ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

楽観か悲観か。

2008年10月28日 | 世界の問題
 昨今の世界的金融危機と言われる状況下で、テレビ、新聞報道を中心に、大変な世界同時株安と円高が伝えられていて、日本経済もとんでもない不況と雇用不安、
企業倒産が予測される事態になっているといえよう。

 政府、麻生首相、自民党は、解散・総選挙をしている場合ではないとの見解から、政局よりも政策を優先すると言った言葉を連発して、衆議院解散、総選挙は来年年明け以降に連れ込む公算が高くなったという。

 確かに東証株価平均が26年ぶりに7000円台を割り込むなど、世界同時株安の中でも日本の株価の暴落は何と30%以上というひどい下落率となっているし、円高もつい先日まで1ドル120円前後で推移していたのに、急落して一時90円台までに高騰している。

 しかし私自身は、なんとものんきなのかも知れないが、ほとんど関係ないとの思いで、日々の暮らしを楽しく質素に送っているので、いわゆる「楽観的な性格」だと見られがちである。

 今朝の毎日新聞のい一面「余禄」欄によると、コップに水が半分入っているのわ見て、「まだ半分ある」というのはオプチミスト(楽観主義者)で、「半分しかない」と思うのはペシミスト(悲観主義者)だという書き出しで、世界の著名人の言葉を紹介している。

 でも人間とは、そう簡単に楽観主義者や悲観主義者と二分できるものではないと私は思っている。

 私自身も、いつも「大丈夫や」と言う癖というか、物事を表面的には楽観的に捉えて考えるようにしているので、他人からも「楽観的な人」として見られがちなのだが、その直後にとっても落ち込んだり、悲観的にしか考えない自分に気づくこともあるものである。

 あのアルベルト・シュバイツァー博士が語ったとされている、「楽観主義者は、青信号しか見えない。悲観主義者は、赤信号しか見えない。そして真の賢者とは、色盲である」という言葉を思い出した。

 テレビ報道などでは、一般投資家と称する人のインタビューが放映されていて、「このままだと日本はどうなるのか大変不安だ」との言葉が紹介されていたりするのだが、そういった意図で編集された映像ばかり見ていると国民すべてが不安を抱いていると錯覚すらしてしまうほどであるる。

 しかし、どっこい多くの人は、株価の下落や円高などと関わりもなく、日々黙々と家族と自分の暮らしに一生懸命に生きているわけで、確かに雇用不安や物価高、保険、年金、医療などの将来的不安は隠しえないが、今回の世界的金融危機に由来したものではないのである。

 再びシュバイツァーの言葉。

 未来を見る目を失い、現実を作る術を忘れた、そんな人間の行き着く先は、自然の破壊である。

 人間への信頼は、私の希望を支える。

 力ある者は、決して騒がないものだ。力ある者ほど、無言のまま働きかける。

 真の道徳は、言葉の終わった処から始まる。

 
コメント (1)
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