或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

南薫造

2016-01-16 15:53:12 | 300 絵画
昨年の暮れに友人とランチをした時の話。この時期が旬のフグが食べたいということで、広島の有名店である「正弁丹吾」へ。いつもは接待で座敷を使っているけど、この日は2Fのテーブル席。初めてだったけど、広めでまずまず。予約しておいた昼のフグコースが想定以上のパフォーマンスで、てっさからデザートまでを満喫。2時間ぐらいかかったかな。連れも喜んでくれた。

この店は広島の繁華街から少し外れた所にあり、普段は昼間に来ることがあまりないので、駐車していたパルコまで2人でブラブラ歩いていた時にひらめいたのが、せっかくだから画廊巡りでもしようかと。1、2軒まわり、最後に入ったのが「石森画廊」。場所が移転してからは初めて。軽いノリで作品を順に眺めていて、足が止まったのが1枚の風景画。身体が熱くなって。

絵のタッチと左下の特徴のあるサインから、作者が南薫造だということはすぐに分かった。気持ちを抑えて絵の下の机の上にあったプレートを確認してびっくり。4号という小さなサイズにしても、たった30万とは。もっと高いと予想していたから。「ひょっとして、長年憧れていた画家の作品が手に入るってこと?」と、半信半疑のままで興奮が徐々にピークに達したのは確か。

彼については伏線がある。昨年1月、同じ連れと二人で竹原へ遊びに行った時に、土産物屋の壁に飾ってあるのをふと見つけて、えらく感動したのを憶えている。「これって、まさか売り物じゃないよね」と言うと、「店の人に聞いてみたら」と言ってくれたけど、その時は何故か躊躇してしまい、後で聞けばよかったと後悔したっけ。そのことを連れも思い出してくれて。

「すいません、これ下さい」と、ほとんど会話がない状況で唐突に申し出たものだから、店長も驚いた様子。「彼の作品がこの価格ですから」と微笑みながら紹介してくれた。それから毎日眺めて楽しんでいるけど、おそらく彼が晩年を過ごした呉市の安浦近郊を描いたもの。秋の瀬戸内海がのどかで暖かい。これから一生、この作品と一緒に過ごせると思うと、とっても幸せ。

肥後橋

2015-10-08 11:51:35 | 300 絵画
今週は水曜日から金曜日までが出張で、昨日は大阪で宿泊。最近は東京もそうだけど大阪もホテルの予約が取りづらくなってきている。直前なら致し方ないけど、1ヶ月ぐらい前でも希望の場所と価格帯がなかなか見つからない。今回も、同行者2人を含めた3名のせいもあったけど、梅田周辺が全くなし。地下鉄の肥後橋駅近くのホテルをなんとか予約できて。

取引先との打ち合わせを終え、ホテルにほど近い北新地の“だるま”で定番の串揚げを食べ、皆が良い気分で飲み屋街を歩いた。少し飲み足らないということで、安い居酒屋へ入りカウンターへ座ると、なんとTVで広島カープの最終戦が放映されていて。部下が逐次チェックしていたので3-0で負けていることは知っていたけど、まさか大阪でTV中継を見ることになるとは。

「今年はホント打てないよな」、「これでカープが負けたりしたら、例の阪神戦での幻のホームランが再びクローズアップされるな」、「山本昌が最初の一人だけでなく、もっと投げて失点してくれたら良かったのに」、などと小声でグチをこぼしあっていると店の客から、「中日も負けてやったらええのに」と、関西弁でカープを応援してくれているような声も聞こえてきたりして。

結局は1安打で、今期を象徴するような完封負け。CS進出が水の泡と消えてしまった。開幕当初に、ひょとしたら優勝するかもと期待していたのが懐かしい。打てないのだから仕方がない。TVで試合後の観客席を映していたけど、年配のファンは目に涙していたりしたけど、若いファンは逆にニコニコ笑っていたような。世の移り変わりを感じながらホテルへ帰って寝たけど。

それで肥後橋の話。実はホテルを予約した時から気になっていた。お気に入りの画家である佐伯祐三が描いた上の画像の「肥後橋風景」(1927年)。そのイーゼルを立てた場所を尋ねたいなと。翌朝、迷いながらもホテルの傍にそれらしき場所を発見。そこから写した肥後橋が下の写真。90年近くも時を経ると、こうも景色が変わるのかと。諸行無常、諸法無我。閑話休題。


日和崎尊夫

2015-07-13 05:27:49 | 300 絵画
高知旅行への1泊旅行の2日目も、朝からあいにくの雨模様。四国の梅雨を実感しながら、何処へ行こうかと。二人とも有名な観光名所は経験済みだし、雨中で屋外はつらいということで、とりあえず高知県立美術館へ。シャガールを多数所蔵し楽しみにしていたのだけど展示数が少なく、企画展の現代作品が展示スペースの大半を占めていた。

ちょっと期待ハズレで、そろそろ帰ろうかとしていた時に出会ったのが、日和崎尊夫の木口木版画。その精緻な造形と、特徴的な模様が醸し出す不思議な世界に魅了されて。じっと眺めていると、自分の体に鳥肌が立つ前の、いつもの絵画に感動した時の体の変化を感じた。これは凄いと思っていたら、自分の眼の前に「KALPA 夜」(1972年)が。これはヤバかった。

作品を見終えて感動に浸っていると、フロアの隅にTVコーナーがあり、そこで放映していたのが日和崎を特集した日曜美術館のビデオ。1998年の作品で、後で調べると、Eテレ「見つけよう、美」の中にオンデマンドデータとして保存されていた。タイトルは、「新日曜美術館 闇に刻まれた宇宙 ~日和埼尊夫の木口木版画~」。これでぐいぐいと彼の世界に引き込まれて。

1941年高知市の生まれ。武蔵野美術学校卒業後、1964年に帰郷し、廃れていた木口木版画技法を独学で身につけた。1966年には日本版画協会新人賞、1967年には日本版画協会賞を受賞。1992年食道癌のため50歳で永逝。無類の酒好きで、普段は大人しく口数も少なかったようだけど、酒が入ると性格が豹変。大声を出したり踊ったり、相当酒癖が悪かった様子。

あっと驚いたのが、ビデオの中で彼が晩年使っていた「白椿荘」という名前のアトリエの映像が出てきた時。土佐市宇佐町竜の太平洋を望む山中に建てられていて、今自分が探している家の立地条件や雰囲気にピッタリ。雨が上がり、美術館を後にして、桂浜から須崎までの間、車で宇佐のローカル道を走ったのだけど、残念ながらアトリエを見つけることは出来なかった。

足立美術館

2014-11-24 06:05:20 | 300 絵画
先週の土日は、会社の部下の結婚式に招待されたこともあり島根県の松江市へ。娘が高校生の時、吹奏楽部のイベントが出雲市であったので、そのついでに亡くなったカミさんと松江城とかを観光したけど、もう十年以上も前なんだ。結婚式は日曜日の午前中だったので、最初は高速バスを使って当日早朝に出発しようかとも考えたけど、時間がギリギリだったため断念。

それと、せっかく松江まで足を伸ばすのなら、ゆっくり観光でもしたいなと色気が出てきて。結局友人と二人の、1泊2日のプチ旅行になったのだけど、土曜日に何処へ行こうかとあれこれ迷っていた時に脳裏に浮かんだのが足立美術館。広島からだと松江をいったん通過して米子へ行く途中にはなるけど、わずかだし、前からずっと行ってみたいと思い続けてきたから。

松江自動車道が今年8月に全面開通したこともあり、広島から3時間もかからなかった。遅い昼食を安来市にある出雲そばの有名店で済ませた後で、のどかな田んぼ道を少し走ると、なにやらやけに大きな駐車場が見えてきて。なんかその風情の無さに、いやーな予感がしたかな。入口で入場券を買った時も、2,300円という高額に、これまたいやーな予感がして。

だけどそんな不安は有名な庭園と、見頃の紅葉が視界に入った時に、一瞬で払拭された。米国の雑誌の日本庭園ランキングにおいて11年連続で庭園日本一に選出されているのがうなづける。庭園を十分に楽しんだ後で、横山大観の特別企画展の部屋へ。有名な上の画像の「雨霽る」(1940年)や、大作である「紅葉」(1931年)等、彼の画才が強く訴えかけてきた。

いや、改めてその才能の凄さに納得し、大満足で晩秋の美術館を後にしたのだけど、駐車場や土産物屋、はたまたポリシーが感じられない多くの洋画の展示等、どうも商業ペースにはまった薄っぺらさが随所で鼻についたもの確か。その辺りを改善すれば、所蔵の作品群が素晴らしいだけに、もっと品と風格が出るような気がした。なんてちょっと言い過ぎたかも。


兵庫県立美術館

2014-06-08 07:36:43 | 300 絵画
神戸ポートピアホテルをチェックアウトして向かったのが兵庫県立美術館。前身は王子動物園の傍にあった兵庫県立近代美術館。そこでの過去の楽しい思い出が脳裏をよぎった。2002年に神戸東部の新都心、通称“HAT神戸”に移転したのは知っていたけど訪れたのは今回が初めて。いかにも安藤忠雄の設計らしいデザインの建物だったけど、やけに大きかった。

開催されていた企画展が、「夢見るフランス絵画~印象派からエコール・ド・パリへ」。とある方が所有している作品の展示ということだったけど、モネ、セザンヌ、ルノワール、キスリング、藤田嗣治、シャガール、ユトリロなどフランス近代絵画を彩る作家の作品が71点。総じて名作というより佳作が多かったけど、それにしてもどんだけ金持ちなんだと、そっちに驚いたかな。

自分的に最も好みだったのがモネの「エトルタ、夕日のアヴァル断崖」(1883年)。モネは好んでフランス北部のノルマンディー地方、特にこの場所を描いているのだけど、それらの中でも飛び切り出来が良かったような気がする。とくに夕日が波間に写りこむ様の表現が素晴らしく、アクセントのペルシャンブルーの色の濃さがせつなく、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。

時間があったので、建物の中にある小磯良平記念室に行こうと受付で確認すると別料金が必要とのこと。おいおい、それはないだろうと。そこまでしてという気持ちもなかったので帰ろうとした時に、14時から開催されるミニコンサートの案内が眼に止まって。歩き疲れていたのでちょっと休憩がてらと軽い気持ちでホールへ。ところがこれがサプライズだった。

適度の広さで音響も良く、100名程度の席がほぼ満員。そこにドレス姿の若い女性が2人登場。メゾソプラノの歌声とそれに絡むピアノが子守唄になり、つい爆睡してしまった。その後で三宮へ移動し、知っている居酒屋で遅めの昼食を取ったのだけど、大瓶のビールと串揚げで2人共すっかりほろ酔い気分になって。1泊2日だったけど、初夏の神戸を満喫したかな。


シャガール金鱗湖美術館

2014-05-19 05:31:06 | 300 絵画
せっかく由布院まで来たのだから温泉以外にも何か楽しめるものはないか、いろいろ探していた時に見つけたのが「シャガール金鱗湖美術館」。HPには「由布院シャガール美術館」とあるけど、正式には「マルク・シャガール由布院金鱗湖美術館」というのが正しいのかな。由布院美術館は以前に訪問したことがあったけど、ここの存在は知らなかった。

訪問したきっかけだけど、宿をチェックアウトした後で由布院の目抜き通りをぶらぶらしてみても、食指をそそる飲食店がなくて。有名な金鱗湖の近くにカフェがあるから、そこでランチを取ろうということに。ところがGWだからか元来道が狭いためか、とにかく車がやけに混んでいた。ようやくカフェの傍まで辿り着いたと思ったら、今度は駐車スペースが全くなくて。ところがちょうど渋滞がピークに到達して車の流れがストップ。数分すると目の前に駐車していた車が出てくれた。

「なんか僕達ついているね」と2人で顔を見合わせながら、笑顔で車を止めてカフェ「La Ruche(ラ・リューシュ)」の店内へ。待っている間に奥のオープンテラス越しに金鱗湖が見えたのだけど、景色が素敵だなと。しばらくして席に案内され遅めの昼食をゆったり楽しんだ。こんな田舎にこんな都会的なセンスのカフェがあるなんて、カップルのデートにもってこいだなと。

店を出て、次はお目当てのシャガール美術館に行こうとキョロキョロしてみたものの見つからない。そうこうするうちに、すぐ隣に何かしら入口のようなものを発見。近づくと入館料等の案内が表示されてあり、ここが美術館だとようやく分かった。カフェの2階につながる階段があって、それを昇るとシャガールの版画が50点ぐらい展示されてあったかな。

もちろん広島県立美術館で昨年開催されたシャガール展などと比べると話にならないくらい規模は小さかったけど、場所が由布院で、しかも金鱗湖が目の前という絶好の立地の中にこじんまりと佇む美術館。小さな版画が可愛らしく展示してある、これにはくすぐられた。初夏の新緑の中で、カジュアルにのんびりと絵画を楽しむには絶好だろうなあ。


小磯記念美術館

2014-01-23 05:26:32 | 300 絵画
先週の週末は新潟での仕事がたまたま金曜日の夜まで及んだので、翌土曜日に新幹線で広島駅まで帰らず、新神戸駅で途中下車して1泊。翌日曜日に出かけたのが小磯記念美術館。言うまでもなく、神戸出身の小磯良平の作品を集めた美術館で、自分の記憶の中では、移転前の兵庫県立近代美術館時代に彼の作品を集めた別館があったのが印象に残っている。

調べると、この美術館は2002年に開館していて、遺族から神戸市へ寄贈された作品群が中心。その数約2,000点というから、それは膨大なコレクションだったことが分かる。JR住吉駅から六甲ライナーに乗り、アイランド北口駅を降りてすぐの六甲アイランド公園内にあり、実際に行ってみると、広い敷地にゆったりと建てられており、なかなか贅沢なんだなと思ったけど。

館内へ入ると眼前に現れたのが、復元された彼のアトリエ。入ると当時さながらのイーゼルや絵具がそのまま展示されていて感慨深かった。家のいたるところに配色されていたのが、彼が好んだと言われる薄いダークミントグリーン。これって北野にある異人館等でよく見かける色で、なんか自分と同じ趣味に少し驚いたけど。彼の洋風な感性のルーツに触れた気がした。

その日は、”小磯良平生誕110年記念特別企画 「あなたが選ぶ小磯良平作品選」”が企画展として開催されていて、一般の投票に基づく上位50点が展示されていた。いずれも佳作揃いで楽しめたのだけど、自分の好みだったのが上の画像の「夫人像(エステラ)」(1984年)。中年の白人女性を描いた肖像画なのだけど、その体格の良さが妙に色気として訴えてきた。

十分に作品を堪能した後、帰りの列車を待つ間、駅のホームから六甲アイランドを見渡したのだけど、道路に人影が全く見えない。新しい街並みとの対比にちょっとした違和感を感じ、現代の廃墟のような不思議な雰囲気を感じた。美術館には喫茶室や売店もあったのだけど、日曜日だというのに訪問客の絶対数そのものが少なくて、なんとなくもったいない気がした。


シャガール展

2013-11-15 05:43:24 | 300 絵画
先週の日曜日の午後に、広島県立美術館で開催されているシャガール展へ。彼の作品は、それこそいたるところにあり、ほとんどの美術館が数枚程度は保有しているような気がする。それらを観るたびに洒落ていて素晴らしいと感じながらも、魂を揺さぶられるとか、そこまでの感動を味わったことはなかった。重厚な作品の合間に、デザートでも味わう感じとでも言えるかな。

なので今回彼の作品が200点以上展示してあると知って、これはデザートとしてではなくメインディッシュとして楽しめるかなと期待していた。おそらく女性に大人気だろうから、ゴッホ展の時と同様に近隣の駐車場が満杯になるだろうとの予想の元、少し離れた場所に止めて歩いて会場へ向かったのだけど、意外に空いていて。館内に入っても混雑している様子はまるでなし。

展示室に入ると、そこそこ客はいたけどゴッホ展の2~3割程度ぐらいだったかな。とりあえず彼の経歴をチェック。これまで全く知らなかったけど、彼はロシア系ユダヤ人で、美術学校を卒業して1910年にパリへ出て、その後ユダヤの迫害を逃れるために1941年に米国へ亡命。その後再びパリに戻り、晩年は南仏のニースに程近いヴァンスで暮らし、1985年に亡くなっている。

展示は油彩、版画、グワッシュ、水彩、陶芸等々、様々な様式がちりばめられていて、まさにシャガールワールド。その幅の広さはピカソに似ているなと。パリのオペラ座やランスの大聖堂のステンドグラスが彼の作品だとは知らなかった。会場ではそれを模擬した部屋も設置されていて、それなりに実物の雰囲気を味わうことができ、企画として凝っていて素晴らしいと感じた。

それで最も印象に残ったのが上の画像の「サン=ポールの上の恋人たち(Couple au-dessus de Saint-Paul-de-Vence)」(1970-1971年)。作品の下半分を彩る赤がとても印象的で、その上に隠れるように描かれたカップルの幸せそうな表情を浮き立たせている。見終えて、とても和んでいる自分に気がついて。とても幸せな気分で帰路についたっけ。


ゴッホ展

2013-09-25 06:25:53 | 300 絵画
この前の日曜日に広島県立美術館で開催されていたゴッホ展へ。サブタイトルは”空白のパリを追う”。この企画展は7月22日から開催されていて、地元の新聞で累計入場者数等の情報が掲示されていたので、人気があることは分かっていた。だけどいつかはと思いながらずるずるしてしまい、結局最終日の前日になってしまった。滑り込みセーフといったところ。

15時ぐらいに現地について美術館の駐車場に止めようと入口付近へ近づくと、すぐに満車の看板が目に入った。やっぱりなと。近くの一般駐車場も同様に満車。結局歩いて10分近くかかる離れた駐車場で空きをなんとか確保。いざ館内へ入ると、想像程ではなかったけど、かなりの人混み。ひょっとして、この美術館でこれだけ混むのは初めてじゃないかと思ったりして。

いつものように、列をなしてゆっくり数珠つなぎに並んでいる客の後ろから早足で作品をチェック。ほとんどがアムステルダムにあるゴッホ美術館の所蔵品だった。だけど自分がかつて10年以上も前に現地で見て記憶に残っている作品は、自画像の数点のみ。作品は1886年から1888年までのパリ時代の作品で、いわゆるそれより後の有名な作品群と比べて地味な感じ。

印象に残った作品は「森の小路」や「セーヌ河岸」、あるいは小さな自画像や弟であるテオの肖像画等、いくつかあったのだけど、中でもぐっときたのが「アブサンのグラス( Cafe table with absinthe)」(1887年)。この頃は、いわゆるゴッホの明るい色彩と大胆な筆致とは対照的で、繊細な作品が多い。特にこの作品は、被写体とマッチして素晴らしい雰囲気を醸し出していて。

改めて認識したのが、ゴッホの画風の急速な変化。オランダ時代は別として、特に1886年あたりから亡くなった1890年までは特に。その意味では、パリ時代というのは狂乱の前の静けさといったところか。会場にはパリの地図も展示してあって、モンマルトルでゴッホの住んでいたアパートを訪ねたことを思い出した。ということで、久しぶりに絵画を楽しめたかな。


プーシキン美術館展

2013-06-23 06:20:08 | 300 絵画
甥の結婚式の翌日は名古屋で遊んで帰ることに。親戚が集まる前に出かけたのが愛知県美術館で開催されていたプーシキン美術館展。サブタイトルはフランス絵画300年。美術館は久しぶり。ここは前に一度来たことがあったので、場所を迷うことはなかった。開館すぐの10時過ぎにエレベータでビルの10階に上がってびっくり。チケット売場に百人ぐらいの列ができていて。

プーシキン美術館ってそんなに有名だったっけと思いながら自分も列に並び、ようやくチケットを手に入れて展示室へ入ると、かなり混雑していた。親戚と11時に待ち合わせた関係でゆっくりする訳にもいかず、ロココや古典主義はほとんど飛ばして印象派の部屋へ。マネ、モネ、セザンヌ、ゴッホ等、有名どころの作品が多数展示してあったけど、出来はイマイチだったかな。

そんな中で、さすがと感心したのが、目玉らしいルノアールによる「ジャンヌ・マリーの肖像画」(1877年)。背景のピンクというか肌色と、ドレスのくすんだ深いグリーンのコントラストが素晴らしい。極上の色彩感覚。ルノアールって、こういうのを描かせたら上手い。それと、彼の肖像画の特徴なのだけど、被写体女性の瞳がまっすぐこちらを向いていてドキっとくる。自分が絵画にハマるきっかけがこれだったから。これでモデルが美人だったら最高なんだけど、なんていうのは自分勝手すぎるか。

あっという間に会場を見て周ったけど、どれも大作というより佳作ばかり。情けない話が、プーシキン美術館がモスクワにあって、サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館と並びロシアの2大美術館だったとは知らなかった。本国から持ってきていないのかもしれないけど、それもこのレベルだと、やはり旧ソ連より米国の方が圧倒的に金持ちだったってことかな。

そんなことを感じながら最後の展示室に入った時にサプライズが。シチューキンのコレクションからピカソの作品が数点飾られていたのだけど、どれも出来がすこぶる良くて。特に印象に残ったのが上の画像の「マジョルカ島の女」(1905年)。青の時代から薔薇色の時代へ変わっていく途中の作品。構図、タッチ、色使い、被写体の表情等々、観ていて鳥肌が立ってしまった。