まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

衰亡の歴史を感知する習近平の国内政策   その①

2023-10-24 15:17:34 | Weblog

 

のごとは、是は是,非は非と分別されなければならない。

ロシアや中国の行うことはダメ。米国や西欧圏の唱えることは善。

あるいは独裁国家だから自由がない国民は可哀そう、自由のある米国や日本は幸せとの感覚も同様にある。

もしも、そのような印象でみれば、努力更新すらすべて歪んで感覚でしか見えない。

筆者がはじめての訪問時に遭遇した天安門事件の頃、当時、日本人の浅薄な中国への印象は、汚い、遅れている、自由がないと。地方から都会に来て、しばらくすると同郷人を田舎者と嘲ることに似ている。

あるいは戒厳令下の小学校訪問での印象を帰国後説明した際のこと、休み時間は文具か机の右側に揃えられ、パソコン教室は種類の異なるメーカーのディスプレイに白い布で覆われ、整理整頓、清掃が行われていた。なによりも教師に対して尊敬し従順だった。天安門では「下台」(腐敗した高級幹部は辞任しろ)だった。そう説明すると、共産主義だからだと。

デモの学生はビラを配布して庶民は大事そうに受け取り読み上げると何重にも人の輪ができた。

日本の政党主催のデモは一日の手間をもらい、配布したものは道路や公園を汚した。唱えるのは待遇改善、政権批判だが、日本の労働貴族が主催するデモと中国の高級幹部の腐敗を訴える国民デモ(軍人、官吏、労働者、医者、学生など職域の服装で参加)、まさにその場にいなければ解らない実感だった。

筆者の周りの声は、遅れている、共産党だから、中国人は他人のことは考えない、道路など掃除しないと、侮ったり懐疑的な内容が多かった。

だが、帰国後、直ぐに「日本はいずれ負ける」と題して起稿したことを覚えている。

 

派閥名「宏池会」は隣国古典の倣いだ。

後漢の学者・馬融の「高光の榭(うてな)に休息し、以て宏池に臨む」という一文(出典は『広成頌』)から、陽明学安岡正篤が命名したものである  (ウィキペディアより転載)

 

民衆は「力」の源泉を財貨として成功者を偶像化するが、憧れ、自己期待から嫉妬、失墜を願うという、これも循環思考として劣性な意識がはびこっている。

劣性は経済においてもリターンの速い投資に向かう。それは、現世、治政、他人、将来を信ずることなく、いままで信頼していた近親縁者すら遠避けるようになり、国家(中国共産党)なるものへの帰属意識すら、単なる利殖のグランドであり、危うくなれば他国へ逃避する。稼ぎのなくなった大地からは移動する、それは文化圏を問わず地球の表皮の至るところに棲む柔軟さはある。

財が貯まると三分割して、日本、香港、米国、本土に分散し、子息は留学先の永住権を取得、万一の棲み処を企図している。

それゆえ、現世で、大陸で、機を見て際限のない財の集積に邁進する。

 

以上は切り口の異なりはありますが、さまざまな情報が到来し、多くの事実と推測をよんでいますが、人間の織り成す行為は古今東西、何処も似寄りの内容が情報空間を飛び交っている。

憧れるもの、嫉妬するもの、義憤を感ずるもの、身を引き締めるもの、さまざまですが、ここでは、あらゆる場面で度々言辞を発している衰亡の兆候、そのとき表れる人間の姿(とくに官吏、政治家)、次に進んで亡国に至って表れる現象などを、人間の誘引、弛緩、劣化、堕落、没落として、それを感知なり歴史の事績から読み解く為政者の施策として、中国の政策(対策)の流れを例に考察してみることにしたい

また、わが国の政治担当者、行政官吏、大衆の姿を比して考える縁としたい。

 

 

明治維新では文明開化、近代化の範として標された資本主義、大戦後の民主主義、現世流行りの新自由主義、理屈は合っても国民には馴染まない、いや解らないが馴染まされているのが現状だ。

そして「釜中の民」のように、徐々に衰退することも感知せず、茫然として他の目新しい流行りごとに目を奪われている。

与えられたものは視るが、広く深く考えなくなったといわれて久しい。

しかも、動物のように群れになって動き、止まるが、実態として連帯は融解し孤独は進捗している。

安全・安心と叫ばれているが、自由度は狭まり国民の情報収斂は官民を問わず進捗し、かつ商業的流用で内心まで露呈されている。

情感は歪み犯罪は多岐にわたり頻発し、近親の関係まで虚偽と糜爛な関係に陥っている。まさに「人心は微か」というべき、体感不安と危険性がいたるところに漂っている。

政府はスローガンを掲げて整風ムーブメントを唱えるが、周知されることも乏しく、どんよりとした雰囲気が世を覆っているようだ。

懐が豊かになれば解決するか、そうでもないらしい。

 

桂林郊外

 

中国事情

北京の古老が呟いていた。

もともと弱いものが強いものを倒すには機略、謀略、つまり欺き、そして仮にも対象から信頼なるものを得ることが鍵となる。

我が国は政治の腐敗と堕落で列強に踏みにじられた歴史がある。戦争のあと腐敗した国民党は自ら滅び、台湾に逃げた。解放と名をつけた共産軍は農民を要として当初は国民党より政治を行い民の歓迎をうけた。

あとは衰退した社会は外からの侵入に弱い、とくに北からのソ連だ。

 

国民党が強かったときは地続きのソ連に援助を求めた。信頼を得るために同じ顔をして装った。人民にはよくわからない、馴染まないが、共産主義を看板にした。ソ連の農業政策をまねて人民公社をつくったが、陽が昇ったら農地へ、沈んだら戻る、勤勉な民は「続くはずはない・・」と、時を待った。

ソ連でも新しい思想なので色々な人が様々な意見を言い始めるとまとまらなくなるのは何処でも同じだ。

スターリンは理屈を言うもの、反対する邪魔者は、みな殺した。毛沢東はそれに倣った。

意見のあるもの、言いたいことを云いなさいと号令して(百家争鳴)、それらが判ったらみな捕まえて殺してしまった。

他の共産主義国もそれを真似した。ポルポドのカンボジアも毛沢東に倣った。

大躍進の号令で村々で小さな溶鉱炉をつくったが、粗悪で使い物にならない。スズメが稲穂を食べるといって全国でスズメ退治が始まったが、害虫が増え不作になり餓死もでた。4000万との数字がある。

毛沢東が臭九老(九儒)といって蔑んだ知識人も蔑まされた。身分を十に分け下から九番目の鼻つまみ者の知識人、十番目は乞食だ。その頃はタクシーの運転手よりか教員や学者は給料が低かった。

色々あったが、鄧小平の開放も、共産党が人民から預かった権利を手放したに過ぎない。

さて、そこからが舵取りは難しい。

もともと看板への面従腹背が起きた。政府の政策には、人民の対策が有る。四角四面の政策では生きてはいけない。だから鄧小平が四つの近代化(四化)を云えば、あれは四つの話(ハナシ)と嘲笑する。化も話も発音は同じ。小平のシャオビン、小瓶も同じ音、ビンを壁に投げて割るものもいたが、ひそかな楽しみだが混乱は好まない。

いくら共産党でも権力をとれば国民党と同じ腐敗がはじまる。まさに色、食、財への欲求だ。それも際限のない欲望が亢進する。昔から一人の高官が一族から出れば、一官九族に栄えるといって、親兄弟だけでなく一族郎党が繁栄するようになっている。民もそれに倣う。

日本に行ってひと稼ぎするとなれば、親類縁者は渡航費を集める。それは投資のようなものだ。隣の朝鮮民族もそれに倣っている。

財は「貝」と「才」、才能のある奴が貝(こやす貝・昔の貨幣)を貯めることができる、つまり学問の目的は財を蓄えることに目的があるということだ。

だから孔子や孟子は看板にはなるが、単なるハナシなのだ。

宦官の試験でも聖賢の古典だが、目的は金しかない。「昇官発財」

それが官僚になり、裁判官になり、教師になる、世の中は裏の方が広いし深い。

それが、実利であり、隠すには都合の良い看板がある。孔子先生、孟子先生だ。

日本の役人もそれに倣った。着実に、勤勉に、忍耐強く、いたるところで蟻塚をつくった。

だが、少し利口なのか政治家を騙してその担保をコソコソと法律にした。どこの国も逃げたり、守ったりするのは不埒な役人の姿だが、多くは気弱な小人だ。その点、やることも、貰った賄賂も共産党幹部は大きい。日本は小泥棒のように税金をくすねたり、勝ってな法をつくり、政治家を交えた還流だが、中国は数千億、一兆円を超えるものもいる。そして仲間に分け、親族も潤う。(一官九族に繁える)

 

 

「生きる、活かす狡知」

佐藤慎一郎氏は云う。

満州崩壊のとき午前中までは満州国旗が掲げられていた。だが日本が負けたとの報が入ったとたん青天白日旗が翻った。触ると今までと違った良質な綿地の旗だった。聴いてみると、東北軍の張学良だったころ少しは長持ちすると思って作った。

他に持っている旗は、ソ連国旗、解放軍旗、満州国旗、日本国旗だ。

それぞれがこの地に来たら、用意している旗を思いっきり振った。

忍耐力。力の存在を感知する。色、食、財への本性。実利の追求。政治との絶妙な間(マ)。地球の表皮に何処でも棲める天下思想。それらは穏やかで柔和な応答に隠された、いや当然のごとく陰と陽の合理と厳存を熟知し、表裏に戯れる鷹揚さがある。しかも他者は、それこそ人間なのだと認める姿がある

それは「上善如水」老子(一番上手い生き方は水のように生きることだ)

雨が小川となり,大海になる。その流れは万物(生物、農作物など)に潤い、泥水や清水に容易に混じる。どのような形(政治体制、環境)にも納まり、大河となって海に注ぎ、天に昇って雨となる循環を人生に模した生き方。

しかも、大海を民、浮かぶ船は皇帝、為政者として、海が荒れれば船は転覆させることができる

 

では「信」は何処にあるのだろうか。

人情は深く、命は儚いものだとも思うような達観もある。

逆に力を持てば、なかには夜郎自大になり群れ(班や会、閥)となって異郷を侵食するようになる。

 

つづく

一部資料写真は関係サイトより

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