ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

久しぶりの居酒屋

2013-11-10 08:33:32 | Weblog

湯豆腐の温まる間の手酌かな 

 お酒を突然に止めて早一年になろうとしている。私の病気の原因は若い時代からお酒と煙草の飲み過ぎと吸い過ぎの放蕩生活であると一番分かっているのは本人の私と家内であると思う。友人は「私がもしものことがあったら私の肝臓を皆で煎じてもう」なんて冗談を言われたほどの豪酒家であった。作夕方用事があって、病気してからは量は極端に少なくなりましたがチョクチョク飲みに行っていた居酒屋の前を通る。この居酒屋の女将は家内と同じ生まれ在所で、小さい時からの顔馴染で家内のことを「ねえちゃねえちゃ」といって慕ってくれていた。この居酒屋の雰囲気が好きな私は、酒を絶ってからも月に数回顔を出しては、ノンアルコールビールで、女将の心のこもった「おばんざい」を食するのが楽しみで顔を出していた。今日も居酒屋の前を通ったので習慣のように居酒屋の縄暖簾を潜る。湯豆腐が大好物の私は湯豆腐が懐かしい季節となりましたので、早速湯豆腐をたのむ、湯どうふを待っている間、さらに日本酒が上手い季節となったので根はお酒が好きな私は、お銚子一本くらいは良いだろうと、都合よく自分に負け、女将に頼むと駄目ですよ「ねえちゃ」に言うからねと言って止めましたが、そこをなんとか頼んだ。女将は仕方無い様子で一本素早く燗をしてくれた。湯豆腐が出来る前の手灼は最高に上手かった。だがもうこれっきりしようと誓った作夕であった。

   

 

 この居酒屋の女将は大変な努力家で、雪の多い木島平村の「馬曲温泉」のある馬曲から冬の大雪の中でもこの居酒屋へ通っている。我田引水ですが私の家内初め、山奥の人達は厳しい自然環境からか、皆さんの頑張屋には何時も感心させられている。ちなみに、ここの居酒屋の女将が造る「おばんざい」はみな美味しい。おばんざいは「京都の家庭料理」から来た言葉のようですが、一般には居酒屋のカンターの少し上目線に幾皿も並ぶ料理のことを言っているようだ。この居酒屋は季節季節の食材を使って料理する美味しい「おばんざい」は多くのお客さんに喜ばれている。

                

                                                                                                                

      


新幹線飯山駅への期待

2013-11-09 09:00:15 | Weblog

木枯らしや何をもたらす新幹線

先日、私共地方新聞の広告蘭に以下の広告があった。                                          ご挨拶                                                                        「平成27年3月(予定は平成26年度末)飯山市内に新幹線が走り、飯山駅に乗客が乗り降りする・・・・新しい飯山の時代がやってまいります。ところが、新幹線の駅前広場あたりは、現在何も手当が出来なのでいるのが現実です。具体的計画や、どのように開発されるのか、さっぱり具体案が見えてきません。そこで駅前活性化に色々な話題ががありますので、飯山を愛する一人の人間としてお役にたてることがあったら・・・・と私をとりまく支援者に計って飯山駅前活性化を考える事務局を、元信用金庫飯山支店跡地に、本日11月2日に開設することに致しました。そこで、この趣旨に賛同したボランティアとして活動、協力してくださる方を募っております。お気軽にお問い合わせください。新幹線飯山駅前活性化を考える委員会本部 世話人 中島 憲二」という広告が乗った。確かに計画では駅前に1000㎡の商業地を計画用意していると聞いていますが、いまだ具体的計画を持ちこんだ例が聞けない。二十四年前の新幹線誘致運動の一万人市民集会の熱が何処へ行ったかと思うほど市民の熱が上がらない。当時、青年会議所主催でメンバー初め大勢の市民が参加し、国会までリレーで繋ぎ陳情に出向いた努力が話題になった。総市民の熱意で北陸新幹線飯山駅設置が決定しましたが、失われた十五年と言われる上に二十数年と言う歳月は地方の経済が大きく変貌した。かって、私も商工会議所から新幹線飯山駅設置計画委員会に出席していましたが、相変わらず何事も具体化出来ない役所主催の会議にほとほとしていた私ですので途中で会議を放棄した。役所の職員は勤めの時間に先の見えない会議をだらだら有給でやるのは良いが、私は忙しい中を何とか工面し使命感から出席していることが、ばかばかしくなり以来、役所の会議には一切出ないことに決めたことを思い出した。相も変わらず役所らしい、北陸新幹線の「ホームページ」をつくり格好だけを整えていることにうんざりの私である。

                                                                                                                                                               


昨日は立冬

2013-11-08 16:54:51 | Weblog

 立冬の覚悟が出来ぬままの樹々

 

 昨日の七日が立冬であったが、このところ、朝、夕が少し寒さを感じますが、日中は雨ではあるが暖かい日が続く、予報では明日も各地とも日差しが届いてお出かけ日和の週末となる模様。たが、北日本の朝の冷え込みはここ最近で一番厳しく、北海道では路面凍結や積雪となるかもという。北信州は、冬の寒さはまだまだのような感じである。この桜の木々は歯医者さんの二階の待合室から撮った写真であるが、木々達は、まだまだ紅葉の葉を着ていて寒さを感じず、まだまだ暖かい陽気ですよと言っているようだ。これから木枯らしが吹き着ている葉とさよならをし、ようやく寒さを感ずるのだろうななんて想像した。だが夕方テレビでは午前ブログにした様子が一変し天候は大変換となる。もうすでに、北海道は雪が降る大寒波の到来、従って日本列島の週末の土、日は天気は穏やかではわなく悪天候のようだ。来週の前半はかなり厳しい模様、情報では、この機会にタイヤも冬のタイヤに切り替えたほうが良いと、十二月中旬の陽気になると言う。のんびり様子の木々は一変し寒い木枯らしに出会うことだろう。


街を明るくする紅葉

2013-11-07 16:21:26 | Weblog

      街の中ひつそり染めるもみじかな (推敲中)

   奇麗でしょ吾を見てよと薄紅葉 (推敲中)

メイン通りを歩いていますと、奇麗に紅葉した鉢に植わったモミジがひっそり遠慮がちにのように歩道の隅に佇んでいた。コンクリートのなかで、私は今化粧して最高に奇麗なのよと叫んでいるようにも感じた私は、なにげなくコンパクトカメラで撮っておいた。今日のブログの話題がないので、このモミジに駄句をつけ、今日のブログとした。俳句がいまいちですので推敲中とさしていただいた


賑やかな我が家

2013-11-06 03:33:26 | Weblog

コスモスや七人家族我が家かな

 今朝三時ちょっと廻ったころ 、トイレに入りたくなり用をたす。直ぐ布団に入りましたが、何故かなかなか眠りにつかない。こんな時は、目を使えば眠くなると素人考えの発想でPCに向かう。ファイルした写真を覗いていると、何時何処で撮ったのかさなかではないが、まだこちらでは写真ほどにコスモスが咲いていないと思いますが、乱れるように咲いている割りと奇麗な写真が目に留まる俳句が出来ないかと、写真の前でしばらく腕組みしていると、写真の賑やかに咲くコスモスの花一輪一輪が、それぞれに助け合っているように連想した。そこから賑やかな私の七人の家族に結びつけて、上の駄句が浮かんだ。PCをかまって三〇分もたったら、眠気が射してきましたのでペットに入ることにした。


天燃のきのこ三昧

2013-11-05 12:44:19 | Weblog

 今日もまた茸(たけ)味となりにけり

きのこ採り山は無言で待っている

 

 連日大好きな茸に恵まれる。今日も何時も歩く最後に寄る喫茶店で、毎年天然の茸を戴く顔馴染みのMさんに、今年もカタハ、クリタケ、ジコボなど里山の「きのこ」を沢山いただく、今日は茸のMさんに喫茶店で合い、茸を戴けるかなと、そんな予感をして喫茶店に入りしばらくカンターでーコーヒーを頂きながらおしゃべりしていますと、予感が的中、Mさんは茸が沢山入った袋を抱えて何時もの笑顔でやって来た。喫茶店の方の話では、この頃毎日のように茸を置いて行くと言う。Mさんは、僕を茸が待っていてくれるので里山へ毎日足が向くと笑っていた。茸採り名人のMさんは御年八十一歳と聞く、まだまだ羨ましほどにに元気元気である。多分山登りの茸採りが健康の源なのだろう。春は山菜と、山名人である。Mさんは一人暮らしのため山の恵みを採っては人に振る舞う事が楽しいらしい。私は毎年秋の今時分にMさんに茸を沢山戴きながら、いまだ何のお礼をしていない。Mさんいわく、礼などしたら今度あげないからという。感謝感謝である。今日戴いた茸は分厚いカタハと言う種類が多いため、お肉と旨煮にと家内に頼んだ。今夜の夕食は楽しみである。


木島平馬曲の初ぶななめこ

2013-11-04 14:23:21 | Weblog

 土匂ふ朽ち葉の匂ひぶななめこ  

 なめこ採り青空を見ず山を見ず

親戚の兄さんが撮った山なめこ

 待ちに待った、天然の(菌を打った)初なめこにやっと恵まれる。家内の生まれ在所、木島平村「馬曲温泉」の奥山で採れた「初なめこ」である。今年は昨年と同様に、夏の高温と雨不足ため、なめこの数が極端に少ないようです。情報では長野県の名産の「松茸」は成長時期に雨に恵まれは三年ぶりの豊作で、山に経験の浅い人達が大勢「松茸」採りに入り、滑落、遭難事故で高齢の男性6人もが死亡していると聞く。木島平馬曲も、年々村人の高齢化で奥山での菌を打つ作業や収獲に行き重いなめこを背負う重労働の担い手が少なくなっている。そんなためか、年々採れる量が少なくなっていると聞く。家内の実家は須坂へ越して二十六年になり兄さん夫婦も体力が限界のもようである。馬曲の持ち山に「なめこ」の菌は打ってはあるが、このところ、収穫に山へ入らないので、村の親戚の兄さんに心配してもらった。今夜は「なめこ汁」が楽しみである。馬曲の奥山の「菌打ち」[ぶななめこ」ですが、山の自然の香りがする「なめこ」を舌堤すると、何とも言えない奥山の香り漂って来るような気がしている。


鍋倉山の紅葉

2013-11-03 08:47:13 | Weblog

 色染めし椈紅葉の茶屋の池

 以前から欲かった「ニコンのD610」をやっとの思いで購入した。初撮りのため鍋倉高原へ紅葉を撮りに出かけた。一昨日は大げさのようですが、私を待っていてくれたかのように、紅葉のさかりで、秋晴れの映えた最高の日だった。カメラを抱えた沢山の人達が見えていた。茶屋池を撮ろうと池の端へ行くと、湖面に少し風があり、波がかかり紅葉が写っていなかったので風が止むかもしれないと期待しながら、池の端で腰をおろし、紅葉の様子を俳句にしようと句帳を膝の上に置き句の世界へ入り始めた頃、気が付くと、幸運にも北風がピタリと止んだ。チャンス到来と思い慌ててシャッターを切った。素人の写真なので偶然だと思いますが、今迄の「D60」より奇麗に撮れたと思う。普段は歩いていて偶然を捜しながらの写真ですので、コンパクトカメラCOOLPIXを持ち歩いている。やはり画素数の少ないためか撮れる色がいまいち冴えない。

紅葉の鍋倉を指す一会人

 

 

 

鍋倉高原へ来るたびに肝心のシンボル「鍋倉山」はどれだろうと思い思いいまだ分からないでいましたが、茶屋池からの帰りに車を止め、辺りの山を撮っていますと、気が付くと傍に団塊を少し過ぎた年頃の御夫婦と会いましたので挨拶を交す「どちらからですか」と聞くと隣の上越市からだと言っていた。この御夫婦は毎年紅葉の鍋倉高原に写真を撮りに来ると言うので、この機会にと思いたち、「私も毎年のように来ていますが、いまだ鍋倉山を知らないんですよ」と言うと、御主人は目の前の山を指差してあの奥山が「鍋倉山」で手前の山は「黒鍋山」ですよと教えて下さった。何時も写真にしている山が「鍋倉山」と分かり今迄のもやもやがスッキリとした。

 

 

 咲くやふに紅葉の色置く山路

静かなる時過ごしつつ秋燃ゆる

 

 

 

 

 

 

 

 


銀座柳二世

2013-11-02 08:01:05 | Weblog

風にゆれお色気感ず秋柳

 故古田先生(歌人)の御骨折りで銀座の柳の二世を飢え育て何年に成るだろうか。立派に成長した柳の木の下を歩くのが私の歩行コースの一つです。通る度に何か自然に心癒える。なぜだろうと何時も考える、多分柳のしなやかな揺れと清潔そうな微妙な香りだと思っている。柳は芽吹いてから間もない頃、あるいは、葉がまだ瑞々しい頃が特に美しいため、春の季語とされる。細く垂れ下がった無数の枝が、黄緑色の若い葉をいっぱいにつけているのを見ると、ついついと、柳の下をくぐりたくなるが、本日の俳句はあえて「秋柳」とし秋の季語にさしていただいた。

恋恋と銀座の柳雨の中(春)

ネットからの銀座の柳

 

 


秋の日本画と水墨画展

2013-11-01 04:51:01 | Weblog

 秋高しあなたは何を画に感ず

感動を伝ふよろこび秋の展

  ぼちぼちと、切れまなく、静かに絵を鑑賞に見えるお客様が多かった。来場者の記帳簿に群馬県、埼玉県の団体の方の署名もあった。多分「高橋まゆみ人形館」においでになった方々が見に来て下さったのだと思う。年々私達の画を鑑賞して下さるお客様が増えていることに、一抹の喜びを感じた展覧会であった。

 

吉越先生の風景画の題材は、先生は自分で歩いて、その場でデッサンして画にするのが基本的だと言う。右の今回の絵はリフトにに乗り、斑尾高原スキー場の最高峰から反対側のタングラムスキー場の難所をカンジキを履いて歩いて描いた場所に行き、風が吹く寒い中をデッサンしたとのことだ。雪の山は歩き進むのは大変であるが、一画の絵を描くのに、先生の絵に対する情熱と姿勢はなみなみなるもの以上のものがあるのだと、をヒシヒシと感じ取れる。

 

 

 

 

 

 

左の画の方はすでに県展に何回も入選されていて、何時も静かになにをするにも控えめな方です。この絵の題目は確か「老さくら」だと思いましたが、力強い太いさくらの木の幹に、一枚一枚の葉が細かく丁寧に描かれていた。こんな根気のいる画は大雑把な私には到底画けないだろうと思う。絵を画きはじめてかなりの年数が経つベテランさんですが、年数がいくら重ねても画く努力が無ければこうは画けないだろう。人さまからの聞き伝えですが、この方は毎日の家事と先生をなさっていた車椅子になった旦那さんの看病をこなしながら、時間を捜して絵を描くのが雄一の自分の時間で、大切な時間の全てがこの画に詰まっているような気がする。