ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「ひょっこりひょうたん島」死す!

2010年04月12日 | 感じたこと
 「ひょっこりひょうたん島」の原作者、小説家、戯曲家、劇団主宰者でもあった、遅筆で有名だった「井上ひさしさん」が肺がんで亡くなった。

 多くの戯曲や作品が世に出されたが、私たちが最初に知ったのは、たぶんNHKテレビのまだ白黒時代に始まった、少年少女向けの夕方6時台の連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」だったと思うのである。

 ドンガバチョ、博士ラガ活躍する空想の島「ひょうこりひょうたん島」は、大変楽しく愉快な人形劇で、子どもたちだけでなく大人にとっても、現実と夢の世界が織り成すドラマとして、人気を博していた。

 それから、私の記憶に強く残っているのが「モンキンポット師の後始末」という小説であり、井上ひさし自身が経験したらしい、東北のキリスト教カソリックの学生寮を舞台に面白可笑しく展開するドラマであり、後にテレビドラマとして脚色され、さらに人気を博した作品だったと思う。

 東北訛りで厚い枠のめがねを着用していた井上ひさし氏は、決してかっこよいダンディな男ではないが、出っ歯の親しみを感じる顔立ちで、結構づけづけと物申すと言った感じの親父であり、小説家としての多忙さもあっただろうが、自らが主宰する劇団「こまつ座」をはじめとする劇団の台本の仕上がりの遅さが定評とでも言うべき作家で、「遅筆亭」と自らを名乗っていたとも聞く。

 後に「ドン松五郎の生活」や「吉里吉里人」を著すしてベストセラー作家として不動の地位を獲得したのだが、たぶんその頃に前の奥さんと離婚したために、テレビ・マスコミを賑やかしたために、更に有名となった感がある。

 もうひとつ記憶に深いのが、戦争や広島の被爆などを通じた作品であり、宮沢りえが主演した、広島被爆を背景にした「父と暮らせば」の原作や、憲法九条を守る活動にも、常に名を出して訴えておられたことがある。

 人間や社会のあり方や生き方を、常に笑いのセンスで突っ込みながら、やや斜交いから正論をぶつという「東北人特有」の遠慮がちな主張ではあったが、ユーモアがあり顔や人間性とマッチしていた様で、とっても人懐っこい笑顔と共に印象的であった。

 最期は、大好きだったのだろうが、小説家、劇作家としてテレビに登場する時のイメージでもあった「愛煙家」の代表選手の様な感じて、見事「肺ガン」で亡くなるという、おまけまでついて、帰らぬ人となった。

 もともとは山形県出身で、上智大学在学中から浅草の「フランス座」で演じられていた喜劇の台本を書く仕事からプロになったらしく、卒業後放送作家として、山元護久さんと共作の1964年、昭和39年、東京オリンピックの年から始まった「ひょっこりひょうたん島」が大好評で、戯曲「日本人のへそ」から活動を喜劇を中心とした劇作家として活躍し、岸田国士戯曲賞を受賞、「吉里吉里人」では日本SF大賞、なども受賞している。

 井上ひさし氏が亡くなっても、我等が「ひょっこりひょうたん島」は不滅です。ご冥福を祈ります。

 
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