或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

大晦日

2007-12-31 10:23:31 | 900 その他
広島では昨日から雪が降っています。だいたい12月の初旬に一度降るのだけど、最近は年末にようやくというパターンが多い。カミさんと娘が名古屋に帰省しているから家にいるのは自分だけ。居間を独り占めして大音量で音楽を聴き、ふぐ刺しを肴に広島の地酒、千福の熱燗を飲みながら熱い湯豆腐をいただく。普段はないシチュエーションを満喫といったところ。

振り返ると、昨年が診断士の資格登録と社労士のお試し受験で、今年は社労士の本格受験と経営コンサルタントの起業。社労士は不合格だったけど、12月にコンサルとしての初仕事ができたのが良かった。ようやく起業したという実感が湧いたから。社労士は正直なところ勉強不足の実力不足。でもまあ自分で言うのもなんだけど、長丁場をよく頑張っているかなと。

その初仕事で再認識したのが日本の借金の多さ。国と地方を合わせた負債額の総額は、おそらく1200兆円ぐらい。これって人口一人当たり1千万円弱。こんなのは他の先進国にないから。哀しいのは減っていく気配がないこと。年度のプライマリーバランスを保つのが精一杯。。政府の埋蔵金?が話題になっているけど、せいぜい数十兆円規模だからしれているし。

人口は減るし、経済の成長はなくなるだろうし、その上借金だらけ。国の将来を本気で考えている人がいれば夜も眠れないだろうなあ。まあ自分には関係ないか。でも将来間違って破綻すると怖い。例えば2001年に起きたアルゼンチンのデフォルト。これって借金がチャラということ。日本じゃ当面起こらないとは思うけど、もし起きたら郵便貯金や銀行預金がパーになるから。

なんてどうにもならない事をぐだぐだ思い浮かべながら聴いているのがベートーヴェンの後期ピアノソナタ。30番から32番の3曲。サブタイトルがついていないからポピュラーじゃないけど個人的には気に入っている。特に31番の3楽章。しみじみとしたフレーズが心に響く。ケンプがオススメだけど渋すぎるか。ポリーニのテクニックとピアノの音色の美しさには惹かれてしまう。

ブログもこの12月でちょうど満3年。来て頂いた皆さんありがとうございました。よいお年を。

ケンプケンプ      ポリーニポリーニ

小出楢重(9)

2007-12-28 06:15:37 | 300 絵画
年の瀬ですね。それにふさわしく昨年の9月に始めた小出楢重シリーズの最終回。晩年を過ごした芦屋時代の紹介。信濃橋時代を通して大阪の洋画界のリーダーとしての地位を確立した彼は、1926年に芦屋にアトリエを構えます。前回紹介した裸婦画は全てこの時代の作品。というより全作品の約半数がこの時代に集中しており、製作活動は人生の中で最も充実していた。

とは言えもともと体が弱かったから、充実すればするほど体に負担がかかっていたはず。5年後の1931(昭和6)年には43歳の若さで他界します。上の作品は油彩画の絶筆である「枯木のある風景」(1930年)。屋内での製作が多く、裸婦や静物に画題が集中する中で、何故か最後が地元のなんでもない寂しげな風景というのが、何か死を暗示しているような気がして哀しい。

過去の記事を読みながら今回のシリーズを振り返ると、やはり印象に残っているのは彼の反骨精神とユーモア。それとハイカラなセンス。おそらく大阪の羽振りの良い商人のぼんぼんとして生まれ、親に連れられて大人の”粋”な遊びを垣間見たのが、彼の中に文化として根付いたのだと思います。それは彼が芦屋時代に書いた「小出楢重随筆集」を読んだ時に確信できた。

この随筆は飄々とした人柄が偲ばれ実に面白い。“楢重随筆”、“めでたき風景”、“大切な雰囲気”、“欧州からの手紙”、“油絵新技法”という5部構成で、例えば親切で泊めてくれた老婆が夜這いをしてきて、驚きのあまり家から外へ飛び出した話とか、面白いネタが満載。加えて下の3枚のような挿絵が雰囲気を盛り上げている。肩の力が抜けたその遊び心は憎い限り。

気懸かりなのは、彼の聖地とも言える芦屋市立美術博物館で博物館の経営難が深刻化していること。とある記事によれば維持費が年間1億円以上かかるのに対し、入場料や図録の販売収入は1千万円もないそうで。なんとかして欲しいものです。昨年この博物館を訪れ半日かけてじっくり観たのが懐かしい。たくさんの作品に囲まれて幸せだったなあ。

足の裏たこめがね観劇漫談

小出楢重随筆集小出楢重随筆集

クリスマス・イブ

2007-12-26 06:19:18 | 900 その他
広島では珍しい12月の雪。頬に当たる雪の冷たさが心地良い。二人並んで歩いていると、ショーウインドウの中のディスプレイに目が止まる。「可愛いね」と小さな人形のサンタを見てにこやかに笑う横顔が愛おしい。しんしんと降りしきる雪の中を何軒かおきに立ち止まりながら歩いているのだけど、それがあたかも二人のために用意されていたように思えるから不思議だ。

コートのポケットの中にふと冷たい感触が。彼女の手だ。ぐっと握ってみる。ほのかに温もってくる。少し強く握り締める。そっと肩を抱きしめる。気持ちがひとつになっていくような気がする。幸せだけど、なんて切ない夜なんだろう。大切な時間が流れている。ずっとこのままならと思っていると、路地のすこし向こうに予約しているレストランの赤いネオンが見えてきた。

なんてあったかどうか分からないようなシーンを想いだしてみるのもイブならではかも。何故か雪が降った日のことはよく憶えている。今頃どうしているのかなと彼女の顔がふと脳裏をよぎる。エッセイ集「使い道のない風景」の中の村上春樹の言葉じゃないけど、「人生において最も素晴らしいものは、過ぎ去って、もう二度と戻ってくることのないもの」、なのかもしれませんね。

その意味じゃ最近のイブはどうも平凡でいけません。雪も降らないし、カミさんとスーパーに行って適当に惣菜をそろえて、スパークリングワインで乾杯するお手軽クリスマス。これなら毎年”戻ってこれる”。だめだなあ、こういうフツーの生活をしてちゃ。子供が小さい頃に“きよしこの夜”をピアノで弾いて場を盛り上げたりした頃ぐらいからおかしくなってしまったかも。

勝負曲シリーズ第2弾?でもないけど、ベイビーフェイスによるバラードのベスト盤「Love songs」(2001年)を紹介しておきます。4曲目の“Lady, lady”や5曲目の”For the cool in you”、そして極めつけがラストの“You make me feel brand new”。

使いみちのない風景使いみちのない風景    Love SongsLove Songs

黄昏

2007-12-24 06:29:07 | 350 映画
いやあ久しぶり、洋画を観たのは。いつものレンタルDVDで。またも懲りずに追っかけているのだけど、デイブ・グルーシンが音楽を担当している「黄昏(On golden pond)」(1981年)。前に数本をまとめて観たのが5月頃だから半年ぶり。頭の中から洋画というものが姿を消していた。何故だろう?まあ邦画もたいして観ていなかったし、このところ映画にあまり縁がなかったか。

ニューイングランドの田舎の別荘で暮している隠居した老夫婦とその娘の物語。老夫婦役がヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘップバーンでバツイチの娘役がジェーン・フォンダ。長い間わだかまりを持ち続けている父親と娘。それが解けていくというストーリーなんだけど、この父親が元大学教授で、年を取ってその理屈っぽさと皮肉っぽさに拍車がかかっているという設定。

正直なところ内容的にはどうもピンとこなかった。カミさんなんて途中で寝ちゃったぐらい。こういう年寄りにはなりたくないなと思う典型的な頑固オヤジのパターン。“今の若い奴は・・・”なんて事あるごとに言ってそうな雰囲気。これがラスト近くまで延々と続くもんだから、娘だけじゃなくて観ている方も参ってしまう。途中からはこの手のシーンを早送りしたぐらい。

そんな中で唯一の救いがグルーシンの音楽。おそらく彼の代表作のひとつでしょうね。米国の田舎にあるのどかな湖、彼のリリシズム溢れるピアノがそんな景色にぴったりで、まるで透き通った水彩画のよう。まさに典型的なグルーシン節が聴ける。

ふと思ったのが、自分もだんだん頑固オヤジ化しているのかもしれないということ。最近どうもカミさんや娘からダメ出しが多いから。同じコメントを何度も繰り返してしつこいとか、人の話をちゃんと聞かないとか、都合の悪いことはすぐ忘れるとか。自覚がない分ヤバイかも。唯一の救い?と思っているのがファッション。何故か最近になって娘が高く評価してくれている。良かったなあ。

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初仕事

2007-12-21 06:15:53 | 000 起業
今週の火曜日に経営コンサルタントとしての初仕事をしてきました。地元の商工会議所主催のセミナーの講師。お題は「経済と景気動向について」。パワーポイントを使った約1時間のプレゼンテーション。20数名を相手になんとか無難にこなしたかなと。スライドが100枚ぐらいあったので時間が心配だったけど、かなり省略して時間ピッタリに終了。この辺は馴れていて上手い。

思い返せば今年の9月、ホームページを作ったすぐ後に営業活動を開始。誰の紹介でもない飛び込みだから、うだるような残暑とは対照的になんとなくひんやりとシラーっとした空気が流れた。なんだか新入社員の頃に戻ったような。ただし活動したのは会社の有給休暇を利用したその1日だけ。それから何の音沙汰もなく時は流れて。すっかり忘れた頃ケータイに電話が。

「セミナーの講師をお願いしたいのですが・・・」。これは嬉しかったなあ。資料の準備期間が約1ヶ月。自分ながらまずまずの出来かなと。内容的にはマクロのファンダメンタルズと主要な指標や指数をベースにした概要の説明。他国とのベンチマークをふんだんに織り交ぜたので、過去の歴史を踏まえて現在の日本の状態をざっくりと理解してもらえたとは思うけど。

戸惑ったのが主催者側のプロジェクターのセッティング。普段会社では大抵人任せだけど、今回は自分一人。持参したPCのRGB端子の出力をイネーブルにする方法を知らなくて。焦ったなあ。結局詳しそうな若い人を呼んでもらったらすぐに解決。恥ずかしいやら情けないやら。まあ最初だしこういうことも想定して、余裕を持って2時間前から準備をしたのは正解だったけど。

威力を発揮したのがプレゼンテーションマウス。ソニーのVGP-WMS50Aというモデルだけど、この時に備えてVAIOノートと一緒に購入していた。特徴は通常のワイヤレスマウスに加えパワーポイントのページ操作が行えること。これだと好きな場所から無線でスライドを操作できる。今回も円卓タイプの会議机の内側に設置したプロジェクターの傍にPCを置かなければならず、外側でプレゼをしなければならない自分にはPCの手操作は無理。結果はカンペキで、係りの人も新兵器に驚いていた。

ということで、なんとか初仕事を完了。起業した年に一つでも仕事ができて良かった。セミナー後の懇親会でしっかり名刺交換をさせてもらったし。手応え十分という訳ではないけど、来年はこれをきっかけに活動の場を拡げていきたいと思っています。

プレゼンテーションマウス

プリンター

2007-12-19 06:12:55 | 540 モノ
カミさんの強いリクエストで最近購入したのがプリンター。エプソンのPM-T960という最新モデル。今使っているのが同じエプソンのCC-500L。2001年に購入したから6年使ったことになる。当時としてはスキャナとコピー機能を搭載した複合機のはしりだったと思うけど。

購入のきっかけは、印刷時に出てくる黒い横線ノイズ。昨年の暮れに年賀状を作る時に苦労した。何回ヘッドクリーニングを繰り返しても効果がほとんどなかったから。お陰で年賀ハガキを何枚オシャカにしたやら。カミさんもこれにはよほど懲りた様子。店員さんに聞いたところでは、プリンターの寿命というのは5~6年らしく、この黒い横線が入り始めるとヤバイらしい。

新型も同じ複合機だけど、一番の特徴は無線LAN機能を持ったネットワークアダプター内蔵モデルというところ。店で紹介してもらって初めて知ったのだけど、これならコードレスでどのPCからでも使える。難点は、プリントアウトしたものをいちいち取りに行くのが面倒臭いこと。だから新型は居間に置いて共同で使い、旧型はこれまで通り自分の部屋で使うつもり。

それで苦労したのがネットワーク接続。家庭内無線LANシステムを昨年構築しているから楽勝と思っていたら大間違い。最初はスイスイと設定が進んでハイ終わりと思ったけど、翌日になると何故だかうまく動かない。おいおい、それはないだろうと。それにしても無線ネットワークは難しい。結局時間をかけた割に何が悪いのかよく分からなくて、動作は不安定なまま。

苦労したのがメーカーへの問い合わせ。ルーターの会社に電話すると、いつかけても話し中。諦めるのを待っている。プリンターの会社に電話すると、すぐに若い女性が出て応対もバッチリ。ただし専門的なことはほとんど分からず、「確認しますので少々お待ち下さい」の連続。イライラするけど態度が良いだけに文句も言いにくい。なんかね、いやはやいろいろあるもんだ。

当分スッキリしない状態が続きそうです。

The two lonely people

2007-12-17 06:12:27 | 200 ジャズ
年の暮れというのはどうもセンチな気分になりがちで、家で部屋に一人でいる時によく聴いているのがビル・エヴァンスのピアノ。今日はその中でも彼が作曲した”The two lonely people”という曲の紹介。この曲が初めてリリースされたのは、CBSに移籍後の最初の作品「Bill Evans Album」(1975年)。一般的にはマイナーだと思うけど、自分的にはけっこう気に入っている。

その第一の理由は、まずは彼のピアノの音色が良いこと。ほとんどの人は、あの高音を抑えて中低域をふくらませたサウンドじゃないとエヴァンスらしくないと言うだろうし、それも理解できる。確かに晩年は一部を除き、逆に高域を強調し中低域を抑えたクリーンで深みに乏しい音色の作品が多いから。その意味でCBS時代は、その中間的な音作り。個性的ではないけどバランスが良い。

第二の理由は、アルバム全曲が彼のオリジナルだということ。彼の曲の特徴は、コード進行にひねりがあって、2小節や4小節単位での転調がふんだんに出てくる。この曲もその代表的なもので、作曲家としてのこだわりがしっかりと感じられる。この後にもいろんなアルバムで聴くことができるけど、やはり死ぬ間際の録音「Consecration, Vol. 1」(1980年)が切なくて心に染みる。

この曲はキャロル・ホール(Carol Hall)がビルにプレゼントした詩に音楽をつけるように作曲したものらしいけど、詩も切なく淡々としていて。"The two lonely people Sit silently staring Their eyes looking coldly ahead .... "。別れた男と女の寂しさがひしひしと伝わってくる。詩があるということはヴォーカルものもあるということで、けっこういろいろ録音されている。

トニー・ベネットとのデュオの第2弾である「Together Again」(2003年)、そして最近では若手女性が。スウェーデン出身シャネット・リンドストレム(Jeanette Lindstrom)の「Walk」(2003年)とイタリア出身ロバータ・ガンバリーニ(Roberta Gambarini)の「Easy to love」(2005年)と。どれも皆それなりに頑張っているのだけれど、聴いていて思うのは音程を取るのが難しいということ。あまりの転調の多さに皆唄い切るところまで消化できていない。

やはり本家のピアノをしっとりと聴くのが一番かなあ。

Bill Evans AlbumBill Evans Album  Consecration, Vol. 1Consecration, Vol. 1

Together AgainTogether Again WalkWalk Easy to LoveEasy to Love

子どもは判ってくれない

2007-12-14 06:27:40 | 010 書籍
最近ちょっとハマっている内田樹のエッセイ紹介第3弾。彼のサイトのウェブ日記を取りまとめたシリーズの4作目で「子どもは判ってくれない」(2003年)。まだ作品を読み始めたばかりだけど、このエッセイには彼自身について人生を振り返る部分が割とあるので、彼の人となりが少しずつ見えてきたという感じ。結論から先に言うと、少し自分と似たところがある。

”大学院生のころは「現代思想」と「メンズクラブ」を読んでいた”、”関西弁でいう「イラチ」、東京でいう「せっかち」である”、”「正しい理説」を語る人間に、どうしても心を許すことができない。なぜ「正しい人」が信じられないのであろうか。ときどきわが狭量にうんざりする”。まあ早い話が、哲学をやっているヘソ曲がりで、そのくせファッションとかに興味を持つミーハー、そんなところかな。

素晴らしいと思ったのは、彼が“コピーフリー”を宣言していたこと。つまり書籍やネット上の彼のテクストについては、“誰でも自由にコピー&ペーストしてもらって構わない”だって。理由としては、”その人と私の「ものの考え方」が違う以上、テクストの文言が同一でも、そのテクストの発信する意味はもう別のものになる“、からとか。太っ腹だなあ。遠慮なく使わせてもらおう。

面白かったのは「知性」について話。彼の友人の平川克美の言葉で、“私にとっての「知性」とは「自分が何を知らないのかということを知っていること」だと考えています”、さらに村上龍の「タナトス」の中での言葉で、“「才能がない」人間とは「自分には才能がない」という事実を直視できない人間のことである。内田はこれらの考えに全面的に賛成しているとのこと。

これには驚いた。なんと自分の座右の銘そのもの。その銘とは、論語にある“これ知るを知ると為し、知らざるを知らずと為せ、これ知れるなり“。ただし、知ったかぶりをせずに知らなければ素直に学べという意味で、知性や才能の話とは違うと思うけど。

そうそう、図書館で彼の著書を探していた時に、たまたまスナップ写真を発見。ハッキリ言って見なきゃ良かった。西岡徳馬風?二枚目でチョイ悪系のファッショナブルなおじさんかと想像していたら、いやそうあって欲しいと願っていたけど、まんま真面目そうな大学教授。うーん、これでメンズクラブ?なんか違うような。まあルックスなんて関係ないけど、ちょっとガッカリしたかも。

子どもは判ってくれない子どもは判ってくれない

小出楢重(8)

2007-12-12 06:44:56 | 300 絵画
途中でいろいろな企画展の記事が入ったからなんと半年ぶり。久しぶりに小出楢重シリーズの第8回。今回のテーマは裸婦。小出の名声を轟かせたのがこの画題。これまでポツポツと紹介しているけど、その前にまずは裸婦の話を。

日本の洋画界における裸婦の先駆者と言えば黒田清輝。彼が描いた「裸体婦人」(1907年)は、”腰巻事件”として当時センセーションを巻き起こした。ヨーロッパでは当たり前になっていた裸婦も日本ではまだまだタブー視されていたから。それが下半身を少し隠しただけのモデルの絵がいきなり展示された訳だから。おそらくヘアー解禁以上のインパクトだっただろうなあ。

黒田の裸婦はいつもやけに美しい。当時これだけのプロポーションの女性がいたのかなあ?と思わせる。まあモデルもそれ相応の女性を選んだのだろうけど。対する小出はまるで違っていて、寸胴で短足の典型的な日本人が描かれている。欧米に対する劣等感からなのかデフォルメしすぎじゃない?と思わせるぐらい。でも彼の思いはぜんぜん悲観的じゃなかったらしい。

「やがて日本女は、その柔軟にして黄色の皮膚を以て、低き鼻の可愛らしさに於いて、世界の美女の一つになることを私は考へます」、と言ったというから。でもこの人の斜め目線の性格からして、どうも話半分ぐらいで聞いておいたほうがいいかも。

彼が裸婦を描き始めたのが1921年。最初はルノアールの影響が感じられたけど、だんだんとマティスの如くよりシンプルなラインが強調されていき、画風が確立されたのは昭和に入ってから。中でも顔の見えないのに秀作が多い。下の写真は芦屋市立美術博物館の「横たわる裸婦」(1928年)と東京国立近代美術館の「裸婦と白布」(1929年)。同じ構図なので違いが面白い。

上の写真はブリジストン美術館にある「横たわる裸身」(1930年)。お尻が妙になまめかしい。思うに、これだけ裸婦を描いていてヘンな気になることはないのかなと。まあ自分と一緒にしちゃいけないか。

「横たわる裸婦」(1928年)「裸婦と白布」(1929年)

ジェルインクボールペン

2007-12-10 06:20:02 | 540 モノ
あまり記事にしていないけど、文房具にもけっこうこだわりがあります。かつて凝ったのが万年筆。たくさん買ったけど、今となってはペン立てに置きっぱなしの状態。毎日使っている分には問題ないのだけど、ちょっと間が空いたりするとインクがすぐに詰まる。もっとやっかいなのがインク漏れ。ポケットで知らない間にインクがドバーっ。白い服だともう大変。何度もやったけど。

万年筆にこだわった理由は、ブランドとかデザインとか趣味的要素が強かったのは確かだけど、大きな理由が自分の筆圧の低さ。だから油性ボールペンはどうも苦手。といって水性ボールペンは書き味が悪いし、液漏れや詰まりとかトラブル多すぎ。

そんな時に発売されたのがジェルインクボールペン。メーカーによってはゲルとも呼ばれているもの。これは画期的だった。漏れず詰まらず、しかも書き味が良い。そのなめらかさは万年筆に通じるものがある。一番のお気に入りがゼブラ製のサラサ(SARASA)シリーズ0.4mm。細かい字が書けるし、短くて軸径が9mmと細めなので自分の手にとてもしっくりくる。調べたら、このジェルインクというのは業界でも画期的な発明らしい。水性顔料インクにジェル化剤を添加して粘度を上げたところがミソなんだとか。最近じゃ店でも油性と同じスペースをとってあるし。時代は進化するなあ。

お気に入りを見つけたらとことん愛用するタイプなので、それからはこればっかり。良いことずくめの水性顔料だけど、唯一の欠点はインクの消耗が早いこと。だからよく使っているブルーなんて、1箱10本入りの替芯を数箱は使ったはず。

ところがこの間たまたまロフトに行った時の話だけど、ボールペンコーナーに立ち寄ったら、サラサの自分が使っているシリーズが見当たらない。クリップタイプの新製品は置いてあったけど軸径が11mmと太いので手になじまない。その後何箇所か文具店を見て周ったけど何処にもなし。どうも廃盤になったらしい。ガックリ。替えのインクがあるうちに次を見つけなければ。