或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

呑助飯店

2016-03-23 18:39:23 | 600 グルメ
名古屋の覚王山にあるジャズカフェ「STAR EYES」でのジョアンナ・パスカルのライブを堪能した後、地下鉄の駅に向かう途中でひらめいたのが、今池にある「呑助飯店」の訪問。今回彼女のライブを聴けたのが名古屋、自分が学生時代を過ごしたのも名古屋、ということで、何か因縁めいたものを感じていて、この店にもそのつながりで超自然的に足が向いていた。

話はかなり昔にさかのぼり、今から40年ちょっと前。自分が確か大学1年の時、部活の後に先輩に連れて行ってもらったのが最初。当時は今池の地下鉄の駅の4番出口を出てすぐの所にあり、間口が狭くカウンターメインだった。当時よく安アパートで夜食としてインスタントラーメンを食べていて、その定番が“さっぽろ一番のみそラーメン”。だからこそ、インパクトは凄かった。

「これはうまい」と、その美味さに感動して。ちょうど今池のキャバレーでバンドのバイトをしていたので、仕事終わりに立ち寄るようになって。さらには夏休みに伏見の喫茶店でウエイターのバイトをした時には、ほぼ毎日のように、わざわざ今池で途中下車した。亡くなったカミさんもよく連れて行った。店の周囲に独特の匂いが充満していて嫌がられたのを憶えている。

そんな思い出が走馬灯のように脳裡をかすめながら、記憶にあった旧今池ダイエー裏へ行ってみたものの店が見つからない。こんな時に助かるのがネット。そこから数百メートルの所へどうも移転したらしくて。着くと、何かしらこざっぱりした店構え。
23時過ぎで、店内には客が2、3人でひっそりしていた。自分の中ではお決まりの、ビール、餃子、ラーメンを注文。

まずは、ビールが出てきて。今では希少な昔ながらの大瓶と白菜のつきだし付き。次は餃子。最後にラーメン。近年では“重油ラーメン”としてマニアの間では有名になっているらしいけど。お味はというと、正直なところ少しずつ全て変わっていた。白菜もあっさり系に、ラーメンはスープが濃くなった代わりに油と胡椒が少なくなっていて。餃子かな、ほとんど変わっていなかったのは。でもねえ、なんか自分の足跡というか、そういうものがリアルに感じられて。その懐かしさに涙が出そうになったなあ。


Joanna Pascale

2016-03-20 11:35:40 | 200 ジャズ
あれは今年の1月のこと、米国の女性ジャズヴォーカリストであるジョアンナ・パスカルから突然のメールをもらったのは。内容は、3月に日本ツアーをやるから、良かったら聴きに来ないかというもの。飛び上がるぐらい嬉しかったなあ。というもの、彼女が僕のことを憶えていてくれたのは勿論、それ以上にプレゼントした黒い扇子を大事に使っていると書いてあったから。

自分のブログを確認すると、東海岸を一人で旅行したのが2011年8月だから、およそ4年半前。暑い中をNYからフィラデルフィアまでアムトラックで移動し、夜に彼女がハコで入っていたホテルへ出向いた。ファーストステージの後に近寄っていき、ファンであることを伝え扇子を渡すと、なんとセカンドステージの後に、わざわざ僕の席まで来て話をしてくれた。いや、懐かしい。

困ったのが日程調整。3月11日の静岡「Lifetime」を皮切りに、3月20日の町田ホールまで、2週間の間に8ヶ所でのライブが予定されていたけど、ちょうどこの時期に台湾と新潟への出張が重なっていて。ひょっとして無理かもしれないと諦めかけた時に、台湾から日本への観光客が殺到していて、帰国するのに広島や福岡の空港への直行便の席が取れないことが分かって。

ひらめいたのが、どうせ翌日は新潟だし、中部国際空港を使えば、その晩に予定されている名古屋「STAR EYES」でのライブに間に合うかもというアイデア。台北発が昼12時で、名古屋着が15時過ぎのフライトを見つけた時は嬉しかった。それで名古屋駅近くのホテルを予約し、その晩の夜19時にそこから地下鉄覚王山駅へ。店へ入り少し待っていると彼女が現れて。

すぐにステージが始まったけど、音楽スタイルは昔と全く変らず、いわゆるコアなメインストリーム。ピアノのジム・リドルとのデュオだったけど、NYの匂いがダイレクトに感じられ素晴らしかった。サプライズはその後。2列目の席だったけど、終わるとすぐに僕の所へ来てくれて。自分のスマホを横にいたエージェントへ渡し、肩を抱いてツーショットまで撮らせて。勿論僕のスマホでも撮ってもらったけど。準備していた萩焼きの湯呑みをプレゼントすると大喜び。かけがいのない最高の夜になった。