今日は天気が上々で朝から大阪へと出かけた。
4月29日は何の日だったっけ?と思いながら、ゴールデンウイークの初日、朝から高速道路の渋滞情報を見ながら、私はいつもの最寄のJR駅から学研都市線、大阪環状線経由で、母のいる阿倍野へと足を向けた。
ほんとうに久々と言った感じの好天に恵まれたので、いきしに和菓子店で「桜餅」と「柏餅」を購入して、母とのお茶の時間を楽しんだ後、ちょっとした散歩にと近所を一回りした。
年老いた母と手を繋いで、ゆっくりと歩くのだが、最初は足が痛いなどと言っていた母なのに、近所のお家の庭に咲くハナミズキの花やサツキの花の美しさに目と心を留めて、しばらくすると足の痛さを忘れて、ニコニコと散歩を楽しんだのであった。
近くの小学校の校庭の柵の間から見え隠れしていたレンゲの花や小さな黄色い花を摘んだりしながら、帰る頃には手には小さな野草の花束がしっかりと握られていて、部屋に戻っては小さな水差しに花を生ける喜びとなった。
あまりの天気の好さに、私自身は母と別れた後は、気持ちよく歩いて東へと私の実家の様子を見ようとテクテクと歩を進めていると、ある公園の周辺に人だかりがしていて、その陽気と人の多さに、いつの間にか吸い寄せられる感じで、公園の中へと足を向けたのであった。
何と、今日は「昭和の日」ということで、昔の天皇誕生日が、後に「みどりの日」を経て、昭和の日となっていたのだが、この「昭和の日」にちなんで、阿倍野区昭和町一帯でのイベントとして、「どっぷり昭和町」というおまつりが開催されていたのであった。
「昭和町」で、「昭和の日」に「昭和建築の文化財」で「昭和の文化」を味わうおまつり開催。というレトロな雰囲気の地域まつりのちらしが配られていた。
関西から文化力、大阪ミュージアム、大阪府文化振興基金などの協力も得て、「どっぷり昭和町実行委員会」が主催し、大阪市、大阪市教育委員会などをはじめ、地元の阿倍野区王子連合振興町会や大阪市立苗代小学校PTAなども後援しているのだ。
確かに古い昭和を実感させられる木造建築の長屋が立ち並ぶ大阪市阿倍野区昭和町界隈なのだが、私の妻の実家もその界隈にあるので、義理の母を誘って近所でお祭りを満喫しようと思い立って立ち寄ったが、あいにく来客中だったので一人でぶらぶらと楽しんだ。
私たちが生まれ育った「昭和時代」を今も強く感じさせてくれる街並みの中に、大勢の人たちがやって来て、音楽ライブや落語会、そして子どもの遊びや縁日の様な手作りお店や、日頃の商店が店先で特売やイベントを仕掛けていて、とても賑わっていた。
私は野菜カレーや特製のコロッケを昼食に買って、寺西家という古き民家の庭の縁側で食したり、長屋の二階から聞こえて来る音色に耳を傾けながら、町と人のコラボをゆっくりと見学することが出来たのであった。
4月29日は何の日だったっけ?と思いながら、ゴールデンウイークの初日、朝から高速道路の渋滞情報を見ながら、私はいつもの最寄のJR駅から学研都市線、大阪環状線経由で、母のいる阿倍野へと足を向けた。
ほんとうに久々と言った感じの好天に恵まれたので、いきしに和菓子店で「桜餅」と「柏餅」を購入して、母とのお茶の時間を楽しんだ後、ちょっとした散歩にと近所を一回りした。
年老いた母と手を繋いで、ゆっくりと歩くのだが、最初は足が痛いなどと言っていた母なのに、近所のお家の庭に咲くハナミズキの花やサツキの花の美しさに目と心を留めて、しばらくすると足の痛さを忘れて、ニコニコと散歩を楽しんだのであった。
近くの小学校の校庭の柵の間から見え隠れしていたレンゲの花や小さな黄色い花を摘んだりしながら、帰る頃には手には小さな野草の花束がしっかりと握られていて、部屋に戻っては小さな水差しに花を生ける喜びとなった。
あまりの天気の好さに、私自身は母と別れた後は、気持ちよく歩いて東へと私の実家の様子を見ようとテクテクと歩を進めていると、ある公園の周辺に人だかりがしていて、その陽気と人の多さに、いつの間にか吸い寄せられる感じで、公園の中へと足を向けたのであった。
何と、今日は「昭和の日」ということで、昔の天皇誕生日が、後に「みどりの日」を経て、昭和の日となっていたのだが、この「昭和の日」にちなんで、阿倍野区昭和町一帯でのイベントとして、「どっぷり昭和町」というおまつりが開催されていたのであった。
「昭和町」で、「昭和の日」に「昭和建築の文化財」で「昭和の文化」を味わうおまつり開催。というレトロな雰囲気の地域まつりのちらしが配られていた。
関西から文化力、大阪ミュージアム、大阪府文化振興基金などの協力も得て、「どっぷり昭和町実行委員会」が主催し、大阪市、大阪市教育委員会などをはじめ、地元の阿倍野区王子連合振興町会や大阪市立苗代小学校PTAなども後援しているのだ。
確かに古い昭和を実感させられる木造建築の長屋が立ち並ぶ大阪市阿倍野区昭和町界隈なのだが、私の妻の実家もその界隈にあるので、義理の母を誘って近所でお祭りを満喫しようと思い立って立ち寄ったが、あいにく来客中だったので一人でぶらぶらと楽しんだ。
私たちが生まれ育った「昭和時代」を今も強く感じさせてくれる街並みの中に、大勢の人たちがやって来て、音楽ライブや落語会、そして子どもの遊びや縁日の様な手作りお店や、日頃の商店が店先で特売やイベントを仕掛けていて、とても賑わっていた。
私は野菜カレーや特製のコロッケを昼食に買って、寺西家という古き民家の庭の縁側で食したり、長屋の二階から聞こえて来る音色に耳を傾けながら、町と人のコラボをゆっくりと見学することが出来たのであった。