ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

どうしてこんなことが起きるの?

2010年04月17日 | とんでもない!
 何故に、こんなにまで幼児や子どもの虐待事件が多いのだろうか。

 また今朝は、30歳にまでなった青年が、仕事もせずに引きこもっていて、インターネットの契約を無断で親が解約したことに腹を立てて口論となって、両親と弟夫婦と姪っ子を刺して、58歳の父親と1歳の女の子が死亡し、他の3人も負傷し、本人は自分の布団に火をつけて「殺してやろうと5人を刺し、家も燃えてしまえと思った」と供述していると言う。

 毎日の様にテレビ、新聞の報道を通じて伝わってくるのは、こうした残忍かつ非人道的殺人事件や、後を絶たない飲酒運転によるひき逃げや殺人行為の連続である。

 一方、政治の世界は、鳩山、小沢を代表とする民主党だけでなく、与党も野党も参議院選挙を前に、如何にすれば勝利するのかばかりの選挙のための政治、すなわち「国民のため」と称しているだけで、誰もが自分たちの権力の維持や立場の保全しか考えていないとしか思えない政治家たちの言動ばかりである。

 世は不況、不景気風で、多くの人たちが失業、もしくは派遣切りや再就職が出来ず、毎日の生活に大きな不安を感じつつも、日々アルバイトやパート労働でなんとか食生活を中心に凌いでいるといった現状が、いろんなところで聴く昨今なのである。

 そんな背に腹は変えられない「厳しい経済状態」であるとしても、何故に我が子やパートナーの連れ子であったとしても、幼い子どもたちにストレスをぶつけたり、いじめ、虐待という行為をぶつけてしまうのであろうか。

 そもそも、そうした父親、母親たちは、戸籍上または血縁上は親なのかもしれないが、「親になる資格のない大人」なのだろうとしか考えられないのである。

 つまり、男と女が自分勝手に「好きだ、一緒に暮らそう」と言うのは勝手だが、そこに産まれる子どもたちやどちらかが子育ての責任を担っている幼い子がいる場合は、どんなに経済的に暮らしが苦しくとも、「まず子どものため」に食事を与え、教育や遊びや眠りを保障するのが親の最大の務めのはずである。

 全くそうした親としての最低限度の自覚や責任も感じないような男や女が、自分たちの自由や快楽や勝手な暮らしだけを優先して、結局「幼い子供が邪魔」になったり、「うるさいとか泣き止まない」とか言って「虐待、いじめ」に走っているのである。

 こうした現状が何故多く生じてしまっているのだろうか。

 経済偏重で、学力偏重の「教育」そのものに大きな原因があると私は考えるのである。

 教育改革という名の下に、また「ゆとり教育」を止めて、詰め込み型の教育に逆戻りしようとしている日本の教育は、根本的に「人間教育」「人間力を身につける教育」から遠ざかって行くばかりなのではないだろうか。

 しっかりと、学校だけでなく家庭でも「人としてあるべき生き方」、すなわち「命と人権の大切さ」を学び、体験できる教育、「生きていることはすばらしい」、「人との出会い、関わりが楽しく励ましを受ける」という実感、喜びを感じることのできる環境の整備が重要なのだと思うのである。
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