天才バカボンなどの著作で知られる漫画家赤塚不二夫さんが今月2日に肺炎で亡くなった。7日に行われた葬儀では、「肉親以上の存在」と慕うタモリさんが弔辞を読み上げた。しかしその紙は白紙で、弔辞もタモリさんのアドリブではなかったかと話題になっている。
弔辞がアドリブかどうかはこの際大したことではないし、たとえそうだとしてもどんなことを話すかある程度は考えて弔事に臨んだはずだ。それに原稿に頼らず話の出来るタモリさんの才能と考えればいいだろう。
・タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080808-00000046-spn-ent
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/08/08/02.html
ところで、弔辞の内容から推測出来る赤塚さんの温かい人柄に、この人の偉大さを改めて感じるのは私だけだろうか。特に、麻雀の時に相手の振り込みで上がる相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がらなかったというのはまさにギャグを自らの行動で示しているかのようだ。確かにそれでは勝てるわけがない。だがそこに勝ち負けよりも仲間の絆を大切にしたいという赤塚さんの思いが込められていたのだろう。勿論、それは時として弊害となることもあり、騙されたこともあった。しかしそれを相手への恨みや自己の後悔にすることなく全てを受け入れたこと、それが「これでいいのだ」の一言に集約されているのではないだろうか。
(引用開始)
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
(中略)
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
(引用終了)
もっとも、弔辞の場では本人の良い部分しか出てこないだろう。しかし、その分を差し引いたとしても、赤塚さんの持つ真心がもたらした生き様はフェミニズムなどに代表される現代の利己主義社会を見事に風刺していると言えるだろう。つまり、「これでいいのだ」は赤塚さんだからこそ言えることであって、決して自己の権利主張をごり押しして、相手を悪者扱いすることにより優位に立とうとしている連中が「これでいいのだ」などと言える道理はない。
赤塚さんのような寛大な人間が社会を支えていたはずだ。しかしその寛大さに付け込み悪巧みをするフェミニズムのような権利主義連中が台頭してきたために、社会全体が自己保身の社会になってしまった。そこには冷淡で血の通わない、人間味のない連中がただ集まっているだけというのが現状だ。
これでいいのか?