ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

『就活』『婚活』なんて。。。

2009年06月30日 | 日本の課題
 就活、婚活という言葉が、いまや普通に使われる時代となったというべきか、私たちの世代的には、まったくこんな言葉はなかった、いや殆ど使う必要もなかった。

 昨今は、大学生活の半分近くは、学問や研究のための時間ではなくて、「就職活動」、すなわち大学卒後の仕事に就くための活動に費やしているといっても過言ではないだろう。

 高校を卒業するまでは、ともかく「大学入試」のための勉強や受験体制で一生懸命、青春を突っ走って、めでたく入学した大学では、もっぱら勉学に勤しむというよりも、前半の二年間は遊びほうけて、後半の二年かはリクルートスーツに身を包んでの「就職活動」、つまり「就活」に明け暮れているらしい。

 私自身の大学時代は、ちょうど70年安保といわれた政治的活動の時代でもあったので、入学後すぐに京都市内の学生デモに借り出され、気づいた頃には学生寮に入寮し、大学の授業はほとんどピケや学園闘争らしきもので無くなっていたために、バイトと議論に明け暮れていたといった感じだった。

 だから、大学四年生になっても「就職活動」なんぞは全く関心もなく、大学紛争と言われた渦中に翻弄されつつ、父の死がきっかけで大学をフェードアウトして、いつのまにやら社会人といった感じで仕事についていた。

 その「仕事」との出会いも、友人、知人の紹介がきっかけで、バイトの延長の感じで二つ、三つの事業所の仕事を手伝ったあと、音楽関係の小さな事務所に誘われて入ったのが、人生の地に着いた「仕事の始まり」であった。

 それ以来、70年代を「音楽事務所」に関連した仕事で大阪、東京で暮らし、80年代は京都に帰って「子どもと遊ぶ活動」を仕事とし、90年代に入って「地方議員」となって、90年代半ばから有機農産物と無添加食品の「八百屋」を生業とするようになっていた。

 全てが、ある意味では「縁」であり、「偶然」でもあった。

 一方の「婚活」についても、「結婚活動」という意識の期間は全くなく、20代前半の出会いがきっかけとなって、25歳で「結婚」し、一女、一男の「父親」となって、いつのまにか「結婚生活37年」が経っていた。

 つまり、私自身には、「就活」も、「婚活」もないままに、いつの間にやら、今までの人生を歩んできたのであるが、決して「順風漫歩」とは言いがたい「波乱万丈」の人生を歩んでいるみたいなのだが、その時折々に、出会いと支援があって、健康に小さな幸せを感じつつ、生きてこれたのである。

 「人生設計」などと、大袈裟に言う人もいるが、「人生」を「設計」どおりに歩むことが出来る人たちもいるのだろうが、私には「人生設計」なんぞ出来ないので、自然体で出会いときっかけでの決断だけで、今に至る「楽しくもドラマチック」な「人生」を歩ませていただいている。

 「就活」や「婚活」を意識している諸君たち。

 まじめに楽しく自分らしく一生懸命に生きていれば、きっと「出会い」や「きっかけ」は訪れると思うし、友人、知人たちが声をかけてくれるはずである。

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