フェミ男性は、フェミ女性のおだて方が非常に上手い。そもそもフェミ女性というのは男性全体に対して偏見を持っているのだから、一般の非フェミ男性からは我侭で生意気な女という印象にしか映らない。だから男性から優しくされる経験も少ない。そんな状況の中、自分に好意的に接してくれるフェミ男性には簡単に乗せられてしまう。
それだけではない。非フェミ男性の中でも特にフェミニズムに対して正面から批判している反フェミ男性の多くは真面目で、女性にはもてなくても男性の友人はいることが多いのに対し、フェミ女性は大抵同性からも嫌われて友人も少ない。つまり孤独な女性が多い。だから孤独の寂しさを紛らすために自分は自立しているなどと自己の現状を正当化しようとする。しかし本音では寂しさを感じている。だからフェミ男性の言葉を聞くとフェミ女性は舞い上がり、フェミ男性の虜になってしまうのだ。そして更に自分の現状に自信を持つようになってしまう。
つまり、フェミ女性はフェミ男性の存在によって益々増長してしまうのだ。
ところが、こうした悪循環が社会にもたらす悪影響というのは計り知れないほど深刻である。性の自己決定権などフェミニズムというのは全てにおいて女性に権限があるという考えを根幹としている。相手を思いやる、男性を思いやるなとどいう考え方は全くない。結婚するのも離婚するのも女性の自由、婚期を選ぶのも独身を通すのも女性の自由、仕事を始めるのも辞めるのも女性の自由などといった状況では、男性が自ずと従属的な立場を強いられることになってしまう。
このような息苦しさに男性がいつまでも耐えられるわけがない。耐えられなくなった者が爆発して様々な犯罪を犯すようになる。その多くは痴漢、強姦、幼女連れ去りなど、主として女性が被害者となる犯罪となってはね返されることになる。スウェーデンなどのフェミニズム社会病理が蔓延してしまっている北欧の国々では、日本よりも性犯罪の発生率が異常に高いという。これはフェミニズムがいかに男性の性欲を含めた文化的生活に対して悪影響を及ぼしているかの何よりの証ではないだろうか。
また、これら欧米の国々では、日本よりも犯罪の罰則が重い。にもかかわらず犯罪発生率が高いということは、厳罰化が犯罪抑止には何の役にも立たないということを同時に示していることにもなる。
(続く)
*** 連休中の掲載について ***
4/28から5/6まで黄金週間の連休に入ります。
連休中は、投稿が不定期になりますのでご了承下さい。
その先頭に立とうとしています男の名は・・・
こ・ば・や・し よ・し・の・り
そう!”小林よしのり”です!!
ついこの間発売された、彼の言論誌「わしズム」でその狼煙は、あげられました。
最新号の「わしズム」は、”結婚”がテーマでした。
そこに、掲載されています「ゴーマニズム宣言エクストラ」を、要約します。
要約:
「わしは、徹底的に、女に奉仕を求める、自己中心的な男性である!
日本の少子化の原因を”女性の社会進出”と見る
者達は、時代遅れである。
そもそも、わしは、日本の結婚制度について疑問を持っている。
わしは、結婚を、”制度的結婚”と”事実的結婚”に分けている。
日本の結婚制度は、”戸籍”に支えられているが、
これが、女性に対して出産の圧力を掛けていて、少子化につながっている。
少子化の原因は、経済力の無さにあるのは明らかである。
経済力があれば女性は子どもを2~3人欲しいと思っているし、結婚していない女性でも、子どもを生みたいと思っている。
政府は、”少子化対策”と言っておきながら、”小泉改革”をしているあたりは、それに逆行しているではないか。
いやおう泣く女性の社会進出は、避けられない!
少子化対策をするためには、日本もフランスのように、”シングルマザーでも育てられるような育児支援”をすべきである!」
評論:
”女に奉仕を求める自己中心的な男”と言っておきながら、上坂冬子氏や桜井よし子氏に憧憬を抱くのは、いかがなものでしょうか?
それに、少子化の原因を、”女性の社会進出”と見ることは、別に、”時代遅れ”とは、限りません。”じじい”に憧れる”血管だけ年齢16歳”の人間にとやかく言われたくありません!
シングルマザーでも差別無く育てられる育児支援を言いますなら、レイプで女を妊娠させた男達、児童虐待をした夫達、離婚した夫達の罪、DVをした夫達も問うべきではないですし、差別もしてはだめですよね!
”彼ら”も少子化対策の”功労者”なんですから!
それに、結婚、出産に”圧力”を感じる女狐達に、”育児支援制度”なんて施したら、”マシンガン”でも、撃ちまくられそうで怖いと思うんですけどぉっ(オネエ言葉で笑っ)!!
↓
>~離婚した夫達、DVをした夫達の罪も問うべき~
苦言ですが、比較対象が正確ではありません。
フェミ女性に対する同性の友人数を比較するなら、同じくフェミ男性の同性友人数を比較されるべきです。
比較対象の条件が同じでないと、説得力を持った答えが出ません。
ただ、仰りたい事は非常に理解できます。
不躾なコメントですが、何卒ご容赦下さい。
↓
フェミ女性に対する同性の友人数を比較するなら、同じくフェミ男性の同性友人数、もしくは非フェミ女性の同性友人数を比較されるべきです。
左巻きさんご指摘のフェミ女性の友人の件ですが、
比較の仕方は色々あると思っております。
従って、ご指摘のような比較の仕方もあろうかと思います。
私がこの論考で指摘したかったのは、
フェミニストの人間関係力です。
フェミニストは人間関係がうまく築けない、
よって友人も少なくなる。
だから個人主義と権力主義に走り、他者支配を狙う、
そういう図式ではないかと思います。
蜻蛉さんが仰りたい事(結論)は重々理解しています。
また比較する事柄は色々あっても良いという事も判ります。
ただ私が言いたかったのは、比較対象の条件を同じにしなければ、正しい答えが出ないと言うことです。
例えばエンジンですが、比較する事柄をエンジン出力とするならば、50CCのエンジンと2000CCのエンジンは単純に比較できるでしょうか?恐らく50CCのエンジン出力を元に、約20倍にして2000CCとして換算しなければ比較できません。
しかしこれも正確な比較とはなりません。(恐らく近似値は出るものとは思われます)
またあるBlogにおいて論争されていた事ですが、所謂従軍慰安婦と北朝鮮に拉致された方とを比較していました。
60年以上も前の事柄と現在進行形の事柄を、現在の価値観のみで比較する事は、果たして正しい比較の仕方なのでしょうか?(尤も、よしんば強制性があったとしても、比較設定自体に誤りがあると私は思っています)
つまり、フェミ女性の同性友人数の比較対象を非フェミ男性の同性友人数に設定してしまっては、「非フェミ女性の同性友人も少ない」や「フェミ男性の同性友人は多い」と言う批判に対しての説得力が出ないという事です。
何か噛み付くような事になってしまって、申し訳ありません。
但し、今回の事例はある程度の感覚論も含まれていて、実測データもありませんから、読み手がどの程度信用するかしないかということになると思っております。
今後の投稿に役立てたいと思います。