或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

追悼 Hank Jones

2010-05-31 05:52:59 | 200 ジャズ
5月16日にジャズピアニストのハンク・ジョーンズが逝去。享年91歳。うーん、いつかはと思っていたけど、ついにその日がやって来たかと。そう言えばこのブログで晩年のソロアルバム「My Funny Valentine」(2005年)を紹介したことがあったなあ。マイルスやコルトレーンのようにビッグネームではなかったけど、ジャズ界の生き字引であり、人間国宝的存在だった。

彼はCDでピアノを聴いた時に、音色とフレージングだけで誰だか分かる数少ないピアニスト。凄いと思うのは、それがモンクとかそういった個性派じゃなくて、バップの流れを汲む正統派だったということ。運指に粘りがあるまさに黒人的なプレイでありながらも、ファンキーさを抑えた知的なヴォイシングが特徴的で、それらがブレンドされた音楽はとても洗練されていたと思う。

90年代には日本のCMにも出るくらい有名になって、スタンダードを中心としたソロかトリオもしくは歌伴という”古き良き時代回顧系日本人”に的を絞った演奏に終始していた感は否めないけれども、さすがに昔とった杵柄が要所要所に出てくるところが、並のカクテル系ピアニストと一線を画するところ。だからだろうなあ、80歳を超えてもバリバリの現役を続けられたのは。

改めて彼が参加したアルバムを調べると、当たり前といえば当たり前だけど、チャーリー・パーカーの「Now's the Time」(1953年)やキャノンボール・アダレイの「Something else」(1958年)といったモダンジャズ黎明期の超名盤を始め、これもかと言うくらい様々なアルバムに顔を出している。

そんな彼がここ数年はケイコ・リーやロバータ・ガンバリーニといった若い歌姫の伴奏をしていて。これって日本の歌謡界で言えば、故吉田正先生が伴奏して幸田來未が歌うって感じ。ちょっと想像できないし、できたとしても、なんかヤラセ雰囲気プンプンの御座なり競演のイメージしか湧かない。だけど彼の場合は全然違って正真正銘のガチンコ競演。これは凄い。

個人的には1950年代にサイドメンとして参加したアルトのソニースティットのアルバムが強く印象に残っている。それと低迷したジャズシーンに活気を与えた1970年代の”The Great Jazz Trio"時代とか。いや懐かしい。本当にお疲れ様。ご冥福をお祈りします。

ソニー・スティット・プレイズソニー・スティット・プレイズ ペン・オブ・クインシーペン・オブ・クインシー

at the Village Vanguard, Vol.1at the Village Vanguard, Vol.1 at the Village Vanguard, Vol.2at the Village Vanguard, Vol.2

ライヴ・アット・ベイシーライヴ・アット・ベイシー     ラッシュ・ライフラッシュ・ライフ

Lagavulin

2010-05-27 07:39:24 | 860 英国紀行
英国旅行3日目でアイラ島における初日、ホテルで朝食を取った後にいよいよ待望の蒸留所巡りがスタート。懸念だったのは予約を全くしていなかったこと。それでまずは予約をと方々に電話してみたものの、まだ始業前だからなのかつながらない。9時少し前になってようやく電話に出てくれたのがラガブーリン(Lagavulin)。朝9時30分の最初のツアーを予約してすぐに出発。

蒸留所があるのは島の南端。早朝なので行き交う車もほとんどなく、30分弱で蒸留所に到着した。驚いたのは受付周辺に既に10数名のツアー客が待っていたこと。自分と同じような輩がいるんだなあと感心したけど。それで待っている間にすかさず電話を借りてアードベッグとラフロイグのその日のツアー予約も完了。この辺りは抜け目がないと自分に感心したりして。

そうこうしているうちに朝たまたま道で出会ったクリスティーン女史が声をかけてきて。彼女は有名な現地の旅行ガイド。「Warehouse Demonstrationには参加するだろう?このチャンスを逃しちゃだめだよ」と。「何それ?」と聞き返すと、「テイスティングだよ」とあきれた表情でせかしてくるので、「分かった、参加する」と訳が分からないままに追加料金を支払った。今思えば天の声だったような。後で調べると、火曜日と木曜日の通常ツアーの後に10時半からだけやっている特別ツアーだった。

それからすぐに通常ツアーがスタート。参加人数は約20人。英国に加えてドイツや北欧からも来ていた。原料であるモルト(麦芽)は全て外部から購入しているので、製造工程は乾燥、粉砕、醸造、醗酵、蒸留、加水、熟成の順番で見学。見るもの全てが初めてだったけど、事前に製造工程の英語版と日本語版の両方を作り予習しておいたのでよく理解できた。

それが終わるといよいよ倉庫での特別ツアーが始まって。驚いたのは通常ツアーに参加せず特別ツアーだけに参加した人がいたこと、それが20人近くも。おいおい、「あんたも好きねえ」と古いギャグを飛ばしながら待っていると、蒸留所の名物マネージャーが登場。俺は全てを知っていると言わんばかりの笑顔がやけに明るい。それから0年モノに始まって17年モノまで6種類をその場で樽から出して全員でテイスティング。酔っ払わないように少し飲んでは半分以上捨てたのが悔やまれたけど。

そうそう、ショップでお土産に買った木製のコースターセットはすこぶる素晴らしかった。


バーディー

2010-05-25 06:23:18 | 450 スポーツ
先日、友人達と久しぶりにゴルフを。なんてさらっと言うべき話ではなくて、自分にとっては歴史的なイベントだった。前回がいつか調べようとしたら、灯台元暮らしとはまさにこのことで、かつてブログの記事にしていた。最後は親父と一緒のラウンドで、それが2005年10月。およそ5年振り。そうかあ、もうそんなになるかなあ、ゴルフをやめて。なんか感慨深かったけど。

誘いがあったのはおよそ1ヶ月前。そのいきさつについてはまた別の機会に記事にするとして、封印を解くきっかけになったのは確か。心配になったのはその後。これだけ長いブランクがあると、ゴルフクラブだって錆びているかもしれないし、ボールだってゴムが劣化しているかもしれない。それ以前に、ちゃんとスイングできるのだろうか、ボールに当たるのだろうかと。

それで本番の数日前に近所の練習場へ行ってみた。するとそこには真新しい建物のスーパーが。おいおい、なくなったのかよと。改めて5年という歳月の流れを感じた次第。仕方なく反対方向のやや遠い別の練習場へ。準備運動をしてまずひと振り。当たらない。さらにひと振り。少しかすっただけ。まともな球筋になったのは2、30球打ってから。そんな状態でいざゴルフ場へ。

さすがに下の写真の1番のティーグラウンドに立った時は緊張したかな。どうにでもなれと開き直ってドライバーをフルスイング。すると低い弾道ではあったけど真っ直ぐ飛んでフェアウェイのど真ん中へ。次に残り120ヤード2打目を9番アイアンで打つと、これが完璧なショットでグリーンにナイスオン。さらに約2mのファーストパットがカップのど真ん中へ。なんとバーディ。

これにはねえ、残りの3人がビックリ仰天。5年間という長いブランクの後、最初のホールでバーディだなんて。だけど世の中そんなにうまくはいかない。その後はドライバーが当たらなくなるわ、アプローチが寄らないわで、最初のハーフは57。後のハーフも52で、トータルは結局109。とにかくパーが1個も取れなかったから。その意味では、まさに最初のバーディはミラクルだったような。


Barbican Hall

2010-05-21 07:05:37 | 860 英国紀行
今日はちょっと話題を変えて音楽の話。英国旅行の初日におけるロンドンでの夜は、フルオケによるクラシックコンサートの鑑賞を。海外だと有名どころが手軽に聴けるところが嬉しい。オケはロンドン交響楽団。場所は本拠地であるバービカン・ホール。事前にネットでチケットの販売状況を調べたら、2階席にまだかなり空席があったので、あえて予約をせずに当日券を会場で購入。

当日のキャッチコピーは”アメリカンナイト”。曲目は、コープランドの「アパラチアの春」、次ぎがバーバラ・ボニー(Barbara Bonney)という米国人のソプラノをフューチャーしたバーバーの「ノックスヴィル 1915年の夏」。共に米国出身の作曲家の作品で初めて聴いたけど。最後が有名なドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」。これは新世界としてのアメリカをテーマにした曲。指揮者は病気のアンドレ・プレヴィンの代役であるフランソワ・グザヴィエ・ロート(François-Xavier Roth)。

バービカン・ホールというのは割りと狭いホールで、2階席からでもオケがやけに近く見える。肝心の音楽だけど、正直なところ全く楽しめなかったなあ。細かいことを先に言えば、主席のクラリネット奏者。テクニックがどうのこうのという前に音程と音色がひどすぎ。これはいけません。アンサンブルが台無し。だけどどうにもこうにも我慢できなかったのがホールの音響。

ネットからの情報で、やけにデッドなホールということは理解していた。確かに残響はかなり短い。それは我慢するとして、問題は音響特性そのもの。弦の音色が完全に歪んでいる。これはオケのせいじゃなくてホールのせい。これまで日本を含めていろんなホールを経験してきたけど、これだけひどいのは初めて。とてもプロの設計とは思えない。聴いている途中から、「なんでこんなひどい所が本拠地なんだろう?ロンドン響が可哀想だよな」と、もう完全に同情モードに入ってしまった。

それに追い討ちをかけたのが最後の交響曲。指揮者の安っぽいテンポの設定や盛り上げかたは”ポップスの夕べ”と間違えるくらい。そうなると今度は服装まで気になって。ファミリーコンサートじゃないんだから、キチンと正装ぐらいしろよと。ということで、聴かなきゃ良かったかもと少し後悔したかな。せっかくロンドンまで来たのに。なんか後味の悪い夜になったなあ。


Lochside Hotel

2010-05-19 05:54:44 | 860 英国紀行
英国旅行2日目の夜9時頃、ようやく辿り着いたのがアイラ島で最も大きな町のボウモアにあるロッホサイドホテル(Lochside Hotel)。ここも2ヶ月前に予約しておいたもの。ただしHPに最近じゃ当たり前になっているネット予約システムがなく、メールベースでの面倒なやりとりが必要だった。まあローカルなホテルということで、それもありかなとは思ったけど。

このホテルを選んだ理由はいくつかあって、まずは立地。島の中央に位置していて何処に行くにも都合が良いこと。次ぎが宿泊施設の種類。島の宿のほとんどがB&B(ベッドと朝食付き)なのだけど、日本で言ういわゆるホテルと民宿の2種類がある。自分的には制約の少ないホテルにしたいなと。最後は宿泊料金。この島のホテルのベッドはたいていがダブルかツインで料金も高い。自分が調べた範囲で明らかにシングルの部屋があったのはここだけ。海のすぐ傍でもあったのですんなり決定。

メールで空きを尋ねたらありとのこと。それで1泊55ポンドと安かったので部屋を3泊予約しようしたら、デポジットが必要とのこと。金額的にはたいしたことなかったけど、宿泊の1週間前から発生するとかそんなよくあるパターンではなく、何ヶ月前に予約しようとその時に即必要らしかった。まだ詳細な旅程を決めておらず少しためらったけど従わざるを得なかった。

面白かったのが、例のアイスランドの火山噴火の影響。自分でもどうなるか不安の真っ只中だった頃にホテルからメールが。「この状況で来るつもりなのか?」と。おそらくキャンセルするなら他の客を入れたいので早くして欲しいという催促だったと思うけど、もう2、3日待ってくれと返事を。すると翌日運よく空港の閉鎖が解除されたので、「行くよ」と回答。我慢して良かった。

それで肝心の居心地だけど、良かったのは部屋が海側に面していて、ベッドがダブルで、水道水が茶色じゃなくて、朝食に注文に応じたベーコンや卵がついたこと。逆に悪かったのはシャワーの水量が少なく、シャワーのスイッチがなんと部屋の外についていたこと。もちろんネットはつながらないし、部屋も狭かった。でもまあ、都会じゃなくて島だからしょうがないなと。


フェリー

2010-05-17 06:05:18 | 860 英国紀行
英国旅行2日目の夕方6時に、ついにアイラ島へ渡るフェリーに乗船。朝3時に起きてから紆余曲折だらけでヘトヘトだったけど、乗場待ちレーンについて車内で一息ついていると、ようやくじわじわ安堵感が湧いてきた。このフェリーは2ヶ月前にネットで予約しておいたもの。それにしても最近はネットの普及により予約が簡単にできるようになっている。今回も海運会社のHPから楽勝だった。

乗船時間は約2時間。出航してすぐにレストランの準備ができたとのアナウンスが。時間もあるし今日はここで夕食をとるかと行ってみると、既に客が列を作って並んでいた。セミバイキングスタイルで、自分が注文したのが上の写真の挽肉、チップス、野菜のプレート。あまり期待していなかったけど、味はそこそこで楽しめた。なんか急に眠くなりウトウトしてしまったけど。

目が覚めてデッキに出てみると、眼前には大きな島が狭い海峡を挟んで左右に。近くにいた船員に聞くと、左がアイラ島で右がジュラ島だった。そうか、アイラ島のことばかり調べていたけど、ここは多くの島が集まっているインナー・ヘブリディーズ諸島。もちろんジュラ島のことは知っていたけど、アイラ島にこんなに近かったとは。その雄大さに感動していると港へ到着。

そうそう、上の写真のジュラ島で思い出したけど、泊まったホテルでイングランドから来た夫婦の客とラウンジでたまたま一緒になり話をしていたら、この島のことが話題になった。何でも人口数百人に対して鹿が数千頭いるのだとか。ジュラとは旧ゲルマン語で鹿という意味。なるほどね。自分的には蒸留所が1つあるのと、1949年に作家ジョージ・オーウェルの遺作「1984年」を書くのに小屋に篭ったこと、ついでに最近話題になっている村上春樹の「1Q84」とつながっていることぐらいしか知らなかった。

アイラ島の東端に位置するポートアスカイグ港(Port Askaig)に着岸し、船から降りた頃にはもう夕陽がほとんど沈みかけていた。薄暮の中をフェリーに乗っていた車が一斉に目的地に向けて出発。西へ進む基幹道路が1本しかないから、全ての車が数珠繋ぎ状態。なんかカーラリーにでも参加している感じ。30分程走ると、ついに泊まるホテルがあるボウモアへ到着。


Springbank

2010-05-13 06:35:55 | 860 英国紀行
前々回の記事で、英国旅行2日目にフェリーの出航時間まで時間に余裕があったという話をしたけど、その時に欲張って出かけたのがキンタイア半島の突先にある上の写真のキャンベルタウン(Cambeltown)。カナクレイグからは車でかなり飛ばして約40分。これ以上ないくらいのどかな風景を横目にひたすら運転して最後にひと山越えると、思ったより大きな街並みが眼前に拡がって。

この街を訪問した理由は2つ。ひとつはスプリンクバンク(Springbank)の蒸留所があったから。でもそれ以上だったのがニッカウィスキーの創始者、もっと言えば日本のウィスキーの生みの親である竹鶴政孝が若き日に修行した街だったから。彼の生涯についてはニッカのHPで紹介されているので詳細は省略するけど、本物のウィスキー造りの夢に燃え、グラスゴー大学の留学生時代に知り合った英国人女性と結婚してすぐに、ウィスキーの製造方法を本格的に学ぶために2人で滞在したのがこの街。

しかしすごいよなと。グラスゴーから車に乗ってきてよく分かった、その僻地の度合が。単身で英国に渡り、グラスゴーならまだしも、スコットランドの西南の端であるこのキャンベルタウンにまで来たとは。確かにここは海路で大西洋経由で米国とかへ物品を輸出するには絶好の拠点。だから20世紀初頭には30以上もの蒸留所がひしめきあい栄えた。だけど僻地は僻地。

その後ウィスキーの品質悪化等により街はさびれ、今でも残っている蒸留所はスプリングバンクともうひとつだけ。なんだか時の流れを肌で感じたかな。それにしては街に活気があったけど。事前に調べていなかっただけに、とにかく人に尋ねて周り、ようやくスプリングバンクの蒸留所に辿り着いた。時間がなかったので手短に建物を撮影。その後に蒸留所からすぐの所にあるスプリングバンク直営の酒販店にも立ち寄ったのだけど、ここの女主人はとても親切で、いろいろと教えてもらった。

結局1時間足らずの滞在だったけど楽しんだかな。竹鶴政孝への興味がかなり強まったし。なんて思いながら我が家の酒棚をチェックすると、記憶にはないのだけどニッカの「竹鶴」が置いてあった。そう言えばこの酒を買った時には、竹鶴というのは松竹梅や鶴亀等のように縁起物から取った名前とばかり思っていたような気がする。今となってはちょっと恥ずかしいけど。


Stonefield Castle Hotel

2010-05-11 06:33:21 | 860 英国紀行
英国旅行2日目、グラスゴーからケナクレイグまでのドライブの途中で楽しんだのが古城巡り。というか、他に見るべきものがないとも言えるけど。まず最初はファイン湖畔を見下ろすインヴァレリー城(Inveraray Castle)。このあたりの領主であるアーガイル州キャンベル家が17世紀に建てた邸宅。アーガイルというのは例のタータンチェック。ドイツのノイスヴァンシュタイン城ほどのスケール感はないけど。

内部が撮影禁止だったので写真でお見せできないのが残念だけど、居間にしても子供部屋にしても、かつて住んでいた雰囲気が伝わってくる。周囲に民家がないこともあり、城の中にいると自分が当時の領主になったような錯覚に囚われるから不思議。それで管理人が「お前は日本人か?それならいいものがあるよ」と日本語版の有料パンフレットを持ってきてくれた。なるほどね、こんな僻地にもけっこう来ているんだなと、なんだかテンションがやや下がったかな。勿論買わなかったけど。

次がインヴァレリー城から10マイル程南下したところにあるミナード城(Minard Castle)。A83から側道に入ってしばらく進むと、なんとも古びた褐色の城壁が見えてくる。車を降りて湖に面した玄関に回ってみても人の気配が感じられない。勝手に玄関を開けて中に入ってジロジロ眺めていると、主人らしき老人が出てきて。「ここはお茶とか飲めないんですか?」と話しかけると、「いや、それはしていません。宿泊客の世話しかしていないんです」との返事。つまりホテル(B&B)専用ということ。

カードをもらい、いつか泊まってみたいなと思いつつ車に乗り込みA83に戻ると、目的地であるケナクレイグ(Kennacraig)の少し手前で最後のストーンフィールド城(Stonefield Castle)の看板を発見。ここがホテルになっていることは事前に調べて知っていた。シングルが1万円ちょいだったので予約しようとしたけど満室でアウト。それでお茶だけでもと思い中に入って尋ねるとOK。客は出払っていたので上の写真のようにホテルをひとり占め。豪華で渋いソファに座り、つかのまの贅沢に浸れたかな。

だけど泊まらなくて良かった。おそらく客は夫婦やカップルしかいないだろうから。ちょっと立ち寄ってお茶するぐらいがちょうど良かったと納得しながら城を後にしたけど。日本から2人でお忍びで来たりしたなら、なんか粋の極みのような気がした。

Inveraray Castle Inveraray Castle Inveraray Castle
Minard Castle Minard Castle Minard Castle
Stonefield Castle Stonefield Castle Stonefield Castle

Loch Fyne Oyster Bar

2010-05-09 09:27:44 | 860 英国紀行
英国旅行2日目の続き。泣きたいくらいトラブルが多発したけど、いざ高速道路のM8に乗ってからはそれまでが嘘のようにスムーズ。ローカルな片側1車線のA82、A83に入っても快適そのもの。とにかく時速50~60マイル(約80~100km)でビュンビュン飛ばせる。交通量が少なくドライブを楽しむにはうってつけ。マニュアル5速のレンタカーをチョイスしたのが大正解だった。

コースとしては、M8を西に進みM898に入りアースキン橋(Erskine Bridge)を渡りA82に合流。少し行くと有名なローモンド湖(Loch Lomond)にぶつるので西岸を北上。この湖はグラスゴー近隣住民のお手軽な観光地となっているらしい。そのうちにターベット(Tarbet)に着くと分岐点を左折しA83へ。アップダウンの激しい山岳路を過ぎるとファイン湖(Loch Fyne)が見えてくる。

湖の傍にあったのがシーフード・レストランのLoch Fyne Oyster Bar。ここは事前に調べておいた店。まだ昼前だったせいか人影もまばらだった。窓辺の席について早速お目当てのカキを注文。1個毎の注文が可能で、自分は生3個とクリームソース焼き3個を。興味津々でまずは生から。これがねえ、絶品。心配していた臭みや消毒臭はほとんどなし。ハッキリ言って味は広島産より上。なんか嬉しいというか悔しいというか。クリームソースも美味だった。

トイレに行くついでに見回して気づいたのだけど、店内がやけに広い。道路側と奥側を合わせると3フロアもあり、テーブル数だと40ぐらいはあったと思う。A82は、たまにホテル(B&B)があるくらいの田舎道。そんな中にポツンとあるのがこの店。だからおそらく週末には観光客で満席になるのかなと。カキだけ注文してもパンがついてくるので量的には十分だった。

昼食を済ませてファイン湖の西岸づたいにひたすら南下すると、キンタイア半島のつけ根にありアイラ島へのフェリーの発着場であるケナクレイグ(Kennacraig)へ到着。グラスゴーからは距離的に100マイル強(約200km)。休まずに運転すれば3時間弱のドライブ。到着したのが午後2時。フェリーは6時に出航なのでまだ時間があった。それでちょっと欲張りを。それはまた次々回。


レンタカー

2010-05-08 09:17:04 | 860 英国紀行
英国旅行2日目の朝はヒースロー空港へのアクセスでドタバタしたけど、片道30ポンドちょっとの格安航空券を2ヶ月前に予約しておいたのでフライトそのものはスムーズに。と言いたいところだけど、最近はチェックインのシステムがかなり変わっていて、受付カウンターに行く前に必ず所定の機械でプリチェックインが必要になっている。戸惑いながらこなしてなんとか機内へ。

約1時間半でグラスゴー空港へ到着。そこでまたまたトラブルが発生。空港内にあるハーツ(Hertz)の受付で、予約していたレンタカーの鍵を受け取るまでは問題なかった。ところが駐車場に行っていざ始動させると、やけに耳障りなエンジン音が。「おやっ、これってディーゼルエンジンじゃないの?」と。あまりにうるさいので確認をするために重い荷物を持って再び受付へ。

若い係りの男が調べてくれて、「お客さん、ガソリン車ですよ」との回答。そうハッキリ言われて不安になって荷物を持って再び駐車場へ。今度は給油口をチェック。すると「軽油オンリー」との表示が。「こりゃ間違いなくディーゼル車だよ」、と怒りが込み上げてきて。再々度受付へ。「登録データのインプットミスですね、これは」との返事。怒りが頂点に達したのはこの後。

隣りに居たチーフらしきオバさんが、「でもディーゼル車の方が燃費が良いからオススメですよ」と。これには完全にキレて、「ディーゼル車を頼んだ憶えはない、乗るつもりもない」と声を荒立てながら猛抗議。すると急に慌て始め、「同じクラスのガソリン車が空いているのでそちらをお貸しします、料金は変わりません」だと。それならどっちにするか最初から聞いておけよと。

結局3回も駐車場と受付の間を往復してようやくレンタカーをゲット。それが下の写真のフォード製エスコート1.6L。いざ始動させてみると静かなエンジン音だったのでようやく安堵した。レンタル費用が1日約5千円。だけど安心したのもつかの間。ラウンドアバウト(Round about)と呼ばれる特有の交差点の表示のわかり難いこと。M8という高速道路に乗るのに何度も手こずって。

予定より出発が2時間遅れたかな。余裕を持ったスケジュールにしておいて助かったけど。