或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

諸行無常

2016-06-05 05:49:20 | 900 その他
先月の4日に姉が突然倒れ、13日に亡くなった。享年72歳。浄土真宗では行年73歳。近所で独り暮らしをしていた。死因は脳出血。専門用語では視床出血と呼ばれていて、脳出血の中では最も一般的なものらしい。救急車で病院へ運ばれたのだけど、その時からずっと意識不明のまま。親父が生きているけど認知症で老人ホームに入っているため、親族の代表は自分。

倒れた日に病院で医師から説明を受けたのが、脳のCTスキャンの画像。頭脳明晰で、しかも誠実そうな若者の落ち着いた語り口に好感が持てた。だから姉がどの程度悪いのかが客観的に把握できたのだけど、結論から言えば、ほぼ助かる見込みがないということ。なんか3年前に亡くなったカミさんの時と同じ雰囲気を感じて。「またかよ」と、つらかった。

脳幹にまで出血が及んでいたので、結局手術はしないことに。それからは予断を許さず、昼夜を問わず、いつ電話がかかってくるか分からない状況が続き、さすがに夜中に何度も目を覚まし睡眠不足に。GW中ということで、毎日見舞いに行ったのだけど、高熱は続くものの小康状態が続き少し安心かなと思った矢先に肺炎を併発。それからはあっという間だった。

姉とは母親は同じだけど、父親が違う。姉の父親は、戦時中に負傷し、戦後間もなく死んだらしい。年も10歳以上離れていたせいもあって、一緒に遊んだ記憶がほとんどなくて。倒れた日に看護師からいろいろと質問を受けた時、そう言えば直近で話をしたのが今年の正月で、いかに日頃から疎遠だったか改めて認識したけど。でも兄弟なんて、そんなものかもしれない。

GW明けから東京へ出張し、ちょうど帰広した後だったので死に目に会えた。だけど欧州出張と重なったため、通夜までは喪主として参列できたけど、葬儀は子供達や従妹に頼むことに。通夜経で、いつもの寺の住職の話を聞きながら、人生は無常だなと改めて感じた。今頃は浄土で母と仲睦まじくしているかなとも思ったっけ。自分もこれからの人生を考えねば。

謹賀新年

2016-01-10 16:24:00 | 900 その他
新年明けましておめでとうござます。なんて言いながら、もう10日も過ぎてるし。かなり遅い気はするけど、何もしないともっと敷居が高くなるし。今年は年末から年始にかけて天気もまずまずで、かなり例年に比べて暖かかった。広島でもたいていこの時期に一度は雪が降っていた気がする。まさに暖冬。未だに車のタイヤをスタッドレスに交換しておらず、このままとしたい。

今年の正月は元旦に東京へ。というのも2日に名古屋で親戚一同が集まって食事をするという予定を立てたから。長野に住んでいる友人が東京で会いたいということで、それならと東京のホテルを予約。そこまでは良かったのだけど、正月に困るのは飲食店が営業していないこと。当たり前と言えば当たり前。結局元旦は、ホテルの中のフレンチレストランでディナーを。

そうそう忘れていた。元旦の昼に新幹線の中から夢中で撮ったのが富士山。いつもは気にならないのだけど、さすがに正月ともなるとなんだかね。やはり自分も日本人だなと思ったっけ。苦労したのは電線、電信柱、ビルとか、撮影を邪魔する障害物がひっきりなしに現れたこと。携帯のカメラで30枚ぐらい連続で撮影した中で、この1枚だけが唯一まともだった。

それで待ち合わせしていたホテルに着いたのが14時で、そこから東京タワーの写真を撮りながら、これからどうしようかと相談してまとまったのが明治神宮。ただし正月だし、東京では最も有名な初詣の名所なので、2日の午前中より元旦の夕方の方が空いているはずとの予想のもと、山の手線に乗りJR表参道駅で降りると、案の定、多くの客でごった返していた。

少し歩いて鳥居辺りまで来ると、広い参道は端から端まで人で埋め尽くされていて。だけど時間はかかったけど、まずまずスムーズに進み、生まれて初めて明治神宮へ参拝、しかも初詣で。連れの友人から、「後厄だから気をつけなさい」としつこく言われたりして。翌日の昼食を丸の内にある「Wolfgang's Steakhouse」で済ませて名古屋へ移動。なかなか充実していたかな。


ゆく年くる年

2015-12-31 20:22:51 | 900 その他
大晦日は、毎年記事を書く前に、前年同日の記事を読み返している。つまり昨年を振り返り、そして今年を振り返るって感じ。今年の師走は出張が立て込んだこともあって、息つく暇もなくぶっ通したような気がする。クリスマスイブから連チャンで何かしらイベントがあったから。今日も昼間に友人が遊びにきてくれて、ここぞとばかり手料理をご馳走した。

今年2月に伊勢神宮へ2人で参拝した時、名古屋駅地下の矢場とんで味噌カツを食べたら気に入ったみたいだったので、今日は名古屋名物の”どて煮”から始まり、一昨日釣ったタチウオの炙り、メバルの煮付け、タチウオのバター焼きと続き、シメは”味噌煮込みうどん”と、”名古屋づくし”でおもてなしを。美味しいと、とても喜んでくれた。冷蔵庫もすっかり片付いたし。

それで今年の全イベントが終了したので、昨年同様にPCに保管しているデジカメのフォルダを確認すると、有馬温泉、”うさぎの楽園”の大久野島、タイ、インドネシア、伊勢神宮、ハワイ、由布院温泉、唐津・有田、神戸、築地、南フランス、高知、毎年恒例の宇品と宮島の花火大会、鞆の浦、北海道の函館と登別温泉、柳川、さらには紅葉狩りで2週連続の京都、ソウル、台湾、中国、松江のしんじ湖温泉と、昨年同様に動き回っていて。還暦を迎えてもまだまだ、ていうか若い頃以上に元気だなと。

楽になったと思うのが親父の世話。今年6月に特別養護老人ホームへ施設を移動。数年来待って、やっと順番が回ってきた。毎週着替えを持って帰っては洗濯する必要があり負担になっていたけどそれがなくなって。これは精神的に大きかった。それと節目になったのが自宅の外壁塗装。色を白から淡いグリーンに変え気分を一新したことより、ずっと気になっていた家の大型不要物の整理ができたのが嬉しい。これからも気長に整理していかなければ。まあ、焦らず、じっくり、ゆっくりと。

それで自分の話。今年を振り返ってみるのだけど、昨年と違うのは、再婚はないだろうなと感じ始めたこと。結婚のハードルが高いのか、年相応の女友達がいなくなり、最近じゃ若い子ばかり。独り暮らしに慣れてきたせいもあると思うけど、気ままに遊んでいる方が楽かなと。この先どうなることやら。とりあえず松江にある宍道湖の写真を今年の最後に。皆様、よいお年を。

台北

2015-12-22 09:03:41 | 900 その他
先週の水曜日から台北へ出張している。台湾は生まれて初めて。けっこう日本人にも人気がある観光地らしく、食事が美味しいというのがもっぱらの評判。台湾と言えば、この11月に京都へ遊びに行った時に、清水寺で和服姿の台湾人の若いキレイ系の2人組から英語で話しかけられたのが記憶に残っていて。そんな訳で、ちょっぴり期待して出発したのは確か。

フライトをいろいろ探してみたけど、意外にも広島空港発の中国航空が朝の出国、そして夜の帰国と、ビジネスにはバッチリの時間に発着していることが分かって。朝5時21分のJRの始発に乗って広島駅、そこから45分かけて広島空港へ。現地は暖かいだろうと、早朝の寒さに凍えながら、あえてコートを持たずに軽装で出発。ところが現地は広島以上に寒かった。

桃園国際空港へ到着して、いざ外へ出てみると風は強いし寒しいで、この時点で「これは裏にハマった」と後悔を。台北のダウンタウンにあるホテルへ到着して暖房を入れようと試みるも全く効かず。どうも全室そうだったらしい。それから3日間ぐらいはずっと寒くて。加えて連日のハードスケジュールで、中国へのプチ出張等もあって典型的なお疲れモード。いや、つらかった。

流れが変わったのが土曜日ぐらいから。ようやく気温が上昇し始め、最低気温が10℃を超え始めて。それからはずいぶん過ごし易くなったかな。いろいろあったけど、今日の夕方には帰国する予定。それで台湾の印象なのだけど、中国とタイを足して2で割ったような感じかな。バンコクと同様に治安が良くて、バンコクより街は綺麗。だけど景色そのものは完全に中国。

食事を期待していたけどイマイチ。ほとんど中国。香辛料の使い方が大雑把過ぎて。自分には韓国の方が合っているみたい。逆に街ゆく女性は想像以上に美しくて。特に台湾東部の原住民の血を引いているらしい女性は堀が深くて美形そのもの。ファッションもお洒落で化粧もうまかった。残念だったのは、ほとんど観光できなかったこと。それは次回に期待かな。


35-80D

2015-10-25 10:11:03 | 900 その他
このところ忙しかったのが、自宅の外壁と屋根の塗り替え工事。家を建てて今年が30年目で、確か15年ぐらい前に大規模な改築を行っている。その時以来だから、ちょうど15年振りかな。数年前から、いろんな業者が郵便受けに工事の斡旋をするチラシを入れ始めたので、そろそろと思っていた。だけど、なんだかんだで忙しくてなかなか検討に身が入らず、かれこれ1年。

きっかけは、とある業者のチラシ。通常は「施工のことなら罰××におまかせ....」なんて感じで売り込みテンション満載のものばかりだったけど、珍しく新しい塗料や工法がメインだった。それから数日後に電話があって、その中で「近所の○○様の工事を先日やらせてもらいました」との話があり、休日に家に来てもらうと、とても誠実そうな話しぶりだったので見積もりを。

総額およそ100万円だったので、他社の相見積もりもせず、その業者へ発注することに。それからが大変だった。庭とか家の周りに両親が保管していた荷物が山のように積まれてあって。これでは邪魔になると、工事の前に小さな物置を始め、倉庫の中とかを整理し、トラックで数回廃棄してもらった。そのための確認やら整理やらで、毎週土日はそればかりだったような。

最後まで悩んだのが外壁の色。もともと”アーリー・アメリカン調の家”というコンセプトで、当時流行っていた三井ホーム、ツーバイフォー、白いサイディングに憧れて家を設定していて。15年前の際も、色の変更という気持ちは全くなく、とても白が気に入っていた。だけど、さすがに今回は浮気をしてみようかなと。あれこれ悩んで決めたのが淡いグリーン(色番号:35-80D)。

見本と実物はかなり雰囲気が違うということで気になっていたけど、結果的にはまずまず満足。少し想定外だったのは、もう少しグレーがかった色味をイメージしていたから。ご近所からは「カワイイ色ですね」なんて言われて、「娘が選びました」と人のせいにしているけど。何かに似ていると思い出したのが、神戸の異人館にある”萌黄の家”。ちょっぴり恥ずかしかったりして。


三回忌

2015-02-15 08:04:22 | 900 その他
先週の日曜日は一昨年に他界したカミさんの三回忌。命日から2ヶ月以上も前なのだけど、娘のリクエストでこの日に。というのも出産のため名古屋にあるカミさんの妹の家に昨年12月から居候をしていて、1月に子供が生まれたので、広島に帰ってくる時にできればと。あまり長居をしても迷惑だろうしと、出産の1ヶ月後ぐらいが良いのではと考えてこの日に。

実は1月に名古屋へ行き、初孫には既に会っていた。出産前から男の子というのも知らされていたけど、やはり初対面は少し緊張したかな。自分の子供の時もそうだったけど、願うのは五体満足で健康なこと。幸い何ら問題もなく、すくすくと育っているらしく、産後の娘も元気そうだったので一安心。カミさんが生きていたらどんなに喜んだろうと想像したかな。

当日は降ったり晴れたりのやや荒れた天気。昼前にカミさんの妹と娘夫婦が家に到着。ゆっくりする暇もなく軽く昼食を済ませてお寺へ。お経を済ませると、同席した親戚達と一緒に墓参りへ。正月に行ったっきりだったので、前日に掃除をしておいた。途中は強く雨が降っていたのだけど、皆が到着した頃にはほとんど止んでいて。娘が孫を紹介していたのが印象的だった。

その後自宅へ戻り着替えた後で、皆で夕食を取りに宮島口にある「他人吉」へ。確か一周忌の時もこの店を使った記憶がある。JRの駅の傍なので帰りが楽だし、料理に広島の地元の食材を多く使っているので、特にカミさんの兄夫婦には喜ばれるだろうという思いもあって。シャンパンや冷酒をお供にコース料理を楽しみながら昔話に花が咲いた。皆も楽しそうだったなあ。

あれからおよそ2年。すっかり独り暮らしに慣れ、炊事、洗濯、掃除に料理をこなしながら、未だに家の整理を少しずつやっている。まだまだカミさんのものが沢山残っていて、この間もひょっこり結婚前の若い頃の写真を見つけた。中学生か高校生の時の写真も混じっていて。すごくモテたという妹の話を初めて聞かされたりして。先立たれるというのはつらいなと。

Jakarta

2015-01-31 13:44:13 | 900 その他
東南アジア出張の2日目に、昼間の客先との打ち合わせを済ませてから、夕方からインドネシアへ移動。タイはちょくちょく訪問しているけどインドネシアは初めて。イスラム圏の国ということで、ちょうど日本人の人質事件が勃発しているだけに、ちょっと不安を感じていたというのが正直なところ。バンコクからジャカルタへ向かうガルーダ航空での移動のフライトは満席だった。

冴えなかったのが機内食。とにかく全てが完全にNG。まずはサラダ。春雨のようなものに野菜が混じっているのだけど、ドレッシングが最悪。ちょっと下品な言い方をすれば、ウンチがちょっぴり混じっているような。そんなヤバイ匂いが感じられた時点でアウト。それ以上食べる気にならなかった。ということで空腹のまま、夜9時にスカルノ・ハッタ国際空港へ到着。

後で思うに、これって単なるプロローグだったような。インドネシアではビザが必要なのだけど、手配が遅く日本で取得できなくて。渡航経験者に事前に確認すると、機内で手続きできたと。それでCAへ相談すると、後で来ると。ところが着陸まで1時間を切ってもその気配なし。最後尾まで歩いていき「ビザの件、どうなった?」と質問すると、のらりくらりいい加減な返事が。そのうちベテランが出てきて、機内では無理で空港で手続きするようにと。それだったら最初からそう言えよと。

着陸直後にスマホで空港内の窓口の場所をなんとか調べてなんとか到着ビザを取得。ネットではドルしかダメと書いてあったけどタイバーツでもよくて、なんとかクリア。だけどそれのつかの間。フライトの荷物ベルトNOが掲示板に表示されなくて。係員に聞いてようやくそこへ。ところが荷物がなかなか出てこない。なんか待っていた周囲の客がいなくなっていることに気づいて。人影が多い別のベルトまで行ってみると、そこに自分のスーツケースが。「おいおい、掲示板と違うベルトじゃん?」と。

ハラハラドキドキが続いた後でようやく出口へ。そこで待っていてくれた現地駐在員を見つけた時はホッとしたなあ。ホテルへ行く前に日本食屋へ立ち寄り、遅めの夕食を。イスラム圏では禁止されている豚肉を食べ、これまた禁止されているビールを飲み、すっかり和んでその日の出来事をしゃべっていると、「インドネシアってそんな国だから」と軽く笑いながら応えてくれた。

翌朝車に乗ると、後席に一緒に乗った彼がすぐにシートベルトを装着。「こっちって交通ルールがうるさいの?」と聞いた自分の間違いがすぐに分かった。車とバイクで異常に混んでいる上に皆が交通ルール無視。危なくて怖いのなんの。だからシートベルトが必要だということ。「まあ、そういう国だから、ここは」という言葉にインドネシアに対する印象が集約されていたような。

Bangkok

2015-01-29 08:22:42 | 900 その他
昨日から東南アジアへ出張。帰国は土曜日の朝の予定。福岡空港を出発しておよそ5時間でスワンナプーム国際空港へ到着。前回が2013年6月だから、2年半ぶり。もうそんなに経つのか。大きく変化したのが為替。当時1バーツ3円ぐらいだったのが、今回が3.6円なので、2割ぐらい円安になっている。3年ぐらい前だと2.5円だから、それからだと5割ぐらいの円安。

この為替の変化は、海外で食事をしたり買物をしたりする都度に感じていて、今回も日本食屋で夕食をとるにしろ、セブンイレブンでビールとつまみを買うにしろ、かなり割高になっている。新興国でそうだから、米国や欧州といった先進国では日本の倍近い感覚。昨年ロスの日本食屋で軽く飲み食いしても、ひとり6千円以上かかったのには参ったから。

ホテルまでの交通費も、高速道路の25+50バーツに加えてタクシー代が400バーツで、前回から5割増し。タイの物価そのものもかなり上昇しているなと。為替と物価の影響をひしひしと感じながらチェックインしたら、なんとジュニアスイートへアップグレードしてくれて。通常の広さの部屋が二つ連なっていて、2500バーツにしては倍ぐらいリッチに過ごせたかな。

夕食を済ませた後は、恒例のゴーゴーバーめぐりへ。バイクタクシーを拾っておよそ20分で、いつものナナプラザへ到着。相変わらずこの近辺は多国籍でごった返していて、まさにバンコクって感じ。道路で寝そべっている浮浪者の数が増えているような。ビルへ入り、とりあえず2Fにあるお気に入りのレインボー4へ直行。ここからが悪い意味でのサプライズ。

20時過ぎで早かったせいもあるけど、客が数人しかいなくて。それから1時間ぐらいいたけど10人ぐらいしか入ってこなかった。問題は女の子。数も少ないしクォリティもイマイチ。かつては30人ぐらいがステージで踊っていたのに昨晩は7、8人ぐらい。ルックスも以前はぐっとくる子がたくさんいたのに。日本でキレイな若い子とつきあっているからそう感じるのかもしれないのかな。

謹賀新年

2015-01-03 08:54:37 | 900 その他
新年、明けましておめでとうございます。いやあ、昨年暮れから今年にかけて雪の日が多いこと。広島でここまで降るのは記憶にない。12月初旬に降るのはいつものこととして、その後で毎週のように降っているのが例年と違うところ。お陰でとんだとばっちりを受けていて、県北へ出張の日に豪雪となり、冬用タイヤを履いていたにもかかわらず途中で引き返したことも。

正月に名古屋の親戚の家に行き、昨晩帰ってきたのだけど、広島に近づくと雪が降ってきて。広島駅からJRに乗るとさらに雪足は強まり、最寄の駅に降りたら、もうそこは雪国状態。タクシーが出払っていたのでやむなく徒歩で帰宅。10分程度歩くだけなのでまだ我慢できるけど、遠いと大変だろうな。もちろん自宅はすっかり雪に埋もれていた。5cm以上は積もっていたような。

雪で思い出すのが、自分が小学生の頃に親父にスキーへ連れて行ってもらった時のこと。昼過ぎから吹雪いてきて帰りの列車を数時間待たされた。あれは本当に寒かったし、列車が来るかどうか不安でしようがなかった。なにせ携帯電話も何もない時代だから、頼りになるのは駅員からの情報だけ。降ってくる白い雪と暗くなった駅のホームの情景が鮮明に蘇るけど。

その意味では技術の進化で世の中がすっかり変わっていて、役に立っているのが交通状況を教えてくれるスマホのアプリ。全国の列車や高速道路の最新情報が手に取るように分かる。しかし便利になったもんだなと。ついでに言えば、新幹線の予約も全てネット経由でしていて、発券をあえて直前までにせず、状況を見て臨機応変に列車の変更をするようにしている。

なんて世間じみた話は置いておいて、年頭の抱負だけど、今年は特にないかな。ちょっと情けないけど。昨年は婚活を頑張るという目標があっただけに、そういう明確なものがないのでふらふらしそう。音楽や絵画、シングルモルトウィスキー、グルメ、はたまたファッション、車、釣り等何でも良いのだけど、何か熱中できるもの、集中できるものが欲しいなあ。

ゆく年くる年

2014-12-31 23:28:58 | 900 その他
今年も余す時間が1時間を切って、今は自宅で独りぼっち。本来なら昨日東京に行って、ビルボード東京でカウントダウンライブを楽しむはずが、連れのお父さんが脳梗塞で急に倒れてドタキャン。まあ自分の親父も3回も脳梗塞で救急車に運ばれているし。一日中ずっと家の片付けをして、とりあえずありもので独り鍋をやり、今から年越し蕎麦を作るところ。

今年は自分の人生の中で一番遊んだ年じゃないかな。几帳面にデジカメの写真をアルバムにしているのだけど、フォルダがあるものだけでも神戸、倉敷、ハワイ、熊本県の黒川温泉、島根県の有福温泉、再び神戸、大分県の由布院温泉、博多、沖縄、大阪、四国の愛媛、高知、徳島、香川そして東京、京都、松江、再び博多、米子と。まさに目まぐるしいって感じ。

話は変わって、年末にようやく暇になったので、録画しておいたTV番組の整理を。さすがにDVDレコーダーに1TBの容量があっても録画してばかりじゃすぐに一杯になる。シングルモルトウィスキー好きとしては絶対に見たいと思っていたNHKの朝ドラの「マッサン」も、結局初回の途中まで見てそれっきり。ウン十回分をいとも簡単に削除してしまった。だってまず見ないから。

話はさらに変わって、そうは言っても全編を見たドラマがふたつ。共に松本清張が原作で、フジテレビ系列の「市長死す」とテレビ朝日系列の「張り込み」。一昨年が清張没後20周年ということで、それに合わせて製作されたドラマを録画していた。両者に共通して描かれているのが男と女。男と女という名の動物の奥に潜む、常識とは裏返しの奥深い情念がうまく描かれていた。

それで自分の話。今年をしみじみ振り返ってみるのだけど、どうもよく分からない、自分が何を求めているのか、何をしたいのかが。ただひとつ気づいたのが、ある瞬間に感情が昂ぶるというか、そういうのってかけがいがないものかもしれないなと。まあそのうちくたばるけど、来年も今年みたく過ごすのかな。とりあえずハワイの写真を今年の最後に。皆様、よいお年を。