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ときめきの日々を過ごしたい

また友が逝く

2013-11-13 16:39:45 | Weblog

小春日や無言のままに友の逝く

 今朝、長野の友から東京在住の友の訃報が入る。つい先日身近にいる友が逝ったばかりである。今年は三人目の友人の死である。彼はステージ三の癌であった。私は半年前に東京へ所要の折に見舞った時には、彼は名医にかかり、手術は大成功で、克服する方向に行っていると喜びの彼の言葉に安心していましたが・・・・・」。彼は私共の年代の田舎では、数少ない東京の大学を出ている。五年前の同級会に、にこやかな温和な彼を思い出すと一層の寂しさがつのる。この時期は、ほとんどの同級生は高度経済の落し子のように働き詰めの人生の第一線から退き、それぞれの老後を送っている友が多い中、故人は第一線で活躍中の僅かの同級生の一人であった。彼の会社は中小企業ではあるが特殊技術を持った会社のようだ。彼は経営能力を買われ雇われ社長ではあったが、社員五百人の頂点を無事にこなし、二年前に苦労人生からやっと離れ、社長まで上り詰めた彼を長きに渡り支えてくれた愛妻と、残りの人生をゆっくり楽しく送ろうと思っていた矢先のことだろうと推移すると、無念な思いで逝ったのだろうと思うと、同世代に生きた病持ちの私はヒシヒシと彼の気持ちが理解できる。昨日まで観測史上まれにない早い時期に各地に寒波が押し寄せていましたが、今朝からようやく予報どうりに小春日となった折に彼の訃報が入る、上五に「小春日」とした明るい季語が不謹慎と思うが、今日の友の訃報と別に、つい先日に逝った友の句「秋の暮れ無言のままに友の逝く」と私が俳句教室に掲出した句に、先生から「秋の暮れ」と「無言のままに」「友の逝く」はマイナスの言葉が重なり過ぎで「秋の暮れ」の季語をもっと明るい季語にと指導された折であり、今日の上五に明るい「小春日」を詠った句です。私は合点が行かない気がいたしますが、御批評は訪問者にお任せいたします。


雪を被った薔薇

2013-11-13 10:16:19 | Weblog

下向きに耐えて華やか冬薔薇

冬薔薇しんしんと紅深めをり

 急な初雪の到来で、テレビでの報道の通りに冬タイヤに交換しておけばよかったと反省仕切りである。昨日の初雪に続き今日は更に気温が低く小雪が舞っている、寒さに要注意の私はこんな日は特別の用事が無い限り外出を控えている。だが。のっぴきならぬリハビリの日である。何時もは午後に時間をとっていただくが、今日は先生の都合で午前の変則な時間であった。病院へは私のところから歩いて八分位ですの、最新の注意を払い、転ばぬように歩いて病院へたどり着く。リハビリの帰りに何気なく歩いていますと、例の大口さんの住宅の片隅に雪を被りながら凛として咲いている薔薇の花に気が付く。今迄ここを通るたび、市の花「雪椿」だけが目にあったので、チョット離れた場所に一本の薔薇の木があるとはついぞ気が付かなかった。この薔薇は昨日からの雪を被りながらも、健気に元気に咲いていた。コンパクトカメラで撮りましたが、意外と良く撮れたような気がしている。