ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ポーダレスとは。

2008年10月18日 | 世界の問題
 今月初旬から、俄かに「ノーベル賞」受賞の日本の4人の話題で持ちきりだったと言ってもいいほど、明るい話題が乏しかった現在の日本のマスコミにとっては幸いなニュースであった。

 その中で南部、益川、小林三氏が受賞した「物理学賞」の南部教授とオワンくらげから集めた緑色の発光たんぱく質の発見でで「化学賞」を受賞した下村教授は現在はアメリカに住む日本人学者であった。

 決して「日本の脳の流出」などと言うつもりではないのだが、日本の研究環境よりもアメリカを中心とする欧米諸国の方が学者にとっては研究や生活がしやすいのかもしれないと感じたのである。

 ノーベル賞受賞日本人が今年の四人を含めて計16人となったと日本政府が認識した直後に、実は南部先生は、三十年ほど前に米国に渡り、現在ではアメリカ合衆国の市民権を得たアメリカ人となっておられるために、実は日本人のノーベル賞受賞者は15人となったと訂正せざるを得なくなったのである。

 また一方「ノーベル化学賞」の受賞者として脚光を浴びた下村先生は、実はアメリカ人学者である二人との同時受賞だったことがわかったのだが、日本では全くと言っていい程報道されなかったのである。

 つまり、日本のマスコミ報道は、いつも「日本人」だけを取り上げる傾向が強く、「ノーベル賞」の受賞に関しても全体像や世界的な視点からの報道がなさ過ぎてビックリなのであった。

 飛行機事故や世界的トラブルであっては、日本中心の報道になることはやむ得ないとは思うが、あまりにも全体像が見えなかったり、「ニッポン」や「日本人」だけを取り上げて、他国の人や違う角度からの報道がなさ過ぎると思われるのである。

 「ボーダレス時代」や「国際化」、「世界的視野」が叫ばれ出して歳月が経ってはいるが、未だに日本のマスコミ報道は「ボーダレス」ではなく、はっきりとしたボーダーを意識して、他国に関することや客観的な報道が少なすぎるのが現状だと思われる。

 宇宙空間でのビッグバンによる素粒子を中心とする物質の原子核に関する物理学的研究や考察の分野での「ノーベル賞」であっても、全く一国の視点からの報道しかできない日本という国とメディアの意識に驚かされた。

 宇宙空間から「地球」という星を眺めれば、どんなに近くに接近しても、「国境」や「赤道」などはないのだし見えないのが当然なのである。

 しかし、これぞ日本人の島国根性とでも言うべきなのか、いつも「日本」、「日本人」の意識や視点しかないという寂しい現状を憂うし、こうした意識から脱出するべきいい機会ではないかと思うのである。

 「ボーダレス」とは「国境」や「南北問題」「東西対立」など地理的や政治的ボーダーだけではなく、「地球人」としての「ボーダレス」の視点が必要な言葉なのである。

 多種多様な人間の欲や優越感、劣等感などの人間が作った「ボーダー」が、今も「対立」、「抗争」、「戦争」を生んでいるのである。
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ライフスタイル

2008年10月16日 | とんでもない!
 今日仕事で訪問したお宅の奥さんが「ライフスタイルを変えたくない!」とオッシャッテイタ。

 この「ライフスタイル」という言葉は昨今では何処でも誰でもが使っているし、日常的に日本人にも通用し理解される言葉となっている。

 しかし、本当のところは、それほど深い意味や強い価値観を背景にした「ライフスタイル」と言うべきものは感じられないケースが多いのではないだろうか。

 というのは、誰しもが年齢と共に徐々に一般的には、自分の生き方とでも言おうか、自分らしいスタイルや価値観と言えるような「好きなもの」や「好きなデザイン」「好きなやり方」などが長年の経験や生活の中から定まって来るのであって、よーく考えて見れば、さほど拘っていないことでも「自分流」と思い込んでいるスタイルや形もありそうなのである。

 つまり、この「ライフスタイル」という表現は便利で、ついつい使ってしまいがちなのだが、それほどの確定した「ライフスタイル」を自分が持っていると確信出来る人がどれ程いるのだろうかとさえ思うのである。

 ついつい、家族や環境に慣らされて、いつのまにか自分流の「ライフスタイル」となっている様に勘違いしていたり、惰性的に習慣になっているものも多いのではないだろうか。

 よーく考えたり、なぜそうするのかとちょっと深く考えたりすると、さほど根拠がなかったり拘っているわけではなく、ただ変えることや新しいことに対して億劫だったりする心があって、拒否したり馴染めなかったりするだけなのかも知れない。

 若い頃は、何にでもチャレンジできたり、変化を喜んで受け入れたりしながら生活を楽しんだり、喜んだりしていたはずなのに、いつの間にか年齢のせいかどうかはわからぬが、勝手に自分流の「ライスタイル」とやらと勘違いして、都合よく逃げているのかもしれないのである。

 決して今日出会った奥さんのことを批判したいのではなく、誰しもが年齢と共にだんだんと何やら「めんどくさい」とか「このままでいいや」と思いがちになってきているのではないだろうか。

 私は出来るだけ、いつも新しい出会いや物事と接する度に感じるテンションとでも言うべき、あの感動や喜びをささやかでも感じたいとの思いが強く、私自身の「ライフスタイル」なんてものの確定や形よりも、いつも流動的ながらも、いつも楽しく感動できる空間に接することができるなら、自分の価値観を大きく広げて、新しい接点を望んでいたいと思うのである。

 優しい風にゆらゆらと動く古いCDやお玉さんやカップケーキのアルミの受け皿などを工夫して作った「風車」を庭にいくつも飾っておられたお父さんに出会ったのだが、この気ままな「風を感じる風車」のごとく自由に、自分の「ライフスタイル」なんぞは、フレキシブルに対応できる生き方を選び続けたいものである。
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季節の美しさ。

2008年10月15日 | 季節の話題
 一昨日の体育の日の振り替え休日に、わが家の総勢7人で秋のお出かけ「コスモス畑」へとドライブした。

 たまたま先月の休日に「秋のお出かけ第一弾」として車で出かけたのだが、さて何処へ行こうかと思っても、なかなかいい秋色を楽しめるところが見つからないので、近くのコンビニに立ち寄って手にして買ったのが、「秋ぴあ」で、日帰り遊び、紅葉、温泉、味覚狩り、お花畑など関西のスポットの大特集だった。

 そこで690円の情報誌をせっかく買ったので、その情報を生かして出かけたのが、一昨日であり「秋の花を見に行こう!」のトップに掲載されていた、京都亀岡の「夢コスモス園」であった。

 今年で9年目を迎える関西最大級のコスモス畑とあって、その数は20種類、800万本というから驚きである。

 京都縦貫自動車道の亀岡インターを降りてすぐのところにあったので、もっと先の大きなところだと思ったのだが、近くに広がったコスモス畑の中には、コスモスだけではなく、たくさんの創作かかしも展示されていて、来場客が各々の好きな「かかし」を選んで投票すると、抽選で丹波の名産品が当たるというおまけまでついていた。

 大人5人と小学生とまだ一歳半になったばかりの孫二人とともに、会場をあっちこっちと歩き、途中の展望台の近くで休憩し、梨やみかんを食べて、野菜ジュースを飲んだりもしたが、入場券に持ち帰り用の「コスモス切花」のプレゼント券がついていたので、はさみを借りて各々の好きなコスモスを自らの手で切って持ち帰った。

 全国には、この季節たくさんのコスモス園やコスモス畑が公開されているようで、花の数が多いところではなんと1億本というコスモス園もあると聞く。

 関西では私たちが行った丹波亀岡のコスモス畑のほかに、兵庫たつの市の馬場コスモス園、和歌山有田市の鷲ヶ峰コスモスパーク、兵庫丹波市の清住コスモス畑、奈良橿原市の藤原宮跡、滋賀農業公園ブルーメの丘などがあるという。

 ところで今晩の満月をご覧になりましたか。

 「中秋の名月」とは、旧暦の八月半ばの満月を言うらしいのだが、どっこい秋本番の十月の満月もとって美しいのである。

 先月の十五日の夜の「中秋の満月」は、少し曇り空でちゃんと見えなかった人や時間があったのだが、今晩の満月はとても綺麗に何処からも見ることができたのではないだろうか。

 秋は食欲、スポーツ、読書、行楽と何にとってもふさわしい季節だが、お忙しい人たちも是非、時間を作って秋を楽しむ時を意識して持ってほしいものである。

 若い人たちは彼女、彼氏とともにデイトで出かけるのもいいだろうが、ご家族揃って行楽日和にドライブや歩きを中心に出かけられることをお勧めしたいものである。
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ちゃんとしなさい!!

2008年10月14日 | 感じたこと
「ちゃんとしなさい!!!」って私たちは何度となく子供たちを叱ってきたことだろうか。

 今、社会の報道を見聞きしていると、なんとどれもこれも「ちゃんとしなさい!」と言いたくなる出来事ばかりではないだろうか。

 日本国内の政治や経済に限ってみても、年金問題、医療問題、教育問題、環境問題と数え切れない呆れた実態が毎日のようにテレビや新聞報道を中心に我々の耳や目に飛び込んでくる度に、「いい加減にちゃんとしてくれよ」と心の中で叫ばずにはいられないのである。

 しかし、そう口走っている我々も「ちゃんとしている」と自信を持って言い切れる人はどれ程いるのだろうか。

 いつも思うことだが、特に親が子供を叱ったり、注意をする場合に多くのケースは「ちゃんとしなさい!」と言っているのだが、果たしてこのちゃんとするとはどういうことなのだろうかが定かでない場合が多いのである。

 子供にしてみれば、叱られていることは分かっているのだが、母親の言うところの「ちゃんと」が不明の場合も多いのではないだろうか。

 たとえば、夜遅くなって、おかぁさんが子供たちに「ちゃんとすることして寝なさい」とでも言っているのだか、歯を磨いて、宿題して、遊んだ後片付けて、着替えて、戸を閉めて、などなどといろいろと注文が多いものだろう。

 しかし、こうした具体的な物事への指示や目的が明確な場合は許せると思うのだが、たいていの場合は「何をどうすればいいのか?」が不明な「ちゃんと」がおおいのではないだろうか。

 つまり、親にとって都合のいい言葉として、「ちゃんとしなさい!!」という常套句が使われていて、子供にとってはよく分からない「ちゃんと」が多いようである。

 一転、社会に目を向けて見ても、私たちが漠然として感じている「ちゃんとしてくれよな」といった感情や感想も定かでない場合が多いのである。

 というよりも、我々個人、個人の漠然とした価値観や感情の機微の違いもあって、「ちゃんと」と願う形やルール、あり方も異なっているのである。

 自分に都合のいい、つまり自分にとってよいと思える環境や利害、安心、安全などを潜在的には思いながら、「ちゃんとしてほしい」と願っているのではないだろうか。

 特に親が子供たちを叱ったり、注意する場合に言っている「ちゃんとしなさい!!」に関しては、相手の立場、つまり子供たちの主張や考え方、言い訳などは無視して親の一方的な都合で「ちゃんと」と叫ばれている場合が多いのである。

 それにしても、昨今の政治や経済に関しては、国民の多くが「ちゃんとしてほしい!!」と強く願わざるを得ない状況、実情が多発していて、「何とかしてほしい!!」と思っているのである。

 最後に、やっぱり政治家と大人たち、親たちに「ちゃんとしなさい!!」と叫ばざるを得ない。

 自分自身の「ちゃんとしていない」ことを棚にあげたままで。

 
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幻の阪神優勝。

2008年10月12日 | プロスポーツ
 皆さんも既にご承知のごとく、我が阪神タイガースは、終盤戦での巨人の追い上げ、巨人に7連敗のおまけまで献上して、メイクリジェンドとかいう迷文句の下で、ジャイアンツにセリーグ制覇を逆転されて、敢え無く撃沈して、今シーズンの優勝は幻と消えた。

 今シーズンは、当初からあれよ、あれよと首位を独走して、新井、金本の元広島のFA組を中心に「必死のパッチ」の矢野、下柳らのベテランとともに、若きエース、岩田と活躍、安藤の復活など投手陣の奮起に、つなぐ打線が巨人のホームラン攻勢とは裏腹に地味ながら、赤星、関本、平野、鳥谷らが続き、葛城、桧山、高橋らの代打陣やバリディリス、今岡、林らも加わって勝利を積み重ねて、栄冠に向かって戦ってきたはずなのに。

 あの忌まわしい「北京オリンピック」への日本代表チームへ、新井、矢野、藤川を送ってから、ガタガタとチーム状態は下り坂となって、オリンピック前に一時は、二位とのゲーム差が最大13ゲームあったのをひっくり返されたというよりも、新井の故障欠場を期に自滅といった感じで、あれよあれよと差を詰められて、なんと逆転されてしまったのである。

 五月半ばから、今シーズンの阪神タイガースの優勝を信じて疑わなかった「阪神タイガース」ファンの一人としては、なんとも言えぬ脱力感とともに、ここ二、三日の空虚な心の空洞をうめることができないでいる。

 そこへ来て、岡田監督との辞任発表が今朝報道されて、クライマックスシリーズなどへの期待などよりも、大きな阪神タイガースの変革期を迎えたと言った実感が日増しに増してきているのである。

 親会社である阪神電鉄も、阪急電鉄グループとの統合によるH2Oホールディングスという名の、阪急、阪神という梅田を中心に雌雄を争ってきた会社の統合へ進んだ世の中の経済状況が、さらに百貨店業界では大阪は難波の表玄関の老舗百貨店である高島屋とも資本統合への方向へと歩みだしたという変革期を迎えているのである。

 そして我が阪神タイガースにとってのホームグランドであり、高校球児たちを中心に憧れの「甲子園球場」も、昨年からのリニューアル工事を着々と進めており、来年春には、あの懐かしい甲子園球場名物の内野席を中心とする「銀傘」も撤去されリニューアル拡大され、内野席全体を覆うというグランド全体のイメージは残しつつも、バックスクリーンのモニタービジョンも巨大化したりと大きく様変わりするのだ。

 既に阪神タイガースの2009年以降のシーズンへの変革が大きく動き出しているようで、新監督に誰が就任するのかをはじめ、阪神ファンは今シーズンの戦いぶりに満足していて、応援できた喜びと感謝の中にいる。

 幻の優勝を経験したナインと球団関係者はともかく、阪神ファンの多くの諦めは早く、クライマックスシリーズなんかには興味を感じられない。

 せめて、祝阪神優勝を信じて作られた「2008阪神優勝グッズ」は、破棄せずに半額でもいいからファンに販売したらいいのにと、やっぱり未練たらしく最後に言っておこう。
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夢のログハウス。

2008年10月09日 | ガリバー旅行記
 今晩、日本サッカー対UAEの試合をテレビ観戦していたのだが、なんとまたや後半香川の先制ゴールの数分後に相手にゴールを決められて、その後も一方的にゴールチャンスが何度もあつたのに、的確性を欠いて1対1の引き分けに終わって、六日後の2010年南アフリカワールドカップへのアジア予選、ウズベキスタン戦が大丈夫かと不安を覚えた。

 なんとも忸怩たる思いで、テレビのチャンネルを回していると、なんと懐かしい「ロッグハウス」作りの師匠である「平林定男」さんが紹介されていたので、目を留めた。

 彼は私が子供たちの遊び場のリーダーとして仕事をしていた当時に、信州は穂高の見える山里で、ロッグハウス作りの手ほどきを受けたことのある懐かしい師匠だつたのである。

 彼も私もたぶんまだ30代だった頃だったと思うが、憧れのロッグハウス作りのためのチェーンソーワークを一から教わったのである。

 夏から秋にかけての約一ヶ月近くを信州の人里離れた現場でテントを張って自炊、寝泊りをしながら、毎日、毎日、平林さんが発注されていたロッグハウス作りの現場で指導を受けながら、慣れないチェーンソーを持って練習を重ねて、大きな杉丸太を組み込むためのチェーンソーワークを続けたのである。

 その約一ヶ月間の生活が、今晩のテレビで紹介された「チェーンソーの達人」、平林さんとの再会とでも言おうか、テレビを通しての再会で蘇えって来たのである。

 小さなテントを持ち込んでの約一ヶ月間の研修で得た知識と技術は、その後京都に帰ってから取り組んだ「小さな丸太小屋」作りで少しは生かせたのだが、その丸太小屋は、野外活動を行うための子供たちの備品や道具の倉庫として、その後約30年間は使用されたのだが、生活することのできるロッグハウスではなかった。

 あれ以来、私は「夢のログハウス」をいずれ建てたいと思っていた時期もあったのに、それからの仕事や生活のためにほとんど忘れていたと言っても過言ではない。

 その経験と思い出が今晩の平林定男さんの元気なチェーンソーワークぶりでよみがえってきて、大変うれしくもあり、楽しい記念すべき思い出として再び強く思い出させていただいたのである。

 チェーンソーの使い方、技術を学ぶと共に、信州の秋を楽しみ、コンサートや皆で囲んだバーベキューパーティなども克明に思い出された。

 あの頃抱いていた「夢のログハウス」は、不登校や引きこもりなども含む、現代の学校に馴染めない児童、生徒たちのためのフリースクール的学びの場を、京都郊外の田舎に土地を借用してでもログハウスとして建てて、週末を中心に運営したいと思っていたのである。

 そのために中型二輪の免許も取得し、あるおじいさんにも土地の提供を約束していただいていたのだが、おじいさんが亡くなられ、私の夢も途切れてしまったのであった。

 違った形でも、子供たちとの関わりを大切にした居場所づくりの大切さを再び思い出させていただいたログハウス作りの達人、平林定男さんであった。
 
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10.8

2008年10月08日 | 季節の話題
 「10.8」と聞けば、我々の世代は、遠い昔になりつつあるのだが、1967年10月8日の「第一次羽田闘争」と言われた、当時の首相、佐藤栄作が東南アジア訪問阻止の学生たちの羽田空港での機動隊とのぶつかりあいで、一人の学生が死亡した事件を思い出すのである。

 決して私自身は、学生運動の只中にいたわけではないのだが、新聞、テレビの報道を通じて、その当時の「反安保闘争」自体を心情的に理解して、当時の政府と佐藤栄作首相には反感を感じていたことは事実である。

 しかも、この佐藤栄作氏は、日米安保体制が始まる1960年の反安保闘争で学生と機動隊とのぶつかり合いで、当時の東大学生だった樺美智子さんが亡くなるという衝撃的な事件が起きた政府のトップである首相、岸信介の弟という存在でもあった。

 兄弟揃って、日本の権力を手中に収める格好での首相に就任した上に、政府に反対を唱える多くの学生、労働者たちを機動隊を中心とした警察権力で弾圧し、多くの死傷者を出した張本人でもあったのである。

 しかも、その事件が起きた同日に、海の向こうの革命の英雄でもある、キューバの若き革命闘争家で、今も語り継がれているチェ・ゲバラがボリビアの山中でゲリラ闘争中に逮捕され、翌日射殺されたとのことが伝わり、一層「10.8」は、少なくとも反体制を唱える若者を中心として忘れられない日と記憶されたのである。

 その日本での悪玉の象徴の様な当時の首相であった「佐藤栄作」がなんと、7年後の同日、10月8日に、こともあろうに沖縄返還に多大な寄与をしたとの理由で「ノーベル平和賞」を受賞するというニュースが伝わり、複雑な心境になったことも深く覚えている。

 それから何と34年。今年の「10.8」は、皮肉にも戦後の日本のノーベル賞受賞者では最高の物理学賞三人と化学賞一人の計四人もの受賞者のニュースでテレビ、新聞などの報道はにぎやかであり、34年前の歴史的出来事などは全く回想もされず、スポーツの世界、プロ野球での阪神、巨人の同率首位決戦と世界同時株安の経済、金融の大問題が報じられている。

 どうも私の頭の中では、この「10.8」のメモリアルは、いまだに1967年と1974年の出来事の矛盾が引っかかっていて、その後の日本の総理大臣として、福田康夫氏の前にプッツンと辞任した安倍普三氏も、岸元首相の孫であったので、血の繋がりが今にも及んでいて、10.8は忘れることが出来ないでいる。

 ついでに「ノーベル賞」の受賞決定時期が毎年、この日前後でもあるので、うれしいニュースとして伝わる「日本人受賞者」が佐藤元首相の様な悪例を除いて、今後も続くことは願っている。

 ところで、2008年セリーグペナントレースの最後の首位攻防直接対決の軍配は、読売巨人軍の勝利に終わってしまった。残念。あと三試合の結果や如何に。
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緒方拳の死。

2008年10月07日 | テレビマスコミ
 アメリカの俳優、ポール・ニューマンが亡くなったと思ったら、今朝は日本の名優、緒方拳さんが二日前の10月5日に亡くなっていたことが報じられた。

 まだ七十一歳である。確かにテレビを通じてお顔を拝見する機会が何度が最近もあったが、少し痩せてやつれた感じを感じてはいたが、まさかの急逝だった。

 私が緒方拳さんを見たのは、大阪でまだ新国劇におられた時の舞台で、島田正吾さん、辰巳柳太郎さんらと出演されていた頃で、若手の元気な舞台俳優さんだと印象に残っていた。

 何かの縁で、母がいただいた舞台観賞の機会に、私も連れて行ってもらった時に偶然見たのが「緒方拳」なる俳優さんの最初だったのである。

 それから数年後、NHKの大河ドラマ「太閤記」で、まだ若い緒方拳が豊臣秀吉、サルを演じて好評になり、一躍有名な俳優の仲間入りをされたわけだが、このキャスティングを考え、演出された「吉田直哉」さんも、つい先日亡くなられたばかりだったので、なんとも吉田さんが緒方さんをあの世から呼ばれた感じの急逝となった。

 映画では「楢山節考」の出演が印象深いのだが、この時も坂本スミ子さんが演ずる母を背負って「姨捨山」に登る息子の役を好演されて、映画俳優としての地位を不動のものとされた様である。

 しかし、私自身は緒方拳さんの映画はあまり観ていなくて、最近出演されたという「ゲゲゲの鬼太郎」なども観ていないのだが、木村拓也主演の「武士の一分」の剣の達人として木村拓也扮する盲目の武士に剣を教える緒方拳は印象的であった。

 私自身は、テレビに出演されている緒方拳さんの印象がもっとも強く、特に今となっては晩年と言わざるを得なくなった「自然紀行的な番組」にレポーターと言うべき出演をされていた彼の語り口調とやさしい笑顔、眼差しが大好きであった。

 長男、次男とも俳優となられていて、特に次男の緒方直人さんの演技もテレビ、映画で何度も見て大好きな二世俳優のひとりであった。

 今瞼に思い浮かべる緒方拳さんは、なぜか私の強い記憶の中では、元アントニオ猪木の奥さんでもあった倍賞美津子さんとの夫婦役が浮かぶのだが、映画のタイトルは忘れてしまったが、なんとも絶妙な夫婦としての好演ぶりが深く印象的であったので覚えているし、また再度その映画を見直してみたいと思っている。

 最後まで、ご自分のご病気については他言せず、テレビドラマの制作発表にも元気な姿を見せられた後、入院し手術後の急変で、この世を去られてしまったが、友人でもあった津川雅彦氏との病床での最後の会話が、直ったら白焼きの鰻でも食べに行こうだったらしい。

 肝臓がんの影響で急逝された緒方拳さんの最後は、とっても穏やかな死への旅立ちだつたらしく、津川雅彦氏も自分もああいう死に方ができればとブログに記しておられた。

 緒方拳さんのご冥福を心からお祈りしたい。
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プロ野球の秋。

2008年10月06日 | プロスポーツ
 我が愛する日本のプロ野球も、長いペナントレースの最終章にさしかかっていて、パリーグはすでにクライマックスシリーズ進出チームが、西武ライオンズ、オリックスバッファローズ、日本ハムファイターズが一位、二位、三位と決まり、あとは五位、六位を争う楽天イーグルスと勇退する王貞治監督率いるソフトバンクホークスの残り二試合を残すのみである。

 一方のセリーグは、なんと我が愛する阪神タイガースのぶっちぎりのセリーグ制覇が夏前には予想されていたのに、北京オリンピックを境に、新井の疲労骨折リタイアを機にタイガースが低迷し、俄然読売ジャイアンツがホームランバッターの重量打線でなんと14連勝という奇跡的なおいあげで、後各4ゲームを残す現在、全く同率の81勝56敗3分で並ぶというデッドヒートの終盤戦となった。

 セリーグ制覇は全く、阪神か巨人かわからない状況になっていて、10月8日に東京ドームでの天王山首位決戦となる模様である。

 いずれにせよ、パリーグの覇者は西武ライオンズで決まったのだが、これからクライマックスシリーズという、日本シリーズへの進出チームを決める短期決戦が始まり、レギュラーシーズン首位の西武には一勝のアドバンテージが与えられるものの、二位オリックス、さらに三位の日ハムにも、日本シリーズにパ代表として出場するチャンスがまだあるわけである。

 セリーグも然りで、昨年からパリーグを倣って、後半戦での観客動員数の減少をなるべく少なくしたいとの願いから、確かに今シーズンも三位争いを広島と中日が繰り広げて盛り上がり、特に51年間の広島市民球場が最後の年ということもあって、赤ヘルファンが盛り上がっていたようであった。

 しかしである。首位を目指すチームが六割前後の勝率で所謂「貯金」と言われる勝ち数と負け数の差が25前後あるのに、三位に滑り込んだとはいえ、勝率五割ちょっとでも、運よくクライマックスシリーズに勝ったら、日ハムも中日にも日本一を争う「日本シリーズ」に出場する権利が与えられるという、各リーグ制覇すなわち優勝チームのファンや選手たちには、納得のいかない「プロ野球の秋」となる可能性があるのである。

 プロ野球の興行面での収入、すなわち商売としての儲けが主で、ファンや選手の「勝ちに拘った」レギュラーシーズンの一年間が、なんと三試合、五試合の勝敗で無駄になるという屈辱を味わうことになる公算もあるのである。

 「プロ野球」が興行としての見世物であることは承知してはいるが、アメリカのメジャーリーグの様な多数球団のマッチレースで、最後のワールドシリーズへの出場をかけて争う、東、中、西地区優勝チームとワイルドカード(各地区の二位チームの内、一番勝率の高いチーム)を加えたトーナメント的地区シリーズとリーグ優勝決定シリーズを戦ってのワールドシリーズへの出場を決める制度とは全く異なるルールで、日本のプロ野球の秋は盛り下がることもあるのである。

 メジャーリーグを真似た様で、全く面白くない興行収入だけを当て込んだ、クライマックスシリーズは、やめてもらいたいものである。
 
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自暴自棄な犯行。

2008年10月05日 | とんでもない!
 連日報道されている大阪なんばの個室ビデオ店での「放火殺人事件」だが、なんとも言いようのない現代社会の無責任性と自暴自棄な男の「やっちゃった殺人」と言った感じの続報が伝わるにつれて、ほんと情けないとでもいうべきか、現代社会の空ろな陰湿性感じずにはおれない。

 大阪池田小学校での小学児童の大量殺人事件で逮捕されて「早く死刑にしてほしい」と懇願したという犯人像と、私にはたぶって見えるほど、今回の犯人の姿や責任感のなさ、自分勝手な生き方に、他人を道連れにしてしまう性を同じように見たのである。

 この世に姓を受けて、誰しもがもがき苦しんだり、しんどかったりしたことの一度や二度はあるかもしれない。

 しかし、池田小事件の宅間某にしても、今回の犯人の姿にしても、なんとも言いようのない無責任な「自暴自棄」な顔相とふてぶてしい限りの表情が印象的である。

 つまり、彼らにとっての「この世」は、たぶん「社会が悪い」と嘯く対象でしかなくなっていて、自分自身の生に対する感謝や尊さなどは全く考えられない状況にまで陥ってしまっていたのであろう。

 今回の事件の容疑者の人生では、普通のサラリーマンとしての幸せ?な家庭生活もかつてあったらしいのだが、何かの歯車がかみ合わなくなって、離婚し、ギャンブルにのめりこんで、借金生活に転落し、多重債務から自己破産、戸籍売買に身を委ねてまで、借金のかたに自らをさらけ出した挙句に、生活保護という税金での最低生活を選択していたのである。

 昨今の「生活保護」の受給者の中には、こうした自らの選択でギャンブルや借金に陥った上で、自己破産や家庭崩壊を経験して、働く意欲もなくして「生活保護」生活に委ねるケースが急増しているという。

 地方自治体も、政府も現代社会の中の経済的難民の救出のためには「生活保護」という制度は持続しなければならないが、働けるのに働かず、病気や家庭環境、事業の失敗による困窮生活を余儀なくされた人たちだけでなく、こうした「怠惰な生活保護受給者」も急増しているのである。

 経済的な困窮に至るまでの過程を振り返って見れば分かるのだが、自らの努力や忍耐がなく、仕事や人間関係の難しさなども乗り越える努力もせず、回りの人間や社会が悪い、政治のせいだと責任転嫁としか思えない様な対応振りで日々を過ごして、自らが信頼も失い「自暴自棄け」になってしまうケースが大半なのだろう。

 私たちの住む一見、平穏無事な生活空間の中でも、家や定住先を失ったホームレスやフリーターが増加していて、経済的な破綻だけでなく、人間関係を保つことのできない「引き篭もり」や「孤独な人生」を歩んでいる人たちが増加しているのである。

 人は家族だけでなく、親族、多くの友人、知人たちに支えられて「自分の人生」を恙無く送れるわけなので、他人との関わりを無くしていくと、自暴自棄に陥る「さびしい生き様」になってしまうことが必至であるのだ。
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