ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ポーダレスとは。

2008年10月18日 | 世界の問題
 今月初旬から、俄かに「ノーベル賞」受賞の日本の4人の話題で持ちきりだったと言ってもいいほど、明るい話題が乏しかった現在の日本のマスコミにとっては幸いなニュースであった。

 その中で南部、益川、小林三氏が受賞した「物理学賞」の南部教授とオワンくらげから集めた緑色の発光たんぱく質の発見でで「化学賞」を受賞した下村教授は現在はアメリカに住む日本人学者であった。

 決して「日本の脳の流出」などと言うつもりではないのだが、日本の研究環境よりもアメリカを中心とする欧米諸国の方が学者にとっては研究や生活がしやすいのかもしれないと感じたのである。

 ノーベル賞受賞日本人が今年の四人を含めて計16人となったと日本政府が認識した直後に、実は南部先生は、三十年ほど前に米国に渡り、現在ではアメリカ合衆国の市民権を得たアメリカ人となっておられるために、実は日本人のノーベル賞受賞者は15人となったと訂正せざるを得なくなったのである。

 また一方「ノーベル化学賞」の受賞者として脚光を浴びた下村先生は、実はアメリカ人学者である二人との同時受賞だったことがわかったのだが、日本では全くと言っていい程報道されなかったのである。

 つまり、日本のマスコミ報道は、いつも「日本人」だけを取り上げる傾向が強く、「ノーベル賞」の受賞に関しても全体像や世界的な視点からの報道がなさ過ぎてビックリなのであった。

 飛行機事故や世界的トラブルであっては、日本中心の報道になることはやむ得ないとは思うが、あまりにも全体像が見えなかったり、「ニッポン」や「日本人」だけを取り上げて、他国の人や違う角度からの報道がなさ過ぎると思われるのである。

 「ボーダレス時代」や「国際化」、「世界的視野」が叫ばれ出して歳月が経ってはいるが、未だに日本のマスコミ報道は「ボーダレス」ではなく、はっきりとしたボーダーを意識して、他国に関することや客観的な報道が少なすぎるのが現状だと思われる。

 宇宙空間でのビッグバンによる素粒子を中心とする物質の原子核に関する物理学的研究や考察の分野での「ノーベル賞」であっても、全く一国の視点からの報道しかできない日本という国とメディアの意識に驚かされた。

 宇宙空間から「地球」という星を眺めれば、どんなに近くに接近しても、「国境」や「赤道」などはないのだし見えないのが当然なのである。

 しかし、これぞ日本人の島国根性とでも言うべきなのか、いつも「日本」、「日本人」の意識や視点しかないという寂しい現状を憂うし、こうした意識から脱出するべきいい機会ではないかと思うのである。

 「ボーダレス」とは「国境」や「南北問題」「東西対立」など地理的や政治的ボーダーだけではなく、「地球人」としての「ボーダレス」の視点が必要な言葉なのである。

 多種多様な人間の欲や優越感、劣等感などの人間が作った「ボーダー」が、今も「対立」、「抗争」、「戦争」を生んでいるのである。
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