小春日や無言のままに友の逝く
今朝、長野の友から東京在住の友の訃報が入る。つい先日身近にいる友が逝ったばかりである。今年は三人目の友人の死である。彼はステージ三の癌であった。私は半年前に東京へ所要の折に見舞った時には、彼は名医にかかり、手術は大成功で、克服する方向に行っていると喜びの彼の言葉に安心していましたが・・・・・」。彼は私共の年代の田舎では、数少ない東京の大学を出ている。五年前の同級会に、にこやかな温和な彼を思い出すと一層の寂しさがつのる。この時期は、ほとんどの同級生は高度経済の落し子のように働き詰めの人生の第一線から退き、それぞれの老後を送っている友が多い中、故人は第一線で活躍中の僅かの同級生の一人であった。彼の会社は中小企業ではあるが特殊技術を持った会社のようだ。彼は経営能力を買われ雇われ社長ではあったが、社員五百人の頂点を無事にこなし、二年前に苦労人生からやっと離れ、社長まで上り詰めた彼を長きに渡り支えてくれた愛妻と、残りの人生をゆっくり楽しく送ろうと思っていた矢先のことだろうと推移すると、無念な思いで逝ったのだろうと思うと、同世代に生きた病持ちの私はヒシヒシと彼の気持ちが理解できる。昨日まで観測史上まれにない早い時期に各地に寒波が押し寄せていましたが、今朝からようやく予報どうりに小春日となった折に彼の訃報が入る、上五に「小春日」とした明るい季語が不謹慎と思うが、今日の友の訃報と別に、つい先日に逝った友の句「秋の暮れ無言のままに友の逝く」と私が俳句教室に掲出した句に、先生から「秋の暮れ」と「無言のままに」「友の逝く」はマイナスの言葉が重なり過ぎで「秋の暮れ」の季語をもっと明るい季語にと指導された折であり、今日の上五に明るい「小春日」を詠った句です。私は合点が行かない気がいたしますが、御批評は訪問者にお任せいたします。