まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

自 省   自 得

2007-11-04 12:04:03 | Weblog
津軽の秋

 売文の徒、言論貴族と称せられるものたちの熱狂が今まだ続く我国において、歴史の検証はもう暫くの時間が必要です。終戦と敗戦、太平洋戦争と大東亜戦争、あるいは我国においても8月15日は解放記念日と呼称する一群もあります。
 まだまだ熱狂と偏見が過ぎ去らず落ち着きのない風が吹いているところに、調和とれた歴史の再検証など望むべくもありません。

 建て前の上でも一度は納得した近代日本の検証を、あえて平和遊情に浸っている現在に自己の歴史を内観するならまだしも、属性価値優先の状態で全体行為を評することは返って錯交した歴史観を作り上げてしまいます。
 世代の断絶、教育偏重、個(孤)性の尊重などと言われている今、連綿と継承すべき歴史すら再々検証などと試みられる時期が到来しないとも限りません。
 将来予測しうる価値の錯交を考え日本人が日本人あるべきそのものの価値を顧ることのほうが大切なことではないでしょうか。

 過去の事象を単純知識の情報として役立てたところで、単なる歴史の学習やのぞき見的裏話で終始します。 しかも、それだけで将来を案ずる目安や判断の材料にしたところで民族の普遍的意志にはなりません。

 それはややもすると「群盲象を撫す」がごとく時運の流れに群行群止する民族が特に注意しなければならない事でもあります。 
 例えば、孫文の満洲共同経営に関する「日支連盟論」ABCD包囲網による「戦争誘導論」、国際共産主義による「南進誘導論」、ユダヤによる「謀略論」、はたまた「黄禍論」等、さまざまな立場の話はあるが国民が観た戦争の結末は、
「物知りの馬鹿は、無学の馬鹿よりもっと馬鹿だ」
「我汝らほど書を読まず、然るが故に我汝ら程愚ならず」
を悟った敗戦の事実だった。
地位経歴学歴という属性は土壇場では何の役に立たなかったことが判かった。

しかも、一部の迎合性、卑屈性を兼ねたものたちが、勝者の文化にのみに価値を偏重したせいか、保持すべき民族の特性、地域性とが新しい文化と軋轢を起こし生存地域での異端性は過去と同様の歴史を刻み始めているようにおもわれます。
 自己の本性や歴史の継承すべき真理(中紐)を洞察することなしに、表層に現われたことのみに評価を加えることは、歴史の持つ価値を遠ざけ小間切れの歴史観を描き出しています。

 戦争は馬鹿々々しいものですが、その行為に対する単絡的理解も現代を惑わしている元兇の一つです。
「負けると判かっていても今行かなければ日本そのものが駄目になってしまう」と答えた特攻隊の若者、
「私は命より大切なもののために抵抗せずにあえて殺されるのを待っている」と言った天安門の学生達それは全体の中の分(自分)を弁え、生かされていると感謝する人々に対するささやかな世代の好意であり警鐘でもあります。
 
 我国がアジアの光明と称せられアジアが動いた歴史の事実、そこには孫分、アギナルド、ネール、がいた。天安門の若者の行為に東欧が動き世界史が開かれた。
 これからは全て馬鹿々々しい行為ではないあえて「莫過」と呼ばせて戴きたい魂の継承でもあります。
 戦は相手があるが、他を語る前に自らを悟ることです。今では経済力、政治力は永い民族の歴史の禍いに対して小手先の手段方法にはなるが、それだけでは解決手段にはなり得ない。

 それよりも「本立つて道生ず」の例えがあるように政治(教)経済(養)の分別と調和が“力”として“知恵”として他に働きかけそこから生ずる均衡のとれた評価は自他の分別を生み将来を推察する道筋にもなります。戦争は忌しい単語ですが、交通、経済、受験、これ程安易に使われることも珍しい、平和になると登場するまさに“戦禍”である。
 戦后構成された社会を視ると、生かされているものとして「莫過」に申し訳けない気がする。
 
“当時は生まれていなかった”と言っても民族の歴史に感謝と責任があります。
 自らの秘奥な良心に、あるいは民族の特性に思い至すことなく、今を知らずして歴史を書き直すような愚は民族として潔ぎよい姿ではありません。
 孫文は「西洋覇道の犬となるか、東洋王道の干城となるか」と日本にその選択を問い  インドの司法家ラダ.ビノード.パルは
「時がその熱狂と偏見が過ぎ去った暁には、女神は秤の均衡を保ち多くの賞罰にその名を変えることを要求するだろう」と述べている。

 歴史は「自」(オノズ)から成ります。「自」(ミズ)から行えば争いになる。
 日本人が誠の日本人でありつづけるならその永い歴史を希求することに誰も妨げたりしない。
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