一審では無罪となった殺人事件の被告が、最終的には有罪とされた。この判決は数々の議論を呼ぶと同時に、今後の司法制度のあり方にも疑問を投げかけることになりそうだ。
平成14年、愛知県豊川市で村瀬翔ちゃん(当時1歳10カ月)を車から連れ去り殺害したとして、殺人と未成年者略取の罪に問われた元運転手、田辺(旧姓・河瀬)雅樹被告(41)の上告審が2日行われ、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は被告の上告を棄却する決定を下した。この結果、二審判決である懲役17年の逆転有罪が確定することになる。
・逆転有罪の懲役17年確定へ 愛知・1歳男児殺害 20/10/02 11:56更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/183535/
この事件については、被告の自白のみが証拠とされ、自白の信用性や自白の強要はなかったかなどが焦点だった。以下の個人ブログではこの事件の詳細が記されているので参照されたい。
・愛知・1歳男児殺害事件録
http://oniwaban.seesaa.net/article/107476427.html
(ブログ、落花狼藉【らっかろうぜき:物が散乱し入り乱れた様子】より)
被告の車からは被害者の指紋や衣服の繊維片などの物的証拠は一切見つかっておらず、証拠としては不充分と言えるだろう。また被告も上記ブログによれば、かつて子供に算数を教えるように妻に言われて教えていたが、教え方が悪いと妻に罵られたなど、気弱な一面も感じられる。そして最近では家の中に入れてもらえず車中泊も多かったらしい。また一審で無罪判決を受けた時のインタビューを見ても、力強い男とは程遠い印象だった。
こうした気弱な男性が、警察の取調室で何人もの捜査員に囲まれて質問攻めや恫喝などされたらどうなるだろう。後先考えずにとにかく今の苦しい状況から脱したいとばかりに嘘の自白でもしてしまう可能性も充分あり得るのではないだろうか。
また、フェミニズムの関与により、痴漢捜査などに代表されるような、男の容疑者に限り疑わしいだけでも罰してしまえ、という風潮が司法界に蔓延していると感じるのは私だけだろうか。逆に、女の被告は丁寧に扱い、判決も軽くするといった待遇格差も当然あるだろう。この事件も被告が女だったら、こんな判決は出ない可能性が高いし、また犯人そのものが逮捕されず迷宮入りにしてしまうかも知れない。
このように、フェミニズムのようなエゴだけを強制する権力が公的機関に入り込むと、何もかもが信用出来なくなってしまうのだ。
更に、懲役17年という刑期も中途半端な気がする。被害者側からも更なる厳罰を求める話も聞かれないし、その点も腑に落ちない。犯罪サイトで知り合った男3人組による女性殺害事件ではマスコミも加勢して3人全員に死刑を求める署名活動が行われたくらいなのに、それと比べるといかにも格差を感じてしまう。男3人組による女性殺害では被告も罪を認めているのに対し、本件の場合は冤罪の可能性もあるから軽めの刑にして決着させてしまおうということなのだろうか。だとしたら益々司法の信頼性は薄らいでしまう。
ところで、この判決を受けてネット上では、「疑わしきは被告人の利益に」の原則はどうなったのかという判決内容を糾弾する意見がある一方で、「深夜に車中に放置する父親も悪い」という意見も多い。これも男性敵視のフェミニズムの影響なのだろうか、母親への批判は少ない。だが実は事件当時母親は別の友人達と遊びに行っていたらしく、夫婦それぞれが別行動を取っていた。恐らく普段から子供の面倒を押し付け合っていたのではないかという推測も浮かび上がる。どうやら被害者の家庭事情も決して健全とは言えない部分が見えてくる。何れにせよ、父親のみを責めるのは見当違いということになるだろう。
それに、子供というのは大人よりも睡眠時間が長く、早い時刻に就寝させなければならない。深夜に外へ連れ出すのがそもそもの誤りだ。事件が起きてしまったことは痛ましいことであるが、未然の防止策は出来たはずだ。
真実は神のみぞ知る、従って田辺被告が白か黒かはわからない。だがこの事件の背景には、子育ての粗雑化はじめ様々な社会の歪みが重なって引き起こされたものと言えるのではないだろうか。被害者家族の生活形態や被告の境遇が、荒廃した現代社会の縮図のように思えてならない。
通常の国では一審無罪は無罪の確定と一緒ですが我が国の似非司法は三審制の悪用が当局側で頻繁に行われ一審無罪は表面上法治国家を演出し、二審三審で逆転有罪となる出来レースが今も昔も当然のように行われております。
これが被告側のケースですと上告破棄や控訴棄却は日常茶判事で原告側なら何故か通ると言う実に当局側に有利に出来ております。
日本の裁判の多くは自白の信憑性が常日頃争点になりますが、そもそも法律には「何人も証拠なく逮捕・起訴されない」と書かれている。
自白の信憑性など証拠がなくては立証不可能であるのは世界の司法の常識であるが我が国の出鱈目司法にはそれは通用しない。
確実に黒と言える案件しか有罪に出来ないと法律に書いてあるではないかっ!?
何故こうまで日本の公務員はいい加減なのかっ!?
そこで思い出して欲しい。
過去日本の公務員が犯した犯罪やミスに対しては司法のメスが入らないと言う事態が長年続いている。
例を上げれば薬害エイズからB型?C型だったけかな?肝炎の時もそうで公務員の業務怠慢と事態を知りつつ放置し、都道府県庁や国の機関の裏金(正確には横領)に関しても一切法のメスは入らない。
ペナルティーが全くないのであるっ!!!!!
そして他国にはない入社(入省・庁)以来ずっと公務員しか居ない全く人事交流のない閉鎖的な組織でありながら終身雇用制と異常に優遇された待遇等など結果が伴わなくても問題のない天国であるから故、警察であるなら捜査が面倒臭いから「こいつを無理矢理逮捕して罪を押し着せようぜ」みたいな非人道的な行為が良心の呵責なしで出来てしまう人材が出来上がるシステムなのである。
類例をあげれば更に多くの公務員体質が証明出来、旧厚生省が厚生年金を天下り組織の為に使い全国に建設した保養施設も経営に行き詰って民間に二束三文の値段で売り渡されたり買い手のつかない幽霊屋敷も多数ある。
この責任を取った政治家・議員・官僚・公務員に外郭団体職員は誰一人として居ないっ!!
だから表面上の検挙率を上げるには冤罪だろうが何だろうが公務員にとってはどうても良いのである。
警察がいい加減でもその上の検察が役目を果たしているなら問題はないがそれも警察同様いい加減だし、最後の砦の裁判所ですら上記同様であるのだから一度被告席に立った人間は法律に従って裁かれるのではなく公務員と言う人間のサジ加減で裁かれるのである。
今の日本の司法は江戸時代同様の旧態依然のまま何ら変わりはないのである。
そして富山の強姦冤罪事件が示す通り日本の警察や検察・裁判所は取りあえず犯人として逮捕すれば当人が全く身に覚えすらない案件まで抱き合わせて起訴し有罪にしてしまう芸当も昔からやってのける!!
富山の男性は無実でありながら二件の強姦の罪で起訴され有罪となった。
お分かりでしょうが証拠のでっち上げや証拠と自白の整合性など日本の公務員にかかればどうでも良い話しなのです。
一度逮捕した以上真犯人でなくても面子を保つ為には無理矢理起訴し有罪に強引に持ち込む。
もう笑うしかありません^0^
来年始まる裁判員制度は更に公務員の確信犯的冤罪を助長するでしょう。
何故なら責任の所在が司法から裁判員に転化出来るからです。
それと日本のマスコミの司法べったりの報道も冤罪の助長に一役も二役も買ってます。
日本と言う国はもう一度焦土と化して一からやり直さなければどうにもならない所まで既に来ていると思います。
ご指摘のような我が国の実態を見る度に、怒りを通り越して呆れ返るほどの焦燥感に襲われます。
日本はまさに手遅れの末期癌患者と同じだと思います。これを大手術して、全身に転移した癌細胞を切除し、ほとんどの臓器を移植して患者を回復させなければならない状況を想像します。
それこそ、一思いに焦土と化してやり直した方が手っ取り早いのかと思ってしまいます。
本日二件の死刑執行がなされた。
その内の1件は冤罪の可能性と抱き合わせの可能性がある。
下記のHPを閲覧すると疑わしい鑑定結果と証拠の捏造が濃厚だと思われる。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage448.htm
通常の国なら逮捕にすら値せず、起訴など絶対に有り得ないであろう。
日本の公務員は人の命すら何とも思わないほど組織防衛と自己保身に走る。
人間の屑だらけだと断言しても良い程である。
昨年の富山強姦冤罪事件は昨今の警察のやり方を見ていると何ら教訓にもなっていないようである。
そして裁判官も同様有罪判決を出すだけの存在である。
この国は一度焦土となり振り出しに戻すしかないと心底思ってしまいます。
そうなると、冤罪の可能性がある死刑囚こそ、再審請求など弁護側がやってこないようにわざと早く執行してしまうということも考えられるわけですか。
これでは日本は北朝鮮などの政治体質を批判する資格はないですね。大差ないです。