或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

Museum of Islay Life

2010-12-28 05:45:26 | 860 英国紀行
今回のアイラ島訪問では蒸留所見学が勿論メインなのだけど、ひと通りの観光もしたいと思っていて、中でも興味を持ったのが下の写真のアイラ島博物館(Museum of Islay Life)。島の歴史について勉強できるとのこと。ブルイックラディの蒸留所で尋ねると、既に通り過ぎていた。見学が終わり来た道を引き返していると標識を発見。道路から見える坂の上に建っていた。

周囲が墓地だったこともあり、パッと見ると小さな教会といった雰囲気。坂を登ると入口が。中に入ると、歴史博物館というよりアンティークショップといった風情。受付の愛想の良いおばあさんに入場料を払って狭いフロアをゆっくり鑑賞。展示物をひとつひとつチェック。古い写真がたくさん飾られていて、中でもかつての蒸留所の写真がたくさんあって興味深かった。

フロアの隅で発見したのが小さなポットスティル。半径が1mぐらいで釜のような感じ。ブリキのおもちゃのように可愛くて。解説では、大昔これを使って家庭でウィスキーを造っていたとか。つまり小規模ヤミ蒸留所。なんか面白そうだなと。まあどんなものでも、究極のマニアは自分でやり始めるのが常。ひょっとして今でも世界の何処かでやっている人がいるんじゃないかと。

それで十二分に博物館を堪能した後で、本のひとつでも買って帰ろうかと受付に戻ると、おばあさんがいない。あれーっ、何処に行ったのだろうかと。声を出して呼んだりしたものの返事がない。おいおい、商品を盗まれたらどうするの?なんて心配になったりして。しばらくうろうろしてみたけど、結局おばあさんは帰ってこなかった。治安も何もあったもんじゃない、この島は。

帰りに海岸沿いに建っていたのが上の写真の大きな記念碑。海の中にそびえ立っているかのよう。近づくと、2度の世界大戦における戦没者の慰霊碑(Kilchoman Parish Memorial)だった。そういえば博物館の写真の中に、戦地に行くために船に乗り込んでいた兵隊達の写真が何枚もあったなあと。日本から遠く離れた土地で戦争の規模の大きさを思い知らされた次第。


Bruichladdich

2010-12-23 05:56:19 | 860 英国紀行
アイラ島2日目、昼食を取った後で訪れたのが、ポート・シャーロットからボウモアへ帰る途中の海岸沿いにあるブルイックラディ。後で分かったことだけど、スコッチウィスキーの蒸留所としては世界で最西端に位置しているのだとか。ただし2005年までは。そんな感じは全くしなかったけど、地図で調べると、アイラ島より西はもうアイルランドなので確かにそうかもしれないなと。

この蒸留所の特徴は、ボトルのラベルと同様に、工場も鮮やかなアクアマリンのペンキで塗装してあること。波が穏やかな内湾に面していることもあって、他の蒸留所とは異なりややリゾートっぽい雰囲気が印象に残った。車を工場の敷地内に止めてゲストルームに入ると、広々としたフロアには誰もいなくて。おいおい、これじゃなんでも盗み放題じゃないかと心配したけど。

情けない話だけど、この蒸留所のウィスキーを飲んだことがなく知識もほとんどなかったので、興味深く説明や展示物を見て周ったけど、とても勉強になった。ピートを炊かない分、味がマイルドで、その繊細さが売りなのだとか。ある意味で他のアイラ島の蒸留所の強烈イメージと対極的。Tシャツや帽子等がずらりと並んではいたけど、結局小さな水差しに狙いを定めて。

すると奥の部屋にいたと思われる店員らしき男性が数人と親しそうに話しながらフロアに戻ってきて。相手をしてくれるかと思いきや、ずっと話しっぱなし。相手が大きな犬を連れていたのだけど、急に広々とした店内を走り始めて。みんなニコニコ。なんだかこっちまで楽しくなってきて。いや、実にのんびりしているなあと。水差しを買ったのは、それからだいぶ後だったような。

帰国して通販で12年モノを見つけたので、すかさず購入。初めて飲んだそのお味は、想像通りの優しい味わい。言われなければ産地はハイランドと答えるだろうなと。同じアイラ島の中でもいろんな蒸留所があるんだということを実感した瞬間だった。


シューマンの指

2010-12-20 05:52:31 | 010 書籍
小説はホント久しぶり。調べると書籍関連の記事は昨年の10月以来で約1年ぶり。振り返れば、職場を変わり、さらには転職をして、環境が大きく変わる中で気持ちに余裕がなくなっていたんだなと。気を引くような小説に出会わなかったというものあるけど。前置きはいいとして、読んだのは奥泉光が書いた「シューマンの指」(2010年)。図書館で4ヶ月も待った人気作品。

音楽ネタで、しかもシューマンがらみだったので食指が動いたのは確か。読み始めて驚いたのが、小説というよりシューマンの音楽論とピアニストの音楽評論がほとんどだったこと。まあこういうのは嫌いじゃないので「ふむふむ、そういう好みなのね、あなたは」、なんて感じで読み進んでいったのだけど、クラシック音楽の素養がない人にはチンプンカンプンだったはず。

それにしても少々度が過ぎた感があったかな。とにかく前半はミステリー小説としての進展はほとんどなかったから。後半に入りようやく事件の全貌が明らかになってからは、逆に話が早く進み過ぎて味わう暇がなく、気がつけばラストに突入していたって感じ。まあシューマンが題材なので、構築性に欠ける彼の音楽の特徴を自分の小説に投影したのなら天晴れだけど。

なかなか気が利いていると思わせたのが「ダヴィット同盟」を引用していたところ。シューマンが自分の意見を述べるために設定した架空の団体を小説のネタとして持ち込んだあたりは手がこんでいる。だけどそれ以上だったのは、やはり題名にもなっている”指”の話かな。冒頭からラストまで、いろいろな場面にうまくちりばめられていて面白かった。

読み終えて脳裏をかすめたのがデュッセルドルフ。シューマンの終焉の地。梅毒に起因するとされる精神障害が悪化して、最後はこの街を流れるライン川で投身自殺を図った。それが1854年2月。何度か出張で行ったけど、ライン河畔に位置する旧市内の繁華街であるアルトシュタットの石畳の通りが懐かしい。そういえば、クリスマス前のちょうどこの季節にも河畔を歩いたっけ。

シューマンの指シューマンの指 シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集、幻想曲シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集、幻想曲

Rolex Oyster Perpetual

2010-12-14 05:49:07 | 520 アンティーク
この夏ぐらいだったかなあ、時計のブレスのコマとコマをつないでいるピンが抜けかかり始めたのは。ふと左手の手首付近を見ると、ピンが飛び出し外れそうになっている。こりゃヤバイと差し込んではみたものの、月に数回はそんな状態。こりゃいけないと、ネットで調べて修理屋に出向いたのがひと月ぐらい前。とりあえず応急措置をしてもらって。

この時計は最も愛用しているロレックスのオイスター・ローヤル(Oyster Royal)[Ref.6444]。調べると2002年の夏に息子と東京に遊びに行った時に購入していた。中古屋で当時約20万円ぐらいだったと記憶している。セミボーイズサイズというかなり昔の規格。手首が細い自分にはサイズ的にピッタリ。とても気に入っていて、夏場なんかはこればっかりって感じ。

それで、完全にピンが抜けたのがこの間の出張の時。抜け落ちたパーツがなくならなかったのが不思議。それからは広島市のありとあらゆる修理屋に問い合わせる毎日。アンティークにとっては修理が一番やっかい。メジャーな店には、このブレスは対象外ですと冷たくあしらわれて。結局未だに請け負ってくれる店がない状態。最後になるであろう店に問い合わせてはいるけど。

この結末は別の記事にするとして、最近ヤフオクで落札したのが写真のオイスター・パーペチュアル(Ref.77080)。メンズとレディースの間のボーイズサイズ。前から気にはなっていた。ブレスが壊れてからは代替品として手に入れておかねばと。焦ったのはその後。2007年のモデルチェンジでべゼルやブレスがリニューアルされていた。

この手の変更はたいていが自分にとって改悪。新モデル(Ref.177200)もご他聞に漏れず、丸みをおびたべゼルや媚びたブレスのデザインが受け入れられない。それからというもの、旧型[Ref.770870]を探しまくり状態。新古品なら28万程度。さすがに手が出なくて。結局中古を15万で。このところ毎日はめているけど程度も良くてとても気に入っている。とりあえず落ち着いたってところ。

没後120年ゴッホ展

2010-12-09 06:00:37 | 300 絵画
ブルーノート東京でチック・コリアを聴いた翌日の午前中は国立新美術館へ。ここは3年ぶりで3度目。没後120年を記念したゴッホ展が開催中であることを知っていた。今回特に興味を持ったのはオランダにあるクレラー=ミュラー美術館からの貸出作品が多かったから。この美術館をいずれ一度訪問したいと思っていて。今回の作品はゴッホ美術館とここで約半々ぐらい。

その日の東京は雲ひとつない快晴。周囲の木々はほとんど落葉していて完全に冬モード。この企画展は10月から始まっていて12月末の終了のやや前ぐらいで、土曜日だし、午前中だし、そんなに客はいないだろうと思っていたら甘かった。企画展の開催ブースに行くと黒山の人だかり。もともと広い美術館じゃないし、館内は暑いしで、鑑賞する環境としてはイマイチだった。

展示は時代別に区切られていて分かり易かった。自分的に新鮮だったのは、やはりクレラー=ミュラー美術館からの貸出作品。プレーンでモダンな印象の木の額が特徴的。その中では若い頃の作品がとても勉強になった。だけどピンとくる作品がなくて、やや不満を憶え始めた頃に出会ったのが「ヒバリの飛び立つ麦畑」(1887年)。ていねいで繊細な筆致が楽しめた。

この辺りからは見応えがある作品が続く。そして圧巻だったのが「アイリス」(1890年)。この画題の絵はロスのポール・ゲッティ美術館で一度観たことがあり、その時にえらく感動したのを憶えている。それはサン=レミの精神病院に入院していた時に庭に咲いているのを描いたもので、今回のはそこを出て、終焉の地であるオーヴェールへ旅立つ前に自宅で描いたもの。

なんかね、ふつふつと感動が体の中から湧いてくる久しぶりの感触。くすんだバックの黄色との対比の中に、葉のグリーンとアイリスのうねるようなブルーが力強く訴えてくる。感極まるとはこのこと。それからというもの、とりつかれたように列の最後尾に並んでは順番を待って眺める、この繰り返し。最後は後ろ髪を引かれる思いで会場を後にしたけど。いや、素晴らしかった。


LIVE! Chick Corea

2010-12-06 05:49:50 | 200 ジャズ
先週の金曜日の夜、出張の合間にブルーノート東京へ。このブログの右上の検索を使ってチェックすると、前回は3年前のイヴァン・リンス。あれからもうそんなに経ったのかと。仕事が長引いて金曜日に帰広できないことになり、すぐにライブハウスのスケジュールをチェック。そこで見つけたのがチック・コリア。さすがにこのビック・ネームだと1万円かかっても行く気になった。

自分はそんなにコンサート好きの部類じゃない方。機会があってもチケットが高いとあっさりスルーするから。ジャズの著名ピアニストについても、学生時代にハービー・ハンコックとマッコイ・タイナーを聴いたっきり。だけど今回だけは、内容はともあれ一生に一度はと、なにせチックだから。それからは1970年代の彼の音楽が走馬灯のように脳裏を駆け巡って。

8時45分頃に店に着くと既に2ndの開場を待つ客でいっぱい。受付をすると70番。今日も遅かったかと後悔しながら座って待っていて少し驚いたのは、学生さんや30代ぐらいの若者が多いこと。ジイさんバアさんばかりと思っていたのに。彼らは一世を風靡したリターン・トゥ・フォーエバーでさえ知らないはずなんだけど。だいぶ待たされてようやく案内されたのが最後部の最奥。一応尋ねてみたけどステージ前のテーブル席は残っていなかった。座席が高く全体が見渡せるこの席で良かったと後で気づいたけど。

それからおもむろにチックの前奏が始まって。うーん、これが彼の生ピアノなのかとさすがに感激したかな。演奏はアコースティックバンドの延長線である新主流派。ベースのクリスチャン・マクブライドとドラムスのブライアン・ブレイドとの呼吸もピッタリ。相当リハを重ねてきたという印象。自分的には何ら問題はなかったけど、若者には難しくて楽しめなかったのじゃないかな。

サプライズはその夜の客。前週にトリオで出演したスタンリー・クラークとレニー・ホワイト、それに小曽根真などのそうそうたるメンバーが。それ以上がマルタ・アルゲリッチ。そう、あのクラシック界の超有名女性ピアニスト。おいおい、どういうつながりなんだよと。アンコールでは奥さんであるゲイル・モランのヴォーカルが飛び出して、どこの婆さんかと思ったけど。彼女は2代目マハヴィシュヌ・オーケストラのキーボード奏者。いや、懐かしい。下の写真はネットから拝借した当夜のアフターアワーズ。


続・タチウオ

2010-12-01 05:12:02 | 400 釣り
この土曜日に友人達と船釣りへ。このところ週末がずっと忙しかったし、若干風邪気味だったので、誘われた時に躊躇したものの、数日間迷った末に行くことに。当初の狙いはウマズラハゲとタチウオ。たまに利用する遊魚船で、たいがいがジギング。ただし直前の友人からの電話で、遠征して狙いをタチウオ本命で、もしやるとすればハマチにすることに変更したと。

当日船に乗り込んで隣にいた常連客に最近の釣果を聞いてみると、どうも例年に比べてジギングが芳しくなく、逆に餌釣りがまずまずで、それはタチウオにもハマチにも言えるそう。一応両方できるような準備をしてきたので、こりゃ餌釣り1本で頑張るしかないなと。今回の魚場は愛媛県の長浜沖。青島をさらに南下した地点。着いてみると、すこぶる波が強かった。

釣り始めてすぐに友人が50cmの真鯛をゲット。タチウオ用のサンマのテンヤに食いついたもの。真鯛も大きくなるとアジとか小魚を捕食するらしい。しかし波が荒い。瀬戸内海では船酔いをしたことがないくらい海には強いと自負している自分だけど、さすがにこの手の大きな揺れにいやな予感がしてきて。こりゃあと1時間ぐらい経ったらヤバイかなと思った頃に魚場を移動。

別の船からタチウオが釣れているとの連絡があったそうで、一難をとりとめた感じ。予想通り新しい魚場には船が10隻ぐらい集まっていた。テンヤを海に沈めると、いきなり自分にヒット。上がってきたのは指4本のまずまずの型。それからコンスタントに釣れ続いて。結局指5本が1、4.5本が5、4本が5、3本が4のトータル15本。最近は釣り上げた後も手馴れたもので、専用ペンチで頭をつかみ調理用ハサミで首をバケツの上で落とし、すぐに血抜きを。こうやっておくと生臭くならないから。

友人達は3~4本だったし、船中の他の客もシングル止まりで、ダントツの竿頭。なんか今年はイサキといい、アオリイカといい、今回のタチウオもだけど、調子がすこぶる良くて。だんだんと釣りの極意を会得していると実感したりして。前回のタチウオ釣りが数本だったので、十分にリベンジできたなあと。来年の1月に最盛期が来るので、その時にはできればジギングを。