「虚実潺潺」は、俳誌「滝」の中に設けられた菅原鬨也主宰のフリースペースだが、東日本大震災直後の平成23年4月号、5月号は、『大地震・大津波・原発危機 東日本大震災』と題して、河北新報社の主な見出しの抜粋のみの掲載で終わっている。4月号を見てみよう。
3月12日(土)朝刊 11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード8.8の巨大地震があった。3月12日(土)夕刊 三陸の街水没・全壊多数 福島原発放射能漏れ 3月14日(月)朝刊 気象庁は13日、東大震災の規模をM9.0に修正した。など3月25日(金)朝刊まで1ページ半にわたって続けられている。
三陸沖地震は、37年ほどの周期性があると言われるが、これまでの地震と今回の地震とで大きく異なっている点は、大地震による津波によって、東京電力福島第一原発事故を引き起こしたということだ。発生からすでに5年が経過したが、その廃炉作業は長期に及び、いまだ終息していないのが現状だ。震災直後、テレビからコマーシャルが消え、ACジャパンの広告が大量に流れたのも異常であった。
この廃墟日本にあらず春満月 「滝」4月号
三月の飛雪われらの顔を消す 〃
叫喚のありたる海や梅真白 「滝」5月号
余震なり蝶ひらひらと夜空より 〃
仏壇の倒れしままの彼岸かな 〃
竜天に登り津波は都市を呑む 「滝」6月号
春逝けり漁師は海を恋ひはじむ 〃
思考は停止し、震災句しかできなかったと後日述懐しているが、4月号から6月号までの主宰句は、全て震災句十句となっている。悲惨な現実を目の当たりにしながらも、抒情性が残されたのは、詩人としての矜持だったのかもしれない。
「滝」6月号の「虚実潺潺」では、「魂の行方」と題して、宗教学者の山折り哲雄氏が、NHK Eテレの番組の中で語ったない内容を紹介しながら、ある方向性を提示している。文明というものは、いつかは自然によって復讐を受け、文明を作った人間もまた自然の猛威によって復讐される。しかし、亡くなった人々の魂はこの美しい自然によって癒されるしかないのだ、というものだ。
2万1千人を超える命と、かけがえのない日常を奪ってしまった東日本大震災であったが、日本の四季の移ろいは否応もなくやって来る。時間の経過や自然は、想像以上にやさしく寄り添ってくれるものだろうか。(つづく)
3月12日(土)朝刊 11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード8.8の巨大地震があった。3月12日(土)夕刊 三陸の街水没・全壊多数 福島原発放射能漏れ 3月14日(月)朝刊 気象庁は13日、東大震災の規模をM9.0に修正した。など3月25日(金)朝刊まで1ページ半にわたって続けられている。
三陸沖地震は、37年ほどの周期性があると言われるが、これまでの地震と今回の地震とで大きく異なっている点は、大地震による津波によって、東京電力福島第一原発事故を引き起こしたということだ。発生からすでに5年が経過したが、その廃炉作業は長期に及び、いまだ終息していないのが現状だ。震災直後、テレビからコマーシャルが消え、ACジャパンの広告が大量に流れたのも異常であった。
この廃墟日本にあらず春満月 「滝」4月号
三月の飛雪われらの顔を消す 〃
叫喚のありたる海や梅真白 「滝」5月号
余震なり蝶ひらひらと夜空より 〃
仏壇の倒れしままの彼岸かな 〃
竜天に登り津波は都市を呑む 「滝」6月号
春逝けり漁師は海を恋ひはじむ 〃
思考は停止し、震災句しかできなかったと後日述懐しているが、4月号から6月号までの主宰句は、全て震災句十句となっている。悲惨な現実を目の当たりにしながらも、抒情性が残されたのは、詩人としての矜持だったのかもしれない。
「滝」6月号の「虚実潺潺」では、「魂の行方」と題して、宗教学者の山折り哲雄氏が、NHK Eテレの番組の中で語ったない内容を紹介しながら、ある方向性を提示している。文明というものは、いつかは自然によって復讐を受け、文明を作った人間もまた自然の猛威によって復讐される。しかし、亡くなった人々の魂はこの美しい自然によって癒されるしかないのだ、というものだ。
2万1千人を超える命と、かけがえのない日常を奪ってしまった東日本大震災であったが、日本の四季の移ろいは否応もなくやって来る。時間の経過や自然は、想像以上にやさしく寄り添ってくれるものだろうか。(つづく)