或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

大晦日

2009-12-31 22:19:05 | 900 その他
今年も、あっという間に大晦日。なんかねえ、早いもんだ、1年が経つというのは。この1年は何があったかと振り返ると、真っ先に思い浮かぶのは、やはり社労士の資格取得。今年の初めから通信指導課程で鍛えられて、仕上げは福岡で行われた面接指導課程。だけど福岡は、本来の目的とは別のグルメ狙いだったのが見え見え。ついでに久留米や小倉のプチ九州観光までしたりして。

次はと言えば、やはり情報処理技術者試験かな。春に模擬試験代わりにシステム監査技術者を受験したまでは良かったけど、秋に本命のITストラテジストで玉砕。受かったつもりが選択した問題に○をつけるのを忘れて失格とは。いや、情けない。まあ人生こんなものかも。これまで診断士や社労士の試験で、こんな初歩的なミスを犯さなかったのが不思議なくらい。まあ、神様が、遊ぶにはまだ早いとおっしゃてるのでしょうね、これは。ということで来年秋にはリベンジをしなきゃ、これは絶対に。

そんな資格の話はさておいて、今年の大晦日は昨年に続いて家でひとりぼっち。カミさんと娘は昨日実家に帰ったし。驚いたのは、昨晩から雪が降り始めて、今朝は初めて屋根に積雪が。天気も帳尻を合わすなと。さすがに道路に雪は積もっていなかったけど。ようやく空が晴れて降り止んだのが昼過ぎ。この景観は正月のシチュエーションとしては最高かも。

お楽しみは夕食の水たき。数日前に釣ってきたウマヅラハギをこの日のために1匹残してあった。さっき近所のスーパーへ行って、いつもと違う京都産の木綿豆腐を買ったりして。昆布で出汁を取った後に、それらの具を鍋に入れて、最後に近所でいただいた白菜を入れて。日本酒の熱燗をちびりちびりやりながら熱々をポン酢でいただく。いや、ホント美味しい。TVドラマの「結婚できない男」的な世界だな。

だけど寝るにはまだ早いということで、NHKで恒例の第九を聴くことに。今年の指揮者はマズア。オーディオラックを含めてTVを買い替えたこともあって、かなり期待していた。でもね、やはり日本のオケはどうも。本場とはノリが違う。確かに上手いけど、ただそれだけ。口直しにヴァントを聴き直して一服しているところ。そうそう、話は変わるけど、ここ数日ずっと聴いていたのがブルックナー。ヤフオクで購入したスクロヴァチェフスキー指揮ザールブリュッケン放送交響楽団の全集。これはとても良かった。

ということで、今年も変わり映えのしない大晦日になっちゃったなあ。年を取るとこんなもんか。

ブルックナー:交響曲全集ブルックナー:交響曲全集

釣り納め

2009-12-28 07:42:57 | 400 釣り
先週の土曜日から会社が年末休暇に入ったので、初日に今年最後となる船釣りへ。いわゆる釣り納め。この日利用したのはいつも利用している遊魚船で、しかもよく一緒に釣行する仲間が5人。乗客の半分以上が仲間だと、ほぼ貸し切りのようなもの。長期連休という開放感と仲間と一緒という安心感。マイボートが欲しくなるひとつの要因のひとつはこれなんだろうなと。

ターゲットはメバルとウマヅラハゲ。メバルは春以来だから久しぶり。いよいよシーズンに突入という感じ。いつものように船底の指定席で横になって寝ていると、船がしばしば上下に強く揺れる。冬場だからだろうなと思いながら魚場である愛媛県津和地島付近に到着。甲板に出てみると、予想以上に風が強く波が荒い。おいおい、今日は大丈夫かよって感じ。

最初はハゲをやるという船長の指示で仕掛けをセット。ハゲは餌取り名人で、かすかなアタリを見極め、こちらからタイミングを計って強く合わせる必要がある。しかしこれが日によって変化するところが難しいところ。この日も最初の1、2枚は簡単だったけど、慣れると相手が学習し、気づけば餌を取られているというパターン。それでも2時間で9枚をゲット。まずまず。

お次は本命のメバル。今年新調したのがダイワのスーパーインターライン浦舟メバルTR。使うのは2度目だったけど、とても扱い易い。暫くすると25cmの良型のメバルがヒット。それからは面白いようにコンスタントに釣れて。周りを見回すと、どうも調子が良くない様子。そうこうするうちに一段と重い引きが。ていねいにゆっくり引き上げると、この日最大の上の写真の31cmのメバル。

30cmオーバーは記憶にないから初めてだったかも。船長に写真を撮らせてくれと言われ、皆の曇った表情を横目に優越感は最高潮に。いやあ、気分が良かった。翌日チェックするとHPのアルバムにしっかりと掲載されていて。結局この日は20cm以下が12匹、20cm以上25cm未満が8匹、25cm以上が4匹でトータル24匹。もちろん竿頭。友人達は皆10匹未満だったから。

なんかねえ、1年を締め括りとしては最高の釣りになりました。



ダイワ スーパーインターライン浦舟メバルTR 300DRY

ウミネコ

2009-12-27 09:46:40 | 400 釣り
先日、友人と船釣りへ行った時のこと。狙いはハマチ。ところが出発して45分ぐらいしか経っていない頃に船が止まって。船長からはタチウオをやるという指示が。ひょっとしてと確認すると、風が強く波が高いので今はハマチのポイントへは行けないとのこと。これにはガックリ。天気予報では、だんだん天気は回復するという話だったので、とりあえず仕方ないかと諦めたけど。

それから数時間はタチウオタイム。10匹近く釣って、そろそろハマチをやらないかなと期待したけど、天気は回復するどころか逆に悪化する始末。結局島影の風の弱い所に移動して、そこでずっとタチウオを釣ることに。なんかねえ、相手が天気じゃ喧嘩する気にもなれない。こればっかりは、まさに”天任せ”だから。まあ、これだけ釣りをしていると年に何度かはあることだし。

そういって自分に言い聞かせながら手を休めてボーッとしていると、船の周りに群れをなして飛んでいる鳥達に気づいて。時折大きな鳴き声を出している。何やら他の客がお菓子を餌として与えている。それじゃこっちもと、持参していたソーセージをナイフで小さく刻んで投げてみた。するとそれが海面に着いた瞬間に、すぐに10羽ぐらいが争うように舞い降りてきて。鳥達のしぐさや表情がとてもカワイイ。なんかねえ、ほとんど動物園状態。幼稚園や小学生に戻ったような楽しい気分。

それからというもの、刻んでは投げ刻んでは投げの繰り返し。いや、楽しかった。家に帰って撮った写真をみていて、これって確かカモメだよなと確認のためにネットで調べると、なんとウミネコ。幾つか違いがあるけど、決定的なのが尾。カモメが純白なのに対してウミネコには黒い帯がある。専門的には共にチドリ目カモメ科で、カモメは越冬するためにシベリアからくる冬鳥(渡鳥)なのに対してウミネコは日本にずっと住んでいる留鳥とか。この時期の瀬戸内海には両方いるからややこしい。

これだけ調べて不安になったのがだいぶ前の記事。カモメという題だけど、本当にカモメだったのかと。この時に撮った写真がこれ1枚だったし、小さくしか写っていないので何とも言えないけど、頭の形やくちばしや目の色からすると、どうやらセグロカモメのような感じ。なんかホッとしたかな。


マルモッタン美術館

2009-12-26 17:59:50 | 830 パリ紀行
パリの美術館紹介シリーズの第7弾は、16区にあるマルモッタン美術館。観光スポットとはまるで関係ない高級住宅地の一画にあって、すぐ傍にはブローニュの森があるという閑静な立地。メトロのラ・ミュエット(La Muette)駅で下車し、ラヌラグ公園(Jardin du Ranelagh)の中を歩くと、パリ名物のマロニエの木には沢山の白い花が咲き始めていた。

前回のパリ訪問で最も印象が強かったのがこの美術館。ただし記憶に残っているのはモネの作品だけ。有名な「印象~日の出~」(1873年)と地下のフロアの大部分を占める睡蓮の連作。その頃は絵画についての知識も乏しかったし。勿論今回もモネを存分に楽しんだけど、モネ以上に興味を持ったのが女流画家のベルト・モリゾ。上階の部屋に彼女の作品が数十点展示されていて、とりわけ上の画像の「舞踏会で(Au Bal)」(1875年)は、凛として落ち着いた女性の眼差しにぐっときた。

これらモリゾの作品は1996年に彼女の娘ジュリーの子であるドニ・ルアールから寄贈されたもの。歴史家のマルモッタンがこの美術館を創設した当時は印象派の作品は全くなくて、後に医師ジョルジュ・ド・ベリオの娘のヴィクトリーヌ、さらにはモネの息子ミッシェル、そしてモリゾの孫からといった度重なる大規模な寄贈により充実してゆき”印象派の聖地”になったらしい。

それはともかく自分にとっての新たな発見はベルト・モリゾ。展示されていた、ある作品に魅了され、彼女自身について興味が湧いたので、3流週刊誌の記者的なミーハーな興味で経歴等を調べてみた。するとなかなか面白い事実が出てきて。それについては別の記事で紹介するつもり。まあ、結局は男と女の関係の話になってしまうのだけど。仕方ないか。

収蔵品もそうだけど、この美術館の特徴は建物。もともとナポレオン1世に仕えたケレルマン侯爵の邸宅だったので、館内にjはいると、まるで貴族の家に招待されたような気分になってくる。絵画の周りにある絢爛豪華な調度品と思っていた時計や壺といった置物が実はマルモッタンの収集品であり、開館当時のメインの展示品だったというのを後で知ったけど。


秋期情報処理技術者試験結果

2009-12-22 05:56:08 | 180 ITストラテジスト
今年の10月18日に実施された秋期情報処理技術者試験の合格発表が昨日あった。自分が受けたのは高度試験のカテゴリーに属するITストラテジスト。結果は不合格。案の定というか予感が当たったというか。すぐに情報処理推進機構のHPで成績照会をしてみると、上の画像のように全科目採点されていなくて。いやな予感はしていたけれど、早い話が失格ということ。

受験直後の記事にも書いたけど、午後Ⅱの論文の解答用紙で選んだ設問の番号に○をつけるのを忘れていた。なんかねえ、ガックリというか拍子抜けというか、情けない。愚痴になるけど、午前Ⅰは免除、マークシートの午前Ⅱも自己採点で基準をクリア。記述式の午後Ⅰも春期よりは出来は断然良くて、おそらく基準をクリア。この辺りまではまず間違いないと思う。

難関の午後Ⅱも、春期のシステム監査技術者では時間切れで最後の方はまともに文章を書けなかったけど、秋期はその反省をふまえて筆記のトレーニングを繰り返し、本番ではさすがにあせりはしたものの準備していたテーマで文章を最後まで書き切ることができた。つまりおそらく合格レベルに到達していたのでは、というのが試験直後の自分の正直な感想。

ところが帰宅後に、どうしても午後Ⅱの答案用紙の最初のページで選択した問題に○を記入したのを思い出せない。そんな馬鹿な、さすがに○ぐらいつけただろ、オトナなんだから、と自分を無理に納得させようとしたけど。そんなモヤモヤした状態が約2ヶ月。予想していたとは言え、なんかサイテー。8月からの3ヶ月の努力が水の泡。自業自得と言えばそれまでだけど。

魔が差したとしか言いようがないような単純ミス。出来が良かっただけに、よけいにショック。うーん、久しぶりのこの落ち込む感覚。ということで、午後Ⅰの試験免除の有効期間が2年間だから来年の受験には有効だし、勿論再受験をするつもり。ただし来年の春期はパスして、6月くらいから勉強を再開して秋期に的を絞って。参考書は揃っているし、勉強のやり方もだいたい分かったから。

14区 カタローニュ広場

2009-12-18 06:24:35 | 830 パリ紀行
前回は画家、佐伯祐三のパリ生活の原点とも言える、今はなき15区のシャトー通りを紹介したけど、今回は写真のカタローニュ広場(Place de Catalogne)。ちなみに写真中央で建物と建物の間に見えるのが次回紹介予定の現存する14区のシャトー通りへの入口。ここは大きな広場で凱旋門に似た円形の交差点が特徴。カタローニュと聞くとフランスじゃないみたいと感じる人は、なかなかのヨーロッパ通かも。

この広場と建物はスペインのカタローニュ地方出身の建築家リカルド・ボフィールによって設計されたもので、彼によってレ・コロンヌ(Les Colonnes)と名づけられた。この優雅な建物は住宅用マンション。古代地中海建築とバロック様式の影響を受けているとか。建築家の間ではかなりの有名人らしい。もちろん佐伯が住んでいた頃にはなくて後になって建てられたものだけど。

実はここにたどり着くまで少し手間取って。なんでもない場所なのだけど、道を間違えるとたちまち迷路化してしまう。結局犬と散歩している女性に教えてもらうことに。ラッキーにも英語が通じ話をしていると、親戚が画廊を経営しているとか絵の話で盛り上がって。最後に道を尋ねると笑いながら指差してくれた。広場のすぐ裏まで来ていたことが分かったのは、そのすぐ後。

それで記事にした理由だけど、この広場に立っている広告塔を見てみたかった。というのも佐伯の作品に新潟県立近代美術館にある「広告塔」(1927年)というのがあって、描かれている広告塔の外観がユニークで記憶に強く残っていて。その広告塔が現存することを、今回の旅でとても参考になった朝日晃の「佐伯祐三とパリ」(1998年)というガイド本を読んで知っていたから。

下に並べたのは、構図を合わせて現地で撮影した写真と佐伯が描いた絵。広告塔の雰囲気は当時のまま。実物を見つけた時には嬉しくて。そのうち体がジーンとしてきた。佐伯は間違いなくここにイーゼルを立てたんだなと確信したから。まさにリアリティ。時空を超えて彼と自分が同じ場所に立っていると、今回の旅行で初めて実感できた瞬間。来て良かったなと。

広告塔 2009広告塔 1927


佐伯祐三のパリ佐伯祐三のパリ

同窓会

2009-12-14 06:09:35 | 100 中小企業診断士
先週の土曜日は、かつての資格学校の同窓会。きっかけは11月21日に行われた中小企業診断士の理論政策更新研修の会場での経営コンサルタントとの再会。今から5年前のこと、中小企業診断士2次対策講座に毎週日曜日の昼間を利用して通っていたのだけど、彼はそこで講師をしていた。その頃のことをいろいろ喋っていて当時の仲間で集まろうということになって。

彼は自分より若いけど、経営コンサルタントとしての活動は長くその道のベテラン。そのせいか人脈も広くて、早速当時の講座仲間と連絡を取ってくれて。その結果、生徒だった大学の先生が幹事になってくれて飲み会をすることに。場所は広島駅のすぐ側にある居酒屋「さかな市場」。開催案内をメールで受け取った時に少し驚いた。この店の名前をよく知っていたから。

というのも今年の9月に福岡で社会保険労務士の事務指定講習が開催された時、晩飯用にと絞り込んでいた店のひとつ。お目当てはヤリイカの活き造り。都合で行けなかったけど食べたかったなあと。そのチェーン店がまさか広島にあろうとは。HPを見ると確かに出店していた。本社は熊本で、店舗数としては福岡が最も多いらしい。同窓会が始まると、幹事が店の一押しということで、さっそくヤリイカの活き造りを注文してくれて。これは嬉しかったなあ。ようやく口にしたイカの味にも大満足したし。

同窓会は懐かしかったのひと言。生徒は自分を含めて3人。数度の受験を経てやっと合格した話や受験を断念した話を聞いて、5年という月日の流れをしみじみと感じたかな。皆の口から出るのは当時の苦労話なのだけど、振り返れば勉強が楽しかったというコメントばかり。それにしても皆が当時のことをよく憶えている。それに比べて自分はかなりモウロクしているなあと。

そんなこんなで話は尽きず時間が経つのも忘れるくらい盛り上り、最後にはこの集まりを定例化しようということに。次回の幹事は自から名乗りを挙げた自分。来年の6月ぐらいに2回目をやることに。それにしてもいつになく、しこたま飲んだかな。前回がいつだったかこれもまるで記憶がないJRの終電に乗り帰路へ。12時近くまで飲むなんてホント久しぶり。いや、楽しかった。

続・柿の種

2009-12-10 05:50:33 | 600 グルメ
だいぶ前に浪花屋の柿の種を記事にしたけど、今日はその続編。いつもはカミさんが名古屋に帰省した時に買ってきてもらっていたけど、灯台元暮らしというか、ひょんなことからこの会社の商品を広島でも売っているのを発見。若干遠いけど、品物が良いので土曜日によく利用している地元の百貨店の食品売り場。見つけた時は嬉しかった。少々興奮したかもしれない。

カミさんがレジで精算をしている間、暇だからお菓子売り場をうろうろしていると、柱の後ろの見えにくい場所だったけど、目に入ったのがロゴ。売っていたのは前回紹介した「大辛口 大粒 柿の種」と「大粒 柿の種」、さらに今回紹介する「元祖 柿の種」の3種類。商品のラインアップ的にはこれが正統派。食べてみると、さりげない醤油の風味が、まさに”The 柿の種”。

たかが柿の種、されど柿の種。こんなにこだわる自分はマニアックかなと気にしていたら、たまたま見たTVで、オリエンタルラジオの藤森が自分以上に柿の種フリークぶりを披露していた。彼の場合いつも食べているのは日本で最もメジャーな亀田製菓のピーナッツ入り柿の種。単純に食べるだけでなく、パスタに混ぜたりいろいろ。なんだかね、安心したというか、和んだというか。やはり日本人は柿の種が好きなんだなあと。しかし外国人には分からないだろうなあ、この渋くて地味な風味は。

だけど人の好みというのはそれぞれで、自分の家ではカミさんと娘が大辛口派で自分はどちらかと言えば正統派。どちらも譲る気がないから結局別々に買って別々に食べている。互いの侵犯は固く禁止。この間ちょっと大辛口を食べた時に娘から怒られたのなんの。そこまでムキにならないでもと思ったけど、カミさんが娘側についたのでこの勝負は勝ち目がなかったなあ。

浪花屋 柿の種 3種詰め合わせ

ブログ開設5周年

2009-12-07 06:02:51 | 900 その他
今月の4日でこのブログの開設から丸5年。とりたてて気にはしていなかったけど、いざその日が来てみると、さすがに感慨深いものがある。早かったとか遅かったとか、そんなありきたりの気持ちは不思議と湧いてこない。おそらく個々の出来事によって時間の経過に対する感覚が異なり、それら全体では混沌としているのだろうなと。それにしてもねえ、よく続いたなあ。

アップした記事の総数が約900件。1件当たり30分として約450時間。寝ている時間を除いて1日を約18時間とすれば単純計算で25日。つまり5年間で約1ヶ月もの期間を記事の作成に費やしたことになる。これって期間だけで考えると長いような、5年間でと考えると短いような。

改めて最初の記事を読んでみると、なんか恥ずかしい。おそらく過去の記事の中で一番真面目だったような。ブログのブの字も知らなかったし、写真もなく文章も短くてぶっきらぼう。だけど試験のリベンジに向けた静かな執念のようなものが文章から滲み出ている。公開することで逃げ道をなくしたい、自分をなんとか鼓舞したいという真摯な気持ちの表れだったのだろう。

今思えばスゴイと思うのが、当初は毎日記事をアップしていたこと。まあ文章そのものの量が少なかったせいもあるけど。それから半年ぐらいそのペースが続いて、それから週6回、週5回と減っていき、2年目からは週4日ペースに。さらに半年後には週3日ペースに。それが2年ぐらい続き、昨年の夏からは週2日ペースに。だけど逆に文章の量は徐々に増えてきている。

そうそう、変化したのは投稿頻度や文章の量だけじゃなくて文体も。最初は”です””ます”調で、やけに丁寧だったなと。これが読み返していて最も恥ずかしいところ。なんか別人みたいだから。それが途中から本性が出始めたというか、ざっくばらんなタメ口風になってきて。今じゃ”です”や”ます”なんて使わなくなっていて。ある意味で完全に本来の”日記”化しているかな。

幼少の頃、学校の先生が日記を勧めた時も、それてどういう意味があるのと馬鹿にしていた自分がねえ、こんなにも長く続けているとは。人間って変われば変わるもんだ。5年続いたのだから、さらにもう5年ぐらいは続けたいなと。どうなることやら。

PORTER

2009-12-04 05:45:13 | 500 ファッション
最近コンサルの仕事用に購入したのがポーターのブリーフケース。PCとか資料とかをそこそこ収納できて、それでいて外見がそれほど大げさにならないバッグを探していて。これまで使っていたのが基本的に1、2泊の旅行用で少し大きめだったし、さすがにくたびれてきたところに、使う頻度も増えてきて踏ん切りがついたというところ。実際に使ってみて選択に間違いはなかったなと。

それにしてもポーターというのはブランドを沢山持っている。ざっと数えただけでも20以上はあったから。その中からセレクトしたのがアインスというブランド。素材が厚手のナイロンにウレタンコーティングを施したもの。丈夫で、軽いのが特徴。よくある軽量バッグの定番かな。決め手はデザイン。角張っていて全く色気がなくポーターの中でも最もシンプル。そこが気に入った。

気がつけばここ数年で購入したバッグは、旅行用のキャリーバッグを除いて3つが全部ポーター製。取り立ててひいきにしている訳ではないのだけど、結局ポーターに落ち着いているって感じ。裏を返せば、他に趣味が合うブランドがほとんどないということ。もう少し高級なブランドにTUMIがあって、質感的には好みなのだけど、あの赤いアクセントがどうしても馴染まない。

それならポーターは完璧なのかと言えば気に入らないところがひとつ。それはロゴマーク。ほとんどのポーターのバッグには上の写真のようなロゴがついている。おそらくこれが黒以外の色だったりしたら絶対に買わない。できれば外して欲しい。実は3つ持っている中で最初に買ったフレキシブルというブランドのブリーフケースはロゴなし。総皮製でとても落ち着いた雰囲気。

これは通勤にピッタリで愛用しているのだけど、休日とかカジュアルな服装にはやや堅すぎる。そこで次に買ったのがタンカーのブリーフケース。軽くて光沢のある外観がスポーティ。これにはロゴがついている。買った当初はかなり気になったけど、そのうち馴れてきたのは確か。嫌なのは、けっこう周りの人が持っていること、特に若者が。そんな不満を持ちながらの今回のアインス。まあ人から見ればポーター好きなんだろうなあ。できればもう少し年寄り向けの渋いブランドが出てきて欲しいけど。

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