或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

味千拉麺

2013-04-29 06:07:40 | 600 グルメ
今回の中国出張で意外にアタリだったのがラーメン。海外では白飯が日本の味とはどうしても違うので、移動で疲れていて軽めに済ませたい昼食には麺類を選ぶことが多い。特に中国では飯類だとくどい油が大量に使われていて、一日中体に残ることも多い。最初の日こそサイゼリアでハンバーグランチを食べたけど、残りの日は結局ラーメンに落ち着いた。

まずは長春。前回訪問と同じ”李先生”のチェーン店で”加州牛肉面”を注文。干した牛肉がトッピングされていて、スープが茶色で濃厚。同じチェーン店でも上海だと薄いらしく北部の方が濃くて美味しいのだとか。添えられているパクチーが良いアクセントになっている。嬉しいのは、セットメニューについてくる”海帯絲”という名前のピリ辛の昆布。これが絶品。

次が上海。地下鉄の龍陽路(龙阳路)駅で見つけたのが”味千拉麺”。ロゴを見て、これはひょっとしてと確認したら、やはり日本の熊本ラーメンのチェーンだった。後で調べてびっくりしたのが、海外におけるチェーン店の多いこと。HPでチェックすると上海だけでも20~30店舗もある。日本のラーメン恐るべし。店内に入ると、土曜日ということもあったのだけど、ほぼ満席。

メニューをみると60~90元のセットメニューしか載ってなくて。やけに若い女の店員に確かめると単品もあるということで、それを注文。この辺りのサービス精神のなさというか、商売のうまさが中国らしかったりもして。運ばれてきたのが上の写真の”酸酸辣辣面”。割とフツーの九州ラーメンだった。ただしトッピングの豚肉の辛さが尋常じゃなくて、汗が出るわ出るわ。

味は麺の固さとか細かい文句をつければキリがないのだけど、海外でこれならありがたいと思わなきゃね。値段は29元だから約460円。物価がどんどん上昇していているので、昔みたいに日本の10分の1とかじゃなくて、だいたい6~7割ぐらいになっている気がする。ということで、中国ではそこそこのラーメンで軽く昼食を済ますというパターンができつつあるのは確か。


長春

2013-04-27 06:19:02 | 900 その他
昨日の早朝に飛行機で上海から長春へ移動。日本からの移動と同じ中国東方航空だったので、デルタのマイルが加算できたのは良かった。ただし離陸が1時間ぐらい遅れたのには参ったけど。約2時間半のフライトの後に長春へ到着。ここは2度目。前回は1年半ぐらい前だった。殺漠とした広大な荒涼地を、やけに汚いタクシーで空港からおよそ40分で市街地へ。

仕事を数件済ませてから夕方ホテルへ戻り、すぐに客先と会食のためにシャングリラホテルへ。後で聞いたところによると、長春でまともなホテルは5つ星のここだけとのこと。その地下にある日本料理屋へ入ると、カタコトで愛想の良いネイティブの若い女の子が出迎えてくれて。刺身の盛り合わせから始まり居酒屋メニューをいろいろ頼んだけど、どれも味はイマイチだった。

その後で近くのビルの中にあるカラオケへ。中国へは何度も出張しているけど、カラオケは初めて。正直なところ、タバコの煙が嫌で避けてきた。日本でも余程のことがない限り行かないし。店に入ると若い女の子が10人ぐらい並んで指名を待っていて。日本語が分かるという条件をつけたら4人に絞られたので、その中で女優の加藤あい似の子を指名。5、6曲は歌ったかな。

翌日が早朝のフライトなので早めに切り上げてホテルへ。中国では純正の禁煙の部屋がないので困る。宿泊した3つ星ホテルも同じで、とにかく煙草臭くて。それだけならまだしも、伝え聞いてはいたけどシャワーの温度が低くて。4月から集中暖房が止まった影響かもしれない。朝早くて寒かっただけに風邪を引かないかと心配になった。部屋の造りも悪いし、これもイマイチ。

地図で調べると長春は緯度的には日本の秋田や青森と同じ。かつての満州国の首都であり、日本軍が支配していたことで有名だけど、今では住んでいる日本人は300人ぐらいで、ほとんどが自動車関係だとか。郊外もそうだけど、市街地もビル群はあるものの殺風景な感じは否めなくて。ということで、良い印象がないまま慌しく上海への帰路についた。


SHARI

2013-04-26 07:01:09 | 600 グルメ
昨日から上海へ出張している。かなり久しぶりで前回訪問から1年以上経っているはず。上海に限らず中国というのは、どうも自分の中のイメージが悪くて、かつて上海蟹を食べて発熱と腹痛に襲われ現地のクスリを飲んでようやく直ったことや、常宿になっているホテルの水が臭いことが起因している。といっても水が臭いのは、ほとんどの上海のホテルに言えることだけど。

今回の出張は現地にいる駐在員からのリクエスト。あまり気が進まなかったけど、どうしても顔をつき合わせて説明したいこともあったので、誘いに乗った格好。広島空港で通関後に、とりあえず両替しておくかとレートと確認すると、当たり前だけど円安で、ネットで調べると最近は1元が16円にもなっていた。かつての12円とか14円の時代からすれば変わったなあと。

広島から上海の東浦空港まで約1時間半。久しぶりにみる中国人の客室乗務員に美人が増えたなあとか、だけど化粧がイマイチ下手だなあとか、しょうもないことをあれこれ考えているうちに、あっという間に到着。それから関係会社の新しい事務所へ。春ということもあるのだろうけど、空がどんよりかすんでいた。鳥インフルエンザの件もあり、なんか不安な感じがしたけど。

事務所に着いてビックリ。やけにモダンなビルの21階にあって、窓から眺める景色はなかなかのもの。それにしても上海というのはマンションが多い。規制で一戸建ての建築が制限されているから仕方ないか。昼食は隣の商業ビルの中にあるサイゼリアへ。ハンバーグランチが20元。300円ちょっとだから安い。さすがに白飯はまずかったけど、他はまずまず。

仕事を終えて客先と会食のために旧仏租界である永嘉路へ。店は写真のモダンなレストラン「SHARI」。通された部屋が、これまたお洒落。出されたのは日本の懐石料理。日本以上に凝ったメニューにはびっくり。酔いが回り、ぐだぐだとりとめのない話が続いたのだけど。驚いたのは、こんな店で酒の持ち込みがOKだったこと。用意してくれた冷酒が、それは美味だった。


胡蝶の夢

2013-04-23 05:54:48 | 900 その他
先々週の土曜日の昼過ぎにカミさんの臨終を見届けてからは、慌しくその後の法要の準備を。まずは病院から自宅への移動。医師や看護師が丁寧に見送ってくれたのが嬉しかった。自宅に戻った後は、仏間に安置。近所の方々が次々と弔問に来てくれて、その対応で自分はけっこう忙しかった。そうこうするうちに頼んでいた菩提寺の住職が来てくれて枕経を。

それが終わった後は、葬儀屋から湯灌と薄化粧のために2名の女性が。これだけはどうしてもやっておきたかった。いつまでも美しくいて欲しいという気持ちが強かったから。白服を身に着けたカミさんは、それは綺麗で戦国時代のお姫様のようだった。

翌日曜日の夕方、納棺した遺体を葬儀場へ移動。そこは昨年の5月に母の通夜と葬儀を行った場所でもあり、勝手をよく知っていたので楽だった。夕方6時からは通夜。カミさんの会社関係や友人が想定以上に大勢だったのには驚いた。よく考えてみれば10年以上勤めていた訳で、当たり前か。それと娘の友人も多かった。さすがに女のつながりは強いなあと感心したかな。

月曜日の朝10時からは葬儀。さすがに疲れていたのか、導師がお経を読んでいる時に眼を閉じていると、ついうとうとしてしまって。ぼんやりしたまま親族代表としての挨拶を終えると、いよいよ出棺。家族や親族と一緒に火葬場へ。皆で収骨した後は、葬儀屋に戻り初七日の法要を。その後で食事をし、ようやく遺骨と遺影を持って自宅へ。あっという間の4日間だった。

ほとんどの親戚の口から出たのが、「今は気が張っているから良いけど、これからガクっとくるから気をつけてね。」というアドバイス。確かに今もってカミさんが死んだことを実感として受け止められないのは紛れもない事実。こういうのを胡蝶の夢と言うのだろうなと。しかし人生というのは何が起きるか分からない。大きな節目を迎えたのだけは確かなのだろう。


臨終

2013-04-20 06:37:20 | 900 その他
あれは先週の金曜日の午後。カミさんのケータイからの着信があったのは、会社で昼休みが終わった少し後だった。会議中で、しかも自分がリードしていたのでとりあえず切った。それから20分ぐらい経ってから、今度は息子のケータイから着信があり出てみると、「お母さんが倒れて病院に運び込まれたって連絡があったよ。心肺停止らしいよ...。」との言葉が。

状況が見えないまま、急いでカミさんの携帯へ電話をしてみると、「奥様の会社の同僚です。今病院にいます。先ほど奥様が救急車で運ばれました。病院の方に代わります。」と。頭の中がパニックになりつつあるのを徐々に自覚していると、今度は看護師から強い語調で、「すぐに来てください」と。仕事を中断し、急いで帰り支度をしてタクシーへ乗り、一路病院へ。

到着するとすぐに医師が来て、「奥様はとても危険な状態です。子供さんがおられるなら、すぐに呼んでください。」との指示が。訳がわからないまますぐに娘と息子に電話して来るように伝えて。しばらくすると、「集中治療室に移りますから旦那様もそちらへ。」と、今度は看護師からの指示が。カミさんが相当危ないことだけは、さすがにこの時点でハッキリ認識した。

3Fの集中治療室に行くと、個室になっている特別室へ案内されて。今度は別の医師に呼ばれてPCの画面の前へ。頭のCTスキャンの画像を見せられながら、「重度のクモ膜下出血です。白くなっている部分が出血しています。」と。その後で脳外科の専門医から追加の説明があり、「手の施しようがない状態です。呼吸できているのが不思議なくらいです。」と。

昼過ぎに娘が、夕方には東京から息子が到着。その晩は3人が徹夜でつき添いを。だけど翌朝、カミさんの妹家族が名古屋から駆けつけてくれた頃から血圧が下がり始めて。モニターで脈拍と血圧を凝視する中で、徐々に死に近づくのを肌で感じながら、穏やかなカミさんの表情とは裏腹につらい時間が刻々と過ぎてゆき、ついには昼の12時39分に臨終。

eggs'n Things

2013-04-10 05:58:35 | 880 ハワイ紀行
ハワイ3日目のメインイベントであるウミガメウォッチングが消化不良で終わった後は、早々にノース・ショアを後にホノルル方面へ引き返した。次の目的地はカメハメハHWYとH1がぶつかる辺りにあるワイケレ・プレミアム・アウトレット。女性陣もここでの買物を楽しみにしていたらしく、観光の疲れも見せずにテンションは高かった。1時間足らずで珍しく迷うこともなく到着。

とりあえず1時間半後に集合することにして、皆がお目当ての店を散策。自分もバッグか財布で良いものがあればと期待していたのだけど、コーチ、TUMI、カルバン・クライン、バーニーズ・ニューヨークとお目当ての店に入ってチェックはしてみたものの、何せ品揃えが少なく偏っていて。食指を動かすものがほとんどないまま、あっけなくタイムオーバー。これにはガックリ。

皆が集まったので聞いてみると、どの店もそんな感じだったらしい。カミさんは何か買わなければとバッグの袋をひとつ持っていたけど。まあそんなこともあるさと気持ちを切り替えてくれれば良かったけど、女性陣に柔なメンバーがいるはずもなく、汚名挽回とアラモアナ・ショッピングセンターを探索することに。初日に続いてここは2回目で、自分的にはうんざりしたけど。

着いた頃には辺りは暗くなっていて、とりあえず夕食をと、センターのすぐ横にある「CHODANG」へ。正確には초당(Cho Dang)。さすがに3日目ともなるとハワイアン料理に飽きてきて、「近くに安くて美味しい韓国料理屋があるよ」と誘ってみたら、案の定誰からも文句が出なかった。そのファーストフードっぽい外観がやや心配だったけど店内はほぼ満席。

注文したのは定番の”スンドゥブ”(純豆腐)。熱々の唐辛子スープの中に豆腐が入っている。ナムルやキムチの盛り合わせと白飯がついてくるのでお得。いやー、久しぶりのアジアンテイスト。和んだなあ。特に白飯には感激。買物の後は、その日の締めとして隣にできていたカフェ「エッグスン・シングス(eggs'n Thing)」へ。そこで食べた写真のパンケーキの話は別の機会に。


セントパインズゴルフクラブ

2013-04-08 05:55:17 | 450 スポーツ
先々週の土曜日は会社の仲間とゴルフへ。今年初めてのラウンドだったので、事前に練習場へでも行っておこうかとも考えたけど、時間がなくて結局ぶっつけ本番に。場所は東広島市にあるセントパインズゴルフクラブ。「そんな名前のゴルフ場あったっけ?」とセッティングをしてくれた若手に尋ねると、「昔は朝日ゴルフクラブという名前だったらしいですよ」との返事が。

その名前を聞いて、かなり昔の思い出が脳裏をかすめて。できてすぐぐらいの時に行ったことがあったけど、英国風の洒落た建物の前で、やけに高級そうな制服を着た若い女性が数名並んで出迎えてくれたのを思い出して。とにかく豪華なゴルフ場っていう印象。調べると1993年に開設されていた。なるほどねえ、やはりバブル末期だったのか。あれから20年も経ったのか。

当日の朝、道に迷いながらコースに到着。クラブハウスを外から眺めていると20年前の記憶がだんだんと蘇ってきて。中に入るとさらに当時の面影が。だけどどこかやつれた雰囲気も。噂では聞いていたけど、バブル消滅と共に経営が悪化し、2010年に倒産していた。それからセントパインズゴルフクラブに改名して営業を再開。従業員の数とか、合理化が進んでいたなあ。

それでゴルフだけど、どうせ練習ラウンドなのだからと、モレガンを使うことに。これはかつてデトロイトへ出張した時に、取引先のお偉いさんから聞いて知ったもの。英語名は”Mulligan”。マリガンとも聞こえる。最初の1打がOBだった場合に、無打罰で打ち直しできるという超ラッキーで自己中な反則ルール。なにせセルフで3人だったし、迷惑をかけなければ良いだろうと。

スタートすると、自分は想定外に球がまっすぐ飛んだので、モレガンを使ったのはパー3で2ヶ所、池ポチャのOBを打った時だけ。一方で同伴者はやけに荒れていて、モレガンを拡大解釈して5回ぐらい無打罰でティーショットを打ち直したりして。結局自分のスコアは93。モレガンがなくても100は切れていた計算。天気もすこぶる良かったし、大満足でコースを後にしたかな。


結婚式

2013-04-04 05:52:54 | 900 その他
少し前の土曜日は、会社の若手男性の結婚式へ参列。娘のハワイでの結婚式からおよそひと月。まだまだ記憶は鮮明で、色々なシーンがすぐさま脳裏をかすめる、そんな中での日本の結婚式。黒い礼服を着たあたりから、「もし日本でやっていたら、こんな姿で結婚式の会場へ向かったのだろうなあ」と、どうも他人の結婚式という感じが不思議に最初からしなかった。

会場は広島市の郊外にある「Le Club de Mariages」。昨年も同じ年頃の別の男性の結婚式に参列したのをよく憶えている。式の前にウェイティングルームで軽くシャンパンをいただいて。もうすっかり春めいていて、庭には色とりどりの花が咲いていた。いかにも日本にある、日本人が造った洋風の建物なのだけど、それはそれでまた”らしさ”があって良し。

そのうちアナウンスがあり式場への移動。この手の結婚式場にしてはかなり広いチャペルに親戚や友人が多数集まっていて、そこに新婦が父親とバージンロードをゆっくり歩いていく姿を眺めていると、どうしても娘と自分の姿がダブってしまって。よく響くパイプオルガンと女性コーラスの素晴らしさもあって、日本での挙式だと、こんな風だったのかなと感動してしまった。

披露宴では、定番になりつつある二人の生い立ちのスライド紹介が。だけどその後も2度ぐらいそのパターンが。巨大スクリーンを活用したいのは分かるけど、ちょっとスライドに頼りすぎる気もして。それと気づいたのが、最近の結婚式では親戚の余興がめっきり減っていること。昔は叔父さんによる詩吟とか、叔母さんによる日本舞踊とか変化に富んでいた気がする。

ぐっときたのが、新婦が母に贈る言葉や最後の新郎の父による挨拶。とても情感がこもっていて、つい涙が出そうになった。これらは日本の結婚式では大昔から続いている定番。これはこれでまた良し。つくづく思ったのが、世の中って変化しているなと。日本の結婚式もそうだけど、まさか自分の娘がハワイで結婚式を挙げるなんて、まるで想像できなかったから。


花見

2013-04-01 05:23:31 | 900 その他
今年の春は暖かいので、桜の開花が例年になく早いとTVとかで話題になっていて、確かに東京で桜が満開になっているのを出勤前に画面で見た気がする。それじゃ広島はというと、これが1週間前には1、2分咲き程度で、東京よりこんなに開花が遅いって、どういうことなんだろうと不思議に思ったりした。自分の予想では満開は今週末ぐらいかなあと思っていたかな。

それが先週後半の好天気で、あれよあれよという間にみるみる開花が進んで。土曜日には家の周囲の桜が8、9分咲きに。こりゃ日曜日を見逃すと一挙に散ってしまいそうと心配になり始め、すかさず日曜日にカミさんと2人で花見に出かけたという次第。場所は超近場の安芸の宮島。昨年初めて花見をしたら、これが想像以上に素晴らしかったので再訪することに。

もう宮島と言えば自分の家の庭のようなもので、何処に何があるかは熟知している。花見の後で早めに夕食を取って帰ろうと、午後3時過ぎに出発。とにかく天気が良かった。フェリーで島に渡り、いつもの商店街を歩くと、時間が時間だけにさすがに客の行き来も昼食時程ではなく歩き易くて。だけど、逆におやつ時なのか、若い女性が食べながら歩いているのが目立った。

さらに歩いてお目当ての多宝塔へ。場所がメインストリートから外れているせいか、意外に観光客が少なくて。まさに花見の穴場。たくさんの桜の木がなだらかな斜面いっぱいに植えられていて、桜の花の中に塔が浮かんで見える様は、まさに絶景。桜も完璧な満開状態で、この日のために咲いているといっても過言ではないくらいで、カミさんもその美しさに驚いていた。

桜を堪能した後は、お決まりの「牡蠣屋」へ。裏メニューの”牡蠣屋定食”を注文してまずはビールを。料理が出揃ったところで白ワインをいただけば、なんかとても幸せな気分になってきて。ほろ酔い気味に店を出ると、ちょうど閉店で、なんかラッキーだったなと。お土産に買った藤井屋のブルーベリーチーズのもみじ饅頭がこれまた絶品で、最高の一日になったかな。