或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

ゆく年くる年

2006-12-31 04:37:04 | 900 その他
一昨日、広島では今期始めて市街地で積雪。そして今年も今日でいよいよ終わり。振り返ると感慨深いものがあるなあ。昨年は診断士の受験一筋で、年末の合格発表までのドラマというシンプルな流れだったけど、今年は3回の診断士の実務補修をこなしながら社労士のお試し受験。同時進行の二つの流れ。10月に診断士登録ができたので、良い区切りに。

診断士、社労士と勉強してきて思うのは、ようやくフツーの社会人としての常識が身についてきたこと。もっと平たく言えば、新聞のどの面でも、そこそこのバックボーンを持ちながら読めるようになってきた。これはちょっと嬉しい。理系出身で、仕事以外は、音楽と女?にしか興味がなかったことを思えば、隔世の感あり。まあ人と比べるとだいぶ遅いんだろうけど。

そんな中で、今年印象に残ったのが日本の総人口の話。昨年をターニングポイントとして壮大な人口減少トレンドへ。これはある意味スゴイことかも。マクロ的に見れば、おそらく日本の歴史の中で最初で最後だから。平安、鎌倉、江戸といった時代の総人口は高々4千万人。それが明治以降3倍にも膨らんで、今や約1億3千万人。それが今後100年で5千万人以上減少する。

なんてことを考えながら、用事をだいたい済ませ、ブログを書きながら聴いているのが、今年生誕250年を迎えたモーツァルト。まずはレクイエム。ベートーヴェンの第九じゃないけど、この時期は合唱曲が似合う。ちょっとプロモに洗脳されすぎか。その後がお気に入りのピアノ曲、晩年の作品でイ短調のロンド(K.511)。透徹した美の世界。短調と長調の交錯がたまらない。

ブログに来ていただいた皆さん、今年一年ありがとうございました。よいお年を。

レクイエムレクイエム   ロンド イ短調他ロンド イ短調他

小出楢重(3)

2006-12-28 06:30:18 | 300 絵画
途中だいぶ横道にそれたけど、今日は画家小出楢重のシリーズ第3回。前回、学校を卒業して大阪に帰り、写実に精を出したけど、文展に入選せず悶々としていたことを紹介。その頃東京で売り出し中の岸田劉生を、ライバルとしてかなり意識していたみたい。だからかどうか分からないけど、自分の個性を“脱写実”に求めて、彼なりのデフォルメに傾倒していきます。

そして反骨の意味を込めて描いたのが下の写真で、倉敷の大原美術館にある有名な「Nの家族」(1919年)。モデルは子育てに疲れ気味の妻と、長男、そして自分自身。楽しさ、切なさ、寂しさ、いろんな気持ちが交錯しているようにみえる。テーブルの上にあるのは、ドイツの画家ホルバインの画集。情緒的な画家デューラーに傾倒していた劉生との対比が面白い。

上の写真は、その1年前に身重の妻を描いた、愛知県美術館にある「N婦人像」(1918年)。個人的なお気に入り。その暗くゆるい色彩とまろやかさが。10月に法事で名古屋に行った時、美術館に問い合わせたけど展示されていなかった。残念。

「Nの家族」を文展(文部省展覧会)ではなく、二科展に出品。これが正解で、新人賞である樗牛賞を受賞し一躍有名に。この時31歳だから、遅咲きでしたね。面白いのは、文展と二科展の関係。パリで言えば、文展がサロン(官展)で二科展がサロン・ドートンヌ(反官展)。まあいつの世にもあるアカデミックと前衛。このマンガちっくな雰囲気は、文展には無理だと思うなあ。

佐伯祐三の場合は、年代がいつであれ、被写体が何であれ、どの絵にもそれなりに心惹かれるものがあったけど、小出の場合は、この作品以降の裸婦を除く人物画は、デフォルメが強すぎるものが多く、正直あまり好きになれません。でも彼の生涯を知った上で改めて観ると、彼の”生きざま”の表れとして理解でき、それなりに楽しめるようになりました。


ウマズラハゲ

2006-12-26 07:08:01 | 400 釣り
先週の土曜日に友人と釣りへ。このところ天気が悪かったり、良くても風が強かったりで、けっこう久しぶり。当日は快晴で風もなく絶好の釣り日和。いつもの遊魚船に乗ると、客に見覚えのある顔が。前に利用してことがある別の遊魚船の船長。聞くと今日は休みとか。今年は釣果が芳しくなく釣客が例年に比べて少ないから、商売も大変だなあと同情しながら魚場へ。

いつもならこの時期はハマチ狙いだけど、我々からのたっての願いで、対象魚はハゲ(関東ではハギ)を中心に。だってハマチじゃ当たり外れが大きすぎるから。まずは夕食のおかずを確保しなきゃ。心配だったのは、初めて使った竿と餌。ハゲは別名”餌取り名人”とも呼ばれていて、餌だけ食べて素早く逃げてしまう。だからうまく釣り上げるには、竿と餌がとても重要。

今回は、やや柔らかめの2.7m20号の竿と、オキアミの半ボイルMサイズの刺し餌を使用。これがズバリ的中。竿が柔らかいからアタリを取りやすいし、餌が生じゃないから取られにくい。他の人がうまく釣れないのを横目にコンスタントに釣り上げて。終わってみれば25cmから40cmのウマズラハゲが12枚。釣客の中でもダントツ。船長から褒められ有頂天だったかも。

家に帰って薄造りと鍋にして食べたけど、この時期のハゲはとても美味しい。特に肝は格別。上の写真でも分かるように、ナイフでしめたら、そこから出てくるぐらい量が多くてパンパン。生でよし煮てよし。久しぶりに独特の味覚を堪能しました。

食べながらいつも思うのは、味がフグに似ていること。それもそのはず、目(もく)や亜目(あもく)といった正式な生物分類学上では、ウマズラハゲはフグ目モンガラカワハギ亜目カワハギ科に属し、フグはフグ目フグ亜目フグ科に属する。つまり遠い親戚関係。いかがわしい料理屋ではフグと偽って平気で出すって言うから。まあ美味しいと思えばそれでいいのだろうけど。


Marlena Shaw

2006-12-24 06:42:18 | 200 ジャズ
今日は黒人のベテラン女性ジャズヴォーカリスト、マリーナ・ショウ(Marlena Shaw)の話。実は先月末に彼女のライブが広島のジャズクラブでありました、行かなかったけど。理由は料金が高かったこと。入替制の1ステージのみで9000円。これってブルーノート並み。他じゃ入替制になっていないのに。おいおい広島だけがボッタクリかよとムカついたので、結局行かずじまい。

本当は聴きたかったなあ。でもちょっと不安だったのも確か。というのも何となく国際的B級ドサマワリの匂いを感じたから。彼女は1944年のニューヨーク州生まれの62歳。最も有名なアルバムは、以前の記事でも紹介した、ブルーノート時代の「Who is this bitch, anyway?」(1974年)。言わずと知れた歴史的名盤。バックのメンバーを含めて全てが超一流。言うことなし。

知られているヒット曲は、シャレがきついタイトルの付いた映画「ミスター・グッドバーを探して」(1977年)の主題歌。でもあまりに上手すぎて器用でフェイクもきついから、その後一般受けしなかった。米国版”坂本スミ子”って感じ?ちょっと違うか。上の写真はお気に入りのスイスのモントルー・ジャズフェスティバルでのライブ盤「Live at Montreux」(1973年)のLPジャケット。この人って化粧がやたら効く顔立ちなんでしょうね、毎回ジャケからじゃ誰だか分からないから。

それでライブに行かなかったことを、うじうじ後悔していた矢先に、娘と二人で食事に行った時、待ち合わせの時間つぶしにぶらりと入った中古CD屋に置いてあったのが、最新アルバム「Live in Tokyo」(2002年)。赤坂にあるジャズクラブ「B flat」でのライブ盤。何かの縁と思い、買って聴いてみるとなかなか素晴らしい。やや品がなく”バイショウやり過ぎ”感が否めないのが残念だけど。

思えば歳月を経ておよそ30年。凄いと思ったのは、ほとんど声が衰えていないこと。そう考えると立派だなあ、彼女は。まさに生涯歌姫。ということで、嬉しいような、それでいてちょっぴり哀しいような、複雑な気持ちになりました。

Who is this bitch, anyway? Who is this bitch, anyway?    Live in TokyoLive in Tokyo

柿の種

2006-12-21 06:48:51 | 600 グルメ
法事で実家に帰っていたカミさんのお土産の一つが浪花屋製菓の柿の種。この会社の商品は広島でも売っているけど、残念ながら”大辛口”はない。それで、以前名古屋のスーパーで見かけたので頼んでおいたもの。けっこう大きな袋を5つも持って帰ってくれたので感謝感激。

新潟県にあるこの会社は、柿の種の生みの親。創業者が大阪流のモチ米を使ったあられを作っている最中に、作業ミスからたまたまこの形が生まれたとか。それをヒントに大正12年に正式に商品として誕生。それからずっと造りつづけて80年。いわゆる元祖ってやつ。

普段食べるお菓子にはそんなにこだわりはないけど、柿の種は別ですね。夏はビール、冬は日本酒や焼酎をちょっと飲みたい時に、手軽な”乾きもの”の代表選手と言えばこれ。だからカミさんのお供でデパートやスーパーに行った時、けっこうまめにチェックしています。新製品があれば必ず買うし。まさに日本を代表するオリエンタルスナックなんじゃないかなあ。

柿の種で思い出すのが、同じ新潟県にある亀田製菓。ここはおそらく柿の種の販売量では日本一。代表的なのがピーナッツを一緒に袋詰した、通称”柿ピー”。実はTVのバラエティ番組で、お笑いタレントがこの会社の工場を見学するシーンがあって。興味があっただけに面白かったなあ。

社長が直々に製造工程を説明したのも勉強になったけど、感心したのが、1つの袋に入れる柿の種とピーナッツの比率。何対何だったかは憶えていないけど、年々変えているんだとか。つまり顧客の声を分析してベストな比率を追求している。たかが柿の種、されど柿の種。まあ自分はピーナッツが入っていないのを好むコアなファンだから関係ないんだけど。(笑)

元祖浪花屋 大辛口 柿の種

初恋温泉

2006-12-19 06:25:53 | 010 書籍
今日は最近読み始めた作家、吉田修一の作品紹介第2弾。「小説すばる」に掲載された短編集「初恋温泉」(2006年)。タイトルがベタ過ぎるけど、中身は夫婦、不倫、高校生と、いろんなカップルと温泉の話。意外にオトナの小説。全部で5編あって、それぞれ味わいが違って面白い。でもいいですね、寒くなって温泉が恋しくなってきたところにこの小説。なんかぴったり。

舞台となるのは全国各地の温泉地。”初恋温泉”が熱海、”白雪温泉”が青森、”ためらいの湯”が京都、”風来温泉”が那須、”純情温泉”が黒川っていう感じで。なんと実在する旅館の名前が載っている。JTBとタイアップしてそうな商売気を感じたりして。でもこの作家って、なんか掴みきれない。幅があるというが、奥行きが広いというか。ちょっと玄人すぎるとも感じるし。

読みながら感じたのが、その強烈なリアリティ。ちょっとねえ。例えば2番目の”白雪温泉”。宿が一杯で、結局ふすま一枚で仕切られた和室に夫婦が2組泊まるっていうシチュエーション。独身時代、GWに富士五湖に遊びに行った時がこうだったような。主人公と同様、隣が気になって結局何もできなかったかなあ。3番目の”ためらいの湯”は、ダブル不倫で旅行のために嘘の口実。こういう時に限って妻から意味もない電話が。さらにどう嘘で固めるか。遊び人としての能力が問われている。

小技も持ってますね、この作者は。”初恋温泉”の”幸せなときだけをいくらつないでも、幸せとは限らないのよ”なんてセリフやパズルの話、はたまた”風来温泉”の女社長へのアプローチや、彼女が注文するシングルモルトのストレート。極めつけは”純情温泉”での、家族風呂のシステムについての事前の電話確認。なんだか楽しんだというより、背筋が寒くなったような。

読み終えて思いました。部屋付露天風呂のある黒川温泉でのんびりしたいと。

初恋温泉初恋温泉

IWC オールドインター

2006-12-17 06:33:09 | 520 アンティーク
先週Yahoooオークションで購入したのが上の写真のアンティーク時計。1950年代のIWC製。オーバーホール済みで、文字盤もリダン(再塗装)されているので外観はとてもキレイ。コアなファンはオリジナルのままじゃないとダメっていう人が多いけど、自分はそんなにこだわらないタイプ。これをずっと前から欲しいと狙っていたので、喜びもひとしお。毎日が楽しくって。

IWCはロレックスのように一般的な知名度は高くないけど、マニアには人気のあるスイスの老舗ブランド。正式な社名は、International Watch Company。けっこうベタかも。米人の時計技師フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズが本場に渡り、ドイツ国境に近いライン川沿いの都市、下の写真のシャフハウゼン(Schaffhausen)で1868年に創立。

この時計のウリは、ペラトン式ムーブメントCal.853。なんて言ってもチンプンカンプンかもしれないけど、機械式自動巻きの傑作。この時代はIWCと呼ばれる前で、いわゆる通称オールドインター。なんて言ってもケースの中の見えない話だけど。

特に気に入っているのがデザイン。3針式の当時の定番で、とにかくシンプル。にもかかわらず、ドルフィンハンドと呼ばれる長針と短針がレトロな雰囲気をしっかり醸し出している。基本に徹したモノづくりの精神が感じられて、なんとも言えず渋い。サイズもやや小ぶりで、腕の細い自分によく馴染む。いいですね。さりげない高級品。気品が漂っています。

今回良かったのは、信頼できそうな購入先だったこと。ここはサイトの中でも実績があって人気も高い。出品されている商品に共通して言えるのは、仕上げに職人の美学が感じられること。これまでは音楽CDとかファイヤーキングとかの安い商品ばかり、だけど今回のはちょいと高価。カミさんは心配していたけど、実際にモノを見たら安心したみたい。いい買い物でした。


無線LAN

2006-12-14 06:22:22 | 540 モノ
今日は9月に購入したPCの話の続編。いつも写真や画像の編集で使っているフリーウエアPictBearを始めとしたアプリケーションのインストールがようやく完了。それでついに手をつけたのが、無線LANシステムの交換。今まではYahooBBのPCカードをレンタルで使っていたけど、毎月1000円ずっと払い続けるのはもったいない気がして。

今回購入したブロードバンド無線ルータは、写真のcorega製のCG-WLBARGL-P。無線LANカードが1枚ついて、値段が約7000円という廉価版。つまり7ヶ月使えば元が取れるという計算。実はPC間でファイルの共用をしたいと思って調べるとYahooじゃできないことが分かって、それも交換の理由の一つ。将来的に光ファイバー化したとしても、そのまま使えるのも魅力。

気合いを入れて作業を始めたのはいいけど、子機が3台あるのでかなりてこずりました。無線LANの設定そのものは慣れていたから、そんなに時間はかからなかったけど、まいったのはファイルの共有。個別のPCのパスワードやセキュリティの設定がからんでいて難航。しかもPCの1台がWindows Meという古いOSだったので、Windowsそのもののアップデートも必要になって。もう勘弁してよ、とヘトヘトになった頃にようやく完了。疲れたなあ。まあたっぷりPCの勉強ができたからいいか。

今回よーく分かったのが、ネットの情報力。これがなかったら到底完了していない。その意味では、今年末に新しいOSのVistaがリリースされるのにと、カミさんから非難を受けながらXPのマシンを2台購入したけど、結果的にはそれで良かったかなあ。やはりある程度市場で使われて、その情報が流れて、そういう時間が必要なんだと思いました。

今は手始めに、デジカメ写真やネットウォークマン用音楽ファイルの共用化にトライ中。

ダ・ヴィンチ・コード

2006-12-12 06:31:50 | 350 映画
ようやく今年の話題作、「ダ・ヴィンチ・コード(THE DA VINCI CODE)」を観ました。原作は未読。まあレンタル屋で貸出中じゃないのを見つけ、ようやく借りたってところ。映画の封切は半年以上も前の5月だって。もうそんなに経つんだ。以前TVで米倉涼子が出演した特集番組を観ていたので、なんとなくストーリーの雰囲気はつかめていたけど。

観終わった感想としては、テンポも良くてまずまず面白かった。謎解きのオンパレードには、頭が少々ついていけなかったけど。長編小説を映画にしたので、ダイジェストにならざるを得なかったって感じ。やはり原作を先に読んでおくべきだったかなあ。

パリ、ロンドン、都市あり郊外ありと、ヨーロッパの香り満載だったけど、一番懐かしかったのはルーヴル美術館。映画のキーポイントにもなっていたし。特に上の写真の「モナ・リザ(Mona Lisa)」(1503-1505年)。すごく期待して行ったら、20号ぐらいの小さな絵なのに、たいそうなケースに入っているし人だかりができているしで、絵をまともに鑑賞することができなかった。残念。

それで”残念つながり”は、この映画に色気が全くなかったこと。オプス・デイの苦行帯や鞭といったSM系だけじゃなくて、カルト的儀式とかのエロス系も散りばめてくれたら良かったのに。原作には、”女性と通じることで、男性は絶頂の瞬間を迎え、頭が空白になったその刹那に神を見ることができる”、なんていうユダヤ教の聖婚の話とかも出てくるらしいから。

映画とは関係ないけど、ちょくちょく勉強しているのが世界の宗教。自分は”葬儀や法事の時だけ浄土真宗”の、代表的な無神の日本人。それがキリスト教系の大学に息子が進学したので、歴史ぐらいは知っておきたいと思って。でもキリスト教だけでみても、カトリックとプロテスタントなんて単純じゃなく、宗派の派生がずいぶん複雑。ウンチクはとうてい語れないようです。

ダ・ヴィンチ・コード DVDダ・ヴィンチ・コード DVD

「おじさん」的思考

2006-12-08 06:38:33 | 010 書籍
いつか紹介しようと思っているフランス人精神分析学者のジャック・ラカンと、リトアニア出身でユダヤ人哲学者のエマニュエル・レヴィナスを少しでも理解したいと、調べていくうちにひょっこり見つけたのが、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授の内田樹(うちだ たつる)が書いた、『「おじさん」的思考』(2002年)というエッセイ。

つながりは、”ラカンやレヴィナスの本がなぜ難しいのか? それは簡単にはわからないように書くことによって、読者にあなたは何をいいたいのかという問いを励起させることをめざしているのだ”という彼のコメント。なるほどね、だから簡単に理解できないんだ。だってレヴィナスの代表作「全体性と無限」(1961年)を図書館で借りて読み始めたら、まるで理解できなかったから。

内田のこの作品の中で印象に残ったのがエロスの話。ネタはレヴィナスで、”官能において私たちが照準しているのは他者の肉体ではなく、他者の官能である。一方、他者が照準しているのは私の肉体ではなく、私の官能である。私は他者の官能を賦活し、他者の官能は私の官能を賦活する。つまり、性愛の局面において、私が快感を得るのは、相手が私から快感を得ていると感じるからであり、相手が私から快感を得るのは私が相手から快感を得ていると感じるからである。”というもの。

なんとなく分かるような。自分がフーゾクに全く興味がない理由って、こういうことかなあ、なんて思ったりして。ちょっと違うか。これって、ラカンの言葉で”欲望とは他者の欲望を欲望することである”というのとつながっているのかも。なんか低俗な話でも、哲学的に扱うとカッコイイ。飲み屋で使えそう。もう少し勉強してみるかな。不純な動機ほど長続きがするって言うし。

まあ難しい話は置いといて、女子大の教授なんて羨ましいなあ。毎日がハーレム状態。今日は“エロス”つながりで、小出楢重の晩年の作品「裸女結髪」(1927年)を紹介しておきます。

「おじさん」的思考「おじさん」的思考

全体性と無限 (上) 全体性と無限 (上)  全体性と無限〈下〉全体性と無限〈下〉