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ときめきの日々を過ごしたい

姜尚中さんの講話から抜粋

2016-12-17 10:17:25 | Weblog

 冬の夜姜尚中氏心中に

 

 私は、以前から姜尚中(カンサンジュン)さんの講演や討論会を視たり聞いたりしますが、姜尚中先生の何時も、一言一言が熱意と誠実にあふれた講話に敬服している。先生は政治学者ですが、政治にとどまらず、政治学を元とした人間学まで追求される幅の広い学者だと常々に思っている。先生の本の中から「政治学とは、社会の医者である」という題目を拾ってみた。「働きざるものは食うぶからず」という言葉があります。これは単に怠情を諌めているのではなく、働くことは生きることと同義の真剣勝負だということを表しているようです。あるいは、「寝食を忘れて仕事にうちこむ」という言葉があります。「寝食を忘れて遊びに打ち込む」と言い方はありませんから、人が心底打ち込むものは、やはり仕事なのです。実際、働くことは人生の大部分を占める一大営為だといえるかもしれません。では、なぜ人は働くのか、働かなければならないのか、と改めて問われると、はたと返答に窮してしまいます。なかには、ずばり、「お金のため」と言い切る方もいます。もちろん、そうです。人が生きていくためにはお金が必要ですから、生計の為に働くとうことはまちがいではありません。しかし、そういいながら多くの人が「いや、ちょっと待ってくれ、本当にそうなのか?」と考え込むのではないでしょうか。そうなんです。「人はなぜ働くのか?」の答えは簡単なようで簡単ではなく、わかったようでわからないのです。しかし、逆境の時代にあって、仕事の必要性がますます高まっています。そこでこの章では、人はなぜ働くのか仕事とは何かとという空極の問いについて、私なりに考えてみます。その話に入る前に、まずはほかならぬ私の仕事について説明しておきましょう。私は政治学の研究者です。もっと厳密にいうと、もともとの出発点は政治学の中でも古今東西の政治思想について比較研究する「政治思想史」です。政治学というのは政治について考える学問であり、言うまでもなく政治そのものを行う政治家ではありません。実のところ、ほんの二十年ほど前めで、政治学という学問はあまり人気がありませんでした。対照的に「社会科学の女王」などと呼ばれて人気があったのは経済学です。なぜかというと、やはり日本の経済が一流であったからでしょう。これに対して、日本の政治は三流といわれることもあって、世界的にもあまり評価は高くありませんでした。そのため、学問としての政治学に取り組んでみようと思う人も少なかったのです。しばしば「政治」と「経済」は十把一絡げに語られますが、学問として考えるとまったく異なります。経済学は科学的に数量化して分析することが可能ですが、政治学はそう簡単ではありません。ある意味でアナログの学問ですから、経済学とちがって客観的なデーターに基づく予知、予測できないのです。ゆえに、ときには「無用の学問」などという不名誉な形容をされたりしたものです。かくいう私自身も、若いころは、「政治というものは、目の前で生きて動いている生身の現実と切結ぶものだ」と考えていました。過去の政治思想を研究するなどは、生命の輝きのない‘考古学‘のように思えて、もどかしかったこともあります。しかし、日本経済が失墜し、そのあり方が疑問視するようになると、経済学の人気が下がり、相対的に政治学の人気が上がってきました。最近ではいまだかってないほど注目を集めていると感じるほどです。おそらく日本経済は深い迷路に陥ってしまったので、それを少しでも理解するために、政治学に何かしらの手がかりを得ようとしているのでしょう。政治学の要諦とは何かを一言で言い表すと、‘社会の医者‘ではないかと、私は常々考えてきました。すなわち、私たちの社会が病気になっているとき、何が理由でどこに不具合があるか診断するのです。雇用情勢がこんなに悪化したのはなぜか、政権に対する支持率が低いのはなぜか、人々の給料やボーナスが下がったのはなぜか、さまざまな社会保障が破綻寸前なのはなぜか、そのようなことの原因を、古今さまざまな事例をもとに探し出す、そんな仕事です。もう少し言えば、政治学者は、相手が具合が悪いと訴えてきたのみに対応するのではありません。ときには自分が絶好調のつもりのいる人に対して、「あなたはすでに病気ですよ、気をつけてください」と教えることもあります。人間の体と同じで、社会も「慢性中毒」にかかっていることがあって、それは急性の病気よりわかりにくく、それだけに、あとに大変なことになることが少なくありません。バブルの崩壊やリーマンショックなどが、この例に当たるでしょう。政治学者の仕事には、破局にいたる前に前兆のようなものを見つけ、なんらかの警告を発する努めもあるのです。とはいえ、かくも私自身、社会の内側にいる一員ですから、正直なところ、診断は簡単ではありません。ですが、積み上げてきた経験や勘などを駆使して分析しています。言ってみれば、;社会の目利き;でいなくれはならないわけで、そのためにも、序章で述べたような被眼的な視点が必要となるのです。加えて、私自身の仕事の取り組み方の特徴をもうひとつ言いますと、「研究室の学問」と「社会活動」の二つを言ったり来たりすることです。曲がるにも学者の椅子に身を連ねているから、文献をひもとき、論文を書き、いわゆる;象牙の党;的な学問にも専心せねばなりません。次世代の人材を育成する義務もあります。しかし、いまも申し上げたように社会の医者でもありますから。積極的に思うところ、気づいたことを外に向けて発信していかねばなりません。そこで、必ずしも大きなメヂィアでなくてもいいので、できるだけ機会をを捉えて自分の考えを声に出すようにしています。それをせずに研究だけに封じこもっておては、政治学にたずさわっているものとして物足りないですし、また、「生きた学問」にならないと思います。研究や人文知の成果を、目の前の現実や社会に当てはめていく、すなわち「チューニング」していくことこそ、私の役割であると考えていますし、局面の異なる二つの場を往還することは、必ずよい相互作用となって、自分の身に返ってくると信じているのです。


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