るからなんて理由、なんか冴えないわ」、と独り言をつぶやきながら、持って行き場のない悩みにいらいらしていた。最近“満腹30倍”という名前のダイエットキャンディを買って食べてはみたものの、食欲がおさまる兆しは全くない。

悩んでもしょうがないし、気分転換でもしようと、たまたま夫がプレーヤーに入れていたCDを聴いてみた。いきなり太く乾いたファンキーなテナー・サックスの音色がどーんと飛び込んできた。ジャケットを見ると、スタンレー・タレンタインの「sugar」と書いてある。「シュガー?、あらこれも“佐藤”つながりなのかしら?」、と奈緒美は親父ギャグの連発に、自分でもあきれ果てた。

店からはちょっと離れた、京都市役所の近くにあるフィットネスクラブに通い始めたのはちょうどその頃。その若い同僚の店員が紹介してくれて。夫には内緒にしている。体型を気にしていることを知られるのがいやだから。ある日トレーニングを終えてビルを出た時、近くの路上で、見慣れた夫の車から、見知らぬ女が降りるのを目撃したのは、それから数週間後だった。

sugarsugar

フォーライフ(18)

2006-05-26 06:26:11 | 020 小説「フォーライフ」
◆無伴奏ヴァイオリンパルティータ
佐藤にとって今日は特別な日。奈緒美との初デート。この間ホテルでの新製品の展示会に奈緒美が来てくれて以来、すっかり二人は打ち解けている。そんな中、出張の日が、たまたま奈緒美の休日に重なり、一緒にコンサートに行くことに。

久保田巧(くぼた たくみ)のヴァイオリン独奏。プログラムは、バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ全曲。実はちょっと前に、たまたま入ったCD屋で彼女のアルバムをジャケ買いしていた。その愁いを帯びた顔の表情と、えんじとグリーンのくすんだ色調に魅了されて。聴いてみると、欧米の巨匠のようなテクニックやスケール感はないものの、淡々とした、ていねいなフレージングが素晴らしく、最近の愛聴盤になっている。

京都コンサートホールは北山通りに面していて、府立植物園のすぐ側。会場のアンサンブルホールムラタと呼ばれる小ホールは、席数が約500で、独奏や室内楽を聴くにはちょうどいい広さ。開演30分前に、二人がタクシーを降りて会場に入ると、もう客席はほとんど埋まっていた。

「私、結婚してからクラシックのコンサートに来るのは初めてよ」「えっ?音楽好きじゃなかったの?」「好きだけど、夫がジャズ一辺倒だから。昔ピアノを弾いていたの」「へえー、カッコいいなあ、でも分かんないんだよね、ジャズって」「実は私もなの、なんだか難しくって」。そう話をしていると、開演のブザーが鳴り、ステージに久保田が現れた。ほっそりした体型に、赤のドレスがよく似合う。そうか、彼女は奈緒美さんに似ていたのか、と佐藤は心の中で思った。

演奏が始まると、ヴァイオリンの美しい音色がホールに響く。ライブならではの緊張感もあってか、佐藤は胸が熱くなっていた。そして最後の曲、有名な2番ニ短調の演奏が始まると、とめどもなく涙が溢れてきた。奈緒美は、そんな佐藤の顔を横目でじっと見ている。

「いや、今日は恥ずかしいところをみせちゃったなあ」「あら、そんなことないわ」「いや、普段人前で泣くなんてことは絶対にないんだけど」「そんなに感動したの?」「うん、それもあるけど、奈緒美さんと一緒だったから、最初からテンパってたのかなあ」

二人はホールの外に出て、舗道を歩いた。佐藤は、奈緒美に対して特別な感情を持っているのが自分でもハッキリ分かった。

◆サウナ風呂
片瀬は悩んでいた。浮気をするようにしむければいいという、真由美の悪魔のような一言。それが頭から離れない。妻に不満はない。出張から疲れて帰宅した時は、いつも優しい笑顔で迎えてくれる。料理も上手い。和服が似合うところも気に入っている。日本の“和み”を感じさせる女として尊敬もしている。しいて止めて欲しいのは、少女漫画に熱中しすぎるぐらいか。

いっそのこと真由美と別れようか、と思ったりもしたが、プロ相手じゃなく、40歳を過ぎて初めて素人の女を知った片瀬には、今すぐ別れられる程、冷静になれるはずがなかった。若い時に遊んでいないと、こういう時にはかなりヤバイ。

「全然気にすることなんかない」と“強気”の自分がけしかける。「いや、後が大変だよ、奥さんに全部話して謝してもらうべきだよ、今しかないよ」と“弱気”の自分が横から泣きついてくる。

「浮気も着せ替えケータイみたいなもんで、その時々で適当に楽しめよ、いい刺激になると思えばいい」「半年ポッキリ楽しんで、スカっとやめろよ、それならバレないし、男の甲斐性ってもんだ」、とロバート・デ・ニーロのモノマネをしているお笑い芸人TERUが得意とする、葉巻を持った手のひらを上に向け、目じりを下げるポーズを取りながら、“ノー天気”の自分が、なだめに入ってくる。

額に汗がにじんできた。体が熱くなっている。悩みすぎて体の具合もおかしくなったのかと頭を抱えた。すると頭皮がずるっと動いた。「なんじゃこりゃー」と松田優作風に叫んだところで我に帰った。

片瀬は自分がハマームと呼ばれるトルコ式のサウナに入っていること、それにカツラをつけていることを忘れていた。すぐにアートネイチャーの新製品“ヘア・フォーライフREX”の位置を手で修正。幼児系女子プロゴルファー横峰さくらの父親、通称“さくらパパ”が最近CMで宣伝していたので衝動買いしたが、どうもフィットしていないと思いながらサウナを出て休憩ルームへ。

ちょうどオダギリジョーが出演しているライフカードのTVCMが流れていた。2枚目のくせに変に3枚目ぶる、あのチャラけた演技が、愚直な自分には気に入らない。「そう言えばさっき現金がなくて、そんなカードを使ったな」、と“フォーライフ(For Life)”と印刷された別の会社のキャッシングカードを思い出した。「ワイフじゃなくてライフか、まあどっちもいろいろややこしいな」と、独り言をつぶやいた。


フォーライフ(17)

2006-05-26 06:25:05 | 020 小説「フォーライフ」
◆黒田清輝
広之は、自分の画廊で1枚の油絵を見ながら、妻を誘惑してくれないかと頼んできた片瀬の顔を思い出していた。

実は二人は同じ大学の出身。片瀬は工学部で、広之が文学部。総合大学といっても、理系と文系の学生は、クラブでも一緒でない限り知り合いになる機会は少ない。出会ったのは、教養部1年の時。十数年前に大学設置基準の大綱化に伴い、教養部が廃止されたため、今では幻の学部。教養部の2年間は、理系の人間が文系の講義を受けに来ることも珍しくなかった。

当時片瀬は深層心理に興味を持っていて、文系を対象に設定された講義を受けにきた。そのうちグループ討議をすることになり、4人ずつに分けられて。顔を見たのはその時が初めて。いかにも理系で頭の固そうな雰囲気。広之が所属する軽音楽部のバンドでドラムを叩いていた同級生がいたので、たまたま同じグループに。

こんないきさつだから、半期の授業が終わればグループも解散、メンバーともそれっきりというのが普通だが、このグループは今でも続いている。それはマージャン仲間になったから。授業が終われば必ず雀荘に行ってマージャンをした。負けるのは、いつも決まって片瀬。テンパると、顔の表情に露骨に出るし、手が小刻みに震えだす。実に分かりやすかった。

卒業しても、年に1、2回は集まっている。ただしつきあいはマージャンだけ。勤務先ぐらいは知っていたが、年賀状を出す訳でもなく、それだけのつきあいと言っても過言ではなかった。そんなある日、片瀬から電話が。話を聞いてビックリした。最初は神戸の女と別れたほうがいいと忠告したが、結局しぶしぶ引き受けた。今は舞い上がっているので、一度痛い目に会った方が後々いいかもしれない、いざとなれば自分が出て行って収拾すればいい、そんな考えもあった。

それで驚いたのは、美和子が美人だったこと。華道教室が終わった後、ビルから出てくるのを待ち伏せ、和服姿の彼女を初めて見た時に、ちょっと複雑な気持ちに。学生の頃からそうだったが、女を外見で選り好みするタイプ。冴えない相手だと、どうしても手抜きで雑になる。その点は問題ないと安心したが、逆にこっちがのめり込みはしないか、それが心配になった。

それと、もっと驚いたのは、彼女が最近手に入れた油彩画「婦人肖像」の女性によく似ていたこと。黒田清輝の作品で、有名な「湖畔」と同じ照子夫人がモデル。100年も時代が違うんだぞと自分に納得させるのに少々時間がかかった。

◆ABC理論
芦屋で植田と会った数日後、久しぶりに夫婦がそろった休日の朝。マンションの台所で、貴美子は朝食を作っていた。天気が良くて爽やかな朝なのに、どうもあの夜のことが頭から離れない。

「おい、何かボーッとしてないか?」「ううん、別に。そろそろできるわよ、ダーリンの好きなホットケーキ。きょうは蜂蜜たっぷりにしてあるからね」「お前に朝飯作ってもらうなんて、いつ以来かなあ、久しぶりだよな」「そうかな、けっこう作ってあげてる気がするけど・・・」、と朝刊を読みながら話かけてきた亭主に、強気で笑顔を返した。

「この記事、面白いよ、心理学についてのコラムなんだけど」「どういうの?」「いやね、なんか目からうろこっていうか、いろんな物の考え方があるんだなってね」「もったいぶらないで教えてよ」。亭主は記事の内容をかいつまんで説明してくれた。「簡単に言えば、“人は、物事によって悩まされるのではなく、物事をどう捉えるかによって悩むものだ”、なんてところかな」

内容はアルバート・エリスが唱えるABC理論を引用したものだった。出来事(A)を、自分のビリーフ(B)というフィルターを通して受けとめた結果、自分特有の感情や行動パターン(C)が起きる。
A=Affairs(Activating Event)=出来事、
B=Belief(ビリーフ)=思い込み、信じ込み
C=Consequence=結果、結果として起きる感情や行動

貴美子はその話を聞いて考えた。A=この前の芦屋での夜、植田のBMWに乗っている時、亭主に似た男を道で見かけた。B=あれは亭主に違いないと思い込んでいる。C=バレたらやばい、もしそうなったらどうやってごまかそうかと心配している。

しかしその時、亭主も同じようなことを考えいているとは夢にも思わなかった。A=出張先で、パンフレットを持ってきていないことに気づき、急拠芦屋の本社に戻った時、事務所の側で女房に似た女がBMWに乗っているのを見かけた。B=あれは女房に違いないと思い込んでいる。C=もし女房だったらどうしよう、もしそうだったらどうすればいいのかと心配している。

「なんか、よくあるよな、思い込みって人間って心配症だから」「かもね、ちょっと気持ちを切り替えれば、心配しなくて済むのにね」「そうそう、もっと気楽に生きなきゃ、それが人生をうまくやる鍵かもな」「そう、その方がハッピーだし、あはは」、そんなアバウトな話をしながら、二人はくすくす笑い始めた。久しぶりに話が噛み合っている。今日はいい日だとお互いが思った。

コンポーネントステレオからは、スティービー・ワンダーの名盤「Key of life」が流れていた。

Songs in the Key of LifeSongs in the Key of Life

フォーライフ(16)

2006-05-12 06:19:25 | 020 小説「フォーライフ」
◆うたかた
広之と夜桜見物をしてから数日経った昼下がり、美和子は自宅の居間でレコードを聴きながら一人物思いに耽っていた。こういう時に聴くのは、いつも決まってビル・エヴァンスのピアノ。ターンテーブルに乗っているのは、彼の代表作「Portrait in jazz」。アルバム全体から漂うアンニュイな雰囲気が気に入っている。スピーカーからは、”Autumn leaves”のイントロが流れてきた。

どうしてあんな風になってしまったんだろう。それもあっという間に。自分でも何をしているのかよく分からない。美術館でたまたま出会って、華道教室のつながりだけで親近感が湧いて、それから誘われるままに散紅葉見物へ。なんかヘン。

罪悪感が全くないのは妙だわ。夫に対する愛情は全然変わらないし。ただそれとは別に、彼への思いが募ってる。これってなんだろう?恋なの?夫に対して後ろめたさが全くないのも不思議。ビクター・ヤング作曲の”When I fall in love”や、コール・ポーター作が作曲した”What is this thing called love?“が流れる中で、美和子はこれまでと違う自分にはっきりと気づいた。

かつてフロイト心理学の本を読んだことがある。その“心”を形成する3つの概念がぼんやり頭に浮かんできた。エス(=本能・快楽)、スーパーエゴ(超自我=道徳・秩序)、そしてエゴ(自我=理性)。私はいつでも社会の規律やルールを大事にしてきた。それがどうしてなんだろう。すーっと別の世界にでも引き込まれたように。ひょっとしてこれまで自分を守ってきてくれたエゴが弱くなって、自分の中のエスが、無意識に現れてきているの?

美和子は、ふと昔読んだ渡辺淳一の小説「うたかた」を思い出している。不倫だけど純愛。そんなストーリーに少しだけ惹かれた。“うたかた”という言葉そのものの響きも好きだった。そして主人公の着物デザイナーの抄子が、着物好きの自分にオーバーラップしたのも確か。確か相手の作家の男性は隆之って名前だったかなあ。あら広之と一字違いなのね。

でもまさか彼が自分のエスを引き出しているのかしら?そんな訳ないと思うけど。これからどうなるんだろ?そんな思いを巡らせていると、大好きな”Someday my prince will come”が聴こえてきた。

うたかた(上巻)うたかた(上巻) うたかた(下巻)うたかた(下巻)

◆探偵ナイトスクープ
貴美子は植田の運転するBMWに乗って、芦屋のジャズクラブ「Left Alone」を出たところ。もう夜の11時を過ぎている。今日も亭主は出張。深夜だし、自宅のマンションからも遠いから、人目をはばかることもない。この開放感がたまらなく気持ち良かった。車は芦屋川沿いに南下していた。

「ねえ、私達ってこういう関係になってけっこう長いよね?」「そうだよな、長いっちゃあ長いかな」「奥さんとかにバレてないの?」「バレてるわけないだろ、バレてたら今日会ったりしてないって」「それもそうだよね、でもね、なんか最近不安になってきてるんだ」「まあ確かに、たまに追求されたりはするけどね、俺ってかわすのうまいから」

貴美子の不安は、あるTV番組を見たのがきっかけだった。関西のローカル番組で、視聴者参加型のバラエティ、今や長寿の代表格となっている「探偵ナイトスクープ」。一般の視聴者が捜査依頼をして、芸能人が探偵に扮してターゲットをつきとめていくという構成。気になったのは、ちょっと前に放映された人捜し。まさかそんなことから見つかる訳ないとたかをくくっていたのが、ほんのちょっとしたきっかけの積み重ねで、だんだんと核心に近づいていく。

「あのね、この間TVをみてたらね、浮気なんか調べりゃ結局バレちゃうんだなと思ったのよ」「ええっ?バレたのかよ」「違うわよ」「ひょっとして疑われてるわけ?」「いや全然」「ならいいじゃないか」

貴美子はニッコリ笑った。植田の言う通りだ、疑わなれけば調べられることもない。亭主はこれまで自分に疑いを持ったことがない。っていうか、ちょっとそのフリをしてからかっても、乗ってきたことがない。まあエステサロンをやってる関係上、最近じゃ女性客だけじゃなく、男性客も増えていて、けっこうイケメンの客もいる。商売柄、美容器具や化粧品の営業マンとか男づきあいも多い。だから万が一見つかっても、決定的な状況じゃなければ、どうにでも言い訳がつく。

「そうだね、ちょっと心配しすぎだね、でもこんな所で見られたら、それこそ“探偵ナイトスクープ”かもね」「おいおい、脅かすなよ」と言いながら、植田は2号線に近づいたので、車のアクセルを緩めた。

その時だった、道端にスーツ姿の男の顔が見えたのは。貴美子は動揺した。亭主だ。いやそんなはずはない。でもあの顔は亭主によく似ていた。でも一瞬だったし、他人の空似に違いない。確かにこの辺りに勤務先の本社があるとは聞いていた。だが今は深夜。仕事をしている時間じゃない。そうだ、それに今日は出張しているはずだし。

貴美子の気持ちが複雑なまま、車は2号線に入り、三宮方面に進んでいった。

探偵!ナイトスクープ DVD Vol.1探偵!ナイトスクープ DVD Vol.1

フォーライフ(15)

2006-05-12 06:17:16 | 020 小説「フォーライフ」
◆裸婦
ハーバーランドに遊びに行ってから約半月。片瀬と真由美は、兵庫県立美術館に来ていた。ここ辺りは近年海岸沿いに開発された神戸東部新都心、通称“HAT神戸”。最近開館したばかりで、設計は有名な安藤忠雄。地下1F、地上4Fの直線を基調とした建物で、彼独特のコンクリートの打ちっぱなしの外観がひときわ目を引いている。平日の昼間のせいか、人はまばら。

片瀬は不自然な形で真由美と関係を持ったのが、まだ心の中でもやもやしていた。どうして誘いに乗ったんだ、いい年をして。とっさに我を忘れたことを今更のように後悔している。でも自分でもよく分からない、何か特別な力が強く働いたような気もする。これまでの殻を打ち破れとでもいうような。悪魔のささやきとはこういうのを言うのだろうか。

「ねえ、何考えてるの?」「いや別に・・・」「なんか考え込んでない?」「いやそんなことはないよ」「はっはーん、ひょっとして後悔してるの?私とのこと」「いや違う・・・」

そうやって真由美にからかわれながら展示室を観て回っていると、コーナーを曲がったところで、一枚の絵に目が止まった。題名は「裸婦」。芦屋に住んでいた小出楢重が1930年に書いた水彩画。構図が面白く、体型もかなりデフォルメされている。その丸みを帯びた尻の曲線が片瀬を魅了した。自然に足が止まり、目線が集中している。何処かで見たような。そうだ、ホテルでベッドに横たわっていた真由美のそれにそっくりだ。

「ねえ、何みてんのよ?」「何って絵だよ」「そうじゃなくて、何処みてんのよ?」「何処ってどういう意味だよ」「だって、お尻を見てるじゃない」「・・・」「私のお尻だと思ってたんじゃないの?」「・・・」

そう言いながら、昔この絵を見たことがあるのに気づいた。あれはこの美術館の前身で、兵庫県立近代美術館と呼ばれていた頃、結婚前に亭主とデートがてら行った。JR灘駅から王子動物園に続くゆるやかな坂を手をつないで歩いたのを思い出す。あの時は、亭主がこの絵を見て言った、自分のお尻に似ていると。その時、片瀬がおもむろに喋り始めた。

「実は俺、ちょっと後悔していてな」「後悔って何よ?」「お前とのことだよ」「どうして?だって私のこと気に入ってるんでしょ?」「だけど、妻に悪くてな」「何よ、浮気の一つや二つ、男の甲斐性なんじゃないの」「でもなあ、自分だけ裏切って・・・」「奥さんもしてるんじゃない、私みたいに」「お前と違って浮気なんかしないよ」「そうかなあ、すると思うけど」「いやそれはない」「それだったら浮気をしてもらえばいいじゃない」「はあ?」「そうなるようにするのよ、例えば誰かに頼むとかして」

真由美が悪魔に見えた。なんということを考えているんだ、この女は。片瀬は頭が混乱してきた。妻に浮気をさせるなんて、そんなことできる訳がないと思っていると、ある友人の顔が脳裏に浮かんだ。


◆冷めない紅茶
奈緒美が展示会で試食品の全てを賞味した後、椅子から立ち上がろうとしたが、すっと立てない。さすがにちょっと食べ過ぎたと後悔し始めた時、佐藤がやってきた。

「どうしたんですか、立ちくらみですか、なんだか調子が良くないみたいだけど」「いえ、そんなことないわ、どれも美味しかったですよ」「そうですか、そりゃ良かった、嬉しいなあ、奈緒美さんにそう言ってもらえると」「今日は招待してもらって良かったわ、久しぶりにスウィーツを堪能したかしら」

佐藤は単純に嬉しかった。今日奈緒美が来てくれたことで、少なくとも以前より親密になったような気がする。それと彼女の顔を見ていると、あの高校時代の同級生を思い出す。それもまた嬉しかった。

「良かったらカフェにでも行きませんか?ここじゃ何だから」「ええ、いいですけど」、佐藤は二人だけで話がしたくなり、ホテルの中にあるカフェに誘った。奈緒美はほとんど飲み物を取らずケーキを食べつづけていたので、ちょうど欲しいと思っていたところ。二人は紅茶を注文。テーブルにボーイがカップをセットし、熱い琥珀色の液体が注がれ、湯気が立ち上り始めた時に、佐藤が話し始めた。

「良かったら、今度コンサートに行きませんか?」「コンサートですか?」「そう、クラシックの」「どんな?」「それはこれから捜すから今は分からないけど、場所は京都ですよ」「休みの日ならいいけど」「それじゃ約束ですよ、楽しみだなあ」

奈緒美の耳に、かすかにヴァイオリンの音色が聞えてきた。曲目はよく分からない。でも爽やかな曲だ。そう思っていると、徐々に音が大きくなっている。気持ちがいい。ふわふわした宙に浮いたような。弾いているのは女性。日本的な顔立ち。しなやかな手が、絵でも描くように流暢に動いている。演奏は途切れることなく続いていく。

「どうしたんですか」、という声に奈緒美は我に戻った。不思議そうな顔をしている佐藤の顔を見ながら、紅茶をゆっくり一口飲んだ。ずいぶん長くヴァイオリンを聴いていた気がしたが、冷めていなかった。奈緒美は、昔読んだ小川洋子の小説、「冷めない紅茶」を思い出した。

冷めない紅茶冷めない紅茶