或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

IT勉強進捗[8月度]

2009-08-31 06:18:28 | 180 ITストラテジスト
歳をとると衰えるのが記憶力。どうもいけない。そんな昔のことではないのに忘れていることが多い。記憶のかけらもないのが恐ろしいぐらい。でもそれくらいスッパリだと、逆にあれこれ気にしなくて良いという利点もあるけど。つい先日クレジットカードの明細票を確認していた時の話だけど、”まぐまぐ”の名前で毎月100円引かれているのに気づいた。これが記憶にない。

”まぐまぐ”で思い出すのはメルマガだけ。確かに無料のものは自分から希望して数多く配信してもらっている。だけど有料契約をした記憶がなくて。調べると、今年の初めからほぼ毎日配信されている「ITストラテジスト試験トレーニング午後1」がそれだった。完璧に”有料”の記憶えなし。もちろん有料と知った上で申し込んだんだろうなあ。この先がもっと恐ろしい。

振り返れば春期はシステム監査技術者を受験したのでITストラテジストの勉強は放ったらかし。このことをキッカケに8月に入ってからは積極的に読み始めたけど。内容はシステムアナリストや上級システムアドミニストレータ試験の過去問とその解説。文章を速読するには格好のトレーニングになっている。なんといっても有料なんだから活用しない手はないだろうと。

それで勉強の進捗状況だけど、8月の目標としていた午後Ⅱの論文ネタの作成を完了。インターネットVPNを利用したERPがらみの情報システム系と組み込み制御システム系の2つ。だけど制限時間内でこれを書き終える練習は試験直前の1ヶ月前、つまり9月中旬まではしないつもり。何故かって?字を書くのが半端なく疲れるから。つらいことは後で短期集中にしようと。

当面は午前Ⅱと午後Ⅰに集中するつもり。幸い午前Ⅱについては「示現塾 高度に出る午前問題を解こう!」と「高度を目指す一日一題宿題メールマガジン」という2つの無料メルマガがたまっている。今回の有料メルマガと合わせて毎日の勉強のペースメーカーになり始めた感じ。ということで、3ヶ月羽根を伸ばしてリフレッシュしたので、これからガンガン加速しなきゃね。

森有正先生のこと

2009-08-28 06:20:48 | 010 書籍
少し前に記事にしたのがNHK広島制作のTVドラマ「火の魚」。このドラマの原作は室生犀星で、調べているうちに、登場人物の老作家と若い女性編集者の折身とち子が、どうも室生本人と当時筑摩書房に勤めていた栃折久美子らしいことが分かって。おりみとちこ、折美栃子、栃折久美子、うーん、なるほどね。やけにベタな仕掛けで、モデルが誰だかもろ分かりじゃん。

さらに調べると、栃折久美子は有名な装丁家で、彼女が製作した金魚の魚拓が実際に存在し、しかもそれが室生の晩年の作品「蜜のあはれ」(1959年)の初版の表紙に使われていた。なにやらこの辺りのつながりからムズムズと好奇心が湧いてきたのは確か。ドラマで折身とち子役を演じた尾野真千子のイメージが脳裏に焼きついていて、そのせいもかなりあるけど。

その栃折久美子が書いたエッセイのひとつが「森有正先生のこと」(2003年)。コピーは”ひとつの季節、ひとつの恋。装幀家として出会ってから、森有正の死にいたるまでの十年間。謎に満ちた「森有正という人」の虜になった日々を甦らせる、著者ならではのレクイエム”。なんかねえ、どうも男と女の妖しい関係の匂いが感じられたので、図書館で借りてすぐに読んでみた。

1967年当時に39歳だった彼女が著名な哲学者であった56歳の森に出会ってからの約10年間が綴られているのだけど、書いたのは彼の死後で74歳になってから。彼女はパリに住む森に憧れ、森も彼女に思いを寄せたけど、彼女は装丁という自己の道を進むために、あえて距離を置き始めた。このカミングアウト的エッセイは、かなり意味深。当時のスケジュール帳等をベースにしているのだろうけど、時刻や会話の内容が妙にリアル。逆に描写はプラトニックに終始している。

印象的だったのが彼女の名前つながり?の栃の木の話。「ああ、この木、これはマロニエです」「いいえ先生、これがいつだったかお話しした、東京ではめずらしいトチの木の並木なんです」。つやつやした葉がたくさんついていた。同じトチノキ科だから葉だけ見ていると見分けがつかないくらい似ているが、秋に実を見ればすぐ分かる。「植物の名をまちがえるということは、本当にショックですね。そういうことの上に立っていろいろあるわけですからガタガタになります」。なかなか面白い関係。

そういえば5月のパリはマロニエが咲いていたなあ。確かめたくなったのが彼女達のルックス。でもね、後悔した、調べなきゃ良かった。なんか夢から醒めたような。ドラマのイメージをそのまま抱いていた自分に誤りが。勝手な思い込みはいけませんね。

       蜜のあわれ蜜のあわれ     森有正先生のこと森有正先生のこと

名探偵の掟

2009-08-25 06:24:45 | 370 テレビ
このところDVDレコーダーに録画していた溜まりに溜まった番組の整理に追われているのだけど、なんかねえ、最近はどうも好みに合う番組が少ないような。だから追われているといっても、実のところ東野圭吾原作でテレビ朝日系列の深夜ドラマ「名探偵の掟」を観ては消し観ては消しただけ。もうとっくに放映は終了していたけど、この土日にようやく最終回までこぎつけた。

観ながら思ったのが、この番組は自分にとってツボだなあと。とにかく笑える。造り的には”ゆるーい”のギャグ満載って感じで、同じ深夜帯に放映された「時効警察」や「33分探偵」と同じ雰囲気なのだけど、今回はキャスティングが自分の好みにピッタリ。鬼刑事役である木村祐一のお笑い出身とは思わせないしっかりしたクサイ演技も渋いけど、お目当ては主人公で探偵役の松田翔太の相手役を勤める新人女刑事役の香椎由宇。ルックス的に取り立てて好みという訳ではないのだけど気になる。

そんな怪しいファンにとってたまらなかったのが第八章の”花のOL湯けむり温泉殺人事件”。珍しくこの回だけは彼女が主役。しかも隠密調査のために様々な変装をするという設定。それはもう大コスプレ大会。黒のメイド服、ピンクの和服、白衣、ブルーの制服と定番モノが勢揃い。男性視聴者がどうすれば喜ぶか、しっかり理解してくれているなあと。

しかし香椎由宇ってスタイルが良い。特に足の長いこと。いわゆるモデル体形。刑事という役柄もあるのだろうけど、後ろで束ねただけのシンプルな髪型が、逆に素材の良さを引き出しているような気がする。それと設定されたキャラが彼女にピッタリ。

探偵モノのコメディと言えば、自分の世代では、なんと言っても松田翔太の父親である松田優作の往年の名作「探偵物語」。キザなシルクハットとか、なんとなくつながりを持たせた感がアリアリ。思えば”ゆるーい”ドラマのハシリだったかもしれない。

名探偵の掟 (講談社文庫)名探偵の掟 (講談社文庫)

バカラ ナンシー

2009-08-21 06:17:56 | 520 アンティーク
最近の若者は酒離れが進んでいるらしく、自分の娘や息子もしかり。でも最近買い物のついでに娘と酒屋に立ち寄った時、サントリーの角瓶を買いたいと言い出したのでビックリ。ウィスキーならシングルモルトが沢山あるからそれを飲めばと促しても、ガンとして主張するので引き下がったけど。どうやらハイボールにするらしい。そう言えば門司がらみの記事で小雪が宣伝しているCMを記事にしたことがあったっけ。だけど買ったはいいけど、飲んでいるのを見たことがないとのはどうしてだろう。

その影響ではないと思うけど、夏のバーゲンで久しぶりにバカラのタンブラーをゲット。閉店間際に行ったので売場へ直行して物色していると、ナンシー(Nancy)を発見。これはグーとすぐにカウンターへ持っていくと、そこにも同じナンシーが1個。「これはどうしたのですか?」と店員に聞くと、「訳アリなんです」との回答。グラスの裏に小さいキズがあるとのこと。実際に調べると、確かにあるけど、一回洗えばついてしまうようなもので全く気にならない。結局定価の半額以下でそれを買うことに。

実はその時に初めてこのタンブラーの名前を知り、帰宅して由来を調べるとフランスのロレーヌ地方の都市の名前だった。バカラ発祥の地のすぐ近くで、アール・ヌーヴォー発祥の地として有名なんだとか。あのエミール・ガレが生まれ育ち、工房を持ったのがここ。なるほどね。パリの東に位置していて、ドイツのシュトゥットガルトとのちょうど中間あたり。国境に程近い。

でもどうしてこのタンブラーにその都市の名前をつけたか不思議。というのも特徴である縦横に走る直線的なカットと曲線の芸術であるアール・ヌーヴォーじゃまるでセンスが異なるから。まあそんなことはさておき、このカットから放たれるきらびやかな光はとても魅力的。バカラのラインナップの中でも極めて現代的なデザイン。そのシャープな雰囲気が夏にピッタリかな。

話は変わるけど、ナンシーで思い出すのがジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲したジャズのスタンダード。フランク・シナトラの娘ナンシーのために書かれたこの曲は父親も歌っているけど[YouTube]、なんといっても有名なのはコルトレーンの「Ballads」(1962年)のラストチューン[YouTube]。久しぶりに聴いたけど素晴らしい。季節が夏というのが、ちょっと違うかなという気もしたけど。

 Sinatra's SinatraSinatra's Sinatra      BalladsBallads

                        Baccarat Nancy

6区 グランゾーギュスタン通り

2009-08-19 06:48:02 | 830 パリ紀行
6区のボザール通りにあるオスカー・ワイルドゆかりのホテルの後に訪ねたのが、6区のグランゾーギュスタン(Rue des Grands Augustins)通りの7番地にあるピカソのアトリエ跡。3ブロックほどだから、歩いて10分程度。絵葉書や映画のロケで有名なパリ最古のポン・ヌフ橋がすぐ近くにある。周りはパリの代表的な観光地の匂いがプンプンしていて、とても華やかだった。

通りに入るとすぐ左手に大きな建物が。大きな門の正面の上2階がピカソが所有していたアトリエ。ただし”梁出し天井”と呼ばれるロフトのような造りなので、2つの階はつながっていて大きな空間になっている。ここはかの有名な作品「ゲルニカ」(1937年)が創作された場所。絵の大きさが350×780cmもあるので、これぐらいの広さがないと描けなかっただろうけど。

上の写真はその頃の彼を当時の愛人ドラ・マールが撮影したもの。彼女が助手で写真家だったからこその貴重な記録。ピカソは彼女と1936年から1945年までの約10年間つきあい、彼女の紹介でこのアトリエに引越し1955年まで住んでいる。当時はまだ正妻のオルガがいたし、若いマリー・テレーズ・ワルテルとも関係が続いていて、それに彼女が加わるということは”4つ巴”。反戦を訴えた社会的な作品に取り組みながらも”お盛ん”な時代だったようで。やりますね、”下半身は別人”ってことか。

当時はブルジョワ階級の生活を存分に楽しんだ後の不遇な時代。スペイン内乱(1936~1939)や第二次世界大戦(1939~1945)が続く中、ヨーロッパに全体主義が台頭した時代で、彼の作品は退廃芸術と見なされ公式のサロンへの出品が禁止され、ナチスにも相当睨まれていた。このアトリエがある周辺は、そういった地下活動が盛んだったのもうなづける。

でもこの場所でドラとマリーはピカソを奪い合い取っ組み合いの喧嘩を頻繁にしていた。ピカソは「君を愛してはいない」とドラに面と向かって言ったらしくて、それがきっかけで誕生したのが有名な「泣く女」シリーズ。その辺りのギャップが実に面白い。

アトリエ 玄関ポン・ヌフ橋 遠景
ポン・ヌフ橋 近景アトリエ 全景


ピカソ 作品集ピカソ 作品集

角寿司

2009-08-17 06:11:11 | 600 グルメ
先週の土曜日は家族を代表してひとりで盆の墓参りへ。天気予報では曇りだったのに、朝からあいにくの小雨模様。イマイチ気乗りがしなかったけど、おつとめと割り切って出発。両親からの頼まれものや、前日に釣ったタチウオやタコをクーラーに入れ車に積んで、途中子供用にアイスクリームを買ったりもしながら国道を北上。およそ1時間で祖父母の墓がある山村へ到着。

まずは墓参り。数珠を手に目を閉じ故人に思いを馳せる。懐かしい思い出が蘇る。ひっそりとした森の中でのしばしの静寂。時の流れをしみじみと感じる。墓標を眺めると、伯父や叔母を含めて多くが80代前半で他界していることに気づいた。今や自分の両親がその年代。もう一緒にいられる時間もそう長くはないなとつい感傷的になってしまった。

それが終わったら親戚まわり。年に一度しか顔を合わさない相手がほとんどなので、自分の役目はもっぱら父母の近況についての報告。それが終わると雑談をあれこれと。自分的に驚いたのは、従兄弟の旦那が釣りをやめて野菜作りに趣味を鞍替えしていたこと。所有していたボートも売却したのだとか。だからなんだ、持参した魚をえらく喜んでくれたのは。

そのお返しにと、畑に行って野菜を収穫することに。きゅうり、なす、トマトといった定番モノに加えてししとう、いんげん、しそといった”こだわり”モノまで多種多彩。圧巻だったのは巨大な冬瓜(とうがん)。専門店で食べる中華料理でたまに見かける程度だから珍しかった。でも自宅でどう食べるか、それが問題。凄い量だから、カミさんにいろんな調理法を勉強してもらわねば。

雨が降り続く中、最後に立ち寄ったのが、いつもいろいろと世話をしてくれる叔母の家。案の定、両親と自分が大好きな写真の角寿司をお土産に用意してくれていて。角寿司とは、この地方独特の押し抜き寿司のこと。中にゴボウやニンジンの煮物が具として入っている。皿からはフワーッと薬味系の香りが。それが寿司の上に数枚乗っている山椒の葉。もうこの時期になると若葉ではないので、もう”木の芽”とはちょっと呼びにくいかな。好きなんだなあ、これが。

タコ

2009-08-15 06:53:16 | 400 釣り
昨日は先週に引き続いて釣りの連チャン。連チャンは久しぶり、というか金銭的に厳しいので普段はそんなスケジュールを組まないから。ところが今回は自ら遊魚船に電話して前日に予約。要因がいくつかあった。娘と二人で水入らずの一日を過ごそうと思ったら、友達と宮島の花火大会を見物に行き、そのまま友人宅からカミさんが帰省している名古屋へ直行したから。

一緒に墓参りへでもと考えていたので丸一日ぽっかり空いてしまった。それと天気。どうも最近は雨が多い。この連休の半分以上は何かしら降っている。天気予報を見て完全な快晴だったのは昨日だけ。そうなるとムズムズしてきて。なんかジギングに完全にハマっている自分がそこにいた。道具が揃ってきたこともあるのだけど、この欲望はコントロールできない状況。

家のすぐ近くの港から出航するジギング専用船に乗り込むと、年齢といいファッションといい、いつもとは顔ぶれが随分違った。大半が20代、釣り方がルアーに近いからだろうと思うけど。自分はルックス的にはかなり若造りをしているつもりだけど、彼らが上級者で年寄りが初心者ということもあって若干居心地が悪かったかな。しかし皆が高価な道具を揃えているのには驚いた。

狙いの魚は最初がタチウオ。その後がマダコ、そしてハマチ。前日に船長からタコをやると言われて驚いたけど。魚場である松山港沖に着くと、そこには沢山の船が。100隻近くはいたかな。ハマチやアジのように1箇所に集中していないけど、それは壮大な眺めだった。釣り方は100グラム前後のジグにタコ専用のエギを一緒につけるだけ。海底をトントンたたくようにして流すと、しばらくして最初の1パイが。それからコンスタントにつれ続き、2時間で7ハイの釣果。やや小ぶりだったけど、初めてなので楽しめた。

帰宅してネットで調べると、今がタコ漁の最盛期で行った場所はタコ漁のメッカ。なるほどね、だから多かったんだ。今日は一人で墓参りに行く予定だけど、お土産にタチウオやタコを持っていくつもり。ハマチが釣れなかったのが残念だけど。


ハマチ

2009-08-11 06:14:03 | 400 釣り
先週の土曜日から夏季休暇に入ったので早速友人と二人で船釣りへ。やはり長期休暇の初日というのは開放感が違う。梅雨明けしてもハッキリしない中で久しぶりの快晴も嬉しかった。いつもとは違うジギング専用船に乗り込みタチウオとハマチを狙っていざ出陣。実はハマチのジギングは初めて。そのために新しい道具を揃えたし釣り方も初歩から勉強したかな。

ジグという金属製の疑似餌を使うのがジギングの大きな特徴で、これはタチウオで既に経験していたので何ら戸惑いはなかったけど、悩んだのが道糸とリーダーの結び方。普段はサルカンと呼ばれる金属製の端子に両方を結ぶだけでいたって簡単だったけど、今回は10m近いナイロンのリーダーを使ったため、結び目をガイドに通す必要があり、どうしても直結しないといけなくなって。ネットで調べてびっくりしたのが、これでもかというぐらい結び方にたくさんの種類があること。

悩んだ末に、簡単で結合力がそこそこ高いノーネームノットという結び方をチョイス。結果として抜け等はなかったからこれで良かったのかも。でもねえ、いい年をしたオジさんが糸と糸を結ぶ練習を何度も失敗してはやり直す姿というのは、あまり人に見られたくないような。まずまず上手くなったと思えるようになったのは20回ぐらい試行錯誤を繰り返した後。かなり疲れた。

魚場についてまず始めたのがタチウオ。時期的にまだ早いせいか3時間で指4本クラスを4匹だけ。午後になってハマチのポイントへ移動。一夜漬けで覚えたジャカジャカ巻きとかロングジャークとか、いろんな誘いのアクションを試してみたけど反応なし。隣の席の友人が「キター」と声を出したのはそんな時。釣り上げたのは64cmのハマチ。これで俄然やる気が出てきて。

それから30分ぐらいたってからかな、沖家室島の東側で自分にも強烈なアタリが来たのは。新調したダイワ製キャタリナ63B-2/3のしなり具合もよくて、無事に上の写真の60cmのハマチをゲット。不安が一杯だっただけに喜びもひとしお。結局釣果はそれだけだったけど大満足だった。遅くまで釣っていたせいで帰港したのは夜の8時。瀬戸内海の夕焼けが綺麗だったなあ。

 AM11  PM5 
 PM7  PM8 




ダイワ キャタリナ 63B-2/3  ダイワ キャタリナ 68S-2/3

火の魚

2009-08-07 06:19:23 | 370 テレビ
録画してあったのを観て、なかなか良かったと思ったのが地元のNHK広島放送局が製作したドラマ「火の魚」。舞台が大崎下島という瀬戸内海に浮かぶ島だったので、予告を見た時からなんか親近感が沸いていて。NHKのドラマは割りと好きかなあ。内容はともかく現地ロケが充実しているから。バックの風景を眺めているだけで楽しめる感がある。今回も期待を裏切らなかった。

若い頃に直木賞を受賞しブイブイいわせていた作家が、病気を機に故郷の島に戻り執筆活動を送っていた。彼が書く連載小説の原稿を受け取りに来たのが東京の出版社に勤める若い女性編集者。才気も薄れ淡々と毎日を過ごす作家に芽生える淡い恋心。主人公で老作家の村田役が原田芳雄で、相手の折見役が尾野真千子。初めて彼女を見たけど、なかなかの美人。

ノスタルジックな海辺の街の風景が素晴らしい。特に作家の書斎の雰囲気は最高。原作が未だ読んだことがない室生犀星ということもあり、初版(1960年)をネットの古本屋で購入。上の写真がそれなんだけど、汚れ具合といい擦れ具合といい、まさにアンティークそのもの。嬉しくて少し興奮してしまって。古めかしい文体に戸惑いながらも短編だったのですぐに読み終えたけど。

驚いたのはドラマと原作のストーリーがかけ離れていたこと。登場人物と金魚の魚拓というモチーフを除けば、ほとんど関連がない。というか原作は随筆で、もともとストーリー性がないから。その意味ではよく練られた脚本だったような気がする。

面白かったのが原作の中でも出てくる影絵のシーン。村田の依頼で折見が島の子供たちを相手にお寺の本堂で劇を上演するのだけど、最近見かけないだけに懐かしさ満点だった。ウケたのは劇のひとつがオスカー・ワイルドの童話「幸福な王子」だったこと。こんなドラマで彼の作品が出てくるとは、なんかねえ、パリで彼の足跡を辿ったすぐ後だけに妙につながるなと。



幸福な王子―ワイルド童話全集幸福な王子―ワイルド童話全集

フランス国立近代美術館

2009-08-05 06:22:05 | 830 パリ紀行
パリの美術館紹介シリーズの第3弾は、4区にあるフランス国立近代美術館。ここは総合文化施設であるポンピドゥー・センター(正式名称はジョルジュ・ポンピドゥ国立美術文化センター)の4階と5階にある。ルーブルやオルセー程は一般に知られていないけど、素晴らしい作品を相当数持っているというのが自分の認識。休館日を除き、いつでも夜9時まで開館しているのはとても親切。

事前に予想はしていたけど、メトロから出て建物の外観が視界に入ってきた時には驚いた。どうみても周りの伝統的な建物とは調和しない前衛的なデザイン。よく許可が下りたなあ。入口が分かりにくかったけど建物の裏側。ここには大広場があって、いたるところで大道芸をやっていた。ラッキーだったのは、入場して上階に行くエスカレータからパリ市街がよく見えたこと。

思わぬ景色に喜びながら美術館の中に入ると、外観ほどの派手さはないものの極めてモダンな雰囲気。迷路のような通路に戸惑いながら作品を鑑賞。収蔵品は、そのほとんどが20世紀以降の作品。中でもピカソのコレクションは相当なもので想像通り充実していた。個人的に楽しめたのがマティスとボナール。特にマティスは素晴らしく、彼の展示室には代表作がいっぱい。

まずは「模様のある背景の装飾的人体(Figure decorative sur fond ornemental)」(1926年)。以前に音楽がらみの記事で紹介したことがあるけど、高さが2m近くもある作品で迫力は満点。今にも絵の中の女性が出てきて酒のお酌をしてくれそうだった。それと雰囲気ががらっと違ったのが上の写真の「夢(le reve)」(1935年)。淡い色使いが絶妙で、眺めているだけで癒されたなあ。

この展示室に30分ぐらいはいたかな、中央のソファーにゆったりと腰掛けて。なんか幸せな気分。自分の家にあったらなんて素晴らしいだろうと。これってちょっと危ない発想か。大満足して美術館を出たけど少しだけ引っ掛かった。それはこの美術館が保有している有名作品のほんの一部しか展示されていなかったこと。まあ所蔵品の数からして無理なのだろうけど。