或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

Voce Abusou

2009-06-29 05:54:49 | 220 POPS
仕事用にプロジェクターとスクリーンを購入したのは正解だったけど、DVD観賞用としても大活躍していて、こちらは大正解。暇があればTSUTAYAでDVDを借りてきては楽しんでいる。だけどさすがに音楽DVDの数は少なく、自分好みのジャズやMPBとなるとほとんど置いていない。だから仕方なくアマゾンやヤフオクでちょくちょくだけど買い始めている今日この頃。

つい最近落札したのがセルジオ・メンデスの海賊版。2006年のスペインでのライブ。何処かのTV局が撮影したものらしい。再生を始めて真っ先に感じたのが、「セルメンも歳を取ったよなあ」ってこと。頭はハゲるし腹は出るしで、センスが悪くサイズもあっていないシャツとのコンビネーションもあってルックスは最悪。調べると彼は1941年生まれだから今年でなんと68歳。おいおい、もうそんな年かよ。それじゃ仕方がない。昔の記事で載せた1970年の大阪万博における来日時の写真が懐かしい。

なんかね、キーボードを弾く手にも老いが感じられ、ミスタッチはあるわフレーズは流れるわで往年の切れ味は望むべくもなかった。それでも彼の身体に埋め込まれている素晴らしい感性がどの曲でも伝わってきて、聴いていて嬉しくなってしまって。十二分に堪能した後のラストチューンが”Voce abusou”(邦題は”おもちゃにしないで”)。久しぶりにストライクゾーンの真ん中。

サンバによくある曲調なのだけど、マイナーに転調するサビのメロディーが切ない。どうして今まで知らなかったのか、ディスコグラフィーをチェックするとありました、「Vintage '74」(1974年)というアルバムが。もしかしてとCDラックを捜すと持っていた。まさに灯台元暮らし。レンタルで借りてコピーしたままで聴かずじまい。こんな素敵な曲を知らなかったなんて。YouTubeには”Elisete Live at Givatayim theater”なんて、なかなか渋いのもあったりして。他にもたくさんカヴァーがあったのでビックリした。

話をセルメンに戻すと、しみじみ思ったのが彼って幸せだなってこと。だって好きな音楽をいまだに第1線でやっている。音楽家冥利につきるよなと。しかも常に前向きで音楽に古さを感じさせないところが凄い。死ぬまで現役って感じ。尊敬しちゃいます。

Vintage ’74Vintage ’74

ドービニーの庭

2009-06-24 06:42:21 | 830 パリ紀行
”オーヴェールの家”シリーズの最後は、ドービニーの家とそこにある庭の探索。だいぶ前の記事で紹介したけど、地元広島にある絵画でおそらく最も有名なのが、ひろしま美術館にあるゴッホが描いた下の画像の「ドービニーの庭(Le jardin de daubigny)」(1890年)。少し前に広島のローカルTV局が特別番組で放映した現地でのロケシーンが鮮明に脳裏に残っていた。

画題となっているのは、日本ではそんなに有名ではないと思うけど、19世紀のバルビゾン派の風景画家、シャルル・フランソワ・ドービニー(Charies Francious Daubigny)の家の庭。彼の作品はルーヴルやオルセーにも多数展示してあった。この画家をゴッホは尊敬していたらしい。

現地に着いて、ドービニーが住んでいた家を改造したドービニー美術館の周辺をあっちでもない、こっちでもないと歩き回り、あげくの果てにオーヴェール城の受付でも尋ねてみたけど分からずじまい。結局観光案内所に逆戻り。だけど絵の画像を見せても若い事務員は分からないの一点張り。諦めかけた時に奥から年配の品の良さそうな老女が出てきて。「それなら駅の通り向かいよ」との回答。来る時に通ったような。慌ててガシェの家でもらった観光ガイドをチェックすると確かに載っていた。

冷静になって考えると、ドービニーはオーヴェールに数軒家を持っていたことを知らず、画題になった「ドービニーの家」は、観光名所になっている”画家ドービニーが住んでいた家”、つまりドービニー美術館ではなく別邸で、”ドービニーの未亡人が住んでいた家”だったということ。おいおい、しっかり勉強しとけよとツッコミを入れてみたけど後の祭り。いや、情けない。

あ然としながら目的の場所に着いたら、高い金網のフェンスがあって通りから中がよく見えない。だけどその隙間から奥の建物を眺めると、なにやら絵に描かれている風景の面影が。なんとか撮影したのが上の写真。確かにドービニーの庭。ただし様変わりしていて。のどかな広い庭という自分の中のイメージからは程遠い。期待し過ぎたかな。見なきゃ良かったのかも。

ドービニーの庭 1890

首吊りの家

2009-06-22 06:11:23 | 830 パリ紀行
なんかサスペンス小説の題名のような不吉な名前がついているのが、下にある画像でセザンヌの「オーヴェール・シュル・オワーズの首吊りの家(La maison du pendu, Auvers-sur-Oise)」(1873年)。1839年に南仏プロヴァンスで生まれた彼がこの作品を描いたのが30代初頭。いわゆる印象派画家としての記念碑的作品としてつとに有名。画風の変化という点で極めて意義深い。

実物をオルセー美術館で観たけど地味だったなあ。いわゆる典型的なセザニスムまでは到達しておらず、色合いも暗めだし。絵の前には人がほとんどいなかった。歴史的な意味を知らないとつい通り過ごしてしまう。この絵は大先輩の友人、ピサロと2人で写生旅行をした時の作品で、それを翌年開催された有名な第1回印象派展へ出品。全く評価されなかったらしいけど。

オーヴェールに行った当日、案内所で観光ガイドをもらおうとしたけどすぐに見つからなくて。まあいいかと思ったが大間違い。この絵を描いた場所の手掛かりが掴めなくて。時間が経つにつれ、どうしようと焦りながらガシェの家を訪ねた時に、窓口にいた中年の女性が英語を話せるので調子に乗ってすかさず質問。ちょっとキレイ系のブロンドだったせいもあるけど。

その場でネットブックを立ち上げ画像を見せると、「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりの自慢そうな笑顔で丁寧に場所を教えてくれた。作品のフランス語題は勿論、英語題も憶えていなくて困ったけど、画像があることを思い出したので助かった。

オマケに探していた観光ガイドを頂いて、気を良くしながら教えられた場所へ行ったまでは良かったけど、どうも実感が湧いてこない。というのも上の写真のように景色が様変わりしていたから。傍に立っていた案内の看板がなければ、まず分からないだろうなあ。左右の家やオーヴェールの遠景が、こんもり茂った木立に隠れてしまっていた。逆にこの季節が旬らしい、うすむらさき色のリラの花が満開で、それは美しかったけど。でもまあ、150年近くも経てばそんなものかも。



首吊りの家 1873

ガシェの家

2009-06-19 06:40:09 | 830 パリ紀行
オーヴェールと言えば、なんと言っても有名なのがゴッホ。代表的な足跡は前に記事で紹介したけど、今回はガシェ医師とのつながりに焦点を当ててみた。ピサロの紹介により精神科医で絵に理解のあるガシェを頼ってオーヴェールに来たのが1890年の5月。南仏のサン・レミにある精神病院を出たばかりの彼にとって、のどかでのんびりして暮らし易い場所だったらしい。

そのガシェの家は町のはずれに位置していて、駅から歩くと30分近くはかかる。この家は、コンクリートのようにつるりとした無機的な感じの石積みで、現代的なその外観は明らかに他の家とは異なり目立っていた。受付で入場料を支払おうとすると、なんとその日は無料。それなのにボランティアのおばさんが各部屋で丁寧に英語で説明してくれたのが嬉しかった。

印象的だったのは庭。高台にあるこの家の表庭からはオーヴェールの街並みがよく見えた。この後にオルセー美術館で観た下の写真の「庭のガシェ嬢(Mademoiselle Gachet au jardin)」には、ゴッホの性格の一面である優しさが良く出ていて。特に絵の中に小さく描かれている清楚な雰囲気の女性が印象的だった。彼女はガシェ医師の娘のマルグリットで当時21歳。

ゴッホは彼女に恋心を持っていたようだけど、妻を無くして娘と息子の3人で暮らしていたガシェはそのことに気づき、あまり心良くは思っていなかったらしい。だけどマルグリットはこの地に一生住み、しかも独身で通し、ゴッホの墓に花を絶やすことがなかったとか。2人の関係は今となっては藪の中だけど、悲しい出来事ばかりのゴッホにとってこの話には心が暖まるなあ。

この絵を眺めていて気づいたのが、ひろしま美術館にある「ドービニーの庭」と明るい色使いがよく似ていること。これについては別の記事で紹介するつもり。



庭のガシェ嬢 1890

ヴラマンクの家

2009-06-17 05:59:46 | 830 パリ紀行
”著名人の足跡を辿る”シリーズの第2弾は、オーヴェール・シュル・オワーズの”家”シリーズ。初回は鬼才モーリス・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck)。彼の作品は日本にも多数あって、2001年にひろしま美術館で開催された「ヴラマンク・里見勝蔵・佐伯祐三展」で興味を持ち、2007年に鎌倉大谷記念美術館で開催されていた「ヴラマンク展」ですっかり魅了されてしまった。

彼はパリ生まれ。父親がヴァイオリニストで母親がピアニストという音楽一家に生まれ、彼もある時期ヴァイオリンを弾いて生活していた。それがドランと出会い画家の道を進むことに。1901年にはゴッホの回顧展を観て感動。オーヴェールに住んだのは、自分の画風を確立した頃の1920年から1925年の5年間。ゴッホを尊敬し、その終焉の地に惹かれたのは間違いない。

田舎好きの彼は、その後パリの西にある田舎町、ルイユ・ラ・ガトリエール(Rueil-la-Gadeliere)へ移住し、1958年にそこで死去。とにかく自己主張の強い性格で、人と衝突するのは日常茶飯事。オーヴェール時代はガシェ家とも仲が悪かったみたい。

写真はそんな彼が住んでいた家。当時は本妻をヴァルモンドワに、後に妻となるベルト・コンブをオーヴェールに住まわせるという二重生活をしていた。つまり愛人宅。やりますね。ここも見つからなくて迷った。近くにヴラマンク通りなんていうのがありながら、そこじゃなくてゴッホ通りにあるからややこしい。下は里見勝蔵が撮った当時の写真で、ヴラマンクの隣りにいるのがベルトとの子で当時4歳の長女エドヴィージ(Edwige)。結局本妻との間に3人、ベルトとの間に2人プラス養女1人計6人の娘を持つことに。

この家は、1924年の初夏に佐伯祐三が自分の描いた絵を彼に見てもらい、「このアカデミック!」と叱られたことで有名。これが契機となり、佐伯は悩み抜いた後に独自の画風を確立していく。この時に佐伯をヴラマンクに紹介したのが、先に渡欧していた里見。彼が書いた回顧録「ブラマンク」(1985年)を最近手に入れたけど、実に面白かった。思うにヴラマンクはフォービスムやセザニスム等の試行錯誤を経て、新写実主義という彼独自の画風をようやく確立した直後。自分に自信を持った頃で、その彼にとって日本から何も知らずに勉強に来た里見や佐伯は、言わば”飛んで火に入る・・・”、だったと思うけど。

それにしてもヴラマンクと里見、そして佐伯。ゴッホつながりとは言え、奇妙な因縁だなあと。


卓上の静物(Coin de table) 1924

HAWKINS TRAVELLER

2009-06-15 06:08:36 | 500 ファッション
普段オンでもオフでも履いているのは、いわゆるウォーキングシューズ。昔オンでは皮のカッチカチばかりだったけど、最近はこれが中心。とにかく履いていて疲れないから。ところが困ったことに靴というのは、何故か数年経つと廃番になるのがほとんど。自動車に似ているかな。買い替えようと思った時には同じ型番を売っていないというのが常。これには参ってしまう。

最近懲りずにまたやってしまった。ここ数年間愛用していたのがGRI SPORT(グリスポーツ)のウォーキング。紐付きと紐なしの2タイプ。イタリア製でも安物だけど、デザインがシンプルでクールだし、自分の足にフィットしていて履き心地が抜群だった。そろそろくたびれてきたので新しいのに買い替えようと店に行くと、もうこのブランドの製品自体を取り扱っていないとのこと。

おいおい、またかよとガックリきて。それからは今履いているブランドの、ネグローニ(negroni)やリーガルの現行品をいろいろと見て回ったけど、なかなかしっくりくるのが見当たらない。自分としては、ごくオーソドックスな飾り気のない黒いのが欲しいだけなのに、最近はアクセントにラインが入っていたり、ブランドロゴが別の色で入っていたりと、妙に色気づいたのばかり。

こりゃダメかなと思い始めた頃に、カミさんと一緒に新しくできたショッピングモールをうろいろしていると、全国チェーンのABCマートを見つけて。そこに置いてあったのがホーキンス(HAWKINS)。英国のブランド。ウォーキングだけでも相当な品揃え。その中で自分の好みをいくつか発見。しかしサイズがない。ところが帰宅して調べるとネット通販をやっていた。ラッキー。

即購入したのがトラベラーシリーズのGT-7051とGT-7052の2足。売り切りセールで3割引きだったのでタイミングはバッチリ。驚いたのが数日後。過去の反省をもとに、できればストックとして1足ずつ余分に買っておこうとネットをチェックしたら、なんと両方共に既に売り切れ。いやあ、これだから恐ろしい。これが靴の世界だよなと。おそらくもう二度と手に入らないだろうなあ。

勝手にしやがれ

2009-06-11 06:14:15 | 350 映画
今回のパリ旅行をするにあたり、行きの飛行機の中で久しぶりに観たのが、ジャン・リュック・コダール監督の映画「勝手にしやがれ」(1959年)。原題は「息切れ(A bout de souffle)」。超有名ですね、この映画は。ヌーヴェル・ヴァーグの決定版として、その斬新さは今でも古さを感じさせない。興味があったのは、映画のラストシーンの舞台となったパリのモンパルナス。

主演のジャン・ポール・ベルモンド演じるミシェルと恋人のジーン・セバーグ演じるパトリシアが、警察の追跡を逃れて隠れたのがカンパーニュ・プルミエール通り(Rue Campagne Premiere)の11番地にある知り合いのアパート。実際に行ってみると、確かに身を潜めるにはちょうど良さそうな、小さくて地味な裏通りだった。車の通行も割と少なくて、とても静か。

映画ではアパートから出てきたミシェルを警察が見つけ、大通りに向かって逃げるところを後ろから拳銃で撃つ。ミシェルはよろけながら歩くが、最後は大通りに出る直前で倒れてしまう。ラストで死に際につぶやくセリフが、「最低だ(degueulasse)」、これに対してパトリシアのセリフは、なんとカメラ目線で「最低って何?」。ポール・ベルモントのにやけた表情が印象的だった。

うーん、クールだなあと。全編に漂う刹那的雰囲気の中に、ゴダールお得意の哲学的なセリフがちりばめられている。途中、パトリシアは文学の話をしたいのにミシェルはセックスをしたがるというシーンがあるのだけど、この埋まらないギャップが結局ラストにつながっているような。表面でカッコイイことを言いながら逃げ回るだけの男は単に最低だったてことか。しかし女って冷静だよなと。警察に電話してチクったくせに、それを男に告げるなんて。その八方美人的自己中性格は根性悪すぎ。

さりげなく素晴らしいと思ったのが、マルシャル・ソラールの音楽。いわゆる当時のヨーロッパ風ジャズで、これが映像にピッタリ。彼自身がジャズピアニストだけにレベルも高い。またいつか観たくなるだろうなと思いながらエンドロールを眺めたけど。


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シロギス

2009-06-09 05:35:46 | 400 釣り
この日曜日に、友人と毎年この時期に恒例となっているシロギス釣りへ。土曜日まではぐずぐずした天気が続いたけど、日曜日は朝から快晴。気分良く知り合いの遊魚船に乗り込んで、いざ出発。実は2週間前にアジ釣りに出かけたけど、40cm前後の良型が爆釣だったのでルンルン気分が持続していた。潮は大潮でちょうど良く、暑くもなく風もなくで絶好の釣り日和。

いつもの阿多田島周辺に到着して釣り始めると、すぐにアタリがあり、まずまずのサイズをゲット。それからはコンスタントに釣れ続いた。つい先日新しい竿を購入していて、この日が筆おろし。ダイワ製メタリアゲーム64の2.2m。その特徴であるメタルトップがどんな感じなのか確かめるのが楽しみだったけど、穂先の感度が高く、竿を持った感じや操作性も良かった。しかし竿も進化している。チタン製の形状記憶合金を採用。眼鏡のフレームだけじゃないんだ。ただし高価なのがたまにキズだけど。

客が5人だったので竿を2本出し、魚場を数ヶ所移動して午後1時過ぎに納竿。釣れない時間帯が短くて、全体としては良かったんじゃないかと思いながら帰宅して魚を数えると、なんとシロギスだけでも55匹。自己記録を更新。サイズは20cm前後が大半で、最大が24cm。これだけ釣れば十分で、もう今年のシロギス釣りはこれで打ち止め。後は食べて楽しむだけだな。

釣りながら思い出したのが息子のこと。客に親子連れがいて。子供は小学校の高学年ぐらいだったかな。けっこう釣りの経験があるみたいで、お父さんに負けないくらいの数を釣っていた。「すごいね」と褒めてあげるとニコニコして嬉しそうだった。自分もかつて息子を連れてよく釣りに出かけていたなと。でも船釣りを始める前で、陸釣りだから釣れないことが多かったけど。

子供と長時間一緒だったのは久しぶり。気持ちが直に顔の表情に出るところがカワイイなと。



   ダイワ メタリアゲーム64 2.2m

Ma Roulotte <sequel>

2009-06-05 06:16:39 | 830 パリ紀行
ジヴェルニーにあるモネの庭園に、最初はバスツアーを利用して行こうかと考えていた。ところがボナールの別荘はセーヌ川沿いの逆方向。ヴェルノン駅から歩くには遠すぎるし。地図を見ながら悩んでいた時に眼に入ったのが駅前のカフェで営業しているレンタバイク(レンタル自転車)。もともとジヴェルニーへの交通手段として用意しているのだけど、これを使ってボナールの別荘にも行ってやろうと。これなら時間も自由に使えるし料金も安い。なんか徐々に期待で胸が熱くなっていたような。

サン・ラザール駅から列車(SNCF)に乗ってヴェルノン駅に着いたのが朝8時過ぎ。目的のカフェは駅のすぐ前。しかしそこからが苦難の連続だった。カフェの店員の若いお兄ちゃんに全く英語が通じない。アンチョコを見ながらようやく自転車を借りたいことを説明して。ところがすんなりとは行かず、何か要求している雰囲気。担保にライセンスを預かることがようやく分かって。

しかし運転免許証を持っていない。やむなくパスポートを預けることに。しぶしぶ渡すと彼は近くのカウンターにあったコップの中へポイっと。「おいおい、客に丸見えじゃん、盗まれたらどうすんだよ」と思ってもフランス語を喋れない。後ろ髪をひかれる思いで慣れないマウンテンバイクにまたがり、いざ出陣。ところが前日が暑かったので薄着をしたのが大間違い。寒かった。

地図とだいぶ違う地形に戸惑ったのはセーヌ川を渡ってから。あちこち試行錯誤しながら進んでいくと、ついに近いかなという雰囲気を感じて。眼に飛び込んできたのが前回の記事の中の絵で見覚えのあるテラスのデザイン。体が熱くなっている。ついに見つけたぞと。寒さと疲れでヘトヘトだったけど、急に元気が湧いてきて。それからはもうボナールの世界に浸りっきり。

別荘の住人の迷惑にならないように気遣いながらしばし散策。静かに流れるセーヌ川に柔らな朝日が差し込み、木漏れ日と水面が繰りなす光と影。素朴で地味だけど、なんて素敵なんだろう。時空を超えてボナールと同じ景色を眺めている自分がいる。かけがえのない至福の時間。さすがに100年前とは眺めがだいぶ変わってはいるけど。確信しました、ここなんだなと。


Ma Roulotte <premiere>

2009-06-03 05:58:25 | 830 パリ紀行
今日からスタートするのは、今回の旅行のテーマである”著名人の足跡を辿る”シリーズ。初回は、とりわけ思い入れが強かった画家ボナールの別荘。ことの始まりはブリジストン美術館。だいぶ前に記事にもしたけど、そこで見た「ヴェルノン付近の風景」(1929年)に魅せられて。それから自分の中でのボナールの存在が徐々に大きくなっていったような気がする。

彼の創作の拠点として有名なのが、持っていた2つの別荘。1913年にパリの北西ヴェルノネ(Vernonnet)で購入した通称"マ・ルロット(Ma Roulotte)”と、1926年に南仏のル・カンネ(Le Cannet)で購入した”ル・ボスケ(Le Bosquet)”。いつの日か、これらの別荘を訪れて彼が眺めた景色、感じた空気を、実際に自分も味わってみたいと思い始めて。

それで今回の旅行が決まっていろいろと調べていくうちに、モネが住んでいたジヴェルニーのすぐ近くにヴェルノネがあることに気づいて。それからはもうアイドルの追っかけ状態。ヴェルノネが列車の駅があるヴェルノン(Vernon)のセーヌ川を挟んで対面に位置しているというところまでは突き止めた。だけどそれからいくら調べても正確な住所が分からない。これには困った。

最終手段として現地の観光局へメールを打って確かめることに。するとすぐに返事が返ってきて。ただし内容は「この別荘の現在のオーナーが住所を公開しないでくれと言っている。だから申し訳ないが教えるわけにはいかない」というもの。ここで引いてなるものかと、その後も「××の近く、といった情報だけでもいいから」と粘ってみたものの良い返事がもらえなくて。

最後の望みを託してキーワードを変えてはしつこくネットを探索。するとついにひとつの記事を発見。そこには具体的な住所が。嬉しかったなあ、なんか推理小説で主人公の探偵が紆余曲折の末にようやく犯人の手掛かりを掴んだって感じ。ちなみに上の絵は、別荘の屋内で描いた彼の代表作「田舎の食堂(Salle a manger a la campagne)」(1913年)。下の絵は1928年から1939年に屋外で描いたもので、別荘を特定する手掛かりになるかなと。手に汗を握る当日の捜索にまつわる悪戦苦闘は次回へ。