或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

ゴルフコンペ

2011-10-30 09:18:15 | 450 スポーツ
先週と今週の土曜日に、2週続けてゴルフコンペに参加。今年はこれで5ラウンド目。いや、すっかり減ってしまった、ゴルフをやる回数が。いわゆる、完全なおつきあい状態。嫌いになった訳じゃないのだけど、自腹を切ってまで行いたいというモチベーションがなくなったということ。といいながら3ヶ月振りということで、一応練習場へ行って慣らしをやったつもりだったのだけど。

先週は広島県三原市にある久井カントリークラブ。ここは初めてのコース。前日までの天気予報が雨で、こりゃ最悪だなと滅入っていたけど、なんとか降られずに済んだ。ただし霧が凄くて。最初の5~6ホールは、2~30m先から向こうが全く見えない。まあショットに精度がある訳じゃないので、自分にはあまり影響がなかったけど。とにかく雨が降らなかったのが良かった。

続いて今週は広島県北広島市にある千代田OGMゴルフ倶楽部。ここは20年振りぐらいかなあ、昔1、2度プレーした記憶があって、とても品格のあるコースという印象が残っていた。この日も前日までの天気予報は雨。だけど先週と同様に雨は最後の数ホールまで降らなかった。プレーが終わってから、改めてこのコースの素晴らしさを実感したかな。

ということで、絶好の季節にまずまずのコンディション。それで肝心のスコアなのだけど、両コース共に99。100を切るのがやっとという状況。その原因はミドル、ロングアイアンがほとんどまともにヒットしないこと。実は練習場でいろいろ調整みたのだけど、コースに出るとダメ。今もって原因が分からない。ドライバーがまずまずだけに冴えなくて。早く直さなくては。

それで話は変わるけど、ゴルフ場へ行く時に活躍しているのがスマホのナビ。このあいだカミさんとカー用品専門店に行った時にスマホを車に装着するクレードルを購入。合わせて通販で電源キットも購入。このナビが想像以上に使い勝手が良くて。愛車のナビは10年以上前の地図だから全く役に立たなくなっていた。なんか、スマホライフが徐々に浸透してきたかな。


上海動物園

2011-10-24 08:20:25 | 800 観光
昨日から出張で上海へ。たいていは出勤日の朝に出かけるのだけど、今回は月曜日の広島空港からの直行便が満席だったということで、前日である日曜日の朝に出国。浦東国際空港に昼前に着いたのだけど、広島より幾分気温が高く、やや暑かった。いつも思うのだけど、上海って空がよどんでいるなと。現地駐在メンバーのはからいで、今回は高速モノレールに乗車。

ホテルにチェックインをした後、休日の昼時に到着ということで昼間から酒を飲んで大いに盛り上がったのだけど、その後で必然的に何処か観光しようということになって。勧められたのは有名な像園。だけど混雑しているだろうし、別に庭園を観ても、どうってことないんじゃないかと思い、自分から動物園はどう?と切り出してみた。すると同行している同僚が賛成してくれて。

こうなると決まり。上海動物園は市街地にあるのでタクシーですぐだった。辺りはなんか高級住宅街っぽい雰囲気がしていて意外だったけど。実は名古屋の東山動物園に日本で初めてパンダが来た時に、家族は見に行ったのだけど自分は並ぶのが嫌でパス。だけどいつかこの眼で実物を見たいとかねがね思っていたのは確か。ついにその日が来たということで嬉しくて。

入場料の40元を払って中に入り、とりあえず案内板をチェック。パンダは動物園の入口とは反対側辺りにいることが分かったのだけど、園内はかなり広そうで歩いていくのは大変そうだなあと話していた時に、ちょうど園内巡回カートが戻ってきて。まさに渡りに船。いや、乗ってよかった、想像以上に遠かったから。そこから歩いてすぐの建物で念願のパンダにご対面。

ところがその1頭は完全にお昼寝中。大きなお腹を出してゴロンと。顔が全然見えなくて。おいおい、全く営業してないじゃないかと。しばし待ってみたところで起きる気配なし。ガックリきたけど。哀しいけど諦めてレッサーパンダやライオン、トラ、ヒグマ等を見て周って。そろそろ帰ろうとしていると黒山の人だかりが。近づくと、なんとパンダ。別の建物にいた3頭が元気に遊んでいた。いやあ、こんなに間近で見られるとは。さらにもうひとつ別の建物にも1頭いて、全部で5頭。存分に楽しんで帰路についたかな。


墓参り

2011-10-20 05:45:20 | 900 その他
少し前の話になるけど、今年のお盆は米国旅行のため毎年恒例の墓参りができなくて。帰国した後に従姉妹から電話がかかってきて、今年はどうして来なかったのかと。それが頭に残っていたので秋分の日にひとりでお彼岸の墓参りへ。その気になった理由のひとつは、季節が秋めいていたこと。久々のドライブ日和だよなと、年甲斐もなくテンションが高揚して。

愛車であるマツダのロードスターの屋根をオープンで走らせたのは何年振りだろう。空は雲ひとつなく、出発が朝の9時過ぎだったので、やや日差しが強まってはいたものの、頬を抜けていく風がとても心地よい。うーん、これだよなと、その開放感を久しぶりに味わった。さらには墓所までの途中が山道で、絶好の上りのワインディングになっていて、ハンドリングも堪能できた。

運転すること約1時間。あいにく親戚は留守だったけど、ちょいと水道を拝借し、水を汲んで墓所へ行き、墓石を洗って花を供え線香を炊く。それからおもむろに両手を合わせて故人を偲ぶ。墓標を眺めながら、母方の祖父が亡くなって今年が50周忌なのかと、過ぎ行く年月に改めて感じ入った。その時に自分が完全に人生の折り返し地点を過ぎていることを再認識した。

この辺りは昔とあまり変わらないなあと周囲を見渡すと、墓の上に繁ったススキが逆光に照らされてまばゆく黄色に輝いていて。うーん、もう秋なんだなと季節が感じた。この間TVでリタイア後に人里離れた別荘で暮らす老夫婦の話を放映していたけど、ネットがこれだけ発達してくれば、別に田舎暮らしでも不自由はないんじゃないかと思ったりもして。

墓参りを終えて昼過ぎに来た道を帰ったのだけど、山道の下りは下りでこれまたを存分にハンドリングを楽しめた。さすがにオープンで走ったために、家に着いて耳鳴りがしばらく続いたけど。なんか充実した一日だったなあ。それにしても鎌倉の浄智寺の澁澤龍彦からつながっているのだけど、墓参りというのは、人生の振り返りをする機会なんだなとつくづく思ったかな。

Metropolitan Museum of Art

2011-10-15 06:35:45 | 870 米国紀行
フリック・コレクションを堪能した後で向かったのがメトロポリタン美術館。すぐ近くだし、せっかくならセントラル・パークの中を通って歩いていこうと。高い木立の影づたいにおよそ20分。それでも真夏の太陽が照り付けてかなり汗ばんだ。ここは十数年振り。とはいっても前回は絵画に目覚める前だったので、何を鑑賞したのかほとんど憶えていないという情けない状況。

美術館に到着すると入口につながる階段には多数の観光客が。まあニューヨーク観光では外せない場所だから。館内はとてつもなく広いので、今回は事前に何を観るのか大体の狙いを定めていた。とりあえず1Fの一番奥のロバート・リーマン・コレクションへ。リーマンと言えば、あのリーマン・ショックが有名。まさに”つわものどもが夢の跡”。それに続き本命の2階フロアへ。

とりあえず忘れないうちにフェルメール巡礼へ。係員へ尋ねると、フェルメールの展示は4点。上の写真の「水差しを持つ女」(1662-1663)と「少女」(1666-1667)が同じ部屋で、「眠る女」(1657)と「信仰の寓意」(1671-1674)は各々別の部屋に。探し当てるまでがややこしかった。「リュートを調弦する女」(1664)が貸し出し中だったのは残念だったけど、まあ4点だけでも大満足。

その後で印象派のフロアへ。あるわあるわ、ゴッホ、ルノアール、モネ等の名作が目白押し。他にボナールやスーラも。とにかく作品の数が半端じゃない。そんな中で強く印象に残ったのが下の写真のゴッホの「アイリス」(1890)。この圧倒的な迫力はどうだ。ポール・ゲッティ美術館やゴッホ美術館にある同じ画題の作品もそうだったけど、”アイリス”の虜になってしまった。

悔やまれたのが、最も期待していたピカソの「ガートルード・スタインの肖像」(1905-1906)が展示されていなかったこと。ピカソの展示は多かったのだけど、この作品は貸し出し中だった。まあこれだけの規模の美術館ともなると、貸し出しなんて日常茶飯事だからなあ。ともあれ、何を見たのかすぐに記憶から消えてしまうくらい膨大なコレクションを堪能。正直疲れたけど。




Frick Collection

2011-10-12 05:51:56 | 870 米国紀行
今回の米国旅行で最初に訪問したのが、5番街にあるフリック・コレクション。メトロポリタン美術館から南へ歩いて数分の高級住宅街の中にある。ここはピッツバーグ出身の実業家であるヘンリー・フリックがかつて実際に住んでいた私邸。といっても決して狭いわけではなく、広々とした造りと豪華なインテリアからは、当時の彼の財力を十分に感じ取ることができた。

この美術館は、とにかく作品の質が高い。どの作家のものも1級品。まあそれだけフリックのセンスが素晴らしかったということ。エル・グレコやホルバインもあれば、ゴヤやレンブラント、ターナーもある。そうそう、ルノワールの「母と子供たち」(1876)の子供の眼差しが、それは愛らしかった。惜しむらくは写真撮影が禁止されていたこと。プライベート美術館はほとんどだけど。

そんな名作揃いのコレクションの目玉は、なんといっても3点のフェルメール。玄関を入ると、いきなり2階の階段に通じる狭いスペースにそのうち2点が展示されていて。「中断されたレッスン」(1660)と上の画像の「兵士と笑う娘」(1655-1660)の2点。後者の実物を見て初めて気づいたのだけど、フェルメールの作品で、これ程くったくなく微笑んでいる作品も珍しいなと。

最後の1点は、大広間である西ギャラリーに展示されていた下の画像の「婦人と召使い」(1665-1670)。この作品はフリックが最後に購入した作品として有名。1919年に30万ドル近い高額で購入。死去したのがその数ヶ月後。この作品にはそれまでに見たフェルメールとは異なる印象を持ったかな。シナリオを強く感じたというか、婦人の見えない顔が逆に物語を強く想像させた。

ということで、フェルメールは少なくとも10回以上戻っては繰り返し眺めたような。それにしても美術館全体が醸し出す落ち着きのあるゴージャズな雰囲気が素晴らしかった。こういうプライベート美術館というのは、絵画だけでなく建物や装飾のひとつひとつからオーナーの趣味が感じられ強く印象に残ることが多い。ここもまさにそれ。あたかも自分がこの大邸宅のオーナーになったような気がしたなあ。




CETEC JAPAN 2011

2011-10-10 05:53:01 | 180 ITストラテジスト
先週の土曜日は、出張の締めとして幕張メッセで開催されていた「CETEC JAPAN 2011」へ。このイベントは、IT関連のメーカーがその最先端のテクノロジーを披露するという、毎年恒例のもの。といっても自分としては初めて。なんておカタイ話はどうでもよくて、降り続いていた雨がすっかり上がって絶好の見本市日和だった。東京駅から京葉線の快速を利用して約30分。

海浜幕張駅に着くと、そこはもう同じ目的の人間でごった返していて。会場までは、まさにアリの数珠繋ぎ状態。会場に着くと、受付のための長い行列を並ぶハメに。実は招待券を持っていたのだけど、持ってくるのを忘れてしまっていて。ただしネットで先行受付をしていなければ、招待券があろうとなかろうと並ぶ必要があるということだったので、まあ仕方ないかと。

20分ぐらい経って、ようやく受付を完了して会場へ。トータルで20ぐらいかな、事前にサーチしておいたメーカーのブースの数は。それらを駆け足で周ったのだけど、会場が広いだけにさすがに足が疲れた。まあ普段お目にかかれないようなキレイなお姉さんが沢山いて、久しぶりの眼の保養になったので良しとしたけど。既に時計は午後2時近くになっていたので、とりあえず腹ごしらえをと会場内に設置されていた食事コーナーへ。ピークの時間は過ぎていたのか並ばずに済んだまでは良かった。

B級グルメが数店舗並んでいたけど、どこも値段が高い。仕方なく秋田の横手やきそばを食べてみたのだけど、これがマズかった。おいおい、違うだろ、勝手に名前をつけやがってと。おそらく本場の味はこんなものではないはず。量もぜんぜん少なくて、なんかぼったくられた感じがしたなあ。まだお腹が空いていたので、口直しに会場を出て駅近くのモールを散策。

そこでサンドイッチの店を見つけて食べていると、ガラス越しにブランド物の紙袋を持った人が多いのに気づいて。ひょっとしてと、うろうろしていて見つけたのが「三井アウトレットパーク幕張」。米国旅行でろくなお土産を買って帰らなかったのを反省して、カミさんと娘に財布を購入。まさかここにこんな店ができていたとは。列車の時間ギリギリまで粘った甲斐があったかな。

浄智寺

2011-10-05 05:39:15 | 800 観光
鎌倉再訪の続きだけど、数年前に遊びに行った時に、名所をたくさん見て廻ろうとしたのだけど、後でひとつだけ後悔したことがあって、それが浄智寺にある澁澤龍彦の墓参り。気づいた時にガックリしたのを憶えている。チャンスはもうないだろうなと諦めていたのだけど、出張帰りに鎌倉に行くことを決めてからは、なんだか妙な緊張感でドキドキしてきて。

神奈川県立近代美術館を出て、鶴岡八幡宮にちょいと立ち寄ってお参りした後は、急な山道を歩いて登った。気づいたのは反対方向から来る人が多いこと。まあそれがフツーだろうなと。およそ20分程度歩いて登りきった所ぐらいにあったのがお目当ての浄智寺。門が奥まった場所にあり小さいので目立たない。「そうそう、ここだったよな」と懐かしい気分になって。

山門をくぐって登っていき高麗門を抜けると、暑い夏の日差しの中に紅のケイトウの花が辺り一面に咲いていた。ふと秋の気配を感じたかな。そこから境内に入り、奥の墓所へ。生い茂った木立に囲まれた中に墓標が見えてきて。心配になったのは、そこから顔を上げて日が差す方向を眺めた時。山の頂に墓所が幾段も重なっていた。「おいおい、こんなに多かったっけ」と。

澁澤の墓が何処にあるのかを調べてこなかった、だってこんなに広いと想像しなかったから。唯一の手がかりは、写真で見た墓石の形。こりゃ裏にハマったなと後悔したけど時既に遅し。まあひとつひとつ確認するしかないなと開き直って。とりあえず一番下の一角を済ませて細い道を登っていくと道が分かれていて。「うーん、とりあえず左に曲がってみよう」と少し歩くと、なんとなくピーンと感じるものが。やや背が低めでずんぐりした墓石を見つけた。その時の嬉しかったこと。ラッキーだったなと。

まずは手を合わせてゆっくりお祈りを。眼を開けると、そこはもう澁澤ワールド。供えられていた枯れかけたホオズキ(鬼灯)、ウィスキーの小瓶、透明なガラス細工の飾り物、煙草。落ち葉に囲まれて少し寂れた雰囲気が何とも言えず渋い。彼は”死”というものを極めてクールに語る人間のひとりだったけど、その彼がここに眠っていると思うと、なんだか不思議な気がした。


神奈川県立近代美術館

2011-10-03 05:45:44 | 300 絵画
出張帰りに横浜でジャズのライブを聴いた話の続きだけど、翌日は、何故か鎌倉へ。最初は横浜や都内の美術館を物色したのだけど良い企画が見つからない。悩んだ挙句に決めたのが鎌倉にある神奈川県立近代美術館。実は数年前に、これまたひとりで鎌倉へ遊びに行き、有名な観光地巡りをしたのだけど、何故かこの美術館だけがコースから外れていた。

場所を調べていて驚いたのが、鶴岡八幡宮の境内にあったこと。前回ニアミスしていたことに気づいて。確かに参道からやや外れているし、建物そのものが古いので目立たない。それもそのはず、ここは20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエの愛弟子、坂倉準三が設計し、日本で最初の公立近代美術館として1951年にオープン。なんか国立西洋美術館の雰囲気につながるなあと感じていたのだけど、なるほどと。無機質的でシンプルな中にどこまでもモダンって感じ。

今回興味を持ったのは、”開館60周年 近代の洋画 ザ・ベスト・コレクション”という企画展を開催していて、何か日本の近代洋画で出会いがあればなと淡い期待を抱いたから。展示室に入ると、高橋由一の「江ノ島図」(1876年)が出迎えてくれて。それから特集されていた松本竣介の「立てる像」(1969年)等を鑑賞。佳作揃いだったし、美術館の雰囲気とマッチしていた。

サプライズは上の写真の佐伯祐三による「門の広告」(1927年)。和歌山近代美術館の回顧展でも展示されていた作品。近代を飾る数多くの画家の作品の中でもひときわ異次元の光彩を放っていた。特に圧倒されたのが背景。なんでもない薄汚れたベージュの曇り空なのだけど、筆致がすさまじい。情念のほとばしりとしか言いようかない程心に訴えてくる。さすが佐伯。

十分に堪能した後で休憩しようと階段を下りると、眼前に蓮(ハス)と睡蓮の池が拡がっていて。和んだなあ。置いてあった黒いソファーに腰掛けると、快い風が体を通り抜けた。なんという心地良さ。平日のせいか辺りに人影はなく、30分ぐらいだったかなあ、そこにたたずんだのは。その辺りの独り占め。今思えばこの上なく贅沢な時間だったような気がする。