まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

荻窪酔譚 その四

2008-03-21 10:41:45 | Weblog


竹内旅順民政長官と夫人(佐藤氏の姉)




T : 朝陽小学校(青森)の時は未だ結婚されてはいませんね。

S : 小学校の先生を一年で二回クビに為った (笑)。 其れで二十六才の時満州へ。 満州で女性間違いをして自殺を図ったが (苦笑)、姉の夫が旅順長官で偉い奴でね。 新聞に載るのが判っていたから、お詫びに行ったら
「其ンな事何でも無いよ、北京に留学して勉強しなさい」
と謂われガクッと来たのだ。 友達と酒を飲んでから死ぬ積りだった。

M : 何したの (笑)?

S : 女と間違ったの (苦笑) !

M : 誰、其れ (笑)?

S : 竹内の義兄さん、旅順の民政庁長官。

T : 今度、大連へ旅行するのです。 僕は観光地には行か無いで、小学校・食堂・飲み屋等一般人の行く処を観て廻ります。

M : 田舎の先生て、何か変よね (笑)?

S : 校長の奥さんがコレを嫌った。

M : 女性の先生は校長の奥さん (と私) だけだったのよ。

T : 焼き餅焼きなのですよ (笑)。

M : 変な事した事は無いわよ、手すらも握った事無いものね (笑)。

T : 肩、組んだのでは無いの (笑) ?

M : 咄しは能くしたわ (大笑)。

S : (話しが変わって) 中学校を出た其の日 (三月二十日頃)、弘前から其の侭家出した。 一銭の金も無し、塵紙も無し、オーバーも着無いで、途中知ら無い家で飯を貰ったりして80キロメートル離れた優しい叔母 (伯母?) の家へ行った。

T : 先生の若い頃は純三郎さんに似ている。 所謂、身体は弱いし勉強はし無いし (笑)。処が其う謂う人が良政先生の遺を継ぐとは、世の中解ら無いものです。 矢っ張り学問ですとか教育ですとか、環境のお蔭ですね。

S : 事情を知ら無いで新しく嫁いだ叔母さんの家に行ってしまい 「泊めて下さい」、と。 良い蒲団に寝かせてくれて、其の日いきなり寝小便をしてしまった。

―――〈一同大笑〉―――



第一宵 四坐 其二刻


T : 自分が影響を受けたお話しの中で、お父さんが出て来ませんね。 烏帽子親子と云って寝食を伴にして在るから、自分が悩んでも親には云い辛い。
女性の事で当か親には相談出来無いし。 影響を受けるのは他人や祖父など。 安岡 正明先生から謂われたけれども 〝父から教わった事は無い〟 と。

S : 親父の顔を見たら畏くて駄目だった。 兎に角も僕の人生、訳が判ら無いよ。 若くして志を立てて満州へ行った事に為っているのだが。

T : 矢っ張り伯父さんですか?

S : 嗚呼、菊池 九郎の事ね。 不言の教えを矢っ張り享けているのだね。 毎晩小便を垂れても一度も叱った事は無い。
勉強が嫌いで身体が弱いから 「牧場で働け、身体が強く為るから」、と其れだけ覚えている。
優しい叔母さんの家へ行ってから牧 場で働いた。 二時間位で目眩してフラフラ。 其れが一日一杯働ける様に為って、小便も治った (笑)。

そして一年で小学校の先生に成れる師範学校の二部に入り、三人で下宿した。
其の家では村上と女の事で競争して、其の翌日に女の子にキスをしたのだ。
「ザマぁ見ろ」
と威張っていたところ、夜 (下宿先の) お母さんが来たから為替でも届いたのかと思って会ったら叱られて、下宿を出て去ってしまっ た (笑)。

 そして呉服屋でバイトを執り、毎晩呑みに行くのだけれども、キリスト教の影響で僕だけ呑ま無いで、帰りにラムネを一本飲まされた。 酔っ払って在無いから、何時も僕だけ叱られる。

親父は県会議員で偉いのだから。 其れで弘前へ行けると思ったら、八戸の山奥に遷られた。 赴任して校長から
「押う、当到来ましたか (笑) !」、と謂われ吃驚仰天したよ。

T : 相当のワルでしたね (笑)。

S : 教頭の若林が
「校長の噺し、解ったのか?」
と訊くので、
「サッパリ解りません」、
と答えると、
「師範学校を卒たのが一人欲しかったのだが、〝佐藤 慎一郎だけは要らぬ〟、と校長は謂っていた」と説明してくれた。

僕は生徒が好きでね、遊んで ばかりいた。
校長に会いに行っても居無い、其れで職員室をブッ壊した (笑)。
其れから弘前へ栄転 (左遷?) に為って、九月に赴任したら、十二月に校長から 「君は、教師似合わ無いよ」、と謂われた (笑)。

其れで旅順の姉に手紙を出した。
姉の夫・竹内 徳亥は、旅順の民政庁長官だから頼んだ。 すると 「支那人の学校なら 臭くて汚くて誰も行か無いから、其処なら有る」、と返事が来たので僕は、水師営コウ学堂 (小学校) へ勤めたのです。
僕は五年生の算術が解らから無いから、生徒とは遊んでばかりいる (苦笑)。

T : 奥さんは何を教えていたのですか?

S : コレは八戸の高等女学校を卒ているから全教科教えるのだ。 代用教員で来た。 僕とコレに有らぬ噂が起って、二人共クビに為った。 生徒に大八車を牽いて来させて、其れに荷物を載せて、八戸の実家迄送って行ったのだ。

T : 要するに、今の週刊誌と同じで流言を起てられたのだ。

S : 僕は旅順で女性と間違ったお蔭で、コレと一緒に為れた。

T : 先生、〝役所に出て来無くて良い〟 と謂うのは?

S : 僕の様に中国語が出来る奴や中国人社会に浸った奴は少無かったから、何処の役所でも欲しい訳です。 だから役所から正式に 〝来てくれ〟 と謂われる迄は自由にして良いが、但し居場所だけは絡えてくれ、と。

T : すると植民地政策は暗中模索?

S : もう滅っ茶苦茶、訳が分からぬ (苦笑) ! 例えば裁判を執るでしょう、身代わりで裁判をしてそして死刑だ。 僕が調べて随分と救って上げた。

T : 矢っ張り日本人の感覚では理解出来無い。 中国人の感覚では有難迷惑、羅 ケンパクさんみたいだ。

S : 中国人は調査官の僕を危無いと観た。 大観園 (ハルピンの魔窟) のケースでも大蔵省の役人を連れて来てね。 日本人の役所は肩書きで調査が出来ると思い上がっている。 日本人の感覚、莫迦だよ。

T : 其の意味で 〝陋規〟 と 〝清規〟 が在りますね。 満州国政府は総て清規で行こうと謂う事で庶民が治まら無い。 役人が賄賂を摂れ無いから痩せてしまった。

S : 朝から晩迄 〝賄賂〟。 中国人は賄賂とは謂わず 〝人情を贈る〟 と謂う。

T : 台湾の大学の先生が 「是、日本から教わった清規。 此れを忘れてはいけない」、と生徒に教えているそうです。 今度此の人に会って来ようと思います。

S : (話しが変わって) 最近の日本の新聞は否だね。

T : 最近は台湾関係が気に為ってね、何か有ると全部新聞切り抜きをして在ます。

S : (更に話しが変わって) コレ (奥方) 疲れるとね、夜中にガス栓を抜いたりね。 今年に入って (もう) 四回。 僕はガスの止め方が分から無いから心配で…… (苦笑)。

T : でもコックは必ず閉めてお休みに為るのでしょう?

S : 僕は歩いて牛乳とパンを買いに行くのに五分懸かる。 其の間に栓を抜いてしまうの。

M : ガス (栓) 抜いたの? 私が?

S : おまえが (苦笑) !

T : 夜は止めないと駄目ですね、何かカバーをしましょうか?

M : では、私も弄ら無いことにしましょう。

T : (ガスの周りを観て) えぇと、大丈夫。 抜いても出無い。 危険防止装置が附いています。

S : 抜いても出無いのですか。 其れは有り難い、安心した安心した。


                      ● 第一宵 四坐/了 ●


第一宵 五坐 其一刻

S : 三 (参) と云うのは生命誕生のしるし。 男性は何歩威張っても子供を産め無い。 女性は何歩威張っても独りでは子供を創れ無い。 神様だけでも駄目、 三つ一緒で生命が誕生する。 中国の皇帝は 〝一皇后三婦人九嬪二十七世婦八十一御妻〟 を貰う。 総数で百二十一人 (そして総て、奇数であり参の剰除である)。

T : 〝世婦 (セイフ)〟 って、〝婦人 (夫人?)〟 の 〝フ〟 は?

M : 側妾を貰うの?

S : 三は生命の源。 亀の甲羅に焼け火箸を当てて八卦を判断する (亀甲占式)。 桃の 節句、〝桃〟 は厄除け、女性の陰部を顕わしている (印度仏教を起源とする考え方)。 老は背を曲げて杖を点いた格好。 〝ヒ〟 を省いて 〝子〟 が支えるのが、【孝】ですよ、と昨日も老人会で云った。

T : 〝天・地・人〟 の違いは無く、一貫すると?

S : 天地人を一貫して合わせると 〝王様〟 に為る。 畝々した流れに杯を浮かべ自分の前に来たら其の杯に詩を詠む、此れは三月三日に行われた (桃雛節祭としてでは無いが奈良・平安期にも旧暦の宮中行事として行われた/追儺の儀後の慶事として)。

T : 王 義之の《曲水の宴》! きざしの 〝兆〟 が木で 〝桃〟。

S : 三月三日、川に入って心体を洗って 〝禊〟 をするの。

T : 日本でも古来より俗に 〝桃色遊戯〟、好色に遣いますね。 (其うする事に拠って) 逃げ払われるものは?

S : 〝厄〟 が逃げ (去) るの。

T : 交合して三月三日に逃げる、いけ無いね (笑)。 知ら無いですよね、雛祭りの日 (桃の節句) に (本当は) 是う謂う意味が有るなんて。

S : 此う云う噺、爺ちゃん婆ちゃんは悦んで聴くの (笑)。


T : 我々だって悦んで聴きますよ (笑)。 此う云う説明が出来る様に為ったのは中国体験ですか? 庶民の学問と皇帝の学問て区別が無い訳ですよね。

S : 黒板が無いから、画いて持って行ったのです。

T : 今度此処の老人会で学んだら、うちの方の老人会で話そうかなぁ。

S : 僕は中国の事しか識ら無い。 日本の事は全然解らん。 「僕も皇帝に成りたかったなぁ、だけれども (今は) 独りの女房 (ですら) 持て余して在るよ」、と云うと笑われてねぇ (笑)。

T : うちにも皇后 (女帝?) が一人棲ます (笑)。 〝妾〟 と云う字は出て来ませんね。 是は飽くまでも正当な女性ですか?

S : 曾うです。 時代に拠って名称は異為るのだけれども必ず貰う。

T : 我々は儒教で堅苦しく考えているけれども、中国は我々とは似て非なるもので、向こうは性に対しておおらかですね。 此う云う噺だと、安岡先生だって此う為って (グッと噛り付く様に) 聴くだろうね (笑)。

S : 親孝行の 〝孝〟、〝ヒ〟 を取って 〝子〟 が支えている訳です。 結婚以来、両親が死ぬ迄の十数年、コレは給与の三分の一をずっと僕の両親に送っていた。

M : だって、お父さん (佐藤先生) が働いてお金を持って来てくれるから (笑)。

T : 其の言葉、最近出無いの? お父さん、働き悪い、て (笑)。

S :『毎日新聞』に掲ていたのだけれども、今は親の面倒を見るの四人に一人も在無い。
「何の為に勉強をするのか」
と謂う問いに
「金の為」
が日本は世界第一位
「社会貢献の為」
が世界最低。

T : 漢和辞典等を調べると語源等の説明は有るけれども、活きた漢字の使い方は出て来無い。 日本では完全に記号に為っている。

S : 師友会の会合で
「孔子様、孔子三世、妻を追い出す」
と云ったら皆吃驚して在た。
彼が説いたのは愛情 〝仁〟 でしょう。僕はコレを追い出して在無いから、孔子様拠りも偉い (笑)。 孔子の言葉は確かに偉いけれども、或れでは中国 (の本質) は解ら無いよ。

T : 中国大好き人間が在て、(本当に) 何でも好き。 自分が (持って在) 無いと何でも受け容れてしまう。 だけれども下手に教えると、斜めに世の中を観る惧れが有る。
先生の説かれた聖徳太子の 「和を以って貴しとせよ」ですが、或れは夫婦の和合の話しでしょう?

S : 老人会で 「何でも政府に嗚呼して欲しい、此うして欲しい、と謂っては駄目だよ」、と云った。 主体は自分だよ。

T : 日本人は 〝血〟 を尊びますが、中国には有りますか?

S : 矢っ張り有るのでしょうね。

T :  小平や毛 沢東の親戚と云えば尊ばれるかも識れ無いが、逆に溥儀・溥傑の様に忌み嫌われるケースも有るでしょうね。 最近の日本の様に、身分制の無いお蔭で妙に俗世の価値に傾く事も有るし、中国の様に 〝善い人なら善い人〟 と観る方が自然で、もっと真面に世の中を観られる。

S : 中国は大自然の流れから離れ無い。 例えば 「満州国が滅んでも、一姓の滅亡に過ぎ無い、俺達には関係が無い」と謂って全く以って慌て無い。

八月十五日の玉音放送を聴いて、僕はベソを掻いて役所で掃除をして在ただけ。 中国人は皆、青天白日旗をポケットから出して在た。 半年前もから、日本が負けたなら之を点てるって準備をして在たらしい。 ベソを掻いて在るのは僕独りだけ。
「何故泣くの? お前には関係が無いでは無いか」、と中国人に笑われた。

T : 今の内に五星紅旗を作っておいた方が (笑)。

S : 偉いものだよ、全く以って実に淡々として在る。

T : 或る意味では、其れは力強さですね。

S : 大自然から離れ無い。 悪く云えば 〝食・艶・財〟 のみ。 中華民国も中共も要ら無い。

T : 大した肚だと思ったのはチンギス・ハーンです。 色目・漢等、嗚呼云う侵略された人達を平気で使う。 耶律楚材も其の典型でしょう。 丘さん(大同学院の生徒、台湾財界人)は満州でしょう。 懐が深いと謂うか、日本では考えられ無い。
   

S : 日本人は如何ですか。 毎日、新聞を見るのが厭に為る。 賄賂・人殺し、如何するのかな、此れ。

T : 惧いのは、何時の間にか (危惧する感覚が) 麻痺する事です。

S : 外部から緊張を与えられて活きて行くしか無いか。

T : 其の国の運勢を診た時、今の日本は八方塞がりですね。

S : 食糧 (生産自給力) は無いし石油も無いし、終わってしまう。

T : 今、米屋に米等有りませんよ。

M : うちのお米は如何しているの?

S : 新潟の庄内平野の米を送ってくれるの、其のお蔭。

T : 今、アメリカのお米が輸入されているでしょう。 今日、天丼を食べたら矢っ張り少し違うね。 満州のお米は美味しかったですが?

S : 王道楽土というが日本だけが米を喰って、満州人は喰え無かった。

T : 誰かが謂って在たな
「佐藤さんは本当に変わった人だ」、って。
「俺が戦後佐藤の家に行ったら、青森県人がゴロゴロと居候して在た」
と話していましたね。

S : ご飯だけは喰わせるから、と通知を出した。 其れは皆中国人のお蔭です。

T : 満州へ行っていた当時、上海の山田さんとは全く交流が無かったのですか?

S : 上海へ行った伯父の記録を採ってある。 広東にも行って孫文の息子の孫科とも会 って色々としました。

T : 溥傑さん、亡く為りましたね。 日本に好意を持っていましたが。

S : 嵯峨公爵の娘が嫁いでいたが。

T : 溥儀さんの周りに宦官は在たのですか?

S : 在た。 子供の時に宦官と遊ばされ、ふぐりを弄ばれて壊れてしまった。

T : 其う云えば、本当にか弱い感じですね。

S : 女を雇って壊す方法も有る。

T : 宦官て、勃起はするけれども子種は創れ無い、と云う事ですか?

S : 珠は必ず採られた。 一番の方法は竿を幾許か残す。

T : 為る程。

S : 棗(なつめ)の実、之を女性の陰部で濡らす。 皇帝は是を朝必ず食べる、此れ宦官の仕事。

 皇帝の身体を20~30人の若い女に舐めさせると、彼女達は本当に白痴みたいに為るらしい。(毛沢東にもそのような逸話)

T :  小平が若返りの為に、同じ血液型の若い女の子の血を輸血するとか。

S : 男の欲するものを女が持っているからと謂う簡単な論理です。

T : 儒教の中で其ンな噺は全く出ては来無い。 道教・房中術・仙道術等、本来は其う謂う事を理解し無いと、中国は理解出来無い。

S : 宦官から僕が訊いた噺、かなり詳しいのだけれども文字には成ら無い (と云うよりも出来無い)。

T : でも、其う謂う勉強は面白い。 所謂、精力増強。 何しろ精力が無いとね。 (自分の) 肝臓が悪ければ (健康な他者の) 肝臓を喰うとか。

S : 全く簡単な論理だ。

T : 出来れば人間のが善い。

S : 一番困るのは、日本語と中国語がゴチャ混ぜな事だ。 中国語だけでなら信じてくれる。 終戦後、追い駆けられた中で急いでいて日本語を混ぜて書いたから、嘘を書いたと思われた。 (文書は) 十分の一だけ持って来て、残りは向こうへ置いて来た。

T : 本当の庶民の考え方、此れが基本ですね。

S : 七名の宦官から訊いてね。 全部在れば素晴らしい記録に為るのだけれども、留置場から奉天へ強制送還されたから何も持て無い。

T : 其う云う基本が解ら無いと、怖さも善さも何も解ら無いですね。 日本人は同化させられ易いから惧いです。

S : 僕の命を救けてくれたのは全部中国人。 7・8年前のお礼をする為に、吉林の田舎から新京迄3~4日も掛けて、卵20~30個も持って捜し廻ってくれた。 其のお蔭で僕等は飯が喰えた。

T : 3~4日だと百キロメートル程でしょう。

S : だから中国人の善さとは日本人が考えているものとは違う。 孔子様が此う謂ったから此う、では無いの。 日本人も善い処は在るとは思うのだけれども。 牢屋に入っていた時、僕だけには差し入れがある。

M : 牢屋に入って在る時の態度が善かったからよ。

S : 三・四百名も囚人達が在た中で、僕独りだけが特別扱いだった。 賄賂一つ遣った訳では無い。 機嫌を摂った事も無い。 満州一の悪党と新聞は伝う、其れでも差し入れは僕独りだけ。

M : 普段から中国人との付き合いが有ったから。

T : 監獄に入ると勅任官でもうろたえますよね。 僕等もうろたえますよ。 矢っ張り余りにも外の世界を観無い善い生活をしているのですよ。

S : 最後は伯父さんのお蔭で救かった。

T : 矢っ張り本当の勇気が無いと出来ませんよ。

S : 忙しくて忙しくて、僕独りで皆の世話をするのだ。

T : 矢っ張り其れは理屈では無い。 或の人が来ると楽しくて仕方が無い、と云う雰囲気って在りますよ。

S : 大連の小学校で一緒に先生をして在た人が、国民党の外事課長さん。 十何年振りに会って 「逃げなさい」、と。 僕はお断りした。
「あんたに迷惑を掛けるし留置場に在る日本人を残して僕だけが返る事は出来無い」、と云って。
国法か人情か。 人情は国法に勝る。

T : 其う云うお譚を訊くと、其う云うものが仄かにでも在れば。 矢っ張り好きだから、無言で判る訳でしょうし。

S : お世話に為った此の人、中国に在る筈なのだが。 恐らく、もう生きてはいらっしゃらないと思うのだけれども。

T : 五月頃。 孫文さんの拓本を採ったのが出来たので、国父記念館に寄附をしようかと想い、台湾へ行ったついでに大連へ行きますから、其の噺もね。

S : 大連へ行きますか。

T : 苗さんの奥さんは大連出身なので、写真等渡そうと想って。 張 学良は苗さんの 奥さんとの交流は無いのだそうだけれども、奥さんの
「或の人 (張 学良) はお坊ちゃんだからねぇ」
と謂うと真実味が有りますよ。
苗さんの娘は中共の会社に勤めていますね。 でも苗さんは普通のアパートに住んで居ます。

S : 苗さんをアレすると、蒋 介石の事を暴露されるからでしょう。

T : 苗さん位なら、もっとずっと凄い家に住んでいても善いのだとは思うのだけれども。

S : 苗さん、 仲々良い言葉を謂っているよ。
「三木には観切りを着けた・田中 角栄と云う奴は一角の繁栄しか判らん奴だ・大平にはオオッピラに御免だ・中曽根には根が有るとは思えん・今の日本には日本人が在無い、日本人の在無い日本など日本では無い」
と僕に謂った。

 是の言葉、活きているよ。 台湾へ行くと本当に温かく迎えてくれる。 中共とは全く違う。
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