箱根、バル・下中記念館蔵 東條英機氏
安岡正篤氏は「続、人間維新 明治維新百年の変遷」でこう著している
《スパイの一番大きな目的は相手国の国策を誤らせることである。
とにかく大東亜戦争で日本は国際謀略というものに引っかかって敗北した。
謀略に対して暗かったという、不明がある。決して物量に敗れたとか、何とか言うような簡単なものではないということを、諸君たちは知っておいてよろしい・・》
文頭に戻ってみよう
苗剣秋の大書の意味とガラスケースの中の敵国資料の持つ意味を推察して欲しい。
ここに佐藤慎一郎という人物がいる
辛亥革命の領袖孫文に共鳴して恵州の戦役で日本人でありながら、あくまでシナ人と言い張って処刑された弘前出身の山田良政、孫文の側近として日本人唯一孫文の臨終に立ち会った弟純三郎を叔父にもち、大陸二十年の経験から日中史の歴史的証人として、また安岡氏との親交があった人物である。
解りやすいエピソードを記してみよう
安岡氏を囲む全国師友会の研修が毎年日光の田茂沢会館で行われていた頃、研修後少数の者が師を囲んで小宴を行うのが慣わしとなっていた。
もちろんその場は安岡氏の独断場であり、頷くばかりの弟子である。
ところが佐藤氏が講師として招聘されたときは、佐藤氏の独断場で安岡氏は弟子同様興味深く聞き入っていたという。つまり、従前の邦家流の古典解釈ではなく大陸生活の中での古典のとらえ方と、彼ら独特の活用の方法を俗諺を交えて語るのである。
まさに生きている学問であり生活そのものの体験の語りなのである。
色、食、財の本性を自然に認め、それを前提として生じた学派の様相と意味を愉しく語るのである。もちろん俗諺にあるY談や官吏の明け透けな実態、あるいは処世の巧みさを机上、口上にない真の活学として吾を言う、つまり話しではなく語るのである。
それは異民族に普遍な至情としての交誼を促すものであり、知識の浅い、深い、を超えた人情の在り処、つまり安岡氏の説く人物人格の存在を学問と実践によって習得するべきと教えている。
安岡氏はとある講義で資料中にある王ボン生(王大禎)を大人物と褒め称えた。
普段、歴史上の人物はともかく、現存の人間を褒めることなど皆無に近い安岡氏だが、この時ばかりは違っていた。
偶然出席していた佐藤氏は驚愕した。そして講演後くつろいでいる安岡氏を控え室に訪ねこういった。
『先ほど王さんのことをお話していましたが、王さんは(資料内の内容)です。しかも責任者ですよ』
安岡氏は瞬く間に蒼白になり暫らく押し黙っていた。
控え室には佐藤氏と安岡氏のみであったが、次の言葉も見つからず佐藤氏は黙って部屋から出た。
苗剣秋氏はその組織の日本駐在工作員であり、戦時中は恵比寿に住んでいた。あの郭末若も市川に住んでいてゾルゲに誘われている。
それらが安岡氏は利用できる人物として認定したのが、あのガラスケースの資料の事実なのである。戦後の戦犯回避も王の工作であり、もちろん蒋介石も知っていただろう。
当時安岡氏は大東亜省の顧問として多くの情報に触れる立場にいた。また尾崎から近衛、王ボン生の末端として位置づけられた尾崎、そして安岡氏と近衛のロシアに託した終戦工作、ロシアとゾルゲと王ボン生と苗剣秋や尾崎、王と宮元利直と安岡氏。
それは複雑にも、大義と夢と謀略と畏友の関係を歴史のエポックとして幼児的知識人を今なお混乱させている。
小生はこれから教学の師となるだろう面前の安岡氏に初対面でしかも唐突に問うた
『宮元利直さんをご存知ですか』
目は小生の眸を外し、同席している岡本氏との取り留めない話題に変わった
『うちの人を騙すのは易いですょ』
後年、縁者のエピソードとして聴いたとき、より恩顧の念を抱いたことは言うまでも無い。
それは無垢でいることによる観測眼の有り様に措いてである
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