孤独さや氷柱のさがる雪の街
人は誰でも孤独です。孤独とはどういうことでしょうか。家族や友人や好きな人に会えなくて、ひとりで部屋にぽつんとしているとき、私たちは孤独を感じます。このようなさびしい感情を表現するときに、私たちは孤独という言葉を使います。 ところで、孤独にはもうひとつ意味があります。さびしさに耐えられず、好きな人に会いに行ったとしましょう。その人としっかりと抱き合って、さびしさの感情は解消されるかもしれません。しかしながら、あなたの存在そのものは、抱きしめられたその人の腕の中で、やはり一人のまま取り残されるのです。ここに人間の「孤独」の本質があります。/私たちがこの世で生きるかぎり、このような「存在の孤独」を解消することはできません。しかしこれは絶望ではありません。なぜなら、孤独を生きるのは、また幸せなことでもあるからです。道を歩いていて、ふと夕焼けの美しさに足をとめたとき、小学校から流れてくる音楽に懐かしさを感じたとき、それらはまるで、宇宙でひとりだけ存在するこの孤独な私に向かって開かれた、たとえようもなく美しい宝石箱のようなものとして私には感じられます。あるいは、ふだん気にもとめていなかった人から、何気なく優しい言葉をかけてこられたとき、それは果てしなく遠いところから私という孤独な世界にまで届いた清らかな一枚の便箋のように、私には感じられます。存在として孤独を宿命づけられているからこそ、私に向かってときおり発せられる世界の美しい声や優しさを、私はこのうえもなく尊いものとして感受することが出来ます。たしかに孤独はつらいことではありますが、けっして絶望ではないと思うのです。(哲学者 森岡正博)